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「リリアーヌ! 頼む、会ってくれ!」
朝も早くから、我が家の門前で叫ぶ声が響いていた。
アレクシス殿下――
昨日、私を「役立たず」と切り捨て、伯爵令嬢ミリアと共に高笑いしていたはずの、その本人だ。
まさか翌日の朝一番に、屋敷へ押しかけてくるなんて。
「リリア、どうする?」
父が困ったように私を見る。
「……少しだけ、お会いします」
「本当にいいのか? 必要なら追い返すが」
「大丈夫。……むしろ、会っておいた方がいいです」
そう。
“ざまぁ”は、早すぎても楽しくない。
今の彼の顔を見るべきだ。
私が門へ向かうと、アレクシス殿下が驚いたように振り向いた。
「リリアーヌ……!」
昨日とは打って変わって、青ざめた顔。
焦りと後悔が、そのまま表情になっていた。
「……おはようございます、殿下」
「よ、よかった……! 君が会ってくれて本当に……!」
「どうされたのですか? 私は“役立たず”なので、もう殿下には必要ないはずですが」
わざと穏やかに言うと、彼はひどく動揺した。
「そ、それは昨日の勢いというか……! あれは言葉のあやで……!」
「“言葉のあや”で役立たずと呼ぶ方が問題だと思いますが」
「ち、違うんだ……!」
彼が近づこうとした瞬間。
――ドンッ!
鋭い金属音とともに、殿下の前に長槍が突き出された。
「これ以上、令嬢に近寄るな」
門兵が冷ややかに告げる。
「なっ……私は王子だぞ!?」
「それがどうした。
昨日、令嬢を侮辱したのはお前だろう」
アレクシス殿下がぐっと言葉を詰まらせた。
家の門兵にすら冷たい目で見られている。
これが、自業自得というものだ。
「……殿下、何のご用件ですか?」
「リリアーヌ……っ、戻ってきてほしい。婚約破棄を撤回したい」
父が目を見開き、門兵まで固まった。
私は瞬きひとつせず、殿下を見つめた。
「昨日、堂々とミリア嬢と婚約すると宣言していたのは……どなたでしたか?」
「……あ、あれは……!」
「昨日の今日で撤回など、周囲への迷惑は考えられていますか?」
「違うんだ! 本当に後悔してる……! 兄上から聞いたんだ。
君は……君は、ただ“魔力測定に向かない体質”なだけだと」
ふむ。
あの場で話さなかったにも関わらず、ルーク殿下は何かしら含みを持たせたらしい。
「兄上は言っていた! 君には別の……希少な力があるのかもしれないって!
そんな大事なこと、なぜ俺に言わなかった!?」
「殿下は必要ないと思われたのでしょう?」
「必要だ! 君を失うなんて……!」
――ようやく焦ったようだ。
だが遅い。
「殿下」
「なんだ……?」
「私はもう、殿下の婚約者ではありません」
「だが……! やり直せる、そうだろう!? 昨日のことは謝るから……!」
彼が手を伸ばそうとしたその時。
冷たい影が、彼の背に落ちた。
「――リリアーヌに触れるな」
その声を聞いただけで、空気が変わる。
「う、うわっ……!」
アレクシス殿下が振り返ると、
そこには黒馬にまたがる、凛とした姿。
第一王子ルーク殿下。
金の瞳が冷たく光り、殿下を見下ろしていた。
「兄上……!」
「昨日の今日で、ずいぶん往生際が悪い」
「兄上こそ! なぜここに……!」
ルーク殿下は私にだけ柔らかい声で言う。
「少し時間が空いたから迎えに来た。迷惑だったか?」
「……いえ」
その優しい声音に、胸が高鳴る。
だがアレクシス殿下には、氷の刃のように冷たく響いたのだろう。
「兄上……! 本気で彼女を……?」
「昨日も言っただろう。リリアーヌは“役立たず”ではない。
君が見ようとしなかっただけだ」
「ぐっ……!」
「それに」
ルーク殿下は馬上からアレクシス殿下を冷たく見下ろした。
「“役立たず”と罵った相手に、今日になって泣きついてくるなど――王族として恥だ」
「っ……!」
周囲の空気が凍りつく。
アレクシス殿下は悔しさで顔を赤くし、言い返そうと口を開くが――
「帰れ、アレクシス。
リリアーヌには、もう君を必要とする理由がない」
その言葉は、残酷な事実であり、絶対の宣告だった。
「……っ、兄上……!」
