【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい

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第5章 雪の晩餐

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 その夜、執事のリオネルが静かにわたくしの部屋を訪れました。  
 暖炉の火がゆらぐ中、扉の向こうから控えめな声がします。

「奥様。……旦那様がお食事にお越しになるようにと」

「わたしが? ……侯爵様と、ご一緒に?」

「はい。正式なご夕食の席に、とのことです」

 思わず手にしていた本を落としかけました。  
 あの冷たい瞳の方と同じ食卓を囲むなど、まさか今日来るような機会があるとは――。

「わかりました。すぐに支度を整えます」

 胸の鼓動が速くなり、鏡の前に立ちました。  
 深いワインレッドのドレスを選び、髪を低くまとめて小さな白花の飾りを差します。  
 ソフィが後ろで緊張した手つきでリボンを結びながら、ぽつりと呟きました。

「旦那様と一緒のご夕食なんて、ずいぶん久しぶりです……」

「久しぶり、なのですか?」

「はい。お弟様を失われて以来、ずっとおひとりでお召し上がりでした」

 小さな声なのに、胸に強く残りました。  
 寡黙な冷たさの裏にある孤独。その事実が、どうしようもなく重く胸に響きました。



 豪奢な食堂の扉が開くと、そこには淡く輝くシャンデリアの光と共に、ひとりの人影がありました。  
 長いテーブルの先端。深緑の軍服姿のまま、背筋を伸ばして座っている――アルフォンス・ヴェイル侯爵。

 彼の前にはすでにスープが湯気を立てています。  
 わたくしが静かに足を進めると、彼の灰色の瞳がわずかに向けられました。

「遅かったな」

「申し訳ございません……着替えに手間取りました」

 椅子を引き、小さくお辞儀をして座ります。  
 吹雪の夜、広すぎる食堂の中に二人きり。  
 静寂が、痛いほどに身に沁みます。

 目の前の温かなスープをすくいながら、わたしは静かに切り出しました。

「……この屋敷には、たくさんの方がお仕えされていますね。でも、皆さまどこか怯えていらっしゃるようです」

「噂話を信じているのだろう。俺を“氷の侯爵”と呼ぶ馬鹿な連中が多い」

 短く吐き捨てるような声でしたが、そこにわずかな苦みが混じっているようにも聞こえました。

「でも、皆さま……本当に大切にされています。リオネルさんも、ソフィさんも」

 少しだけ彼の手が止まります。  
 沈黙が長く続き、やがて低い声が返ってきました。

「……お前は変わっているな。怖くはないのか?」

「怖いです。でも、それ以上に――知りたいです」

「知りたい?」

「はい。いつも何を考えていらっしゃるのか。どうしてそんなに、お気持ちを閉ざされてしまわれたのか」

 言ってから、自分でも大胆だったと気づきました。  
 けれど、そのまま言葉を引っ込めることはできませんでした。

「胸の奥に、本当は……痛みがあるのではないかと。そう思うのです」

 彼の指がフォークの上で静かに止まりました。  
 灰色の瞳が少し揺れます。深い湖の奥から光を探すような、そんな目でした。

 でも次の瞬間には、また冷たく口を閉ざしてしまいます。

「……下がれ。食事は済んだ」

 それだけを告げて、彼は立ち上がりました。  
 けれど、わたしが立とうとすると、それより早く扉の前で立ち止まり、かすかに振り返ります。

「温室の修復を……許可する。お前が望むなら、あの場所を使え」

「え……?」

「傷んだ温室が裏庭にある。どうせ手をつけず放置していた。好きにしろ」

 短くそう言い残して、彼は去っていきました。  
 扉が静かに閉まる音が、心の奥まで響きます。

(温室……彼、わたしの言葉を覚えていてくれたの?)

 思えば、雪の日にわたしが花を植えているのを見ていたはずです。  
 その姿を。  
 そして今、あの一言――「好きにしろ」は、まるで“頑張れ”の代わりみたいでした。



 翌朝、屋敷が少し慌ただしくなりました。  
 裏庭に職人たちの声が響き、古びた温室の修復作業が始まったのです。

「旦那様のご指示でございます」とリオネル。  
 ソフィも顔を輝かせて言いました。「すごいです奥様、本当にあの温室を!」

 胸の奥が熱くなります。  
 わたしの小さな希望が、あの人の手によって形になっていく――その事実が、まるで春の息吹のように胸を満たしました。



 その夜。  
 わたしはランプの光の下で手紙を書きました。ペン先が少し震えるほど、胸の奥があたたかくて。

『彼は無言で応えてくれたのかもしれません。  
 優しい言葉はなくても、わたしの願いを叶えてくださった。  
 ――きっと、この雪の下にも春が眠っているのですね。』

 書き終えた手紙の端に涙のしずくが落ちました。  
 でも、それは悲しみではなく、あたたかな光のような涙でした。

 窓の外で、月明かりがゆっくりと雪を照らしています。  
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