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第28話:再会
王都から馬車で二時間ほど離れた、静かな森の開墾地。
朝霧が立ち込めるその場所に、質素だが手入れの行き届いた煉瓦造りの小屋が建っている。
煙突からは細く白い煙が立ち上っていた。
アデライドは、小屋に併設された工房で、ろくろに向かっていた。
着ているのは、貴族令嬢が纏う絹のドレスではない。
生成りの麻のシャツに、動きやすい厚手のズボン。
髪は無造作に束ね、頬には少し泥がついている。
だが、その表情は、ベルンハルト伯爵邸にいた頃のどの瞬間よりも生き生きとしていた。
ひんやりとした土の感触が、指先を通して伝わってくる。
誰の顔色も窺わなくていい。
誰のために時間を切り詰める必要もない。
ただ、自分の作りたい形を、自分のペースで作る。
これこそが、彼女が渇望していた呼吸だった。
(……釉薬の配合、昨日の試作で手応えがあったわ。この土なら、あの青をもっと深められる)
集中していたアデライドの耳に、遠くから蹄の音が届いた。
乱暴で、焦ったようなリズム。
彼女の手が止まることはなかった。
ろくろを回し続けながら、心の中で静かに「来たか」と呟いただけだ。
予想より早かったが、想定の範囲内だ。
蹄の音が止まり、泥を跳ね上げる足音が近づいてくる。
工房の扉が荒々しく開かれた。
「アデライド!!」
叫び声と共に飛び込んできたのは、泥だらけのエリアスだった。
自慢の蜂蜜色の髪は乱れ、目の下には隈ができている。
高価な乗馬服も見る影もなく汚れていた。
彼はろくろに向かうアデライドを見つけると、安堵と責めるような色が入り混じった瞳で駆け寄ってきた。
「やっと見つけた……! どうしてこんな所にいるんだ!?」
アデライドはゆっくりとろくろを止め、手をタオルで拭った。
そして、立ち上がって彼に向き直る。
驚くことも、怯えることもない。
ただ、来店した客を迎えるような丁寧な所作で。
「いらっしゃいませ。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
その声の冷たさに、エリアスが足を止めた。
「……え? いらっしゃいませ、って……、アデライド、僕だよ? エリアスだ」
「存じております。ベルンハルト伯爵様ですね」
アデライドは完璧なビジネススマイルを浮かべた。
それはかつて夫に見せていた妻としての微笑みとは違う。
他人行儀で、壁を感じさせる店主の微笑みだ。
「アデライド、ふざけないでくれ! 探し回ったんだぞ! 雨の中、一晩中!」
エリアスは両手を広げ、彼女を抱きすくめようとした。
アデライドはスッと半歩下がり、その手を避けた。
嫌悪感を露わにするわけでもなく、ただ汚れたものが触れるのを避けるように優雅に。
「アデライド……?」
「作業着が汚れておりますので。それで、本日はどのようなご用件でしょうか? 陶磁器のオーダーでしたら承りますが」
エリアスの手が空を切った。
彼は呆然と自分の手を見つめ、それから焦燥感を募らせて声を荒らげた。
「オーダーなんてどうでもいい! 家に帰るぞ! こんな汚い小屋で、君みたいな高貴な女性が暮らしていいわけがないだろう!」
彼は工房を見回し、鼻にシワを寄せた。
「土埃だらけじゃないか。君の手も荒れている。こんな生活、君への罰としては重すぎるよ。……分かった、僕も悪かった。君が寂しがっているのに気づけなかったのは謝る。だから、もう許してあげるよ。帰ろう」
許してあげる。
その言葉を聞いた瞬間、アデライドは笑い出しそうになった。
この期に及んで、彼はまだ自分が許す側だと思っているのだ。
家出した妻を迎えに来た、寛大な夫のつもりなのだ。
アデライドは首をかしげ、不思議そうに瞬きをした。
「帰る? どこへですの?」
「どこって、僕たちの家に決まっているだろう! ベルンハルト伯爵邸に!」
「あら、奇妙なことをおっしゃいますね」
アデライドは淡々と言った。
「私の家はここです。あそこは、貴方様とソフィア様の家でしょう?」
「な……、何を言っているんだ! 離縁届なんて紙切れ一枚、僕が認めるわけがない! 君はまだ僕の妻だ!」
「法的にはそうかもしれません。ですが、私の心はとっくに他人です」
彼女はまっすぐにエリアスの目を見た。
その瞳は、深海の底のように静かで、エリアスの姿を映してはいるが、認識はしていないようだった。
朝霧が立ち込めるその場所に、質素だが手入れの行き届いた煉瓦造りの小屋が建っている。
煙突からは細く白い煙が立ち上っていた。
アデライドは、小屋に併設された工房で、ろくろに向かっていた。
着ているのは、貴族令嬢が纏う絹のドレスではない。
生成りの麻のシャツに、動きやすい厚手のズボン。
髪は無造作に束ね、頬には少し泥がついている。
だが、その表情は、ベルンハルト伯爵邸にいた頃のどの瞬間よりも生き生きとしていた。
ひんやりとした土の感触が、指先を通して伝わってくる。
誰の顔色も窺わなくていい。
誰のために時間を切り詰める必要もない。
ただ、自分の作りたい形を、自分のペースで作る。
これこそが、彼女が渇望していた呼吸だった。
(……釉薬の配合、昨日の試作で手応えがあったわ。この土なら、あの青をもっと深められる)
集中していたアデライドの耳に、遠くから蹄の音が届いた。
乱暴で、焦ったようなリズム。
彼女の手が止まることはなかった。
ろくろを回し続けながら、心の中で静かに「来たか」と呟いただけだ。
予想より早かったが、想定の範囲内だ。
蹄の音が止まり、泥を跳ね上げる足音が近づいてくる。
工房の扉が荒々しく開かれた。
「アデライド!!」
叫び声と共に飛び込んできたのは、泥だらけのエリアスだった。
自慢の蜂蜜色の髪は乱れ、目の下には隈ができている。
高価な乗馬服も見る影もなく汚れていた。
彼はろくろに向かうアデライドを見つけると、安堵と責めるような色が入り混じった瞳で駆け寄ってきた。
「やっと見つけた……! どうしてこんな所にいるんだ!?」
アデライドはゆっくりとろくろを止め、手をタオルで拭った。
そして、立ち上がって彼に向き直る。
驚くことも、怯えることもない。
ただ、来店した客を迎えるような丁寧な所作で。
「いらっしゃいませ。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
その声の冷たさに、エリアスが足を止めた。
「……え? いらっしゃいませ、って……、アデライド、僕だよ? エリアスだ」
「存じております。ベルンハルト伯爵様ですね」
アデライドは完璧なビジネススマイルを浮かべた。
それはかつて夫に見せていた妻としての微笑みとは違う。
他人行儀で、壁を感じさせる店主の微笑みだ。
「アデライド、ふざけないでくれ! 探し回ったんだぞ! 雨の中、一晩中!」
エリアスは両手を広げ、彼女を抱きすくめようとした。
アデライドはスッと半歩下がり、その手を避けた。
嫌悪感を露わにするわけでもなく、ただ汚れたものが触れるのを避けるように優雅に。
「アデライド……?」
「作業着が汚れておりますので。それで、本日はどのようなご用件でしょうか? 陶磁器のオーダーでしたら承りますが」
エリアスの手が空を切った。
彼は呆然と自分の手を見つめ、それから焦燥感を募らせて声を荒らげた。
「オーダーなんてどうでもいい! 家に帰るぞ! こんな汚い小屋で、君みたいな高貴な女性が暮らしていいわけがないだろう!」
彼は工房を見回し、鼻にシワを寄せた。
「土埃だらけじゃないか。君の手も荒れている。こんな生活、君への罰としては重すぎるよ。……分かった、僕も悪かった。君が寂しがっているのに気づけなかったのは謝る。だから、もう許してあげるよ。帰ろう」
許してあげる。
その言葉を聞いた瞬間、アデライドは笑い出しそうになった。
この期に及んで、彼はまだ自分が許す側だと思っているのだ。
家出した妻を迎えに来た、寛大な夫のつもりなのだ。
アデライドは首をかしげ、不思議そうに瞬きをした。
「帰る? どこへですの?」
「どこって、僕たちの家に決まっているだろう! ベルンハルト伯爵邸に!」
「あら、奇妙なことをおっしゃいますね」
アデライドは淡々と言った。
「私の家はここです。あそこは、貴方様とソフィア様の家でしょう?」
「な……、何を言っているんだ! 離縁届なんて紙切れ一枚、僕が認めるわけがない! 君はまだ僕の妻だ!」
「法的にはそうかもしれません。ですが、私の心はとっくに他人です」
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その瞳は、深海の底のように静かで、エリアスの姿を映してはいるが、認識はしていないようだった。
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