8 / 26
Chapter2
7
しおりを挟む
あの頃の日々を思い出して、思わず笑みが溢れる。
よくあの目まぐるしさを乗り越えたな、と自分で自分を何度褒めたことか。
三年経ち、隼輔も今ではニ歳を過ぎた。
走り回るようになり、したったらずの口調でよく喋る。
彫りの深い顔立ちとふわふわの髪の毛は、おそらく父親譲りだろう。
男の子は母親によく似るって聞くのに、誰に聞いても私の要素はあまり無いらしい。
私も隼輔の顔を見るたびに隼也を思い出すけれど、私には隼輔さえいれば、それでいい。
私ももう二十六歳だ。
この三年間を隼輔と仕事に捧げてきた。
隼也はどうしているだろう。考えないわけではないけれど、連絡手段が無い今、それを知る術は無い。
もしかしたら隼也は、可愛らしい女性とすでに結婚しているかもしれない。
きっと私のことなんて忘れて、元気に暮らしているだろう。
チクリと痛む胸に気付かないふりをして、新たな環境での仕事に励んだ。
そんな私に転機が訪れたのは、それから二週間後の金曜日のこと。
「本日は十一時から佐久間商事の専務とのアポイントが入っておりますので、もう間も無く出発予定です」
「その後は?」
「十三時から取締役会議、十六時からは商品開発部の最終プレゼンがございます。その後は先週お会いした屋代社長とのお食事です」
「屋代社長か。場所は決まってる?」
「はい。屋代社長の好きな和食の料亭をおさえてあります」
「了解」
一日の予定を確認し、副社長とともに佐久間商事へ向かうため車に乗り込む。
副社長専属の運転手の男性にもスケジュールは共有しているため、スムーズに発進した。
「津田島さんは、佐久間商事に行くのは初めて?」
「はい。……古い知り合いが働いているはずですが、行ったことはないです」
「そうだったんだ?」
小さく頷く。
実は、佐久間商事は隼也の働いている会社だった。
まだ、営業として働いているのだろうか。役職なんかはついているのだろうか。
……ダメだ。急に隼也に関係することに触れると、どうしても思い出してしまう。
「私も佐久間商事の専務には今日初めて会うんだよ」
「そうでしたか」
「うん。その人は最近専務に昇進したらしくてね。佐久間商事の社長のご子息で、まだ若いんだよ」
「へぇ……」
「確か津田島さんと同年代だったはずだよ」
「え、そうなんですか?」
若いって言っても副社長と同じくらいの年代だと思っていた。
まさか、私と同年代ってことは二十代か三十代ってこと?
やっぱり御曹司というのは、若くして役職を持つのだろうか。確かに常盤副社長も三十代で役職がついたと聞いたことがある。
それはそれで気苦労が絶えないだろう。お金持ちというのもいろいろと大変そうだ。
三十分ほどで、佐久間商事のビルに到着した。
エントランス含め、ロビーは全面ガラス張りでこれでもかというほどに太陽の光を取り込んでいる。
明るく綺麗なオフィスビルは、たくさんの人が行き来していた。
佐久間商事は何代も続く大手の総合商社で、国内のみならず海外にまで幅広く事業を展開している。
TOKIWAとも古くから付き合いがあり、今日は新しい専務と挨拶代わりの会のようだ。
ビルの三十階。役員専用フロアだろうか、静かな廊下を進んで応接室に案内された私たちは、出されたお茶を飲みつつ専務を待つ。
五分ほどでドアがノックされ、ゆっくりと開いた。
「お待たせいたしました」
忘れるはずもない、その声を聞いた時。
私は思わず目を見開いてその顔を凝視した。
声を発しなかったことが不思議なくらい、驚いた。
「初めまして。常盤安秀と申します。本日はお時間をいただきありがとうございます」
副社長の自己紹介の声に笑顔で応じる彼。
いつもふわふわにセットされていたはずの髪の毛はきっちり後ろに流してあって、それなのにその日本人離れした彫りの深い顔立ちはあの頃から何も変わっていない。
「こちらこそ、初めまして。お会いできて光栄です。佐久間商事の鷲尾隼也と申します」
目の前で繰り広げられる名刺交換を呆然と眺める私は、多分すごい顔をしていたと思う。
だって。
隼也?隼也なの?
目の前にいる佐久間商事の専務取締役。
その彼は、今"鷲尾隼也"だと名乗った。
どういうこと?隼也が、佐久間商事社長の子息?
そんな話、聞いたことないんだけど。
ずっと、営業で働いていたのに。何故あなたは今、そこにいるの?
