何も言わないで。ぎゅっと抱きしめて。

青花美来

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Chapter2

7

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あの頃の日々を思い出して、思わず笑みが溢れる。

よくあの目まぐるしさを乗り越えたな、と自分で自分を何度褒めたことか。

三年経ち、隼輔も今ではニ歳を過ぎた。

走り回るようになり、したったらずの口調でよく喋る。

彫りの深い顔立ちとふわふわの髪の毛は、おそらく父親譲りだろう。

男の子は母親によく似るって聞くのに、誰に聞いても私の要素はあまり無いらしい。

私も隼輔の顔を見るたびに隼也を思い出すけれど、私には隼輔さえいれば、それでいい。

私ももう二十六歳だ。

この三年間を隼輔と仕事に捧げてきた。

隼也はどうしているだろう。考えないわけではないけれど、連絡手段が無い今、それを知る術は無い。

もしかしたら隼也は、可愛らしい女性とすでに結婚しているかもしれない。

きっと私のことなんて忘れて、元気に暮らしているだろう。

チクリと痛む胸に気付かないふりをして、新たな環境での仕事に励んだ。



そんな私に転機が訪れたのは、それから二週間後の金曜日のこと。


「本日は十一時から佐久間商事の専務とのアポイントが入っておりますので、もう間も無く出発予定です」

「その後は?」

「十三時から取締役会議、十六時からは商品開発部の最終プレゼンがございます。その後は先週お会いした屋代社長とのお食事です」

「屋代社長か。場所は決まってる?」

「はい。屋代社長の好きな和食の料亭をおさえてあります」

「了解」


一日の予定を確認し、副社長とともに佐久間商事へ向かうため車に乗り込む。

副社長専属の運転手の男性にもスケジュールは共有しているため、スムーズに発進した。


「津田島さんは、佐久間商事に行くのは初めて?」

「はい。……古い知り合いが働いているはずですが、行ったことはないです」

「そうだったんだ?」


小さく頷く。


実は、佐久間商事は隼也の働いている会社だった。

まだ、営業として働いているのだろうか。役職なんかはついているのだろうか。


……ダメだ。急に隼也に関係することに触れると、どうしても思い出してしまう。


「私も佐久間商事の専務には今日初めて会うんだよ」

「そうでしたか」

「うん。その人は最近専務に昇進したらしくてね。佐久間商事の社長のご子息で、まだ若いんだよ」

「へぇ……」

「確か津田島さんと同年代だったはずだよ」

「え、そうなんですか?」


若いって言っても副社長と同じくらいの年代だと思っていた。

まさか、私と同年代ってことは二十代か三十代ってこと?

やっぱり御曹司というのは、若くして役職を持つのだろうか。確かに常盤副社長も三十代で役職がついたと聞いたことがある。

それはそれで気苦労が絶えないだろう。お金持ちというのもいろいろと大変そうだ。
三十分ほどで、佐久間商事のビルに到着した。

エントランス含め、ロビーは全面ガラス張りでこれでもかというほどに太陽の光を取り込んでいる。

明るく綺麗なオフィスビルは、たくさんの人が行き来していた。

佐久間商事は何代も続く大手の総合商社で、国内のみならず海外にまで幅広く事業を展開している。

TOKIWAとも古くから付き合いがあり、今日は新しい専務と挨拶代わりの会のようだ。

ビルの三十階。役員専用フロアだろうか、静かな廊下を進んで応接室に案内された私たちは、出されたお茶を飲みつつ専務を待つ。

五分ほどでドアがノックされ、ゆっくりと開いた。


「お待たせいたしました」


忘れるはずもない、その声を聞いた時。

私は思わず目を見開いてその顔を凝視した。

声を発しなかったことが不思議なくらい、驚いた。


「初めまして。常盤安秀と申します。本日はお時間をいただきありがとうございます」


副社長の自己紹介の声に笑顔で応じる彼。

いつもふわふわにセットされていたはずの髪の毛はきっちり後ろに流してあって、それなのにその日本人離れした彫りの深い顔立ちはあの頃から何も変わっていない。


「こちらこそ、初めまして。お会いできて光栄です。佐久間商事の鷲尾隼也と申します」


目の前で繰り広げられる名刺交換を呆然と眺める私は、多分すごい顔をしていたと思う。


だって。


隼也?隼也なの?

目の前にいる佐久間商事の専務取締役。
その彼は、今"鷲尾隼也"だと名乗った。

どういうこと?隼也が、佐久間商事社長の子息?

そんな話、聞いたことないんだけど。

ずっと、営業で働いていたのに。何故あなたは今、そこにいるの?


あまりにも凝視していたからだろうか。

彼は視線を辿ってきて。そして私と目が合った。

私と同じか、それ以上か。

その目を見開いた時の目力に、顔に穴が開きそうだった。

お互い何も言わないまま見つめ合っていたからだろうか。

副社長が私たちを見比べて、不思議そうに首を傾げる。


「鷲尾専務。うちの秘書が、何か?」

「……あ、いえ、すみません」


彼は、こちらをチラチラ見ながら副社長と笑顔で握手を交わす。

私は、今すぐここから逃げ出したくてたまらない。

しかし、あたりまえだがそんなことはできるはずもない。


「津田島さんも、ご挨拶を」

「……はい」


副社長に促されると、私と彼は同じタイミングで肩を揺らした。


「……常盤の第一秘書の津田島舞花と申します。よろしくお願いいたします」

「……頂戴いたします」


ぎこちない名刺交換をしている間に、副社長は相手方の秘書の方と名刺交換をしていた。

受け取った名刺を見る。


【佐久間商事専務取締役 鷲尾隼也】


何度読み返しても、そこには隼也の名前が記されていた。

そっと顔を上げると、隼也も私の名刺から顔を上げて、しばらく目が合う。


「どうぞ、お掛けください」


先に目を逸らしたのは、隼也の方だった。


「ありがとうございます。失礼いたします」


二人がソファに腰を下ろしたのを見て、私は傍に待機していようと思っていたものの、


「……津田島さんも。どうぞお掛けください」


隼也がわざとらしく私に声をかける。

副社長を見ると、柔らかく微笑んでいて。


「……恐れ入ります。失礼いたします」


私も静かにソファに腰を下ろした。
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