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第12章 再会の夜会
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王都に着いたのは、夕暮れが金色に染まるころでした。
数年ぶりに見る石畳の街並み。遠くで鐘が鳴り、店先には花飾りがあふれています。
人々のざわめきが、どこか懐かしくもあり、胸の奥を締めつけました。
侯爵領の静けさに慣れたわたしには、この喧騒がまるで別世界のようです。
宿舎に着くと、王城からの使者がすぐにやってきました。
「クラリッサ・ヴェイル様、殿下より夜会へのご出席を、とのことにございます」
「……夜会、ですか?」
「はい。本日、王都貴族会主催の夜会が王宮大広間にて執り行われます。
公爵家子息ルネ・ヴァルモンド殿下も出席の予定にございます」
ルネ――その名に、背筋が強張ります。
けれどわたしは、静かに息を整えて頷きました。
「出席いたします。お招きに預かる以上、避ける理由はありません」
鏡に映る自分の顔を見つめました。少しやせたけれど、目だけは前より強くなっているような気がしました。
あの夜会で泣かなかったわたしに、今日こそ恥じぬように。
*
夜。王宮の大理石の階段を上ると、眩い光と音の波が押し寄せてきました。
燭台の炎、シャンデリアの光、香水の匂い。
貴族たちの衣擦れの音の中を、わたしは真っ直ぐに歩きました。
「――まあ、どなたかと思えば」
聞き覚えのある声が背から響き、振り向くより早く、懐かしくない笑みが目の前にありました。
ルネ・ヴァルモンド。
あの日と変わらぬ金髪と浅い笑み。けれど、その目にはかつてよりも濁った影がありました。
「君がこんなにも……見違えるとはね。辺境の氷原に咲く花とは、誰が想像しただろう」
「ご挨拶ありがとうございます。お変わりありませんね、ルネ様」
「冷たいな。昔みたいに“ルネ様”などと呼ばずともいい」
軽やかな笑みの奥に、侮蔑が隠しきれていません。
彼の視線が、まるで獲物を品定めするようにわたしのドレスを舐めました。
「しかし残念だ。君ほどの才女が、あんな無骨な侯爵の妻とは。
……どうだろう。やはり君は王都の空気のほうが似合う」
周囲の貴族たちがひそひそと囁き、視線を向けてきます。
あの晩餐会の夜と同じように、嘲笑の匂いが漂いました。
ですが、もうあのころのわたしではありません。
「いいえ。今のわたくしは、雪の国の空気の中でこそ息をしています」
「ふん、強がっても……」
「それに、“氷の侯爵”と呼ばれる方は、とてもあたたかい手をしていますの」
言った瞬間、ルネの顔から笑みが消えました。
ざわり、と場の空気が揺れ、彼の唇が引きつった笑顔を作ります。
「……辺境に染まり、口の利き方も変わったようだな」
「ええ。あの地では言葉に嘘を乗せないのです。冷たい国ですもの。吐いた言葉が凍って、すぐ本音が見えてしまうから」
場のあちこちで微かな笑いが起こりました。
彼の顔が赤くなり、わたしを睨みつけます。
けれど次の瞬間、さらに空気を支配する別の足音が響きました。
金の刺繍をほどこした軍装に身を包んだ男――アルフォンス・ヴェイル侯爵。
氷の国の冷たい風をそのまままとったかのように、王都の喧騒の中でも静かに歩み出てきます。
「……侯爵、殿下のお出ましを待たずしてとは」
「俺の妻を愚弄する声が聞こえたものでな」
低い声が広間に落ちると、ざっと波のように人々が道を開きました。
ルネが怯えたように一歩下がります。
「ま、待て、侯爵殿……!」
「俺の妻を口にするな。それが貴族としての礼儀だ」
その一言が、室内の空気を凍らせました。
アルフォンス様の灰色の瞳は、氷の刃のように静かで冷たい。
けれどわたしの心には、なぜかあたたかさが広がっていきました。
「アルフォンス様……」
その名を呼ぶと、彼はわたしを一瞬だけ見て、わずかに頬を緩めました。
ほんの、ほんの少し。けれどそれだけで十分でした。
その夜、王都の社交界に新しい噂が流れました。
――氷の侯爵が、辺境の妻を守るため堂々と公爵子息に言葉を放った、と。
*
夜会が終わった頃、馬車の中でアルフォンス様は黙っていました。
わたしも何も言わず、ただ夜の街の灯を見ていました。
やがて、彼がふと低く呟きます。
「……よく堪えたな。褒めてやる」
思わず笑ってしまいました。
気取らず、不器用な称賛の言葉。それが何よりも嬉しくて。
「氷の侯爵の誉め言葉は、心に染みるのですね」
「うるさい」
小さく舌打ちをする声の向こうで、彼がわずかに口もとをゆるめます。
窓の外では、王都の夜空に無数の星が輝いていました。
(あの晩餐会の夜、泣かなかったわたしに、ようやくご褒美が届いたのかもしれません)
そう思いながら、胸の中で小さく笑いました。
数年ぶりに見る石畳の街並み。遠くで鐘が鳴り、店先には花飾りがあふれています。
人々のざわめきが、どこか懐かしくもあり、胸の奥を締めつけました。
侯爵領の静けさに慣れたわたしには、この喧騒がまるで別世界のようです。
宿舎に着くと、王城からの使者がすぐにやってきました。
「クラリッサ・ヴェイル様、殿下より夜会へのご出席を、とのことにございます」
「……夜会、ですか?」
「はい。本日、王都貴族会主催の夜会が王宮大広間にて執り行われます。
公爵家子息ルネ・ヴァルモンド殿下も出席の予定にございます」
ルネ――その名に、背筋が強張ります。
けれどわたしは、静かに息を整えて頷きました。
「出席いたします。お招きに預かる以上、避ける理由はありません」
鏡に映る自分の顔を見つめました。少しやせたけれど、目だけは前より強くなっているような気がしました。
あの夜会で泣かなかったわたしに、今日こそ恥じぬように。
*
夜。王宮の大理石の階段を上ると、眩い光と音の波が押し寄せてきました。
燭台の炎、シャンデリアの光、香水の匂い。
貴族たちの衣擦れの音の中を、わたしは真っ直ぐに歩きました。
「――まあ、どなたかと思えば」
聞き覚えのある声が背から響き、振り向くより早く、懐かしくない笑みが目の前にありました。
ルネ・ヴァルモンド。
あの日と変わらぬ金髪と浅い笑み。けれど、その目にはかつてよりも濁った影がありました。
「君がこんなにも……見違えるとはね。辺境の氷原に咲く花とは、誰が想像しただろう」
「ご挨拶ありがとうございます。お変わりありませんね、ルネ様」
「冷たいな。昔みたいに“ルネ様”などと呼ばずともいい」
軽やかな笑みの奥に、侮蔑が隠しきれていません。
彼の視線が、まるで獲物を品定めするようにわたしのドレスを舐めました。
「しかし残念だ。君ほどの才女が、あんな無骨な侯爵の妻とは。
……どうだろう。やはり君は王都の空気のほうが似合う」
周囲の貴族たちがひそひそと囁き、視線を向けてきます。
あの晩餐会の夜と同じように、嘲笑の匂いが漂いました。
ですが、もうあのころのわたしではありません。
「いいえ。今のわたくしは、雪の国の空気の中でこそ息をしています」
「ふん、強がっても……」
「それに、“氷の侯爵”と呼ばれる方は、とてもあたたかい手をしていますの」
言った瞬間、ルネの顔から笑みが消えました。
ざわり、と場の空気が揺れ、彼の唇が引きつった笑顔を作ります。
「……辺境に染まり、口の利き方も変わったようだな」
「ええ。あの地では言葉に嘘を乗せないのです。冷たい国ですもの。吐いた言葉が凍って、すぐ本音が見えてしまうから」
場のあちこちで微かな笑いが起こりました。
彼の顔が赤くなり、わたしを睨みつけます。
けれど次の瞬間、さらに空気を支配する別の足音が響きました。
金の刺繍をほどこした軍装に身を包んだ男――アルフォンス・ヴェイル侯爵。
氷の国の冷たい風をそのまままとったかのように、王都の喧騒の中でも静かに歩み出てきます。
「……侯爵、殿下のお出ましを待たずしてとは」
「俺の妻を愚弄する声が聞こえたものでな」
低い声が広間に落ちると、ざっと波のように人々が道を開きました。
ルネが怯えたように一歩下がります。
「ま、待て、侯爵殿……!」
「俺の妻を口にするな。それが貴族としての礼儀だ」
その一言が、室内の空気を凍らせました。
アルフォンス様の灰色の瞳は、氷の刃のように静かで冷たい。
けれどわたしの心には、なぜかあたたかさが広がっていきました。
「アルフォンス様……」
その名を呼ぶと、彼はわたしを一瞬だけ見て、わずかに頬を緩めました。
ほんの、ほんの少し。けれどそれだけで十分でした。
その夜、王都の社交界に新しい噂が流れました。
――氷の侯爵が、辺境の妻を守るため堂々と公爵子息に言葉を放った、と。
*
夜会が終わった頃、馬車の中でアルフォンス様は黙っていました。
わたしも何も言わず、ただ夜の街の灯を見ていました。
やがて、彼がふと低く呟きます。
「……よく堪えたな。褒めてやる」
思わず笑ってしまいました。
気取らず、不器用な称賛の言葉。それが何よりも嬉しくて。
「氷の侯爵の誉め言葉は、心に染みるのですね」
「うるさい」
小さく舌打ちをする声の向こうで、彼がわずかに口もとをゆるめます。
窓の外では、王都の夜空に無数の星が輝いていました。
(あの晩餐会の夜、泣かなかったわたしに、ようやくご褒美が届いたのかもしれません)
そう思いながら、胸の中で小さく笑いました。
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