「君は強いから一人でも平気だろう?」と妹を優先する夫。~陶器の心を持つ私の完璧な微笑みに、夫が凍りつくまで~

水上

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第29話:二度と届かない声

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「エリアス様。貴方は、『君は強いから一人でも大丈夫』と何度もおっしゃいましたね」 

「そ、それは……、君を信頼していたからで……」

「ええ。ですから、私はその信頼に応えました。一人で生きていく準備を整え、実行したのです。貴方のご希望通りに」

 アデライドは工房の窓から見える森を指差した。

「ここでは、誰も私の作ったものを壊しません。誰も私の手柄を横取りしません。そして何より、私が高熱を出しても『妹が寂しがっているから』と放置されることもありません」

「うっ……」

 エリアスが言葉に詰まる。
 アデライドは微笑んだまま、残酷な事実を突きつけた。

「ここは天国ですわ。貴方がいらっしゃらないおかげで」

 エリアスの顔色が蒼白になった。
 怒鳴られるよりも、泣かれるよりも、その静かな拒絶が一番堪えた。

 彼女は怒っているのではない。
「貴方は私の人生に必要ない」と判断したのだ。

「で、でも! ソフィアはどうするんだ! 彼女はまだ泣いているんだぞ! 実家だって混乱している。君がいないと、みんな困っているんだ!」

 エリアスは最後の切り札を切った。
 
 情に訴えれば、責任感の強い彼女なら動くはずだと。
 だが、それは逆効果だった。

「ソフィアが泣いている? それは大変ですね」

 アデライドの声のトーンが、さらに一度下がった。

「では、貴方がそばにいて慰めて差し上げればよろしいのでは? 貴方の得意分野でしょう?」

「だ、だけど、仕事もあるし、家事も回らないし……」

「それは私の知ったことではありません」

 きっぱりと、アデライドは言い放った。

「私はもう、クライスト家の人間でも、ベルンハルト家の使用人でもありません。ソフィアの涙も、お父様の事業も、貴方のお世話も、すべて貴方たちの問題です」

 アデライドは作業台に戻り、土を捏ね始めた。
 エリアスの存在を、工房の隅にある古い家具か何かのように扱い始めたのだ。

「アデライド、頼むよ……。こっちを見てくれよ……」

 エリアスが彼女の背中に縋るように声をかけた。
 その声は震えていた。

「僕が悪かった。本当に後悔しているんだ。君がいなくなって、家の中が空っぽで……、まるで息ができないんだ。君がどれだけ大切だったか、やっと分かったんだよ」

 アデライドの手が止まる。
 彼女は背中を向けたまま、ため息交じりに言った。

「……エリアス様。陶器というのは、一度焼いてしまったら、もう土には戻せないのです」

 彼女は振り返った。
 その目には、哀れみすら浮かんでいた。

「私の心は、貴方との生活という窯の中で、冷たく焼き固まってしまいました。もう形を変えることはできません。貴方がどれだけ泣こうと、謝ろうと、割れた陶器が元に戻らないように、私の愛も戻りません」

 エリアスは膝から崩れ落ちそうになった。

 戻らない。
 その言葉の重みが、心臓を潰しにかかる。

「お引き取りください。ここは仕事場です。ご用がないなら、業務の邪魔ですわ」

「アデライド……」

「サイラス」

 アデライドが呼ぶと、小屋の奥から執事のサイラスが現れた。
 彼はエリアスに対して、かつてないほど冷ややかな一礼をした。

「旦那様。馬車にお戻りください。ここは私有地です。不法侵入で衛兵を呼ぶことになりますよ」

「サイラス、お前まで……!」

「私はアデライド様の執事です。旦那様、貴方様のものではありません」

 完璧な拒絶の壁。
 そこには、彼が入る隙間など1ミリも残されていなかった。

 エリアスはふらふらと後ずさりした。
 アデライドはもう、彼を見ていなかった。

 ろくろを回し、新しい土の感触を確かめている。
 その横顔は皮肉にも、エリアスが今まで見た中で一番美しかった。

 自分の手が届かない場所で、彼女は輝いている。

「……また、来るから」

 エリアスは絞り出すように言った。

「君が許してくれるまで、何度でも来る」

 捨て台詞のような、しかし悲痛な誓いを残して、エリアスは工房を出た。
 扉が閉まる音と共に、アデライドの周りに静寂が戻る。

 彼女は手を止めず、小さく独り言ちた。

「何度来ても同じことよ。……貴方の声はもう、雑音にしか聞こえないのだから」

 ろくろが回る。

 新しい形が生まれていく。

 アデライドの世界は、エリアスを排除することで、ようやく完成へと向かい始めていた。
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