【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい

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第6章 冬の贈り物

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 温室の修復が始まってから、屋敷の空気が少しだけ変わったような気がします。  
 石造りの廊下を歩く職人たちの明るい声。舞い散る粉雪。  
 凍りついていた時間に、ようやく音が戻ったようでした。

 ソフィは毎朝のように報告してくれます。  
「奥様、今日は梁の補修が終わりました!」
「旦那様が視察に来られて、何もおっしゃらず頷いておられましたよ!」

 いつもなら無表情な彼が“頷いた”というだけで、屋敷中が小さくざわめきました。  
 その反応の温かさに、わたしの頬も自然にほころびます。



 雪がしんしんと降る午後、わたしは倉庫へ古い花道具を探しに行きました。  
 誰も使っていない木造の小屋。埃が舞う中で、古びた箱や布が積まれています。

「これ……まだ使えそう」

 錆びついた鋏や植木鉢を引っ張り出していると、奥の棚の下にひとつだけ布で覆われた箱を見つけました。  
 軽く埃を払って布をめくると、中には黒い軍服と銀色の徽章がきちんと畳まれて入っていました。

「軍の……礼装?」

 触れた瞬間、冷たい布地の感触が指に伝わります。  
 徽章にはヴェイル家の紋章。その傍らに、小さな木の十字架。  
 それだけで胸が締めつけられました。

(まさか、これが――)

 聞いたことがありました。侯爵が弟君を戦で失ったという話。  
 おそらく、これはその方の遺品に違いありません。

「ずっと……このままだったのね」

 わたしはそっと軍服を抱え、埃を払いました。  
 丁寧に形を整え、ほつれた袖を糸で縫い、徽章を磨きます。  
 静かな倉庫の中で針の音だけが響きました。

 この雪の国でも凍らないものがあるのだと信じたくて、ただ無心に手を動かしました。



 翌日、暖炉のある小さな居間で、アルフォンス様と鉢合わせしました。  
 扉の向こうからのぞくと、彼は黙って書類を読んでいて、窓の外の雪明かりが顔を照らしています。

 わたしは胸に抱えていた布包みを差し出しました。

「あの……ご無礼を承知のうえで、見つけてしまいました。倉庫の奥で」

 彼の視線が布包みへ降りていきます。  
 ほんの一瞬、灰色の瞳がかすかに揺れました。

「……弟の」

「はい。少し直しました。勝手にしてしまって、申し訳ありません」

「……誰が教えた」

「誰にも。縫い物が得意なだけです」

 静かな沈黙が流れました。薪のはぜる音だけが部屋に響きます。

 アルフォンス様は包みを受け取ると、しばらく無言のままその布を撫でました。  
 彼の指が徽章に触れ、ひとつ小さく息を吐きます。

「戦地で、あいつを守れなかった。あれ以来、何も直す気がしなかった」

 その声は驚くほど静かで、哀しくて、氷のように透き通っていました。  
 胸の奥が締めつけられて、言葉が出ません。

「……君は怖くないのか。俺のように血塗られた人間が」

「怖いです。ただ、それ以上に――悲しいと思いました」

「悲しい?」

「ええ。あの服が倉庫の中で眠っていたことも、それを抱えていたあなたの心も。……どちらも、ずっと寒かったのですね」

 彼の灰色の瞳がゆっくりとこちらを見据えました。  
 言葉にならないものが、その奥で揺れています。

「……変わっている」

「よく言われます。けれど、あなたの弟君も、きっとそんなわたしを笑ってくれると思います」

 少しだけ柔らかく笑いかけると、アルフォンス様の肩が微かに震えました。  
 やがて、彼はその軍服を胸に抱きしめるようにして、深く息をつきました。

「……ありがとう」

 そのひとことが、部屋の空気を溶かしました。  
 暖炉の火が少し明るくなったような錯覚を覚えるほどに。



 夜、また手紙を書きました。

『古い倉庫で、彼の弟君の遺品を見つけました。  
 冷たく閉ざされた部屋に、彼のぬくもりがまだ残っていた気がします。  
 彼が背負う痛みを、ほんの少しでも軽くできたでしょうか。』

 書き終えると、外では雪が静かに降っていました。  
 月光が差し込み、窓辺に置いた徽章が淡く光ります。

 その光を見つめながら、胸の奥にまた小さな灯がともりました。

(わたしはこの人のそばで、少しずつ春を咲かせていけるかもしれない)

 そう思った瞬間、雪の降る音が遠くでやさしく響きました。  
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