僕《わたし》は誰でしょう

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第一章

自己の証明

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 人の魂はどこに宿るのだろう?

 脳か、心臓か。
 はたまた体の全ての細胞か。

 あるいは記憶に宿るのだろうか。

 もしも魂の在処が記憶にあるとすれば、自分が自分であることの証明は、過去の思い出に集約されるのかもしれない。

 なら、今のぼくはどうなのだろう。

 過去の記憶を失い、それまでの自分——『比良坂すず』を受け入れられなくなった今の自分は、一体何者なのだろうか。


          ◯


 再度の検査の結果、やはり脳に異常は見られなかった。
 怪我も軽度だったため、本来ならすぐにでも退院できるはずだったが、記憶障害のことを考慮して、あと数日ほど様子見で入院することになった。

 主治医からの説明が終わったのは昼過ぎで、両親はこちらの心配をしながらも再び仕事へ戻ることになった。

「じゃあね、すずちゃん。仕事が終わったら、また顔を出すからね。寂しいかもしれないけど夜まで我慢してね」

 まるで幼子に接するときのような言葉を残して、両親は去っていった。

 ぼくはそれまで使っていた個室から大部屋へ移動することになった。
 看護師の女性に案内される途中、廊下で他の入院患者たちとすれ違う。老若男女、実に様々な姿が目に入る。

 中でも印象に残ったのは、まだ十歳になるかならないかというくらいの幼い男の子だった。
 こんなにも小さな子が病気と闘っているのかと思うと、自分がいま抱えている悩みなんて実はちっぽけなものなんじゃないかとさえ思えてくる。

 男の子はゆっくりゆっくり足を動かして階段を上っていた。壁の手すりに体重を預け、時折疲れた様子で長い息を吐く。あえてエレベーターを使わないところを見ると、リハビリ中なのかもしれない。

 と、彼の懐からポロリと何かが落ちた。
 赤い色だったので一瞬ギョッとしたけれど、音もなく段差を転がり落ちてきたそれは小さな御守りだった。
 当人は気づいていないようだったので、ぼくはそれを拾い上げて背後から声をかける。

「ねえ。御守り、落としたよ」

 男の子は一度足を止め、くるりとこちらを振り返った。真ん丸な目に赤いほっぺの愛らしい顔が、こちらを不思議そうに見つめた。

「あっ、ほんとだ。ありがとう、お姉ちゃん」

 お姉ちゃん、という呼び名に、ちくりと胸が疼く。けれど極力顔には出さないようにして、無言で御守りを手渡した。

 当たり前のことだけれど、周りから見ればぼくは女なのだ。
 そしてその当たり前が、今はいちいち煩わしく感じてしまう。

 自分という存在が外見だけで決めつけられている気がして、歯がゆい思いが胸の奥で燻っていた。


          ◯


 やがて辿り着いたのは、左右にベッドが三つずつ並ぶ部屋だった。
 六人の患者が入院できる共同部屋。指定されたのは窓際で、ガラス越しに見える空には真っ白な入道雲が立ち上っている。

 看護師の女性から簡単な説明を受けて別れた後、ベッドに腰掛けたぼくは改めて空の眩しさに目を細めた。

(そういえば、今は夏なのか)

 両親から聞いた話によると、通っている高校ではそろそろ夏休みが始まるらしい。きっとクラスメイトたちは今ごろ浮き足立っているだろう。

 『比良坂すず』も、この時期を楽しみにしていたのだろうか。
 友達と遊ぶ約束や、旅行の予定なんかも立てていたかもしれない。

 もしかしたら彼氏もいたりして、という考えに至ったところで、思わず身震いした。
 今の自分にとって、男性は恋愛対象ではない。けれど、以前の自分もそうだったとは限らない。

 仮に男性の恋人がいたとして、その人物がもしもここを訪れるようなことがあれば、自分は一体どう接するべきなのだろう?
 本音を隠して平静を装うべきか、それとも今の気持ちを素直に伝えるべきか。

 答えの出ない問いに頭を悩ませていると、背後で何やら物音がした。
 反射的に振り返ってみると、ベッドの周りを囲っていたカーテンが少しだけ開かれている。その隙間から、こちらを覗く瞳があった。
 体の全体像はよく見えないが、背丈や顔の輪郭からして、男性であることがわかる。

 見舞客かもしれない。
 そして男性であるということはまさか……と、冷やりとしたものが背筋を伝う。

 こちらが何も言えずに固まっていると、男性の方が先に口を開いた。

「俺のこと、わかる?」
 
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