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波路 響子は承服しがたい
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波路 響子は滅多に激昂したりはしない。
感情がさほど顔に出る方でもなく、かといって胸の内に秘めるタイプかといえばそうでは無い。
ただ常に別のことを考えて、気を逸らしているだけ。
「ねぇ奏汰」
紅茶をいれたティーカップを、幼なじみの前に置く。
「茶柱って紅茶に立っても茶柱なんだっけ」
泣きながら町内を歩く彼を見つけ、とりあえず自宅につれてき開口一番にする話だろうか。
「知らないし」
案の定、泣き腫らした目で素っ気なく返されるが彼女は特に気にしない。
「紅茶といえばティーパックだけど。ずっとTバックって言ってたことが判明して、黒歴史が更新されたよ」
「あ、そう」
「Tバックは奏汰の方が似合いそうだよね。今度プレゼントしようか」
「いらん、そんな趣味ない」
「そう? おそろいにしようよ」
「やだね」
なにが悲しくて女友達と下着をおそろいにしなきゃならんのだ、と口をとがらせる幼なじみを可愛いと思う。
「んー、じゃあフンドシにするね」
「そうじゃなくて」
こうやって言葉を返してくれるのも嬉しい。
実は会話の内容にも意味はなくて、すべてはこの気の強い幼なじみと言葉を交わしていたいという下心なのだが。
Ω女が男に、というのはここでは無粋である。
下心に性別もバース性も関係ないのだ。
「っていうか」
すん、と彼が鼻をひとつ鳴らして言う。
「響子はなにも聞かないのかよ」
つまり泣いていた理由だ。
しかし彼女は首をかしげた。
「なにが? 奏汰の下着の色とか」
「ちがうわバカ」
ジト目で睨んでくる可愛い幼なじみに対して、響子は肩をすくめる。
「理由は分からなくても原因は分かりきっているからねぇ」
「え……」
「あの少年でしょ」
少年、とは龍也のことだ。
この前もストーカーでありレイプ犯をボコボコにした挙句、殺しかけた。響子と拓斗が止めなければ、今頃もっと面倒なことになっていただろう。
そういえばあの卑劣な男はどうしたのだろう。
新聞やネットニュースには事件として載っていないようなので罪には問われなかったらしい。
とはいえなにも聞かないのが逆に薄気味悪いのだが。
「違う、僕が悪い」
奏汰が気まずそうにつぶやいた。
「Ωってこんなに大変だなんて知らなかった」
「大変?」
はて、と首を傾げる。
「あいつのハンカチが廊下に落ちてて……それがすごくいい匂いで」
「あー、なるほど」
フェロモンというのは匂いとして認識されやすいのは知っていたし、αのそれに惹かれるのはよくある。
しかし。
「それだけじゃないでしょ」
「……」
そこで彼もようやく渋々、事情を口にし始めた。
ただでさえ慣れないフェロモンで充てられるショックの中で、そのαと他のΩとの仲睦まじい姿を見せられてはたまらないだろう。
ようやく合点がいったが、多少疑問が残る。
「αの匂いってあんなに強いんだな。僕、知らなかった」
身体が蕩けそうだった、と顔を赤らめる彼に響子は眉をひそめた。
発情期ではないのにそんな反応が起こるのは普通のことではない。だとすれば、龍也がなにかしたのだろう。
「……あのガキ」
「え?」
「いやなんでもないよ。奏汰は身体、大丈夫?」
思わず毒づいてしまった。こんな怒りの感情ははじめてだ。
しかし大切な幼なじみに対して、薬を使う不届き者を許してやるものか。
「いや僕は別に……むしろあの二人に酷いことしたかもしれない」
「どういうことなの」
「付き合ってると、思う」
「誰と誰が?」
「龍也と明良さんが」
「んえ?」
思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまう。
「どゆうこと」
「だから。アイツら多分付き合ってるから、僕が邪魔に……」
「ないない、絶対にない」
「響子?」
「あるわけないでしょ。奏汰は可愛いけどアホの子なのかな」
「はぁぁ!? 失礼なヤツだな!」
憤慨されようがアホなものはアホだし、的外れにも程がある。
「なにをどう見れば、彼が他の子と付き合ってるという妄言になるの」
「だって赤ちゃん見てた」
「それがなに」
「わ、笑ってたし!」
「しかめっ面で赤ちゃん抱いてたらそれはそれでイヤなヤツだね」
「えっと……でも……」
ごにょごにょ言いながらだんだん言葉が尻すぼみになると共に、彼の目が泳ぎはじめた。
きっと自分でもよく分かっていないのだ。
思えば無理もないのかもしれない。
先天的なΩと違い、突然変異してホルモンバランスはめちゃくちゃ不安定だろうし近くにαはいるし。
そもそもあれだけの反応をしたのは、ハンカチになにか仕掛けがあったのは疑いようがない。
改めて龍也の、彼に対しての執着を見せられて正直苛立ちはあるが逆に潔いとも思える。
