裏で国を支えていた令嬢「不純物だ」と追放されるも、強面辺境伯と共に辺境を改革する ~戻ってきてと嘆願されましたが、それに対する答えは……~、

水上

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第9話:世界を変える一振り

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 ヴォルフラム辺境伯領に、穏やかな夕暮れが訪れていた。
 かつては閑散としていた街並みも、今では活気に満ちている。

 ルチアが考案した農具のおかげで収穫量は倍増し、缶詰工場やリサイクル事業で雇用も生まれた。
 人々は笑顔で通りを行き交い、どこからともなく夕餉のいい匂いが漂ってくる。

 執務室の窓からその光景を眺めていたルチアは、ふと、胸の奥がきしむような感覚を覚えた。

(……順調、ですね。あまりにも)

 ルチアは無意識に、自分の左腕をさすった。
 成果は出ている。
 領民たちからも感謝されている。
 けれど、心のどこかで警報が鳴り止まないのだ。

 『お前のような地味で陰気な女は不要だ』

 『お前の代わりなど、いくらでもいる』

 ジュリアスに浴びせられた言葉が、呪いのようにこびりついている。
 今はレオンハルトが必要としてくれている。

 けれど、仕組みさえ整ってしまえば? 
 マニュアル化が完了し、誰でも工場を動かせるようになったら?
 自分はまた、用済みとして捨てられるのではないか。

 自分は所詮、地味な裏方だ。
 クロエのように華やかに愛されることのない、ただの歯車。
 歯車は、摩耗すれば交換される運命にある。

「……はぁ」

 重いため息をついた瞬間、背後でドアが開いた。

「おい、いつまで仕事をしている。飯だぞ」

 レオンハルトが立っていた。
 エプロン姿が板についてきている。

「す、すみません。すぐに……」

「元気がないな。また変なことを考えていた顔だ」

 彼はルチアの顔を覗き込むと、眉をひそめた。
 誤魔化そうとしたが、彼の観察眼からは逃げられない。

「……少し、考え事をしていました。この領地が豊かになったのは嬉しいのですが、私がいなくても回るようになった時、私はどうなるのかな、と」

「馬鹿なことを言うな」

「事実です。私は目立ちませんし、華もありません。今はたまたま知識が役に立っていますが、それだけの存在です」

 ルチアは俯いた。
 レオンハルトは何も言わず、「ついてこい」と顎をしゃくった。

 食堂のテーブルには、大きな深皿が置かれていた。
 中に入っているのは、とろりとした褐色の煮込み料理だ。

「カレー、ですか?」

「似ているが、少し違う。まあ食ってみろ」

 ルチアはスプーンで一口すくって食べた。

 ……美味しい。
 肉と野菜の旨味が濃厚に溶け込んでいる。
 だが、何かが足りない。
 味がぼやけているというか、輪郭がない感じだ。

「美味しいですが……、少し、パンチが弱い気がします」

「そうだろうな。今はただの美味しい煮込みだ。悪くはないが、記憶には残らん」

 レオンハルトは、ポケットから小さな小瓶を取り出した。
 中には、鮮やかな黄色の粉末と、ホールのままの黒い粒が入っている。

「ここに、こいつを加える」

 彼が小瓶を一振りすると、粉末が料理の上に舞い落ちた。
 カルダモン、クミン、そしてガラムマサラだろうか。
 エキゾチックで鮮烈な香りが、一瞬で部屋の空気を塗り替えた。

「もう一度、食ってみろ」

 言われるままに、混ぜてから口に運ぶ。

 ――衝撃が走った。

 先ほどまでのぼやけた味が嘘のようだ。
 スパイスの香りが鼻腔を抜け、舌の上で複雑な刺激が弾ける。
 それが起爆剤となり、肉の甘みや野菜のコクが、何倍にも増幅されて押し寄せてくる。
 ただの煮込みが、極上のメインディッシュへと劇的に進化したのだ。

「……すごい。たった一振りで、世界が変わりました」

「そうだ。入れた量は、ほんの数グラム。全体量からすれば誤差のような微量だ」

 レオンハルトはスプーンを置き、ルチアを真っ直ぐに見つめた。

「だが、この微量がなければ、この料理は完成しない。冶金でも同じだろう? 純粋な鉄は、実は柔らかくて脆い」

「はい……。純鉄は構造材には向きません」

「そこに、わずか数パーセントの炭素や、一パーセントにも満たないクロム、モリブデンといった添加元素を加えることで、鉄は強靭な鋼になり、錆びないステンレスになる。以前にそう言っていたな」

 レオンハルトの手が、ルチアの手の甲に重ねられた。
 温かくて、大きくて、安心する重み。

「ルチア。お前は、自分を地味でいてもいなくても変わらないと言ったな」

「……はい」

「大間違いだ。お前は、この微量添加元素なんだ」

 彼の言葉が、ルチアの心の歪んだ部分に、じんわりと染み込んでいく。

「お前は派手な主役じゃないかもしれない。だが、お前という一振りが加わることで、俺という組織は初めて、鋼のように強くなれる。お前がいなければ、俺たちはただの脆い集団のままだ」

 レオンハルトは、真剣な眼差しで続けた。

「誰でもいいわけがない。この香りは、このスパイスでなければ出せない。……俺には、お前が必要だ。機能としてだけでなく、お前という存在がな」

 涙が溢れた。
 ポロポロとこぼれ落ち、眼鏡のレンズを濡らす。
 「代わりがいる」という恐怖が、「唯一無二だ」という肯定によって溶かされていく。

「……私は、スパイスで、いいんでしょうか。ほんの少しの、地味な粉末で」

「それがいいんだ。俺にとっては、どんな砂糖菓子よりも価値がある」

 レオンハルトは無骨な指で、ルチアの涙を拭った。

「泣くな。塩味が足されてしまう」

「ふふ……、はい……」

 ルチアは泣き笑いのような顔で頷き、再びスプーンを手に取った。

 スパイスの効いたカレーは、体が熱くなるほど美味しかった。
 自分は、ここにいていい。
 この人が作る合金の一部として、欠かせない元素なのだと、ようやく心から信じることができた。

 その夜、ルチアは執務室の窓に映る自分の顔を見て、少しだけ笑ってみた。

 地味な顔だ。
 けれど、悪くない。
 これは、世界を変える隠し味の顔なのだから。

 一方、王都からは不穏な知らせが届き始めていた。
 ジュリアスの治世に対する不満が限界に達しつつあるという。

 ルチアの中で、迷いは消えていた。
 もし彼らがこの幸せな領地を脅かすなら、その時は――この身に蓄えた知識で、徹底的に戦うまでだ。
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