そうだ課長、俺と結婚してください

藤吉めぐみ

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 それから池上と一度も顔を合わせることなく、匡史は東京へと旅立った。朝十時からの会議に間に合わせるため、七時台の飛行機に乗ることになった匡史は、ぼんやりとしながら空港のロビーにあるソファに座り込んでいた。
「ねむ……安藤、何時起き?」
「五時」
「眠くないの? すげー元気だけど」
 座ってるのもやっとの匡史と違い、安藤はいつも通り、ぴしりとスーツを着こなし、膝に置いたタブレットPCで朝の仕事を始めている。
「お前と違って、準備は怠らないんだ。逆算して、昨夜は十時にベッドに入ったからな」
 ああそう、と匡史はあくびをかみ殺す。匡史はいつも通り、だらだらと深夜二時頃まで起きていた。
「どうせ俺たち会議終わったら夕方の会場設営まで暇なんだろ? その間にできるじゃん、仕事」
「暇だといいけどな。まあ、最悪ホテルでやればいい」
 安藤はキーを叩きながら言う。匡史はその言葉に嫌な予感を覚え、安藤に倣って、そっとカバンからタブレットPCを取り出した。


 本社に着くと、すぐに会議が始まった。今回展示する建具や収納の確認や搬入の流れなどを聞き、どうやら自分たちは接客に廻ることになったらしいことは分かった。
「営業だからな、当然だろう」
 会議が終わり、接客かー、とぼやきながら椅子の背もたれにだらりともたれかかると、安藤が当たり前だろうと主張する目で匡史を見やった。
「だよなー。俺、安藤みたいに口から生まれたわけじゃないからさ」
「よく言うよ」
 安藤は貰った資料を机の上で揃えながらため息をついた。
「だってー、安藤クンみたいに腰の曲がったおばあさんに、お嬢さん、なんて言えないもーん、俺」
 匡史がけらけらと笑っていると、助っ人って君たち? という声が飛んできた。
「はい。札幌支社の金丸です」
 表情を戻し、匡史が立ち上がる。並んだ安藤が同じように挨拶をした。
「主任の本田です。今回の展示会の責任者です。何かあったら私までお願いしますね」
 一応こちらを、と渡された名刺には、本田いさむと印字されている。
「本田、さんですか?」
「はい。何か?」
「い、いえ……別に。よろしくお願いします」
 頭を下げると、こちらこそ、と本田が爽やかに笑んだ。浅黒の肌に、高い身長、誰もが好感を抱きそうな笑顔、絞まった体にちょうどよく誂えてある三つ揃えのスーツ――モテるだろうことは、よくわかった。そして、この人が瑛蒔の父親であり、池上の元恋人であることも、すぐにわかった。瑛蒔は断然父親似だ。
 全然俺とは似てない。俺の方が絶対いい男だ――匡史は心のうちでそう思った。
「で、二人は午後からフリーだよね? 悪いんだけど昼食が済んだら現地で搬入の手伝いしてくれないかな?」
「はい、もちろん」
 安藤が頷く。匡史の顔をちらりと見て、ほらやっぱりという視線を送った。確かに暇にはならないようだ。
「じゃあ、移動はタクシー使っていいから。頼んだよ。営業部長さんからは、トクハンで一番売り上げてる二人だって聞いたから、期待してるよ」
 本田は、にこにこと笑いながら、会議室を後にした。
「すげープレッシャーかけてくのな、あのおっさん」
「まあ、売り上げは事実だから仕方ないんじゃない? 俺は三橋、お前は滝上――営業力以外のところで獲っちまったんだから」
 安藤は揃えた資料を抱えると会議室のドアへと向かった。匡史もそれについていく。
「そういえば、お前……あのお嬢さんとは、どうなったんだ?」
「ああ、ちゃんとあの日に断ったよ。好きな人が居るからって」
「安藤、好きな人いるの?」
 目を丸くして聞き返すと、不機嫌極まりない顔で安藤がこちらを見やる。
「俺に好きなヤツがいたらダメか?」
「いや、だって……安藤、合コンいっぱいしてるし、てっきり一人に絞らないタイプかと……」
「俺は、合コンで一人も持って帰ったことはないよ。それは知ってるだろ」
「ああ、まあ……」
 いつもやんわりと断って、一人で家路についているのは知っていた。それでも匡史には、好みの子が居ないんだろうくらいにしか思ってなかったのだ。
「好きな奴じゃなきゃ、抱いたってつまんないよ。疲れるだけだ」
 うわー大人ー、強気ー、と匡史が囃すと、煩い、と資料で頭を叩かれてしまった。けれど、そうでもしないと安藤の口からこんな真面目な言葉が出るなんて、なんだか恥ずかしかったのだ。お互い女の話はするけれど、こんな真剣めいた話はほとんどしたことがない。
「少し早いけど、メシ行くか。何食いたい? 金丸」
 その話題を早く切り捨てようと思ったのか、ふいに安藤がそんなことを聞く。匡史は、せっかくの出張だしな、と考え始める。
「うーん……江戸前寿司?」
「えび、蒸してあるぞ?」
「えびは安藤にくれてやる」
 そりゃどーも、と安藤は言いながらスマホで店探しを始めた。その様子を見ながら、こんなマメなヤツなんだから安藤が好きな人って幸せだよな、と思う。なんにせよ、誰かにちゃんと想われているのは羨ましい。誰かの代わりではなくて、ちゃんと自分を見てもらえているのだから……そう考えると、匡史のみぞおち辺りは、キリキリと痛みを覚えた。
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