僕《わたし》は誰でしょう

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第三章

自殺か、他殺か

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          ◯


 美波の今後について、この時点ではまだ何も決まらなかった。
 母親はただでさえ心の整理がついていない状態で、夫との話し合いも進んでいない。このまま病院に泊まり込んでも体力を消耗するだけなので、今日のところはひとまず自宅へ戻ることになった。

「凪くん……。いつも美波と仲良くしてくれてありがとうね」

 別れ際に、母親は俺にそう声を掛けてきた。

 俺と美波がよく一緒にいたことは、彼女も知っている。母親の目線から俺たちがどんな風に映っていたのかはわからないが、少なくとも否定的に見られていたわけではないらしい。

「あの……。美波はどうして、こんな雨の日に出掛けていたんですか?」

 いま聞くべきかどうか迷ったが、確かめておきたかった。母親が娘のことをどこまで把握していたのかはわからないが、少しでもわかることがあるなら、俺も美波のことを知っておきたい。

 けれど、俺からの質問を受けた瞬間、母親の顔は悲痛の色に歪んだ。
 そして、

「……私のせいなの」

 枯れた声を震わせながら、彼女は言った。

「私はあの子に、ひどいことを言ったの。だから……あの子は家を飛び出していったの。あの雨の中、傘も持たずに」

 言いながら、彼女は両手で頭を抱えた。見開いた目を足元に向け、呼吸がわずかに乱れ始める。

「ひどいこと?」

 俺は息を呑んだ。

 母親が放ったというその言葉で、美波は家を飛び出していった。ということは、美波がこうなった原因の一つとして、その言葉が影響している可能性がある。

「何て言ったんですか。あなたは。美波のことを」

 つい、咎めるような口調になってしまう。

「私は美波に……『あなたは普通じゃない』って言ったの。女の子が女の子を好きになるなんて。同性に恋愛感情を抱くなんて、間違ってるって……」

 『普通』じゃない。
 かつて、美波が気にしていた言葉だ。

 ——ママは『普通』って言葉が大好きなんだよ。

 いつか美波が言っていた。彼女の母親は、世間一般でいう『普通』の価値観を押し付けてくるのだと。

「あの子は……美波は、同じクラスの女の子に恋をしていたの。中学に入った時からずっと好きだったって。でも同性だから、告白する勇気も出なかったって。どうせ告白しても、フラれるのは目に見えていたからって。……でも、その子はこの夏休みに遠くへ引っ越すみたいで。だからこのあいだの終業式の日に、美波は勇気を出して告白をしたの。それで玉砕して、泣きながら帰ってきて。どうして男に産んでくれなかったのかって、あの子は私に言ったの。それでケンカになって。……今日もまた、その話になったの。少しだけ冷静になってから、私は改めて言ったわ。『あなたは普通じゃない』って」

 面と向かって突きつけられる、否定の言葉。それが美波の心をどれだけ傷つけていたか、俺には想像もつかない。

 ——『普通』なんて、一体誰が決めたんだろうね? 周りと同じことをするのが普通で、それ以外は普通じゃないってこと?

 彼女の言葉が思い出される。彼女はあきらかに、自分のことを普通ではないと認識していた。

「どうして……」

 目の前で再び泣き始めた母親に、俺は容赦できなかった。

「どうして美波のことを、受け入れてくれなかったんですか」

 母親が自分の娘をありのままに愛してくれていたら、もしかしたら、こんな結末にはならなかったかもしれないのに。

「ごめんなさい。でもあの子は……しかできなかったから……」

 その場に泣き崩れた母親を無視して、俺は乱暴な動作で自転車に跨り、すぐに走り出した。
 まだ雨は降っていたが、全身が濡れるのも構わなかった。むしろ、雨に打たれたかった。

 美波が車に撥ねられたのは、母親の言葉のせいだったのだろうか?

 母親に否定されて、感情的になって、勢いのままに車道へ飛び出して。そこへ運悪く車が通りがかって、彼女は不慮の事故に遭ったのだろうか。

 それとも、彼女は自殺するつもりで車道に出たのだろうか?

 自分の性別に悩んで、自分を受け入れてくれない世間に疲れて。何もかもが嫌になって、死にたいと思ってしまったのだろうか。

(どちらにせよ、俺は……)

 俺は、母親と同罪だ。

 美波のことを、男として見ていなかった。
 彼女のことを、一人の女性として、異性として意識して、恋愛感情を抱いていた。彼女のことを最後まで、ありのままに受け入れてやることができなかった。

 美波は、俺たちに殺されたのだ。



 やがて氷張川の手前までやってくると、俺は自転車を停めた。

 川はまだ荒れている。水位が上がって、沈み橋の姿も見えない。
 雨と風と、川の轟音で聴覚が支配される。

 涙で視界が滲んで、胸の中がぐちゃぐちゃになって。

 俺は川の縁に立って、ありったけの大声で叫んだ。
 
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