あまりにも凝視していたからだろうか。
彼は視線を辿ってきて。そして私と目が合った。
私と同じか、それ以上か。
その目を見開いた時の目力に、顔に穴が開きそうだった。
お互い何も言わないまま見つめ合っていたからだろうか。
副社長が私たちを見比べて、不思議そうに首を傾げる。
「鷲尾専務。うちの秘書が、何か?」
「……あ、いえ、すみません」
彼は、こちらをチラチラ見ながら副社長と笑顔で握手を交わす。
私は、今すぐここから逃げ出したくてたまらない。
しかし、あたりまえだがそんなことはできるはずもない。
「津田島さんも、ご挨拶を」
「……はい」
副社長に促されると、私と彼は同じタイミングで肩を揺らした。
「……常盤の第一秘書の津田島舞花と申します。よろしくお願いいたします」
「……頂戴いたします」
ぎこちない名刺交換をしている間に、副社長は相手方の秘書の方と名刺交換をしていた。
受け取った名刺を見る。
【佐久間商事専務取締役 鷲尾隼也】
何度読み返しても、そこには隼也の名前が記されていた。
そっと顔を上げると、隼也も私の名刺から顔を上げて、しばらく目が合う。
「どうぞ、お掛けください」
先に目を逸らしたのは、隼也の方だった。
「ありがとうございます。失礼いたします」
二人がソファに腰を下ろしたのを見て、私は傍に待機していようと思っていたものの、
「……津田島さんも。どうぞお掛けください」
隼也がわざとらしく私に声をかける。
副社長を見ると、柔らかく微笑んでいて。
「……恐れ入ります。失礼いたします」
私も静かにソファに腰を下ろした。
よくあの目まぐるしさを乗り越えたな、と自分で自分を何度褒めたことか。
三年経ち、隼輔も今ではニ歳を過ぎた。
走り回るようになり、したったらずの口調でよく喋る。
彫りの深い顔立ちとふわふわの髪の毛は、おそらく父親譲りだろう。
男の子は母親によく似るって聞くのに、誰に聞いても私の要素はあまり無いらしい。
私も隼輔の顔を見るたびに隼也を思い出すけれど、私には隼輔さえいれば、それでいい。
私ももう二十六歳だ。
この三年間を隼輔と仕事に捧げてきた。
隼也はどうしているだろう。考えないわけではないけれど、連絡手段が無い今、それを知る術は無い。
もしかしたら隼也は、可愛らしい女性とすでに結婚しているかもしれない。
きっと私のことなんて忘れて、元気に暮らしているだろう。
チクリと痛む胸に気付かないふりをして、新たな環境での仕事に励んだ。
そんな私に転機が訪れたのは、それから二週間後の金曜日のこと。
「本日は十一時から佐久間商事の専務とのアポイントが入っておりますので、もう間も無く出発予定です」
「その後は?」
「十三時から取締役会議、十六時からは商品開発部の最終プレゼンがございます。その後は先週お会いした屋代社長とのお食事です」
「屋代社長か。場所は決まってる?」
「はい。屋代社長の好きな和食の料亭をおさえてあります」
「了解」
一日の予定を確認し、副社長とともに佐久間商事へ向かうため車に乗り込む。
副社長専属の運転手の男性にもスケジュールは共有しているため、スムーズに発進した。
「津田島さんは、佐久間商事に行くのは初めて?」
「はい。……古い知り合いが働いているはずですが、行ったことはないです」
「そうだったんだ?」
小さく頷く。
実は、佐久間商事は隼也の働いている会社だった。
まだ、営業として働いているのだろうか。役職なんかはついているのだろうか。
……ダメだ。急に隼也に関係することに触れると、どうしても思い出してしまう。
「私も佐久間商事の専務には今日初めて会うんだよ」
「そうでしたか」
「うん。その人は最近専務に昇進したらしくてね。佐久間商事の社長のご子息で、まだ若いんだよ」
「へぇ……」
「確か津田島さんと同年代だったはずだよ」
「え、そうなんですか?」
若いって言っても副社長と同じくらいの年代だと思っていた。
まさか、私と同年代ってことは二十代か三十代ってこと?