アレクシス殿下は唇を噛み、何か言いたげだったが――
結局ひとことも反論できず、馬車に乗り込んで去っていった。
門が閉ざされると、屋敷の空気がようやく落ち着いた。
「……助けていただいて、ありがとうございます」
「礼はいらない。君の顔を見れば、それでいい」
「殿下は……どうして私を?」
そんなこと、前から聞きたかった。
私には、彼ほどの立場の人に好かれる理由なんてないはずだ。
だが彼はわずかに笑みを深めて、言った。
「理由が必要か?」
「必要……かもしれません」
「ではひとつだけ言おう」
ルーク殿下は手袋を外し、馬から降りると、私の指先をそっと掬った。
その視線は熱く、逃げ場を与えない。
「君は、美しい。そして優しい。
誰かの陰に隠れ、自分の力を誇らない強さを持っている」
「……!」
「そんな女性に惹かれない男など、いると思うか?」
「殿下……!」
胸が締め付けられるように熱くなる。
その瞬間――
「お、お兄様ァァ!!」
情けない悲鳴のような声が響いた。
見ると、必死に走ってくる少女がひとり。
城からよく知る人物――
ルーク殿下の妹姫、第三王女アメリアだ。
「お兄様! どういうことなの!?
アレクシスが“リリアーヌが攫われた!”って騒いでたけど!?」
「攫った覚えはないな。迎えに来ただけだ」
「迎え……っ、まさか本当に……本気で……?」
アメリア姫がぱっと私を見た。
そして頬を赤らめ、興奮気味に私の手を掴んだ。
「リリアーヌ様っ! 本当に本当にありがとうございます!!」
「は、はい……?」
「だって……! あのバカ兄(アレクシス)が選ぶ女なんてろくでもないに決まってるのに、リリアーヌ様だけは違ったんですもの!」
な、なんという言い草。
でも間違ってはいない気もする。
「リリアーヌ様がアレクシスの婚約者だった時は、まだ望みがあったのよ!
でもあのミリアとかいう子と婚約するとか聞いて……家中が終わりだって空気になったわ!」
「え、家中……?」
「ええ! 父上も母上も“またアレクシスが変なのを選んだ……”って絶望してたわ!」
……それは普通に可哀想な気もする。
「でも! お兄様がリリアーヌ様を連れて帰るって聞いて……
わたくし、嬉しくて!!」
「今、連れて帰るとは言っていないが」
「いや、連れて帰るでしょう!? 当然よね!?」
「それは本人の意志による」
「もちろん“帰る”わよね!? リリアーヌ様!!」
「え、えぇ……?」
姫の勢いに押されて、言葉が詰まる。
ルーク殿下は苦笑しながら言う。
「アメリア、少し黙れ」
「黙れませんっ! だって!」
アメリア姫が私の手を握りしめ、きらきらした目で見上げた。
「リリアーヌ様が姉になる未来……最高に嬉しいんですもの!」
「アメリア!」
「あっ……」
ようやく自分が口を滑らせたことに気づいたらしい。
王女は慌てて口を押さえたが、時すでに遅し。
私は固まる。
「……姉……?」
「……」
ルーク殿下は私から目を逸らさない。
静かに、わずかに照れたように、しかし真剣な声で言った。
「君を迎えたいと思っているのは事実だ。
だが急かすつもりはない。今日はただ……迎えに来ただけだ」
「……殿下」
「あとでゆっくり話そう。家族とも」
その言葉は、まるで婚約の前提のようで――
胸がくすぐったくなる。
アメリア姫も嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。
そんな温かな空気の中。
ただひとり。
私にはまだ、胸に重くのしかかる“秘密”があった。
――私の“本当の能力”。
魔力がないことが“欠点”ではない。
むしろそれは、“隠す理由”になっていた。
アレクシス殿下が戻ってほしいと焦りを見せたのも、
私がただの「落ちこぼれ」ではないと気づいたからだ。
でも。
それでも。
私が持つ力は――
王宮を揺るがすほどの秘密。
だからこそ、簡単には口にできない。
けれど。
「君が話したくなるまで待つ」
昨日からずっと、そう言い続けてくれる人がいる。
その優しさに甘えてもいいのだろうか――
そんな迷いが心を揺らす。
その夜。
家の書斎で、その“秘密”の力がわずかに暴れた。
光でも炎でもない。
音も匂いもない。
