秘匿された第十王子は悪態をつく

なこ

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ユリウスの呼ぶ名

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このままじゃ、シオンの命が危険に晒されてしまう。

ルドルフだけじゃなく、シオンの助けもあったからこそ、ユリウスもマホも無事でいられたんだ。

扉に向かう背に慌てて縋り付くと、ユリウスは一つ小さな呻き声を上げた。

「ほら、まだ傷口が完全に塞がっていないからだ。お前が助かったのは、シオンのおかげでもあるんだぞ。」

縋り付く手に、さらに少しだけ力を加えると、もう一度小さな呻き声が上がった。

「ノア様、離してください。」

「嫌だ。俺もまだ訊きたいことがあるんだ。勝手に出て行こうとするな。」

漂う薬品の匂いの奥底から、微かに香るのは嗅ぎ慣れたユリウス自身の匂いだ。縋り付く背中は、見た目よりもずっと大きく逞しい。

傷が治れば、あっさりと此処から立ち去ろうとするユリウスのことを正直恨めしく思う。

俺が閉じ込められていたように、此処にユリウスを閉じ込めて、永遠に側に繋ぎ止めておけたらどんなにいいだろう。

「…降参です。ノア様、どうか手を離して下さい。」

小さな子どものように両手をあげて降参したユリウスの姿に、漸く俺はその手を離した。

改めて椅子に座らせると、今度は俺が一つずつ質問をして、ユリウスの答えを待った。

あの晩のこと、何故今騎士服を見に纏っているのか、これからどうするつもりか…。

ユリウスは一つ一つ言葉を選びながら、丁寧に答えてくれた。

騎士服は、目覚めてから着るものがなくて部屋の外に待機していた侍女に頼んだらしい。

おれが目覚めるまでに、母さんや母様たちとも会って話しをしてきたと言う。

一妃の部屋に狼がいたことに、とても驚いたようだ。

俺もすっかり忘れていたが、母さんや母様たちが相当気に入っている。

流石にそろそろ帰してやらないといけない。ユリウスも賛同してくれた。

「それで、これからどうするつもりだ?分かっていると思うが、まだ完治した訳じゃないんだぞ。」

目を閉じて、少し考え込んでからユリウスが口を開く。

「…真帆に会わなければなりません。仮にも婚約している相手ですから、わたしにも責任はあります。この件に関しては、わたしは当事者なので、できるだけ騎士団の調査に協力するつもりです。」

想像していた通りの答えだ。

ユリウスのこれからの中に、俺の存在なんてないんだろうな。

「…分かった。もう、行くのか?」

「はい。ノア様には本当にいくら感謝しても足りないぐらいです。」

ユリウスからの感謝の言葉なんて、もらっても全然嬉しくない。

感謝して欲しくて助けた訳じゃないから。

今からまた、何度目の別れの言葉を告げられるんだろう。

「…本当は、感謝なんてしてないだろう?やっとノアールの所へ行ける筈だったじゃないか。」

言うつもりもなかった言葉が、するりと口から滑り出ててくる。

「…ノア様?」

「目が覚めない間、ずっとノアールの名を呼んでいたじゃないか。お前は覚えていないかもしれないけど、俺はずっと…」

それでも生きていて欲しかったんだ。

この先側にいられなくても、ユリウスが遠く離れた何処かで生きていてくれればそれでいいから。

何も言わずに立ち上がるユリウスの顔を見ることができない。

またユリウスは出ていってしまう。

俺はまた一人、取り残されるだけだ。

大丈夫、もう慣れたことだろ。

「…以前にもお話ししたことがありますが、わたしを育ててくれた義理の両親が暮らす領地には、王都のような華やかなものは何一つございません。」

「………」

「緑に囲まれ、その先には海が、突出した特産品もない、そんな領地です。」

「……………」

「世話になった両親のためにも、そんな領地を守って行きたいと考えています。」

ユリウスが何を言いたいのか、その意味する所を理解できずに、俯いていた顔を上げると薄茶の真っ直ぐに見据える瞳と目が合う。

「退屈でしょう?」

「…何が退屈なんだ?そこで自由に暮らせるんだろう?騎士のままでいたいのか?」

「ノア様は、そんな所で暮らしていけますか?」

いつもどんなときも、大抵すんとしていたユリウスとは違う。

その顔には、どこか憑き物が剥がれたような清々しさが漂っている。

「…ユリウス?」

「何も用意できずに申し訳ありませんでしたが、成人されたのですね。」

「…あ、」

今回のごたごたで、すっかり忘れていた。

「ノア様、口を。」

え?

条件反射で口を開くと、桃色の甘い風味が口いっぱいに広がった。

「…これ、久しぶりに舐めた。」

「どれぐらい時間がかかるのか、わたしにも分かりません。明日か、数年後なのか…」

???

「ノア様の気持ちが変わらないままでいるのなら、お待ち頂けますか?」

?????

「全てが片付いたとき、お迎えに上がります。」

え?迎え?

迎えって言ったか?別れじゃなく?

いまいち意味が飲み込めず、呆けた顔をした俺を見て、ユリウスの目が細く弧を描いた。

「だって、」

何事もなかったかのように、またすっと立ち上がり、扉に向かうその背を目で追いながら、聞きたかった言葉をもう一度投げかける。

「だって、お前が呼んでいたのは、ノアールだろう!?」

扉の前で、その足がぴたりと止まる。

「…いつもわたしではない誰かと、此処から抜け出そうとするノア様のことを、ずっと追いかけていたような気がします。名を呼びながら。」

ばたんと扉が閉まる音で我に返ると、壊れたまま鳴ることのなかったからくり仕立ての時計が、ぽうっと一つ外れた音を出して時を告げた。











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