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23【地下室の闇】
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建物に入ってすぐ、目に付くところに、魔法陣が刺繍された壁掛けがかかっていた。織物でできた端は黒く焼け焦げている。
どうしてか、見たことがないはずなのに、胸の辺りを掴まれたような感じがした。ため息を吐きたくなるほど、懐かしく感じるのはなぜだろうか。
ルカーシュは片手を伸ばそうとしたが、手枷のせいで両手を伸ばすことになった。織り目の表面を撫でると、ざらついている。
「火事で唯一残った壁掛けです」
ゾルターンは自由な手で、その壁掛けに触れる。特に心のこもった触れ方ではなかった。
「他のものは、すべて炭にされました」
アラバンドの者たちが魔女の集落を襲撃し、人や、その文化をも燃やし尽くした。そんな話は知らなかった。母は一言も言わなかった。何も知らず、ルカーシュはアラバンドの城に囚われていただけだ。
――知っていたら、こんな自分であっても、兄王や父王を許せなかっただろうか。
いや、自分の性格では、手をかけるほどの度胸はなかった。何もできないくせに、憎しみだけは人並みに持っていたかもしれない。しかしもう、その憎しみをぶつける相手はこの世に残っていない。
両開きの扉を開けると、下りの階段の一段目が浮かんだ。先は炭を塗りたくったかのように暗闇でできている。
ゾルターンは松明を掲げた。炎が上がると共に、松脂の燃える臭いがする。壁掛けの松明に火を移しながら、下へ下へと降りていった。
靴音が止まり、目的地に着いたことを知る。ゾルターンの持っていた松明が壁掛けに固定されると、部屋は照らされた。
地下室には日差しはなく、通気口があるだけだった。牢屋ではないにしても、人を閉じ込めるための部屋だというのはわかる。寝台と頭側の飾り板を支える柱には鎖がついていた。
――ここに居てはいけない。
本能が叫ぶように、身体中の血が騒ぐ。
一歩退くと、手枷の間の鎖を引っ張られた。避けようとした身体が行き場を無くして、ゾルターンの胸板にぶつかる。筋肉質な腕がルカーシュの腰を抱いた。服の上から触れられたとしても、背中から項にかけて寒気が走る。
「無駄です」
腕から逃げ出そうともがくが、手枷の鎖を掴まれて、自由に動けない。鎖が手枷の輪に通されて、柱に繋がれた。
奥歯を噛み締めて、引っ張っても鎖は外れない。ゾルターンはルカーシュの身体を寝台に突き飛ばした。
「無駄だと言ったはずですが」
「嫌だ」身体をひねって抵抗するが、ゾルターンは呆れたようにため息を吐いた。
「ここを出ても、別の場所で幽閉されるだけでしょう」
否定はできない。実際、ルカーシュはどこへ行っても幽閉される身だ。護衛がいつも控えていて、自由は一切ないように見えるだろう。
それでも、シモンがいれば、小さな自由はある。
自分の足で歩き、頬に風を感じられる。水に指を浸せば、冷たさを知り、花の匂いを肺いっぱいに取り込むこともできる。穏やかな日差しの下で昼寝をすることも、釣りをすることも。
シモンと一緒なら、もっと楽しいことが見つかるかもしれない。
それは叶わない夢でしかなかった。暗く囚われた世界では、ルカーシュの希望を失わせ、逃げようとする手足をもいでいく。ゾルターンの言葉もそうだった。
「これはアラバンドに渡った際に調べたのですが、あなたの母親はアラバンドでの使用人ではなく――奴隷です。しかも王の正妃にも妾にもなれない、慰めものでした。つまりあなたは望まれて生まれてきたわけではない」
嘘だ、違うと否定したいのに、話のつじつまは合った。魔女の集落が襲撃された話をすれば、母親が奴隷にされたことも話さなければならなくなる。母は話さなかったのではなく、幼い自分にはまだ話せなかったのだろう。死ぬ間際まで言わないでいてくれた。
涙が溢れてきて、息をするのが苦しい。
「あなたは感謝するべきでしょう。殺さずに育ててくれた自分の母親に。あなたは初めから生まれてはいけなかったのですよ」
決定的に闇を植え付けられて、ルカーシュは絶望で呻くしかできない。そんな様子を眺めながら、ゾルターンの勝ち誇ったような声は止まらない。
「しかも最近では、あなたを巡って、ふたつの組織ができたそうです。旧アラバンド派と新アラバンド派だとか」
初めて聞いた話だった。自分を巡ってということは、未だに王弟という立場が争いの元になっているのか。
「アラバンドという国は亡くなったのに、王弟だったあなたがいる限り、争いは絶えない。それを制圧するためにシモンも王都に帰ったのですよ。あなたがいる限り、穏やかな生活は訪れない。シモンのことを考えるなら、あなたはここでひっそり暮らしたほうがいいのではないですか?」
すべて図星で、何も返す言葉はなかった。
「アルノシュトもあなたを守るために犠牲になりました。どれだけの人をあなたは被害者にしていくのでしょうね」
母親のことも、シモンのことも、アルノシュトのことも。自分のせいで、割を食う。本当に、ここにいることが自分だけではなく、あらゆる人のためになるように思えてくる。
松明の火が消された。一気に暗闇に落とされる。
