43 / 62
第三章
命の証明
しおりを挟む◯
美波はまだ死んでいない。
少なくともまだ心臓は動いている。
なのに、周りの誰もが彼女を『死んだ者』として扱っていた。
脳の機能が完全に停止した場合、いくら延命措置を行っても患者は十日程度で死に至る。
これがまだ『植物状態』であれば、脳の一部が動いており、意識が戻る可能性もゼロではない。
けれど『脳死』は、脳が完全に沈黙し、体の働きを維持することができない。ここから回復した例は世界に一つとしてなく、その後の心停止をもってその人の死とするか、あるいは脳死判定によって死を判断するかのどちらかになる。
「おかしいよな……。心臓はまだ動いてるのに。美波はもう、ここにいないってことなのか?」
彼女の親が病院に到着するまでの間、俺は彼女のそばから離れなかった。
離れたくなかった。
彼女の心臓はもう、十日程度しかもたない。それを過ぎる頃には、この体だって火葬されて、骨しか残らないのだ。
彼女の親が到着すれば、俺の父の口からは臓器提供の意思確認がなされる。
患者が脳死した場合、早い段階で提供の意思が確認されれば、より多くの臓器を提供することができるのだ。
もともと自らの臓器提供を望んでいた彼女は、すでに意思表示を済ませている。彼女の家族がどういう判断を下すのかはわからないが、本人の意思を尊重するなら、美波は脳死判定をもって死亡と診断され、臓器を摘出されることになるだろう。
「キミはこれを望んでいたのか? だから……わざと車道へ飛び出したのか?」
俺が尋ねても、彼女は何も答えてはくれない。
彼女がなぜこんな雨の日に外へ出たのか。一体どこへ行くつもりだったのか。なぜ視界の悪い中、車道へ飛び出したのか。
これは不慮の事故だったのか。それとも彼女が自ら望んでやったことなのか。
もしも彼女が自殺を図ったとしたなら、俺との花火大会の約束は何だったのか。
俺は、彼女にとっての何だったのか?
「戻ってきてくれよ、美波。頼むから……」
彼女の魂は、思いは、今どこにあるのだろう。
人の魂はどこに宿るのだろう。
脳か、心臓か。
はたまた体の全ての細胞か。それとも……。
◯
その日、病院に駆けつけたのは美波の母親だけだった。父親は仕事で海外におり、どうやっても今日中に帰国することは適わないという。
数年ぶりに会った母親の顔は疲弊していて、以前見た時よりも何倍にも老けて見えた。病院からの連絡を受けた時点で泣いていたのか、すでに目元が赤く腫れている。
日頃から娘とぶつかることの多かったらしい彼女だが、だからといって愛情がなかったわけではないのだろう。
むしろ、その逆。
普段から何度も口出ししていたということは、それだけ娘のことをいつも気にかけていたということだ。
その証拠に、彼女は美波の顔を見るなり、その場に泣き崩れた。
普段からあれだけ人目を気にしていたという彼女が。
俺たちの前で、病院の真ん中で、まるで子どものように声を上げて、いつまでも泣き叫んでいた。
16
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
神楽囃子の夜
紫音みけ🐾書籍発売中
ライト文芸
※第6回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。
年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。
四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる