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第一章
違和感
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それから一時間もしない内に、我こそは両親だと名乗る二人組の男女が病室を訪れた。
平日の昼間だというのに、これだけの早さで駆けつけたところを見ると、どうやら自分は愛されている存在らしい。
「ああ、すずちゃん。目が覚めて本当によかったわ。この三日間ずっと眠りっぱなしだったのよ」
「事故の一報を聞いたときは血の気が引いたぞ。本当に何も覚えてないのか? 学校から帰宅する途中で、歩道に車が突っ込んできたんだよ」
今にも泣き出しそうな声で話す母と、加害者に対して憤りを隠せない父。ごく普通のサラリーマンとパートの主婦という、絵に描いたような一般家庭だった。
「主治医の先生が言ってたわ。記憶の欠如は一時的なもので、後々回復する可能性もあるって。だから大丈夫よ。心配しないでね、すずちゃん」
彼らの話を聞く限り、自分はどうやら一人娘のようで、なんとなく甘やかされて育ったのだろうな、ということが言葉の端々から感じ取れた。
その後も主治医からの説明があり、自分の置かれている状況を改めて理解することになった。
比良坂すず。女。現在高校二年生。
今から三日前、下校中に歩道を歩いていたところへ車が突っ込み接触、意識不明に陥る。加害者側がすぐに救急車を呼び、病院へ搬送。検査の結果、体は軽傷で脳に異常も見られなかったが、一時的な記憶障害が残る……。
(なんか、実感が湧かないな)
全てがまるで他人事のように感じられた。
一人の女子高生が事故に遭い、記憶喪失になった。それが自分のことだと急に言われても、何も思い出せない状態ではどう受け止めていいのかわからない。
そんな戸惑いが伝わったのか、父親と名乗る男性は優しげな声色で言った。
「大丈夫だ。お前は何も心配しなくていいからな。きっとすぐに元通りになる」
元通りになる。
それは一体どういう状態を指すのだろうか。
もしも失われた記憶が戻ればそのときは、自分は女で、比良坂すずという名の高校生——それがしっくりくる瞬間が訪れるのだろうか。
「あのさ」
口にするべきかどうか迷ったけれど、このまま疑問を放置しておくのも気持ちが悪いので、この際、伝えておくことにする。
「僕は、体は女だけど……心は男だった、ってことはない?」
性別の違和感だけは、どうしても拭えなかった。
自分が女であることを受け入れられない。違和感、というよりは、拒否感に近いかもしれない。
もしかすると、自分は性同一性障害なのかもしれない。そう考えると、この感覚にもある程度は説明がつく。
しかし両親の反応は、
「ど、どうしちゃったの、すずちゃん。急にそんなこと言いだして……。ふふ、おかしな子ねぇ」
「きっとまだ事故のショックで混乱しているんだ。大丈夫。じきに良くなるさ」
まるで想定外の発言だったと言わんばかりに、彼らは苦笑いを浮かべた。
その様子からすると、以前の自分がこういった話をする機会はほぼなかったと見ていいだろう。
もともと性別に違和感はなかったのか、あるいはカミングアウトしたことがなかったのか。
どちらにせよ、今の自分を理解してくれる人間はここにいないのだということは確かだった。
目の前の二人の苦笑いを見つめながら、現実から突き放されたような感覚だけが、胸に残った。
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