「この闇の中で、いつまで抵抗できるでしょうかね」
ゾルターンの冷たい声の後には、階段を上がっていく靴音が響いた。
どうしてか、見たことがないはずなのに、胸の辺りを掴まれたような感じがした。ため息を吐きたくなるほど、懐かしく感じるのはなぜだろうか。
ルカーシュは片手を伸ばそうとしたが、手枷のせいで両手を伸ばすことになった。織り目の表面を撫でると、ざらついている。
「火事で唯一残った壁掛けです」
ゾルターンは自由な手で、その壁掛けに触れる。特に心のこもった触れ方ではなかった。
「他のものは、すべて炭にされました」
アラバンドの者たちが魔女の集落を襲撃し、人や、その文化をも燃やし尽くした。そんな話は知らなかった。母は一言も言わなかった。何も知らず、ルカーシュはアラバンドの城に囚われていただけだ。
――知っていたら、こんな自分であっても、兄王や父王を許せなかっただろうか。
いや、自分の性格では、手をかけるほどの度胸はなかった。何もできないくせに、憎しみだけは人並みに持っていたかもしれない。しかしもう、その憎しみをぶつける相手はこの世に残っていない。
両開きの扉を開けると、下りの階段の一段目が浮かんだ。先は炭を塗りたくったかのように暗闇でできている。
ゾルターンは松明を掲げた。炎が上がると共に、松脂の燃える臭いがする。壁掛けの松明に火を移しながら、下へ下へと降りていった。
靴音が止まり、目的地に着いたことを知る。ゾルターンの持っていた松明が壁掛けに固定されると、部屋は照らされた。
地下室には日差しはなく、通気口があるだけだった。牢屋ではないにしても、人を閉じ込めるための部屋だというのはわかる。寝台と頭側の飾り板を支える柱には鎖がついていた。
――ここに居てはいけない。
本能が叫ぶように、身体中の血が騒ぐ。
一歩退くと、手枷の間の鎖を引っ張られた。避けようとした身体が行き場を無くして、ゾルターンの胸板にぶつかる。筋肉質な腕がルカーシュの腰を抱いた。服の上から触れられたとしても、背中から項にかけて寒気が走る。
「無駄です」
腕から逃げ出そうともがくが、手枷の鎖を掴まれて、自由に動けない。鎖が手枷の輪に通されて、柱に繋がれた。
奥歯を噛み締めて、引っ張っても鎖は外れない。ゾルターンはルカーシュの身体を寝台に突き飛ばした。
「無駄だと言ったはずですが」
「嫌だ」身体をひねって抵抗するが、ゾルターンは呆れたようにため息を吐いた。
「ここを出ても、別の場所で幽閉されるだけでしょう」
否定はできない。実際、ルカーシュはどこへ行っても幽閉される身だ。護衛がいつも控えていて、自由は一切ないように見えるだろう。
それでも、シモンがいれば、小さな自由はある。
自分の足で歩き、頬に風を感じられる。水に指を浸せば、冷たさを知り、花の匂いを肺いっぱいに取り込むこともできる。穏やかな日差しの下で昼寝をすることも、釣りをすることも。
シモンと一緒なら、もっと楽しいことが見つかるかもしれない。
それは叶わない夢でしかなかった。暗く囚われた世界では、ルカーシュの希望を失わせ、逃げようとする手足をもいでいく。ゾルターンの言葉もそうだった。
「これはアラバンドに渡った際に調べたのですが、あなたの母親はアラバンドでの使用人ではなく――奴隷です。しかも王の正妃にも妾にもなれない、慰めものでした。つまりあなたは望まれて生まれてきたわけではない」
嘘だ、違うと否定したいのに、話のつじつまは合った。魔女の集落が襲撃された話をすれば、母親が奴隷にされたことも話さなければならなくなる。母は話さなかったのではなく、幼い自分にはまだ話せなかったのだろう。死ぬ間際まで言わないでいてくれた。
涙が溢れてきて、息をするのが苦しい。
「あなたは感謝するべきでしょう。殺さずに育ててくれた自分の母親に。あなたは初めから生まれてはいけなかったのですよ」
決定的に闇を植え付けられて、ルカーシュは絶望で呻くしかできない。そんな様子を眺めながら、ゾルターンの勝ち誇ったような声は止まらない。
「しかも最近では、あなたを巡って、ふたつの組織ができたそうです。旧アラバンド派と新アラバンド派だとか」
初めて聞いた話だった。自分を巡ってということは、未だに王弟という立場が争いの元になっているのか。
「アラバンドという国は亡くなったのに、王弟だったあなたがいる限り、争いは絶えない。それを制圧するためにシモンも王都に帰ったのですよ。あなたがいる限り、穏やかな生活は訪れない。シモンのことを考えるなら、あなたはここでひっそり暮らしたほうがいいのではないですか?」
すべて図星で、何も返す言葉はなかった。
「アルノシュトもあなたを守るために犠牲になりました。どれだけの人をあなたは被害者にしていくのでしょうね」
母親のことも、シモンのことも、アルノシュトのことも。自分のせいで、割を食う。本当に、ここにいることが自分だけではなく、あらゆる人のためになるように思えてくる。
松明の火が消された。一気に暗闇に落とされる。
「この闇の中で、いつまで抵抗できるでしょうかね」
ゾルターンの冷たい声の後には、階段を上がっていく靴音が響いた。
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