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第13章 嫉妬の沈黙
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王都での滞在は、慌ただしくも華やかな日々でした。
夜会での一幕が貴族たちの話題となり、どこへ行っても「氷の侯爵とその妻」の噂が聞こえます。
「いま一番注目のご夫婦ですわね」
「侯爵様があのように人前で言葉を発せられるなんて!」
「侯爵夫人は奇跡の人よ。氷を溶かしたのだから」
褒め言葉のようでいて、どこかくすぐったい響き。
でも、以前のわたしなら考えられなかった笑顔でその言葉を受け止められる自分がいました。
春を知った後の雪は、もう冷たくないのです。
*
しかし、当のアルフォンス様は――その評判をまったく喜んでいませんでした。
王都での昼下がり、わたしたちは王立図書館の招きを受けていました。
見事な天井画と、整然と並ぶ本棚。
学者たちから「侯爵夫人、民政改革についてご助言を!」と次々に言葉をかけられます。
熱心な質問に応じていると、背後の気配がわずかに動きました。
ふり返れば、彼が黙ってこちらを見ているのです。
灰色の瞳に深い影をたたえたまま。
「アルフォンス様? どうかなさいましたか」
「……いや」
そのまま歩き出してしまうので、慌てて追いかけました。
階段を下りる途中、ようやく彼が低く口を開きます。
「お前は、王都にすぐ馴染むな」
「ええ。皆さんが親切で――」
「親切すぎる」
「え?」
「……見る男の数が多い」
俯いたままの言葉に、わたしは一瞬きょとんとしました。
次いで、ゆっくりと意味が染みてきます。
「それは、つまり、その……嫉妬をなさっているということでしょうか?」
「違う」
「で、でも、その……顔がそう言っております」
「違うと言っている」
急に早足になった背中に、思わず笑いがこみ上げました。
その様子が不器用で、少しだけ愛おしくて。
「アルフォンス様にも、そんな顔をなさるのですね」
「どんな顔だ」
「……ふふ、子どもみたいです」
わたしがそう言うと、彼は足を止め、こちらを振り返りました。
その表情は、むっとしているようで、それでも困ったように頬をかすかに赤くしています。
「俺は……子どもではない」
「ええ、知っておりますわ。どんな噂よりも、誰よりも強く、賢くて――」
そこまで言って、言葉が喉にとまりました。
彼の瞳が、まっすぐにわたしを見つめていたからです。
氷のような灰色の瞳が、今はあたたかな光を湛えていました。
わたしは視線を逸らさないまま、そっと微笑みました。
「でも、わたしの大切な人は、そうやって少し拗ねるところが、とても素敵だと思います」
困ったように眉が動き、そして彼は小さく息を吐きました。
次の瞬間、伸びてきた大きな手が髪を撫でするように触れました。
「……お前は、俺の心を簡単に乱す」
「それはお互い様ですわ」
声が震えそうになるのを必死に抑えました。
彼の指が離れてしまうのが惜しくて、思わずその手を取ります。
少し驚いたように目を見開く彼に、微笑みながら言いました。
「わたしは、あなたの家に帰ります。だから、心配はいりません」
「……忘れるなよ」
「忘れません。どんなに褒められても、心は雪の国にあります」
言葉を交わしたあと、ふたりの間に静かな沈黙が落ちました。
でも、その沈黙は不思議と心地よいものでした。
互いの息が触れそうな距離で、ただ同じ風を感じている――それだけで十分でした。
*
その夜、宿舎のランプの下で、わたしは手紙を綴りました。
『十三通目。
今日、彼は少しだけ嫉妬をしました。
その姿があまりに不器用で、わたしは胸がくすぐったくなって笑ってしまいました。
でも、嬉しかったのです。誰かに想われるというのは、こんなにも温かいことなのですね。』
封を閉じると同時に、胸の奥が甘く締めつけられました。
その痛みが、確かな恋の鼓動だと気づくのに、もう時間はかかりませんでした。
(早く帰りたい。彼の待つ家に、春の庭に)
窓の外では、王都の街灯が星のように瞬いていました。
夜会での一幕が貴族たちの話題となり、どこへ行っても「氷の侯爵とその妻」の噂が聞こえます。
「いま一番注目のご夫婦ですわね」
「侯爵様があのように人前で言葉を発せられるなんて!」
「侯爵夫人は奇跡の人よ。氷を溶かしたのだから」
褒め言葉のようでいて、どこかくすぐったい響き。
でも、以前のわたしなら考えられなかった笑顔でその言葉を受け止められる自分がいました。
春を知った後の雪は、もう冷たくないのです。
*
しかし、当のアルフォンス様は――その評判をまったく喜んでいませんでした。
王都での昼下がり、わたしたちは王立図書館の招きを受けていました。
見事な天井画と、整然と並ぶ本棚。
学者たちから「侯爵夫人、民政改革についてご助言を!」と次々に言葉をかけられます。
熱心な質問に応じていると、背後の気配がわずかに動きました。
ふり返れば、彼が黙ってこちらを見ているのです。
灰色の瞳に深い影をたたえたまま。
「アルフォンス様? どうかなさいましたか」
「……いや」
そのまま歩き出してしまうので、慌てて追いかけました。
階段を下りる途中、ようやく彼が低く口を開きます。
「お前は、王都にすぐ馴染むな」
「ええ。皆さんが親切で――」
「親切すぎる」
「え?」
「……見る男の数が多い」
俯いたままの言葉に、わたしは一瞬きょとんとしました。
次いで、ゆっくりと意味が染みてきます。
「それは、つまり、その……嫉妬をなさっているということでしょうか?」
「違う」
「で、でも、その……顔がそう言っております」
「違うと言っている」
急に早足になった背中に、思わず笑いがこみ上げました。
その様子が不器用で、少しだけ愛おしくて。
「アルフォンス様にも、そんな顔をなさるのですね」
「どんな顔だ」
「……ふふ、子どもみたいです」
わたしがそう言うと、彼は足を止め、こちらを振り返りました。
その表情は、むっとしているようで、それでも困ったように頬をかすかに赤くしています。
「俺は……子どもではない」
「ええ、知っておりますわ。どんな噂よりも、誰よりも強く、賢くて――」
そこまで言って、言葉が喉にとまりました。
彼の瞳が、まっすぐにわたしを見つめていたからです。
氷のような灰色の瞳が、今はあたたかな光を湛えていました。
わたしは視線を逸らさないまま、そっと微笑みました。
「でも、わたしの大切な人は、そうやって少し拗ねるところが、とても素敵だと思います」
困ったように眉が動き、そして彼は小さく息を吐きました。
次の瞬間、伸びてきた大きな手が髪を撫でするように触れました。
「……お前は、俺の心を簡単に乱す」
「それはお互い様ですわ」
声が震えそうになるのを必死に抑えました。
彼の指が離れてしまうのが惜しくて、思わずその手を取ります。
少し驚いたように目を見開く彼に、微笑みながら言いました。
「わたしは、あなたの家に帰ります。だから、心配はいりません」
「……忘れるなよ」
「忘れません。どんなに褒められても、心は雪の国にあります」
言葉を交わしたあと、ふたりの間に静かな沈黙が落ちました。
でも、その沈黙は不思議と心地よいものでした。
互いの息が触れそうな距離で、ただ同じ風を感じている――それだけで十分でした。
*
その夜、宿舎のランプの下で、わたしは手紙を綴りました。
『十三通目。
今日、彼は少しだけ嫉妬をしました。
その姿があまりに不器用で、わたしは胸がくすぐったくなって笑ってしまいました。
でも、嬉しかったのです。誰かに想われるというのは、こんなにも温かいことなのですね。』
封を閉じると同時に、胸の奥が甘く締めつけられました。
その痛みが、確かな恋の鼓動だと気づくのに、もう時間はかかりませんでした。
(早く帰りたい。彼の待つ家に、春の庭に)
窓の外では、王都の街灯が星のように瞬いていました。
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