やっぱり御曹司というのは、若くして役職を持つのだろうか。確かに常盤副社長も三十代で役職がついたと聞いたことがある。
それはそれで気苦労が絶えないだろう。お金持ちというのもいろいろと大変そうだ。
三十分ほどで、佐久間商事のビルに到着した。
エントランス含め、ロビーは全面ガラス張りでこれでもかというほどに太陽の光を取り込んでいる。
明るく綺麗なオフィスビルは、たくさんの人が行き来していた。
佐久間商事は何代も続く大手の総合商社で、国内のみならず海外にまで幅広く事業を展開している。
TOKIWAとも古くから付き合いがあり、今日は新しい専務と挨拶代わりの会のようだ。
ビルの三十階。役員専用フロアだろうか、静かな廊下を進んで応接室に案内された私たちは、出されたお茶を飲みつつ専務を待つ。
五分ほどでドアがノックされ、ゆっくりと開いた。
「お待たせいたしました」
忘れるはずもない、その声を聞いた時。
私は思わず目を見開いてその顔を凝視した。
声を発しなかったことが不思議なくらい、驚いた。
「初めまして。常盤安秀と申します。本日はお時間をいただきありがとうございます」
副社長の自己紹介の声に笑顔で応じる彼。
いつもふわふわにセットされていたはずの髪の毛はきっちり後ろに流してあって、それなのにその日本人離れした彫りの深い顔立ちはあの頃から何も変わっていない。
「こちらこそ、初めまして。お会いできて光栄です。佐久間商事の鷲尾隼也と申します」
目の前で繰り広げられる名刺交換を呆然と眺める私は、多分すごい顔をしていたと思う。
だって。
隼也?隼也なの?
目の前にいる佐久間商事の専務取締役。
その彼は、今"鷲尾隼也"だと名乗った。
どういうこと?隼也が、佐久間商事社長の子息?
そんな話、聞いたことないんだけど。
ずっと、営業で働いていたのに。何故あなたは今、そこにいるの?
あまりにも凝視していたからだろうか。
彼は視線を辿ってきて。そして私と目が合った。
私と同じか、それ以上か。
その目を見開いた時の目力に、顔に穴が開きそうだった。
お互い何も言わないまま見つめ合っていたからだろうか。
副社長が私たちを見比べて、不思議そうに首を傾げる。
「鷲尾専務。うちの秘書が、何か?」
「……あ、いえ、すみません」
彼は、こちらをチラチラ見ながら副社長と笑顔で握手を交わす。
私は、今すぐここから逃げ出したくてたまらない。
しかし、あたりまえだがそんなことはできるはずもない。
「津田島さんも、ご挨拶を」
「……はい」
副社長に促されると、私と彼は同じタイミングで肩を揺らした。
「……常盤の第一秘書の津田島舞花と申します。よろしくお願いいたします」
「……頂戴いたします」
ぎこちない名刺交換をしている間に、副社長は相手方の秘書の方と名刺交換をしていた。
受け取った名刺を見る。
【佐久間商事専務取締役 鷲尾隼也】
何度読み返しても、そこには隼也の名前が記されていた。
そっと顔を上げると、隼也も私の名刺から顔を上げて、しばらく目が合う。
「どうぞ、お掛けください」
先に目を逸らしたのは、隼也の方だった。
「ありがとうございます。失礼いたします」
二人がソファに腰を下ろしたのを見て、私は傍に待機していようと思っていたものの、
「……津田島さんも。どうぞお掛けください」
隼也がわざとらしく私に声をかける。
副社長を見ると、柔らかく微笑んでいて。
「……恐れ入ります。失礼いたします」
私も静かにソファに腰を下ろした。
48
あなたにおすすめの小説
Catch hold of your Love
天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。
決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。
当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。
なぜだ!?
あの美しいオジョーサマは、どーするの!?
※2016年01月08日 完結済。
同期の姫は、あなどれない
青砥アヲ
恋愛
社会人4年目を迎えたゆきのは、忙しいながらも充実した日々を送っていたが、遠距離恋愛中の彼氏とはすれ違いが続いていた。
ある日、電話での大喧嘩を機に一方的に連絡を拒否され、音信不通となってしまう。
落ち込むゆきのにアプローチしてきたのは『同期の姫』だった。
「…姫って、付き合ったら意彼女に尽くすタイプ?」
「さぁ、、試してみる?」
クールで他人に興味がないと思っていた同期からの、思いがけないアプローチ。動揺を隠せないゆきのは、今まで知らなかった一面に翻弄されていくことにーーー
【登場人物】
早瀬ゆきの(はやせゆきの)・・・R&Sソリューションズ開発部第三課 所属 25歳
姫元樹(ひめもといつき)・・・R&Sソリューションズ開発部第一課 所属 25歳
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆他にエブリスタ様にも掲載してます。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる