変異型Ωは鉄壁の貞操

田中 乃那加

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誠嘘の恋

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 バイト先、いや元バイト先を出てとぼとぼ歩く。
 
 差し込んだ夕陽がほんの少し目に痛い。
 泣き出すほどじゃないが、気分は落ち込んだままだった。

 ――こういう時、恋人でもいれば違っただろうか。

 相手の性別がどうあれ恋をするのは素敵なことだ。
 好きでもない相手に言い寄られることからだけに必死に抗ってきた身からすると、とてつもなくハードルが高い。

 とはいえβとしての人生が終わってしまったのだから、これからはΩとしての進路も考えなければならない。

 バース性に関係なく自分らしい人生を、と謳う団体やポスターはたくさんある。昔よりずっとそういった啓蒙をされてきたのだろう。

 しかし現実は厳しいもので。

「またバイト探さなきゃなぁ」

 就職先もそうだ。
 ヒートがあるからそれを配慮してもらわねばならない。
 大学は診断書を出せばだいたいのことは通るが、学生と社会人とでは違う。

 改めてことの重大さに頭を抱えたくなった。

「はぁ……」

 大きなため息も知らず知らずのうちにもれる。
 足どり重く、ようやく自宅にたどり着くと。

「あれ?」

 玄関の靴がひとつ多い。自分や母、明良のそれよりずっと大きなスニーカーを見下ろす。

「龍也か」

 見慣れたそれとは違って、真新しい靴がきっちりそろえられているのは素直にえらいなと思う。
 こういったことや端の持ち方など、生活の仕草ひとつひとつに意外と品がある事に最近気がついた。

 本人いわく『複雑な家庭環境』であるものの、育ちは悪くないのではないかと密かに思っている。

 だから無遠慮に上がり込んでいるように見えて、数回に一度はちゃんと手土産を持参してくるとか。マメに台所仕事の手伝いはするなど、夏菜子や明良が彼を気に入る理由のひとつにはなっている。

「ったく、また来やがって」

 なんて憎まれ口を叩きつつ、奏汰の表情はどこか穏やかだ。
 
 なんとなく広がる甘い香りのせいかもしれない。
 これは香水とかではなく龍也のαフェロモンである。

 Ωとなって最初に感じたのが、嗅覚が鋭くなったこと。
 
 特にフェロモンを嗅ぎ分けることが出来るようになり、αやΩのそれの個人差さえわかるようになったのだ。

「……」

 ふと、玄関からすぐの廊下。そこに何かが落ちているのを見つけ、靴を脱ぐ足を止めた。

「ハンカチ?」

 チェック柄のそれは一目みて安物では無いことがわかる。
 きちんと折り目正しくアイロンがけされているだろうそれを拾い上げた瞬間。

「!」

 ぶわりと広がる香りに目眩を起こしそうになる。

「っ、これ……あいつ、の……」

 特有の甘い匂い。間違いなく、龍也のものだ。
 ここまで識別できるほどのものだったのか、と奏汰はハンカチを手にしながら考えた。

「いい匂い……」

 掻き立てられる、色んな感情が。乱されると言ってもいいのかもしれない。

 無意識に嗅いでいる自分がたいそう浅ましく思える。しかし止められない。
 αの、しかもこれが俗にいう『運命の番』のものであると本能が告げているのだ。

 こんなこと、Ωじゃあるまいし――って今はΩだったな。

 なんて一人ツッコミしながらも、上がる体温を持て余す。
 発情期ほどじゃないが、もっとあの少年の持ち物が欲しくなる。
 
 これがΩの巣作りの元となる欲求だということを、奏汰はまだ知らない。
 
「う、やばぃ」

 ハンカチをシワだらけにしたくないのに、握りしめてしまう。
 というか、もはや抱きしめているに近い。

 いっその事知らぬフリをして持ち出してしまおうかと、ポケットにいれた所だった。
 カタン、と小さな音がして飛び上がらんばかりに驚く。

「!」

 しかしどうやら向こうの部屋かららしい。
 ホッと胸を撫で下ろす。
 どうやら廊下の先にあるリビングでの物音らしい。

 なぜか足音をひそめてそっと覗き込む。

「え……」

 明るい部屋には二人がいた。いや、正しく言うと三人。
 明良と龍也、そして彼に抱かれた赤ちゃんが。

 二人はスヤスヤと眠っている幼子を見ながら何事か話している。
 明良は微笑み、龍也は小さな身体を抱っこするのに緊張しているのか少し戸惑っているようだ。

『――ほら、かわいいでしょう?』

 薄く開いたドア越しに聞こえてくる会話。耳をすませていても途切れ途切れだ。

『まるで――ねぇ? もし――そんなに固くならないで――』
『……あ、うん』

 少しかすれているが、かわいいなと呟く龍也の声に胸がつまる。

 龍也がこの家に来るのは別に珍しい事では無い。そして退院した明良が赤ちゃんと一緒にいるのも、なにも不自然なことはない。

 まだ首も座らない新生児を男子高校生が身体を縮こませながら抱っこしているのも、普通にみれば微笑ましいだけなのに。

『あ、笑った』

 ふにゃりとした赤子の笑みは万人の心をあたたかくするのだろう。二人は顔を見合せ微笑む。

 まるで親子のようだ、と奏汰は思った。

 αとΩとその子ども。
 幸せの象徴のような構図ではないか。
 その光景に、胸が締め付けられるように痛んだ。

 悲しみなのか妬みなのか、それともその両方か――喉の奥がヒリつくように乾き、視界が薄ら滲む。

 子供はいらないと言っていたのに。なんであんなに幸せそうに笑うのか。
 まるで新米パパのように、はにかんだ笑みを浮かべて腕の中の赤ちゃんを見つめている。

「なん、で……」

 あの中に自分はいないのだろう。
 どうして自分のはらには彼の子がいないのだろう。

 知らず知らずのうちに、大粒の涙が奏汰の頬を伝い落ちた時だった。

『うおっ、泣いた!?』

 ふみゃあと子猫のような特有の声をあげる幼子に、慌てふためく龍也。

『もしかして俺のせい!? ごめん!』

 アタフタする彼から、明良が笑いながら赤子を受け取る。

 そして何事か言ってから、隣の部屋に行ってしまった。どうやら授乳の時間らしい。

「……」

 今さら部屋に入りずらくなった奏汰は、ふと手にしたハンカチに視線を落とした。
 にぎりしめてくしゃくしゃになったそれ。元はあんなにきちんとアイロンがけされて綺麗だったのに。

「あ」

 また頬が濡れた。
 今度はあとからとめどなく溢れる。驚いてハンカチで目をおさえようとするが、一瞬だけ迷って反対側の手の甲で目元をこすった。

「くそ、バカみたいだ」

 感情が思うようにならない。ヒートじゃないはずなのに、グラグラと不安定な精神状に頭を抱えたくなる。
 
「だれかいる?」
「!」

 ドアが躊躇うように小さな音をたてて開く。
 その瞬間に顔を上げたが遅かった。

 ハッとなった奏汰と、不思議そうな顔をした龍也の視線が合う。

「奏汰」
「あ、あ……」

 気づかれた。
 目元と鼻の頭は赤いし、なんならまだ涙が止まっていない。
 明らかに泣いているのが分かる状態で部屋にも入らず、人のハンカチをにシワだらけにしてたたずむ姿を彼はどう思うだろう。

「……」

 見下ろされている。
 何を考えているのか分からない真顔で、こちらをジッとみつめる龍也の態度に震えた。
 困惑してるのか、もしくは軽蔑されているのか。どちらにせよいたたまれない。

「た、龍也」
「なにしてたんだ、今」
「え……」
、俺のだよな」

 ハンカチに視線が注がれた。
 ああバレた、と奏汰は絶望的な気分になる。

「お、落ちてた、から……だから……」
「こんなにしっかり握り締めて。俺のだって知ってたのか?」
「その……あ……それは……」

 しどろもどろになり、ついにはうつむいてしまう。
 淡々と問いただしてくるのが怖い。

「ていうかなんで覗いてたの」
「覗いて、なんて……」
「ウソじゃん。俺、気付いてたよ。あんたがずっと見て――」
「うるさい!」

 奏汰は耐えられず怒鳴った。

「だったら何が悪いッ!!」

 逆ギレは最低だ。でも止まらない。

「お前が……お前のせいで僕はおかしくなったんだ」
「おい」
「うるさい黙れ。お前のせいだ。僕がお前の匂いに変な気分になるのも、ムカつくのも泣きたくなるのも……」
「奏汰」
「うるさい……龍也のせいだ……お前が……お前が……」

 耐えきれずしゃくりあげて泣き出した奏汰に、無言で向けられる視線。
 それでも彼は手にしたハンカチを手放すことも、それで涙をぬぐうことも出来なかった。
 後生大事に胸に抱えているのだ。果たしてそれに龍也が気付くことがあるのだろうか。

「俺のせいか」

 龍也がそう言って。それはそれは嬉しそうに。
 そして手を伸ばす。頬に流れたしずくをそっと指ですくい、それを舐めたのだ。

「あんたは俺のせいで泣いてるんだ?」

 傍から見れば背筋が薄ら寒くなる場面かもしれない。しかし不思議と奏汰の心には恐怖はない。

 ただぼんやりと。
 どんな表情であってもこの男は顔がいいのか、などと呑気なことを考えていた。

「いい匂いする」
「!」

 龍也がそう言って奏汰の首の後ろを撫でた時、はじめて身体が震える。
 すると。

「――なにしてんの」

 部屋の中から声があがる。
 血相を変えた明良がこちらを見ていた。

「龍也くん、説明してくれないかな」

 明らかに怒気を含んだ物言いと表情。非常に珍しいほどにキレている彼に、奏汰は顔面蒼白になる。

「え? 俺、なんもしてないけど」

 対して飄々と返したのは龍也だ。しかし明良は厳しい口調で。

「とぼけないで。不誠実すぎるよ、君の行動は」

 と、彼を詰めようとこちらに足を踏み出してくる。

「明良さん……」

 奏汰の方は混乱していた。
 これではまるで自分と龍也が浮気でもして、本妻と対峙した修羅場みたいではないか。

 一触即発の空気。ヒリヒリと痛みすら感じそうだ。

「奏汰くんはこっちに来て」
「っ、ごめんなさい!」
 
 彼の目がこちらに向いた瞬間、奏汰は弾かれたように謝り逃げ出してしまう。

「えっ!? ちょっと! 奏汰くん!?」
「奏汰!」

 慌てた二人の声に追われるように靴を履き、体当たりするようにドアを開けて外に駆け出した。

 ――消えてしまいたい。

 目まぐるしい感情の起伏にパニックになった奏汰は、泣きながら走る。
 それでも彼のハンカチを離すことはなかった。
 

 

 

 



 

 
 

 


 
 
 

 

 



 
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