ただ――世界の“流れ”が、私の指先ひとつに集まり始める。
私は震える息を吐いた。
「……また制御が……」
ここ数年は抑え込んでいたのに。
婚約破棄による精神の揺れが影響したのかもしれない。
その力は――
未来を“視る”力。
それがどれほど国家に価値を持つか、考えるまでもない。
だからこそ、私は誰にも話さなかった。
ほんの少し力を使えば、誰が嘘をついているか、
何が起こるか、道の分岐すら分かってしまう。
苦しくて、重くて、誰にも言えないままずっと生きてきた。
だけど――
「……ルーク殿下は、どう受け止めてくださるのだろう」
そう呟くと、胸の中で何かが熱くなる。
アレクシス殿下では決して届かなかった場所まで、
彼なら届いてしまいそうで。
それが怖くて、でも――
少しだけ嬉しい。
気づけば、未来視の力がまた動き出していた。
そして見えた光景は――
王城。
剣を抜いているアレクシス殿下。
その正面に立つのは……ルーク殿下。
「……え?」
アレクシス殿下の顔は、怒りと歪んだ執念に満ちていた。
彼が叫ぶ。
――“リリアーヌは渡さない!!”と。
「まさか……」
私の手が震える。
未来はまだ確定ではない。
けれど――このままでは。
「殿下を……守らなきゃ……!」
そう思った瞬間。
書斎の窓がノックされた。
「リリアーヌ、起きているか?」
聞き慣れた落ち着いた声。
私は慌てて未来視を抑え込み、震える手を隠した。
「……はい、殿下。どうぞ」
扉が開き、ルーク殿下が微笑んで入ってきた。
「君に伝えたいことがあってな。少し――話をしてもいいか?」
胸が大きく跳ねた。
未来は揺れ始めている。
アレクシス殿下は暴走し始めている。
その中で――
ルーク殿下の瞳は、まっすぐ私だけを見つめていた。
その眼差しを見た瞬間、私は思った。
――この人にだけは、嘘をつきたくない。
朝も早くから、我が家の門前で叫ぶ声が響いていた。
アレクシス殿下――
昨日、私を「役立たず」と切り捨て、伯爵令嬢ミリアと共に高笑いしていたはずの、その本人だ。
まさか翌日の朝一番に、屋敷へ押しかけてくるなんて。
「リリア、どうする?」
父が困ったように私を見る。
「……少しだけ、お会いします」
「本当にいいのか? 必要なら追い返すが」
「大丈夫。……むしろ、会っておいた方がいいです」
そう。
“ざまぁ”は、早すぎても楽しくない。
今の彼の顔を見るべきだ。
私が門へ向かうと、アレクシス殿下が驚いたように振り向いた。
「リリアーヌ……!」
昨日とは打って変わって、青ざめた顔。
焦りと後悔が、そのまま表情になっていた。
「……おはようございます、殿下」
「よ、よかった……! 君が会ってくれて本当に……!」
「どうされたのですか? 私は“役立たず”なので、もう殿下には必要ないはずですが」
わざと穏やかに言うと、彼はひどく動揺した。
「そ、それは昨日の勢いというか……! あれは言葉のあやで……!」
「“言葉のあや”で役立たずと呼ぶ方が問題だと思いますが」
「ち、違うんだ……!」
彼が近づこうとした瞬間。
――ドンッ!
鋭い金属音とともに、殿下の前に長槍が突き出された。
「これ以上、令嬢に近寄るな」
門兵が冷ややかに告げる。
「なっ……私は王子だぞ!?」
「それがどうした。
昨日、令嬢を侮辱したのはお前だろう」
アレクシス殿下がぐっと言葉を詰まらせた。
家の門兵にすら冷たい目で見られている。
これが、自業自得というものだ。
「……殿下、何のご用件ですか?」
「リリアーヌ……っ、戻ってきてほしい。婚約破棄を撤回したい」
父が目を見開き、門兵まで固まった。
私は瞬きひとつせず、殿下を見つめた。
「昨日、堂々とミリア嬢と婚約すると宣言していたのは……どなたでしたか?」
「……あ、あれは……!」
「昨日の今日で撤回など、周囲への迷惑は考えられていますか?」
「違うんだ! 本当に後悔してる……! 兄上から聞いたんだ。
君は……君は、ただ“魔力測定に向かない体質”なだけだと」
ふむ。
あの場で話さなかったにも関わらず、ルーク殿下は何かしら含みを持たせたらしい。
「兄上は言っていた! 君には別の……希少な力があるのかもしれないって!
