6 / 20
第6章 冬の贈り物
しおりを挟む
温室の修復が始まってから、屋敷の空気が少しだけ変わったような気がします。
石造りの廊下を歩く職人たちの明るい声。舞い散る粉雪。
凍りついていた時間に、ようやく音が戻ったようでした。
ソフィは毎朝のように報告してくれます。
「奥様、今日は梁の補修が終わりました!」
「旦那様が視察に来られて、何もおっしゃらず頷いておられましたよ!」
いつもなら無表情な彼が“頷いた”というだけで、屋敷中が小さくざわめきました。
その反応の温かさに、わたしの頬も自然にほころびます。
*
雪がしんしんと降る午後、わたしは倉庫へ古い花道具を探しに行きました。
誰も使っていない木造の小屋。埃が舞う中で、古びた箱や布が積まれています。
「これ……まだ使えそう」
錆びついた鋏や植木鉢を引っ張り出していると、奥の棚の下にひとつだけ布で覆われた箱を見つけました。
軽く埃を払って布をめくると、中には黒い軍服と銀色の徽章がきちんと畳まれて入っていました。
「軍の……礼装?」
触れた瞬間、冷たい布地の感触が指に伝わります。
徽章にはヴェイル家の紋章。その傍らに、小さな木の十字架。
それだけで胸が締めつけられました。
(まさか、これが――)
聞いたことがありました。侯爵が弟君を戦で失ったという話。
おそらく、これはその方の遺品に違いありません。
「ずっと……このままだったのね」
わたしはそっと軍服を抱え、埃を払いました。
丁寧に形を整え、ほつれた袖を糸で縫い、徽章を磨きます。
静かな倉庫の中で針の音だけが響きました。
この雪の国でも凍らないものがあるのだと信じたくて、ただ無心に手を動かしました。
*
翌日、暖炉のある小さな居間で、アルフォンス様と鉢合わせしました。
扉の向こうからのぞくと、彼は黙って書類を読んでいて、窓の外の雪明かりが顔を照らしています。
わたしは胸に抱えていた布包みを差し出しました。
「あの……ご無礼を承知のうえで、見つけてしまいました。倉庫の奥で」
彼の視線が布包みへ降りていきます。
ほんの一瞬、灰色の瞳がかすかに揺れました。
「……弟の」
「はい。少し直しました。勝手にしてしまって、申し訳ありません」
「……誰が教えた」
「誰にも。縫い物が得意なだけです」
静かな沈黙が流れました。薪のはぜる音だけが部屋に響きます。
アルフォンス様は包みを受け取ると、しばらく無言のままその布を撫でました。
彼の指が徽章に触れ、ひとつ小さく息を吐きます。
「戦地で、あいつを守れなかった。あれ以来、何も直す気がしなかった」
その声は驚くほど静かで、哀しくて、氷のように透き通っていました。
胸の奥が締めつけられて、言葉が出ません。
「……君は怖くないのか。俺のように血塗られた人間が」
「怖いです。ただ、それ以上に――悲しいと思いました」
「悲しい?」
「ええ。あの服が倉庫の中で眠っていたことも、それを抱えていたあなたの心も。……どちらも、ずっと寒かったのですね」
彼の灰色の瞳がゆっくりとこちらを見据えました。
言葉にならないものが、その奥で揺れています。
「……変わっている」
「よく言われます。けれど、あなたの弟君も、きっとそんなわたしを笑ってくれると思います」
少しだけ柔らかく笑いかけると、アルフォンス様の肩が微かに震えました。
やがて、彼はその軍服を胸に抱きしめるようにして、深く息をつきました。
「……ありがとう」
そのひとことが、部屋の空気を溶かしました。
暖炉の火が少し明るくなったような錯覚を覚えるほどに。
*
夜、また手紙を書きました。
『古い倉庫で、彼の弟君の遺品を見つけました。
冷たく閉ざされた部屋に、彼のぬくもりがまだ残っていた気がします。
彼が背負う痛みを、ほんの少しでも軽くできたでしょうか。』
書き終えると、外では雪が静かに降っていました。
月光が差し込み、窓辺に置いた徽章が淡く光ります。
その光を見つめながら、胸の奥にまた小さな灯がともりました。
(わたしはこの人のそばで、少しずつ春を咲かせていけるかもしれない)
そう思った瞬間、雪の降る音が遠くでやさしく響きました。
石造りの廊下を歩く職人たちの明るい声。舞い散る粉雪。
凍りついていた時間に、ようやく音が戻ったようでした。
ソフィは毎朝のように報告してくれます。
「奥様、今日は梁の補修が終わりました!」
「旦那様が視察に来られて、何もおっしゃらず頷いておられましたよ!」
いつもなら無表情な彼が“頷いた”というだけで、屋敷中が小さくざわめきました。
その反応の温かさに、わたしの頬も自然にほころびます。
*
雪がしんしんと降る午後、わたしは倉庫へ古い花道具を探しに行きました。
誰も使っていない木造の小屋。埃が舞う中で、古びた箱や布が積まれています。
「これ……まだ使えそう」
錆びついた鋏や植木鉢を引っ張り出していると、奥の棚の下にひとつだけ布で覆われた箱を見つけました。
軽く埃を払って布をめくると、中には黒い軍服と銀色の徽章がきちんと畳まれて入っていました。
「軍の……礼装?」
触れた瞬間、冷たい布地の感触が指に伝わります。
徽章にはヴェイル家の紋章。その傍らに、小さな木の十字架。
それだけで胸が締めつけられました。
(まさか、これが――)
聞いたことがありました。侯爵が弟君を戦で失ったという話。
おそらく、これはその方の遺品に違いありません。
「ずっと……このままだったのね」
わたしはそっと軍服を抱え、埃を払いました。
丁寧に形を整え、ほつれた袖を糸で縫い、徽章を磨きます。
静かな倉庫の中で針の音だけが響きました。
この雪の国でも凍らないものがあるのだと信じたくて、ただ無心に手を動かしました。
*
翌日、暖炉のある小さな居間で、アルフォンス様と鉢合わせしました。
扉の向こうからのぞくと、彼は黙って書類を読んでいて、窓の外の雪明かりが顔を照らしています。
わたしは胸に抱えていた布包みを差し出しました。
「あの……ご無礼を承知のうえで、見つけてしまいました。倉庫の奥で」
彼の視線が布包みへ降りていきます。
ほんの一瞬、灰色の瞳がかすかに揺れました。
「……弟の」
「はい。少し直しました。勝手にしてしまって、申し訳ありません」
「……誰が教えた」
「誰にも。縫い物が得意なだけです」
静かな沈黙が流れました。薪のはぜる音だけが部屋に響きます。
アルフォンス様は包みを受け取ると、しばらく無言のままその布を撫でました。
彼の指が徽章に触れ、ひとつ小さく息を吐きます。
「戦地で、あいつを守れなかった。あれ以来、何も直す気がしなかった」
その声は驚くほど静かで、哀しくて、氷のように透き通っていました。
胸の奥が締めつけられて、言葉が出ません。
「……君は怖くないのか。俺のように血塗られた人間が」
「怖いです。ただ、それ以上に――悲しいと思いました」
「悲しい?」
「ええ。あの服が倉庫の中で眠っていたことも、それを抱えていたあなたの心も。……どちらも、ずっと寒かったのですね」
彼の灰色の瞳がゆっくりとこちらを見据えました。
言葉にならないものが、その奥で揺れています。
「……変わっている」
「よく言われます。けれど、あなたの弟君も、きっとそんなわたしを笑ってくれると思います」
少しだけ柔らかく笑いかけると、アルフォンス様の肩が微かに震えました。
やがて、彼はその軍服を胸に抱きしめるようにして、深く息をつきました。
「……ありがとう」
そのひとことが、部屋の空気を溶かしました。
暖炉の火が少し明るくなったような錯覚を覚えるほどに。
*
夜、また手紙を書きました。
『古い倉庫で、彼の弟君の遺品を見つけました。
冷たく閉ざされた部屋に、彼のぬくもりがまだ残っていた気がします。
彼が背負う痛みを、ほんの少しでも軽くできたでしょうか。』
書き終えると、外では雪が静かに降っていました。
月光が差し込み、窓辺に置いた徽章が淡く光ります。
その光を見つめながら、胸の奥にまた小さな灯がともりました。
(わたしはこの人のそばで、少しずつ春を咲かせていけるかもしれない)
そう思った瞬間、雪の降る音が遠くでやさしく響きました。
0
あなたにおすすめの小説
王妃はただ、殺されないことを願う
柴田はつみ
恋愛
一度目の人生で、愛する国王の剣によって結婚半年で殺されたお飾り王妃リリアナ。彼女は運命に抗うことなく、隣国から送られた「呪いの血を持つ王妃」として処断された。
しかし、リリアナは婚礼直後に時を戻して転生する。二度目の人生、彼女に残された時間は、運命の冬至の夜会までの半年間。
リリアナは、以前のような無垢な愛を国王アレスに捧げることをやめ、「殺されない」ため、そして「愛する人を裏切り者にしたくない」ために、冷徹な「お飾りの王妃」として振る舞い始める。
婚約お断り令嬢ですわ ~奇行で縁談を潰していたら本命騎士に再会しました~
鍛高譚
恋愛
婚約話? 結構ですわ。
私には――子供の頃に命を救ってくれた“黒髪の騎士”がいるのですから。
公爵令嬢アンネローゼ・フォン・グレイシアは、才色兼備の完璧令嬢……だった。
だが、ある日から突如“奇行”に走り始める。正座で舞踏会に参加? スープにストロー? 謎のポエム朗読?
そう、それはすべて――望まぬ婚約をぶち壊すため!
王族、貴族、策略家、演技派……次々と舞い込む政略結婚の話。
アンネローゼはあの手この手で縁談をぶった斬り、恋も名誉も自由も手に入れる!
すべての婚約破棄は、たった一人の人に出会うため――
「破談のアンネローゼ様」が貫く、“本当の婚約”とは?
痛快!恋愛ざまぁ×ラブコメディ×ハッピーエンド!
破談上等のお嬢様が、本物の愛を掴むまでの逆転劇が今、始まりますわ!
沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―
柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。
最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。
しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。
カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。
離婚届の上に、涙が落ちる。
それでもシャルロッテは信じたい。
あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。
すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。
夫婦という名の協力者、敵は令嬢
にゃみ3
恋愛
齢十二歳にして公爵夫人となった、セレスティア。
常に命を狙われる危険と、露骨な敵意に晒される立場。
同年代の令嬢たちからは妬みと侮蔑を向けられ、年長の貴婦人たちからは距離を置かれる。
そんな生活を送り始めて、早くも六年が経った頃。
「私、公爵様とお近づきになりたいんです!」
夫に好意を寄せる、自らが公爵夫人の座に就きたいと言い出した令嬢が現れて……。
黒く爛れた世界でたった二人の幼い夫婦が、どれほど苦しい思いをして生きてきたか。それは、当人である二人にしか分からないことだ。
【完結】ロザリンダ嬢の憂鬱~手紙も来ない 婚約者 vs シスコン 熾烈な争い
buchi
恋愛
後ろ盾となる両親の死後、婚約者が冷たい……ロザリンダは婚約者の王太子殿下フィリップの変容に悩んでいた。手紙もプレゼントも来ない上、夜会に出れば、他の令嬢たちに取り囲まれている。弟からはもう、婚約など止めてはどうかと助言され……
視点が話ごとに変わります。タイトルに誰の視点なのか入っています(入ってない場合もある)。話ごとの文字数が違うのは、場面が変わるから(言い訳)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる