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名張 龍也の視点②
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人生でこれほど人を殺したいと思ったことは無い。
「――龍也ッ!」
怒鳴り声と共に羽交い締めにされた。
「やめろ落ち着けッ、龍也!!」
力任せに押さえつけられようとしているのに、それをものともせず彼は目の前の男に暴力をふるいつづける。
「……」
無言で何度も殴る。怒りの形相をしているわけでも、発狂しわめき散らしているわけでもない。
ただ静かに真顔で、機械的に殴打を繰り返すその瞳には光がなかった。
「おい!」
必死に止めるのは拓斗だ。
そして傍らで、ぐったりとベッドに沈むのは恋焦がれた相手。その手首の痛々しい手錠の痕が、また龍也の狂気じみた怒りと憎悪をかきたてる。
「クソが」
あの時、彼を見失ったのが運の尽き――。
事の発端は、街中で倒れた奏汰をとりあえず無我夢中で病院に担ぎこんだこと。
診療時間外ではあったが、かかりつけ病院だったことが幸いしてすぐ診察を受けられた。
家族でもないから待合室で待っているように言われた彼らには気まずい空気が漂っていた。
「君の名前は?」
同じくその場にいた愈史郎の言葉を聞かぬフリをして押し黙る。
警戒心しかなかった。
「あはは、つれないな」
そんな剣呑な態度にも余裕な態度を見せるこの男が腹立たしい。
明らかにこちらを知っている様子なのが表情からうかがえる。なのにあえて初対面かのように訊ねてくるのを白々しく思う。
「君は彼とはどんな関係で?」
「……」
「兄弟、ではなさそうだ。だとすれば友達? というか高校生だよね、学校はどうしたの」
「……」
「ダメだよ、ちゃんと行かないと」
「……」
「奏汰くんも大変だなあ。あんなことになって」
「……」
「そう思うだろう? 急に発情期がくるなんて」
「……」
「あんなに熱い身体で息を乱して。ああ、君も災難だったねぇ。Ωのヒートにあてられちゃったとか?」
「……」
「君ってαでしょ、何となく分かるよ。オレも――」
「そろそろ口閉じろ、オッサン」
地を這うような低い声というのはこの事だ。
鋭く睨みつけながら龍也は歯噛みするように口を開く。
「お互いαならわかるだろうが」
視線だけで人を殺す事ができるならば、とっくの昔に絶命させられただろう。
「オッサンなんてひどいなあ」
浮かべたその笑みは吐き気をもおよすほど下卑ていて、龍也は拳を握る。
爪が手のひらに食い込むが、痛みすら頭を冷やしてはくれない。
「あんたストーカーかよ」
「……巨大ブーメランぶっ刺さってるね、名張 龍也くん?」
やはり把握されていたらしい。といっても龍也の方は明良に叱られてから盗聴器も取り外したし、大学付近をうろつくのもやめた。
奏汰のスマホに仕掛けたGPSアプリだけは削除出来ずにいたのだが。
「奏汰は俺のだから」
「へえ! まだ成人すらしてないお子様がねぇ」
嫌味ったらしい物言いだ。何を企んでいるのか己の優位性を十分に理解している顔が、また龍也をイラつかせる。
「うるせぇな、オッサン」
「オッサンっていうなよ、クソガキ」
スッ、と愈史郎の目が細くなる。口元を歪めて吐かれた悪態は、同じ言葉でも言う者が違えばかなり意味も異なる。
「……なんてね。ま、仲良くしようよ。お互いα同士さ」
おどけた仕草で差し出された手を無言で叩いた。
触れることさえ湧き上がる嫌悪感がゆるさない。そんな拒絶に一瞬だけ目元をピクリと反応させたこと以外、愈史郎は表情を変えなかった。
「言っとくけど」
龍也の低い声が静かな待合室に響く。
昼休憩中だからか、受付の者も奥に引っ込んでいるようだ。
「奏汰に手を出したら許さない」
「あははっ、怖い怖い」
どこまでもナメられているのは理解していた。
しょせん未成年で高校生、同じαとて社会的にはどちらが有利であるかは明白である。
しかも傍からみれば道で人助けをした親切な青年をイチャモンつけて怒鳴りつけるガキ、という。
案の定、病院でも救助者として事情を聞かれたのは愈史郎の方だった。
「あんまり彼を困らせない方がいいよ」
「は?」
聞き捨てならない言葉に眉間に深いしわが寄る。
「奏汰くん、未成年である君にしつこく迫られて気の毒だなって」
「てめぇふざけんなよ」
「だってそうだろう。君の好意の有り無しに関係なく、社会的に責められるのは彼の方だ」
「……」
「好きな人が淫行でしょっぴかれてもいいなら止めないけどさぁ」
「あいつは悪くない、俺が……」
「だとしてもって話してるんだよ」
なにも言い返せない。
身体の関係さえ持たなければとも言えるが、そんな反論も浮かばぬほど心に刺さっていた。
「奏汰くんは言ってたよ。αをひけらかすのは子供だから仕方ないとして、その気もないのにしつこくされるのは嫌だって」
「……」
「ほんとΩも大変だね」
「お前――」
龍也が口を開きかけると唐突に。
「オレもう行かなきゃ」
「おい!」
立ち上がりさっさと出ていこうとする愈史郎。
思わず声を荒らげると。
「学校サボって遊び回る不良学生と違ってこっちは忙しいんだよね。あ、病院の人たちには彼の家族に連絡するように言ってあるから」
「待てよ」
「じゃあね、クソガキ」
振り返ることもなく出て行った。
その行動に違和感を持ちつつ、龍也は呆然と後ろ姿を見送るほかない。
「なんだよあれ……」
何かがおかしい。だが正体が掴めないのだ。
頭を抱え、考え込んでいた時だった。
「ん?」
ポケットに入れていたスマホが震え、着信を知らせている。
そして画面に映し出された名前に小さくため息をついた。
「あー」
拓斗だ。学校をサボったので心配されたのだろう。
ずっと気づかなかったが、メッセージもたくさん受信していたらしい。
だけど、と周りを見渡す。
「ここでって訳にはいかねぇよな」
誰も人がいないといえど病院の待合室だ。
ちらりと診察室の方へ視線を向けつつ、こちらに来る人の気配がないのを確認してから立ち上がった。
「ったく、なんだよ」
そう独りごちながら外に出る。
「……はい」
『あ、龍也? なにしてんの、学校サボって』
「ええっと」
心配して電話してきたであろう拓斗の声に、ため息混じりで応じてしまう。
「ちょっと熱があって」
『嘘つけ』
即答でつっこまれた。だが鼻を鳴らして誤魔化す。
『またストーカー?』
「ちげぇよ」
それも嘘だ。奏汰につけておいたGPSを何の気なしに見ていたら、学校の近くを通ったのだ。
そしてなぜか嫌な予感というか、虫の知らせのようなものがして駆けつけたというのが経緯だ。
『姉さんが心配してた』
「え?」
『奏汰くんと連絡とれない、メッセージに既読がつかないって』
どうやら午後から二人で予定があったらしい。そこで連絡がつかないからと拓斗に報せが行ったというわけだ。
響子もまた弟と同様、奏汰に対して過保護ともいえる思いを抱えているらしい。
「……今、病院にいる」
『え?』
彼が絶句しているのが電話越しでもわかった。
だから努めて冷静に言葉を継いだ。
「街中で体調崩した。すぐに病院に運んだから大丈夫――」
『どの病院!?』
食い気味の質問に少し戸惑いながらも病院の名前を口にする。
『すぐ姉さんに連絡しないと。あと、オレも行くから』
「いや別に俺がいるから」
『嫌だ!』
「嫌だって……」
いつも穏やかで声を荒らげることのない友人とは、思えぬ口調と声色。
一瞬の沈黙のあと。
『すぐに行く』
という一言の後に、通話はプツンと切られる。
「なんなんだよ……まったく」
龍也は眉をひそめた。本当に彼らしくなさすぎて驚いたのだ。
しかしそうもしていられない。
「っと、やべぇ」
少し慌てて病院へ戻ろうと歩き出す。もう診察も処置も終わったかもしれない。少なくも状況くらいは看護師から聞けたらいいのだが。
「……あれ?」
まだ診察終わってないのだろうか。相変わらず人気のない待合室で首をひねる。
「あの」
偶然顔が見えた受付の女性に声をかけるる。奥へ行こうとしたのだろう、怪訝そうに振り返りこちらを見た。
「はい?」
「今診察受けてる人、まだ終わりそうにないですか。俺の友達……なんスけど」
「えっと、もしかして金城さんのことかしら」
自分の親くらいの年代の病院スタッフは小首をかしげた。
「それならもう治療も会計も終わって帰りましたよ」
「えっ?」
「付き添いの人と一緒に」
「どんなヤツか分かりますか!?」
「そうねぇ……」
そこで考え込むように言葉を止めてから。
「特に印象がねぇ、ないのよ」
心底不思議そうに言った。
かろうじて男だったのは覚えているが、顔も体格も服装すら特徴がなく記憶から抜け落ちているという。
「金城さんのことはよく知ってるの。小さい頃から見てきたからね。でもあの男の人はまったく知らないわ」
話好きそうな女性に小さく会釈して、龍也はその場を足早に立ち去ることにした。
これは完全にしてやられたのだ。
「くそっ……!」
一瞬の隙を付かれたのか、それともよっぽど巧妙だったのか。
「どこに行きやがった」
急いで病院の外に出ると、辺りを必死で探し始める。
そう遠くには行っていないと思うが、なにせ行き先が分からないとどうしようも無い。
つのる焦りと危機感、激しい後悔にギリギリと奥歯を噛み締める。
「くそっ!」
裏口からでて行ったのかもしれない。そう考えてすぐ走り出した。
「あ……」
誰もいない。しかし確かにここにいたのがわかる、痕跡がはっきりあったのだ。
「ぅ」
クラクラするほどの甘い匂い。それが辺り一面に立ち込めている。
Ωのフェロモンとαのそれが綯い交ぜになったものだろう。吐き気とあてられた興奮とで思わず膝をつきそうになる。
「な、なんつー匂いだ、これ」
視覚で例えるなら突然えげつないAVを眼前に突きつけられるような衝撃というか。
慌てて鼻を手で覆うが、その下半身はきざし始めていた。
「やべぇ……いや、マジでやべぇって……」
一刻も早くその場を離れたいと足を踏み出したが、ふと。
「!」
気づいてしまった。
「奏汰!」
この香りは彼のものだ。βには本来ないはずのフェロモン。
でも確かに覚えがある。あの朝、艶めかしい夢の中で。
――あれは夢じゃなかったのか。
肌を合わせてのキス。
快楽に震える身体を抱きながら次はどんな愛撫をしたら啼くだろう、と思いながらまさぐる。
『あっ、んん、ぅ』
恥じらってはいたが確かに感じ入ったような声にもっと欲深くなった。
「だとすると……」
ここにαもいて、連れ去られた可能性が出てくる。
というか確実にそうなのだろう。
記憶の余韻から一変、怒りで目の前が赤く染まった。
「あの野郎ふざけんなッ!!」
そう叫び、龍也はいてもたってもいられず駆け出したのである。
「――龍也ッ!」
怒鳴り声と共に羽交い締めにされた。
「やめろ落ち着けッ、龍也!!」
力任せに押さえつけられようとしているのに、それをものともせず彼は目の前の男に暴力をふるいつづける。
「……」
無言で何度も殴る。怒りの形相をしているわけでも、発狂しわめき散らしているわけでもない。
ただ静かに真顔で、機械的に殴打を繰り返すその瞳には光がなかった。
「おい!」
必死に止めるのは拓斗だ。
そして傍らで、ぐったりとベッドに沈むのは恋焦がれた相手。その手首の痛々しい手錠の痕が、また龍也の狂気じみた怒りと憎悪をかきたてる。
「クソが」
あの時、彼を見失ったのが運の尽き――。
事の発端は、街中で倒れた奏汰をとりあえず無我夢中で病院に担ぎこんだこと。
診療時間外ではあったが、かかりつけ病院だったことが幸いしてすぐ診察を受けられた。
家族でもないから待合室で待っているように言われた彼らには気まずい空気が漂っていた。
「君の名前は?」
同じくその場にいた愈史郎の言葉を聞かぬフリをして押し黙る。
警戒心しかなかった。
「あはは、つれないな」
そんな剣呑な態度にも余裕な態度を見せるこの男が腹立たしい。
明らかにこちらを知っている様子なのが表情からうかがえる。なのにあえて初対面かのように訊ねてくるのを白々しく思う。
「君は彼とはどんな関係で?」
「……」
「兄弟、ではなさそうだ。だとすれば友達? というか高校生だよね、学校はどうしたの」
「……」
「ダメだよ、ちゃんと行かないと」
「……」
「奏汰くんも大変だなあ。あんなことになって」
「……」
「そう思うだろう? 急に発情期がくるなんて」
「……」
「あんなに熱い身体で息を乱して。ああ、君も災難だったねぇ。Ωのヒートにあてられちゃったとか?」
「……」
「君ってαでしょ、何となく分かるよ。オレも――」
「そろそろ口閉じろ、オッサン」
地を這うような低い声というのはこの事だ。
鋭く睨みつけながら龍也は歯噛みするように口を開く。
「お互いαならわかるだろうが」
視線だけで人を殺す事ができるならば、とっくの昔に絶命させられただろう。
「オッサンなんてひどいなあ」
浮かべたその笑みは吐き気をもおよすほど下卑ていて、龍也は拳を握る。
爪が手のひらに食い込むが、痛みすら頭を冷やしてはくれない。
「あんたストーカーかよ」
「……巨大ブーメランぶっ刺さってるね、名張 龍也くん?」
やはり把握されていたらしい。といっても龍也の方は明良に叱られてから盗聴器も取り外したし、大学付近をうろつくのもやめた。
奏汰のスマホに仕掛けたGPSアプリだけは削除出来ずにいたのだが。
「奏汰は俺のだから」
「へえ! まだ成人すらしてないお子様がねぇ」
嫌味ったらしい物言いだ。何を企んでいるのか己の優位性を十分に理解している顔が、また龍也をイラつかせる。
「うるせぇな、オッサン」
「オッサンっていうなよ、クソガキ」
スッ、と愈史郎の目が細くなる。口元を歪めて吐かれた悪態は、同じ言葉でも言う者が違えばかなり意味も異なる。
「……なんてね。ま、仲良くしようよ。お互いα同士さ」
おどけた仕草で差し出された手を無言で叩いた。
触れることさえ湧き上がる嫌悪感がゆるさない。そんな拒絶に一瞬だけ目元をピクリと反応させたこと以外、愈史郎は表情を変えなかった。
「言っとくけど」
龍也の低い声が静かな待合室に響く。
昼休憩中だからか、受付の者も奥に引っ込んでいるようだ。
「奏汰に手を出したら許さない」
「あははっ、怖い怖い」
どこまでもナメられているのは理解していた。
しょせん未成年で高校生、同じαとて社会的にはどちらが有利であるかは明白である。
しかも傍からみれば道で人助けをした親切な青年をイチャモンつけて怒鳴りつけるガキ、という。
案の定、病院でも救助者として事情を聞かれたのは愈史郎の方だった。
「あんまり彼を困らせない方がいいよ」
「は?」
聞き捨てならない言葉に眉間に深いしわが寄る。
「奏汰くん、未成年である君にしつこく迫られて気の毒だなって」
「てめぇふざけんなよ」
「だってそうだろう。君の好意の有り無しに関係なく、社会的に責められるのは彼の方だ」
「……」
「好きな人が淫行でしょっぴかれてもいいなら止めないけどさぁ」
「あいつは悪くない、俺が……」
「だとしてもって話してるんだよ」
なにも言い返せない。
身体の関係さえ持たなければとも言えるが、そんな反論も浮かばぬほど心に刺さっていた。
「奏汰くんは言ってたよ。αをひけらかすのは子供だから仕方ないとして、その気もないのにしつこくされるのは嫌だって」
「……」
「ほんとΩも大変だね」
「お前――」
龍也が口を開きかけると唐突に。
「オレもう行かなきゃ」
「おい!」
立ち上がりさっさと出ていこうとする愈史郎。
思わず声を荒らげると。
「学校サボって遊び回る不良学生と違ってこっちは忙しいんだよね。あ、病院の人たちには彼の家族に連絡するように言ってあるから」
「待てよ」
「じゃあね、クソガキ」
振り返ることもなく出て行った。
その行動に違和感を持ちつつ、龍也は呆然と後ろ姿を見送るほかない。
「なんだよあれ……」
何かがおかしい。だが正体が掴めないのだ。
頭を抱え、考え込んでいた時だった。
「ん?」
ポケットに入れていたスマホが震え、着信を知らせている。
そして画面に映し出された名前に小さくため息をついた。
「あー」
拓斗だ。学校をサボったので心配されたのだろう。
ずっと気づかなかったが、メッセージもたくさん受信していたらしい。
だけど、と周りを見渡す。
「ここでって訳にはいかねぇよな」
誰も人がいないといえど病院の待合室だ。
ちらりと診察室の方へ視線を向けつつ、こちらに来る人の気配がないのを確認してから立ち上がった。
「ったく、なんだよ」
そう独りごちながら外に出る。
「……はい」
『あ、龍也? なにしてんの、学校サボって』
「ええっと」
心配して電話してきたであろう拓斗の声に、ため息混じりで応じてしまう。
「ちょっと熱があって」
『嘘つけ』
即答でつっこまれた。だが鼻を鳴らして誤魔化す。
『またストーカー?』
「ちげぇよ」
それも嘘だ。奏汰につけておいたGPSを何の気なしに見ていたら、学校の近くを通ったのだ。
そしてなぜか嫌な予感というか、虫の知らせのようなものがして駆けつけたというのが経緯だ。
『姉さんが心配してた』
「え?」
『奏汰くんと連絡とれない、メッセージに既読がつかないって』
どうやら午後から二人で予定があったらしい。そこで連絡がつかないからと拓斗に報せが行ったというわけだ。
響子もまた弟と同様、奏汰に対して過保護ともいえる思いを抱えているらしい。
「……今、病院にいる」
『え?』
彼が絶句しているのが電話越しでもわかった。
だから努めて冷静に言葉を継いだ。
「街中で体調崩した。すぐに病院に運んだから大丈夫――」
『どの病院!?』
食い気味の質問に少し戸惑いながらも病院の名前を口にする。
『すぐ姉さんに連絡しないと。あと、オレも行くから』
「いや別に俺がいるから」
『嫌だ!』
「嫌だって……」
いつも穏やかで声を荒らげることのない友人とは、思えぬ口調と声色。
一瞬の沈黙のあと。
『すぐに行く』
という一言の後に、通話はプツンと切られる。
「なんなんだよ……まったく」
龍也は眉をひそめた。本当に彼らしくなさすぎて驚いたのだ。
しかしそうもしていられない。
「っと、やべぇ」
少し慌てて病院へ戻ろうと歩き出す。もう診察も処置も終わったかもしれない。少なくも状況くらいは看護師から聞けたらいいのだが。
「……あれ?」
まだ診察終わってないのだろうか。相変わらず人気のない待合室で首をひねる。
「あの」
偶然顔が見えた受付の女性に声をかけるる。奥へ行こうとしたのだろう、怪訝そうに振り返りこちらを見た。
「はい?」
「今診察受けてる人、まだ終わりそうにないですか。俺の友達……なんスけど」
「えっと、もしかして金城さんのことかしら」
自分の親くらいの年代の病院スタッフは小首をかしげた。
「それならもう治療も会計も終わって帰りましたよ」
「えっ?」
「付き添いの人と一緒に」
「どんなヤツか分かりますか!?」
「そうねぇ……」
そこで考え込むように言葉を止めてから。
「特に印象がねぇ、ないのよ」
心底不思議そうに言った。
かろうじて男だったのは覚えているが、顔も体格も服装すら特徴がなく記憶から抜け落ちているという。
「金城さんのことはよく知ってるの。小さい頃から見てきたからね。でもあの男の人はまったく知らないわ」
話好きそうな女性に小さく会釈して、龍也はその場を足早に立ち去ることにした。
これは完全にしてやられたのだ。
「くそっ……!」
一瞬の隙を付かれたのか、それともよっぽど巧妙だったのか。
「どこに行きやがった」
急いで病院の外に出ると、辺りを必死で探し始める。
そう遠くには行っていないと思うが、なにせ行き先が分からないとどうしようも無い。
つのる焦りと危機感、激しい後悔にギリギリと奥歯を噛み締める。
「くそっ!」
裏口からでて行ったのかもしれない。そう考えてすぐ走り出した。
「あ……」
誰もいない。しかし確かにここにいたのがわかる、痕跡がはっきりあったのだ。
「ぅ」
クラクラするほどの甘い匂い。それが辺り一面に立ち込めている。
Ωのフェロモンとαのそれが綯い交ぜになったものだろう。吐き気とあてられた興奮とで思わず膝をつきそうになる。
「な、なんつー匂いだ、これ」
視覚で例えるなら突然えげつないAVを眼前に突きつけられるような衝撃というか。
慌てて鼻を手で覆うが、その下半身はきざし始めていた。
「やべぇ……いや、マジでやべぇって……」
一刻も早くその場を離れたいと足を踏み出したが、ふと。
「!」
気づいてしまった。
「奏汰!」
この香りは彼のものだ。βには本来ないはずのフェロモン。
でも確かに覚えがある。あの朝、艶めかしい夢の中で。
――あれは夢じゃなかったのか。
肌を合わせてのキス。
快楽に震える身体を抱きながら次はどんな愛撫をしたら啼くだろう、と思いながらまさぐる。
『あっ、んん、ぅ』
恥じらってはいたが確かに感じ入ったような声にもっと欲深くなった。
「だとすると……」
ここにαもいて、連れ去られた可能性が出てくる。
というか確実にそうなのだろう。
記憶の余韻から一変、怒りで目の前が赤く染まった。
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