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第30話:浮き彫りになる無関心と無神経
アデライドの新しい工房は、彼女の情熱とサイラスの献身によって、日ごとにその機能性を高めていた。
かつてのベルンハルト伯爵邸では、彼女の作業は常にエリアスやソフィアの都合によって中断されていたが、ここでは違う。
朝日は彼女の創造の時間を照らし、静寂は彼女の思考を深めるための最良の友となっていた。
その日の午後、アデライドは新しい釉薬のテストピースを窯から取り出していた。
期待通りの深い青色。
それはかつて夜明けの青と呼んだ色よりも、さらに澄んでいて力強い色合いだった。
彼女が満足げにそれを眺めていると、工房の入り口に人影が落ちた。
エリアスだった。
彼は以前よりもやつれ、顔色は青白く、まるで何かに憑りつかれたような目をしている。
その手には、高級な箱が握られている。
「……アデライド」
彼は掠れた声で呼びかけた。
アデライドは手を止め、ゆっくりと振り返った。
「またお越しになったのですか。警告したはずですわ、ここは貴方の場所ではないと」
「分かっている。分かっているんだ……。だが、どうしても、これだけは渡したくて」
エリアスは震える手で箱を差し出した。
アデライドはその箱を見下ろした。
王都で最も有名な菓子店の紋章が刻印されている。
「……チョコレートですか?」
「ああ。君が好きだっただろう? 昔、一緒に食べたことがあるはずだ。君が嬉しそうに食べていたのを思い出して……」
エリアスは必死だった。
何かを贈れば、あの日のように彼女が微笑んでくれるかもしれない。
あの完璧で、しかし今はもう手の届かない冷ややかな微笑みを取り戻せるかもしれないという、縋るような期待。
アデライドは、その箱を受け取ろうとはしなかった。
彼女の瞳に、静かな哀れみが浮かぶ。
「エリアス様。一つ、訂正させていただきます」
その声は穏やかだが、冷徹な響きを含んでいた。
「私は甘いものが苦手ですわ。……いつも、ソフィアに譲っていましたから」
「……え?」
エリアスの表情が凍りついた。
彼は言葉を失い、箱を握りしめる力が緩んだ。
三年間、彼は彼女がチョコレートを食べる姿を見てきたと思っていた。
しかし、記憶を辿れば、それはいつもソフィアが「美味しい!」と食べている隣で、アデライドが微笑んで見守っていた光景だった。
彼女が口にしていたのは、いつも紅茶や、あるいは何も食べないことすらあった。
「貴方は、妻の好物さえご存じなかったのです」
アデライドの言葉は、エリアスの心臓を正確に射抜いた。
悪気などなかった。
ただ、彼女が強いから文句を言わないのを、すべて満足しているからだと都合よく解釈していただけだ。
自分は彼女を愛していたつもりだった。
しかしそれは、彼女の笑顔や犠牲を都合よく消費していただけだと、今更ながらに突きつけられた。
「……僕は、僕は……!」
エリアスは言葉を探したが、何一つ出てこなかった。
弁明すればするほど、自分の無関心と無神経さが浮き彫りになるだけだ。
彼は箱を握りしめたまま、その場に膝をついた。
「どうして……、どうして君は、何一つ言ってくれなかったんだ……!」
「言いましたわ。何度も」
アデライドは彼を見下ろした。
その視線は、もはや怒りすら通り越し、ただの事実を見つめるものだった。
「私の言葉を、『大げさだ』『強いから平気だ』と切り捨てたのは貴方です。貴方は私のSOSを無視し続けた。今さら、その箱を持ってこられても、私には何の感慨もございません」
エリアスの肩が激しく揺れた。
彼は地面に頭をつけんばかりにうなだれた。
後悔の波が彼を飲み込んでいく。
簡単だったはずの、彼女を理解するという行為。
それを怠った結果が、この決定的な断絶だった。
アデライドはサイラスに視線を送った。
サイラスは無言で頷き、エリアスの元へ歩み寄った。
「旦那様。もう、お引き取りください。これ以上、奥様の時間を奪うことは許されません」
サイラスの手がエリアスの肩に置かれる。
その手には、拒絶の意志が込められていた。
エリアスはふらふらと立ち上がった。
その瞳からは、生気が失われている。
「……すまない。本当に、すまない」
それだけを残し、彼は工房を去っていった。
その背中は、以前の自信に満ちた姿とは似ても似つかない、ただの敗残者のそれだった。
アデライドは、扉が閉まるのを確認すると、深く息を吐いた。
心の中に、僅かな澱みが残るのを感じたが、それはすぐに新しい釉薬の配合への思考へと塗り替えられた。
もう、彼の後悔に付き合う必要はない。