「奏汰」
響子は安心させようと手を伸ばした。そっと彼の髪に触れ、優しくなでる。
「……」
あんなに可愛いがられることに反発する幼なじみが、小さく息を詰めただけで大人しくされるがままでいることに内心ため息をついた。
ああもう彼は完全に同類なのだ、と。
――私がαだったらよかったのに。
そう生まれてはじめて思った。
しかしそんな些細なことにこだわる必要はない。
守り方は色々あるのだ。
「奏汰は愛されてる。なんならもう離してもらえないくらいの所までいるんだよ」
だれに、とは言わない。意地を張ったのだ。
「それに匂いに惹かれるのは、きっと身体の相性もいいんだろうよ」
「か、身体の?」
途端に顔を真っ赤にして目を見開く彼が、かわいくて仕方ない。同時にやはり後で龍也を弟の拓斗にぶん殴らせようと誓った。
「運命の番、ってやつだね」
「そんなものないだろ」
「あるよ。本能で嗅ぎ分けるんだから」
「本当に……?」
「Ωの私が言うんだから本当だよ」
嘘だ。Ωであってもその真偽は不明。
匂いフェチのように体臭に惹かれるのはあるらしいが、それがどう運命なのは分からないし確かめたいとも思わない。
ただ、この世の全てが真実である必要はないのだ。
「奏汰は彼が好きなんだよね?」
「……」
「好きなんだよ、多分」
本当に世話がやける。
すっかり恋愛音痴になった彼には、少々強引に言い含めて認めさせたほうが手っ取り早いのかもしれない。
「だから他のΩと仲良く赤ちゃん抱いていてヤキモチ妬いたんでしょ」
「うっ」
「それで勘違いして泣いちゃったと」
でも。だの、ちがう。だのとまだなにか呟いていたが聞く気は無い。
やおらにスマホを取り出した。
「――あ。もしもし、今すぐおいで。場所? 教えてあげないから自分で探しな。でも五分以内にね、じゃなきゃ君の大事なお姫様は私がもらうから。――え? 今更それいうの。関係ないじゃん。私、この子とならΩ同士付き合っちゃうから。――うるさい、わめくヒマがあるなら来なさい。――はい、あと四分三十秒……って切れた」
電話でひとしきり話してから肩をすくめる。
「響子、今のって」
「急いで来るんだって、あの子」
もちろん相手は龍也だ。
ものすごい剣幕だったのを思い出し、小さく笑う。
「でもまあ。相思相愛なら許してあげようかな」
「へ?」
「いやいやこっちの話」
訳が分からないという様子の彼を見ながら、響子は紅茶とともに出した菓子を摘む。
「でも少しほろ苦いねぇ」
なんのことだと言いたげな彼に、ウィンクだけして。
「このチョコクッキーがね」
と答えた。
感情がさほど顔に出る方でもなく、かといって胸の内に秘めるタイプかといえばそうでは無い。
ただ常に別のことを考えて、気を逸らしているだけ。
「ねぇ奏汰」
紅茶をいれたティーカップを、幼なじみの前に置く。
「茶柱って紅茶に立っても茶柱なんだっけ」
泣きながら町内を歩く彼を見つけ、とりあえず自宅につれてき開口一番にする話だろうか。
「知らないし」
案の定、泣き腫らした目で素っ気なく返されるが彼女は特に気にしない。
「紅茶といえばティーパックだけど。ずっとTバックって言ってたことが判明して、黒歴史が更新されたよ」
「あ、そう」
「Tバックは奏汰の方が似合いそうだよね。今度プレゼントしようか」
「いらん、そんな趣味ない」
「そう? おそろいにしようよ」
「やだね」
なにが悲しくて女友達と下着をおそろいにしなきゃならんのだ、と口をとがらせる幼なじみを可愛いと思う。
「んー、じゃあフンドシにするね」
「そうじゃなくて」
こうやって言葉を返してくれるのも嬉しい。
実は会話の内容にも意味はなくて、すべてはこの気の強い幼なじみと言葉を交わしていたいという下心なのだが。
Ω女が男に、というのはここでは無粋である。
下心に性別もバース性も関係ないのだ。
「っていうか」
すん、と彼が鼻をひとつ鳴らして言う。
「響子はなにも聞かないのかよ」
つまり泣いていた理由だ。
しかし彼女は首をかしげた。
「なにが? 奏汰の下着の色とか」
「ちがうわバカ」
ジト目で睨んでくる可愛い幼なじみに対して、響子は肩をすくめる。
「理由は分からなくても原因は分かりきっているからねぇ」
「え……」
「あの少年でしょ」
少年、とは龍也のことだ。
この前もストーカーでありレイプ犯をボコボコにした挙句、殺しかけた。響子と拓斗が止めなければ、今頃もっと面倒なことになっていただろう。
そういえばあの卑劣な男はどうしたのだろう。
新聞やネットニュースには事件として載っていないようなので罪には問われなかったらしい。
とはいえなにも聞かないのが逆に薄気味悪いのだが。
「違う、僕が悪い」
奏汰が気まずそうにつぶやいた。
「Ωってこんなに大変だなんて知らなかった」
「大変?」
はて、と首を傾げる。
「あいつのハンカチが廊下に落ちてて……それがすごくいい匂いで」
「あー、なるほど」
フェロモンというのは匂いとして認識されやすいのは知っていたし、αのそれに惹かれるのはよくある。