そんな大事なこと、なぜ俺に言わなかった!?」
「殿下は必要ないと思われたのでしょう?」
「必要だ! 君を失うなんて……!」
――ようやく焦ったようだ。
だが遅い。
「殿下」
「なんだ……?」
「私はもう、殿下の婚約者ではありません」
「だが……! やり直せる、そうだろう!? 昨日のことは謝るから……!」
彼が手を伸ばそうとしたその時。
冷たい影が、彼の背に落ちた。
「――リリアーヌに触れるな」
その声を聞いただけで、空気が変わる。
「う、うわっ……!」
アレクシス殿下が振り返ると、
そこには黒馬にまたがる、凛とした姿。
第一王子ルーク殿下。
金の瞳が冷たく光り、殿下を見下ろしていた。
「兄上……!」
「昨日の今日で、ずいぶん往生際が悪い」
「兄上こそ! なぜここに……!」
ルーク殿下は私にだけ柔らかい声で言う。
「少し時間が空いたから迎えに来た。迷惑だったか?」
「……いえ」
その優しい声音に、胸が高鳴る。
だがアレクシス殿下には、氷の刃のように冷たく響いたのだろう。
「兄上……! 本気で彼女を……?」
「昨日も言っただろう。リリアーヌは“役立たず”ではない。
君が見ようとしなかっただけだ」
「ぐっ……!」
「それに」
ルーク殿下は馬上からアレクシス殿下を冷たく見下ろした。
「“役立たず”と罵った相手に、今日になって泣きついてくるなど――王族として恥だ」
「っ……!」
周囲の空気が凍りつく。
アレクシス殿下は悔しさで顔を赤くし、言い返そうと口を開くが――
「帰れ、アレクシス。
リリアーヌには、もう君を必要とする理由がない」
その言葉は、残酷な事実であり、絶対の宣告だった。
「……っ、兄上……!」
アレクシス殿下は唇を噛み、何か言いたげだったが――
結局ひとことも反論できず、馬車に乗り込んで去っていった。
門が閉ざされると、屋敷の空気がようやく落ち着いた。
「……助けていただいて、ありがとうございます」
「礼はいらない。君の顔を見れば、それでいい」
「殿下は……どうして私を?」
そんなこと、前から聞きたかった。
私には、彼ほどの立場の人に好かれる理由なんてないはずだ。
だが彼はわずかに笑みを深めて、言った。
「理由が必要か?」
「必要……かもしれません」
「ではひとつだけ言おう」
ルーク殿下は手袋を外し、馬から降りると、私の指先をそっと掬った。
その視線は熱く、逃げ場を与えない。
「君は、美しい。そして優しい。
誰かの陰に隠れ、自分の力を誇らない強さを持っている」
「……!」
「そんな女性に惹かれない男など、いると思うか?」
「殿下……!」
胸が締め付けられるように熱くなる。
その瞬間――
「お、お兄様ァァ!!」
情けない悲鳴のような声が響いた。
見ると、必死に走ってくる少女がひとり。
城からよく知る人物――
ルーク殿下の妹姫、第三王女アメリアだ。
「お兄様! どういうことなの!?
アレクシスが“リリアーヌが攫われた!”って騒いでたけど!?」
「攫った覚えはないな。迎えに来ただけだ」
「迎え……っ、まさか本当に……本気で……?」
アメリア姫がぱっと私を見た。
そして頬を赤らめ、興奮気味に私の手を掴んだ。
「リリアーヌ様っ! 本当に本当にありがとうございます!!」
「は、はい……?」
「だって……! あのバカ兄(アレクシス)が選ぶ女なんてろくでもないに決まってるのに、リリアーヌ様だけは違ったんですもの!」
な、なんという言い草。
でも間違ってはいない気もする。
「リリアーヌ様がアレクシスの婚約者だった時は、まだ望みがあったのよ!