彼女の人生には、もう彼の入り込む余地などないのだから。
アデライドは再びろくろに向き合った。
その手は、かつてないほど力強く、そして穏やかに土を、あるいは人生を形作り始めていた。
かつてのベルンハルト伯爵邸では、彼女の作業は常にエリアスやソフィアの都合によって中断されていたが、ここでは違う。
朝日は彼女の創造の時間を照らし、静寂は彼女の思考を深めるための最良の友となっていた。
その日の午後、アデライドは新しい釉薬のテストピースを窯から取り出していた。
期待通りの深い青色。
それはかつて夜明けの青と呼んだ色よりも、さらに澄んでいて力強い色合いだった。
彼女が満足げにそれを眺めていると、工房の入り口に人影が落ちた。
エリアスだった。
彼は以前よりもやつれ、顔色は青白く、まるで何かに憑りつかれたような目をしている。
その手には、高級な箱が握られている。
「……アデライド」
彼は掠れた声で呼びかけた。
アデライドは手を止め、ゆっくりと振り返った。
「またお越しになったのですか。警告したはずですわ、ここは貴方の場所ではないと」
「分かっている。分かっているんだ……。だが、どうしても、これだけは渡したくて」
エリアスは震える手で箱を差し出した。
アデライドはその箱を見下ろした。
王都で最も有名な菓子店の紋章が刻印されている。
「……チョコレートですか?」
「ああ。君が好きだっただろう? 昔、一緒に食べたことがあるはずだ。君が嬉しそうに食べていたのを思い出して……」
エリアスは必死だった。
何かを贈れば、あの日のように彼女が微笑んでくれるかもしれない。
あの完璧で、しかし今はもう手の届かない冷ややかな微笑みを取り戻せるかもしれないという、縋るような期待。
アデライドは、その箱を受け取ろうとはしなかった。
彼女の瞳に、静かな哀れみが浮かぶ。
「エリアス様。一つ、訂正させていただきます」
その声は穏やかだが、冷徹な響きを含んでいた。
「私は甘いものが苦手ですわ。……いつも、ソフィアに譲っていましたから」
「……え?」
エリアスの表情が凍りついた。
彼は言葉を失い、箱を握りしめる力が緩んだ。
三年間、彼は彼女がチョコレートを食べる姿を見てきたと思っていた。
しかし、記憶を辿れば、それはいつもソフィアが「美味しい!」と食べている隣で、アデライドが微笑んで見守っていた光景だった。
彼女が口にしていたのは、いつも紅茶や、あるいは何も食べないことすらあった。
「貴方は、妻の好物さえご存じなかったのです」
アデライドの言葉は、エリアスの心臓を正確に射抜いた。
悪気などなかった。
ただ、彼女が強いから文句を言わないのを、すべて満足しているからだと都合よく解釈していただけだ。
自分は彼女を愛していたつもりだった。
しかしそれは、彼女の笑顔や犠牲を都合よく消費していただけだと、今更ながらに突きつけられた。
「……僕は、僕は……!」
エリアスは言葉を探したが、何一つ出てこなかった。
弁明すればするほど、自分の無関心と無神経さが浮き彫りになるだけだ。
彼は箱を握りしめたまま、その場に膝をついた。
「どうして……、どうして君は、何一つ言ってくれなかったんだ……!」
「言いましたわ。何度も」
アデライドは彼を見下ろした。
その視線は、もはや怒りすら通り越し、ただの事実を見つめるものだった。
「私の言葉を、『大げさだ』『強いから平気だ』と切り捨てたのは貴方です。貴方は私のSOSを無視し続けた。今さら、その箱を持ってこられても、私には何の感慨もございません」
エリアスの肩が激しく揺れた。
彼は地面に頭をつけんばかりにうなだれた。
後悔の波が彼を飲み込んでいく。
簡単だったはずの、彼女を理解するという行為。
それを怠った結果が、この決定的な断絶だった。
アデライドはサイラスに視線を送った。
サイラスは無言で頷き、エリアスの元へ歩み寄った。
「旦那様。もう、お引き取りください。これ以上、奥様の時間を奪うことは許されません」
サイラスの手がエリアスの肩に置かれる。
その手には、拒絶の意志が込められていた。
エリアスはふらふらと立ち上がった。
その瞳からは、生気が失われている。
「……すまない。本当に、すまない」
それだけを残し、彼は工房を去っていった。
その背中は、以前の自信に満ちた姿とは似ても似つかない、ただの敗残者のそれだった。
アデライドは、扉が閉まるのを確認すると、深く息を吐いた。
心の中に、僅かな澱みが残るのを感じたが、それはすぐに新しい釉薬の配合への思考へと塗り替えられた。
もう、彼の後悔に付き合う必要はない。
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