しかし。
「それだけじゃないでしょ」
「……」
そこで彼もようやく渋々、事情を口にし始めた。
ただでさえ慣れないフェロモンで充てられるショックの中で、そのαと他のΩとの仲睦まじい姿を見せられてはたまらないだろう。
ようやく合点がいったが、多少疑問が残る。
「αの匂いってあんなに強いんだな。僕、知らなかった」
身体が蕩けそうだった、と顔を赤らめる彼に響子は眉をひそめた。
発情期ではないのにそんな反応が起こるのは普通のことではない。だとすれば、龍也がなにかしたのだろう。
「……あのガキ」
「え?」
「いやなんでもないよ。奏汰は身体、大丈夫?」
思わず毒づいてしまった。こんな怒りの感情ははじめてだ。
しかし大切な幼なじみに対して、薬を使う不届き者を許してやるものか。
「いや僕は別に……むしろあの二人に酷いことしたかもしれない」
「どういうことなの」
「付き合ってると、思う」
「誰と誰が?」
「龍也と明良さんが」
「んえ?」
思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまう。
「どゆうこと」
「だから。アイツら多分付き合ってるから、僕が邪魔に……」
「ないない、絶対にない」
「響子?」
「あるわけないでしょ。奏汰は可愛いけどアホの子なのかな」
「はぁぁ!? 失礼なヤツだな!」
憤慨されようがアホなものはアホだし、的外れにも程がある。
「なにをどう見れば、彼が他の子と付き合ってるという妄言になるの」
「だって赤ちゃん見てた」
「それがなに」
「わ、笑ってたし!」
「しかめっ面で赤ちゃん抱いてたらそれはそれでイヤなヤツだね」
「えっと……でも……」
ごにょごにょ言いながらだんだん言葉が尻すぼみになると共に、彼の目が泳ぎはじめた。
きっと自分でもよく分かっていないのだ。
思えば無理もないのかもしれない。
先天的なΩと違い、突然変異してホルモンバランスはめちゃくちゃ不安定だろうし近くにαはいるし。
そもそもあれだけの反応をしたのは、ハンカチになにか仕掛けがあったのは疑いようがない。
改めて龍也の、彼に対しての執着を見せられて正直苛立ちはあるが逆に潔いとも思える。
「奏汰」
響子は安心させようと手を伸ばした。そっと彼の髪に触れ、優しくなでる。
「……」
あんなに可愛いがられることに反発する幼なじみが、小さく息を詰めただけで大人しくされるがままでいることに内心ため息をついた。
ああもう彼は完全に同類なのだ、と。
――私がαだったらよかったのに。
そう生まれてはじめて思った。
しかしそんな些細なことにこだわる必要はない。
守り方は色々あるのだ。
「奏汰は愛されてる。なんならもう離してもらえないくらいの所までいるんだよ」
だれに、とは言わない。意地を張ったのだ。
「それに匂いに惹かれるのは、きっと身体の相性もいいんだろうよ」
「か、身体の?」
途端に顔を真っ赤にして目を見開く彼が、かわいくて仕方ない。同時にやはり後で龍也を弟の拓斗にぶん殴らせようと誓った。
「運命の番、ってやつだね」
「そんなものないだろ」
「あるよ。本能で嗅ぎ分けるんだから」
「本当に……?」
「Ωの私が言うんだから本当だよ」
嘘だ。Ωであってもその真偽は不明。
匂いフェチのように体臭に惹かれるのはあるらしいが、それがどう運命なのは分からないし確かめたいとも思わない。
ただ、この世の全てが真実である必要はないのだ。
「奏汰は彼が好きなんだよね?」
「……」
「好きなんだよ、多分」
本当に世話がやける。
すっかり恋愛音痴になった彼には、少々強引に言い含めて認めさせたほうが手っ取り早いのかもしれない。
「だから他のΩと仲良く赤ちゃん抱いていてヤキモチ妬いたんでしょ」
「うっ」
「それで勘違いして泣いちゃったと」
でも。だの、ちがう。だのとまだなにか呟いていたが聞く気は無い。
やおらにスマホを取り出した。
「――あ。もしもし、今すぐおいで。場所? 教えてあげないから自分で探しな。でも五分以内にね、じゃなきゃ君の大事なお姫様は私がもらうから。――え? 今更それいうの。関係ないじゃん。私、この子とならΩ同士付き合っちゃうから。――うるさい、わめくヒマがあるなら来なさい。――はい、あと四分三十秒……って切れた」
電話でひとしきり話してから肩をすくめる。
「響子、今のって」
「急いで来るんだって、あの子」
もちろん相手は龍也だ。
ものすごい剣幕だったのを思い出し、小さく笑う。
「でもまあ。相思相愛なら許してあげようかな」
「へ?」
「いやいやこっちの話」
訳が分からないという様子の彼を見ながら、響子は紅茶とともに出した菓子を摘む。
「でも少しほろ苦いねぇ」
なんのことだと言いたげな彼に、ウィンクだけして。
「このチョコクッキーがね」
と答えた。
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