でもあのミリアとかいう子と婚約するとか聞いて……家中が終わりだって空気になったわ!」
「え、家中……?」
「ええ! 父上も母上も“またアレクシスが変なのを選んだ……”って絶望してたわ!」
……それは普通に可哀想な気もする。
「でも! お兄様がリリアーヌ様を連れて帰るって聞いて……
わたくし、嬉しくて!!」
「今、連れて帰るとは言っていないが」
「いや、連れて帰るでしょう!? 当然よね!?」
「それは本人の意志による」
「もちろん“帰る”わよね!? リリアーヌ様!!」
「え、えぇ……?」
姫の勢いに押されて、言葉が詰まる。
ルーク殿下は苦笑しながら言う。
「アメリア、少し黙れ」
「黙れませんっ! だって!」
アメリア姫が私の手を握りしめ、きらきらした目で見上げた。
「リリアーヌ様が姉になる未来……最高に嬉しいんですもの!」
「アメリア!」
「あっ……」
ようやく自分が口を滑らせたことに気づいたらしい。
王女は慌てて口を押さえたが、時すでに遅し。
私は固まる。
「……姉……?」
「……」
ルーク殿下は私から目を逸らさない。
静かに、わずかに照れたように、しかし真剣な声で言った。
「君を迎えたいと思っているのは事実だ。
だが急かすつもりはない。今日はただ……迎えに来ただけだ」
「……殿下」
「あとでゆっくり話そう。家族とも」
その言葉は、まるで婚約の前提のようで――
胸がくすぐったくなる。
アメリア姫も嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。
そんな温かな空気の中。
ただひとり。
私にはまだ、胸に重くのしかかる“秘密”があった。
――私の“本当の能力”。
魔力がないことが“欠点”ではない。
むしろそれは、“隠す理由”になっていた。
アレクシス殿下が戻ってほしいと焦りを見せたのも、
私がただの「落ちこぼれ」ではないと気づいたからだ。
でも。
それでも。
私が持つ力は――
王宮を揺るがすほどの秘密。
だからこそ、簡単には口にできない。
けれど。
「君が話したくなるまで待つ」
昨日からずっと、そう言い続けてくれる人がいる。
その優しさに甘えてもいいのだろうか――
そんな迷いが心を揺らす。
その夜。
家の書斎で、その“秘密”の力がわずかに暴れた。
光でも炎でもない。
音も匂いもない。
ただ――世界の“流れ”が、私の指先ひとつに集まり始める。
私は震える息を吐いた。
「……また制御が……」
ここ数年は抑え込んでいたのに。
婚約破棄による精神の揺れが影響したのかもしれない。
その力は――
未来を“視る”力。
それがどれほど国家に価値を持つか、考えるまでもない。
だからこそ、私は誰にも話さなかった。
ほんの少し力を使えば、誰が嘘をついているか、
何が起こるか、道の分岐すら分かってしまう。
苦しくて、重くて、誰にも言えないままずっと生きてきた。
だけど――
「……ルーク殿下は、どう受け止めてくださるのだろう」
そう呟くと、胸の中で何かが熱くなる。
アレクシス殿下では決して届かなかった場所まで、
彼なら届いてしまいそうで。
それが怖くて、でも――
少しだけ嬉しい。
気づけば、未来視の力がまた動き出していた。
そして見えた光景は――
王城。
剣を抜いているアレクシス殿下。
その正面に立つのは……ルーク殿下。
「……え?」
アレクシス殿下の顔は、怒りと歪んだ執念に満ちていた。
彼が叫ぶ。
――“リリアーヌは渡さない!!”と。
「まさか……」
私の手が震える。
未来はまだ確定ではない。
けれど――このままでは。
「殿下を……守らなきゃ……!」
そう思った瞬間。
書斎の窓がノックされた。
「リリアーヌ、起きているか?」
聞き慣れた落ち着いた声。
私は慌てて未来視を抑え込み、震える手を隠した。
「……はい、殿下。どうぞ」
扉が開き、ルーク殿下が微笑んで入ってきた。
「君に伝えたいことがあってな。少し――話をしてもいいか?」
胸が大きく跳ねた。
未来は揺れ始めている。
アレクシス殿下は暴走し始めている。
その中で――
ルーク殿下の瞳は、まっすぐ私だけを見つめていた。
その眼差しを見た瞬間、私は思った。
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