捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

文字の大きさ
36 / 40

第36話:逃した魚の大きさ

しおりを挟む
 辺境伯邸の地下には、要人を一時的に収容するための堅牢な部屋がある。
 かつては捕虜用に使われていたその場所に、今はアルフレッド王太子とミナが閉じ込められていた。

「出せ! ここから出せ! 私は王太子だぞ!」 

「こんなカビ臭い部屋、耐えられませんわ! リディア、どこにいるのよ!」

 鉄格子の向こうで喚き散らす二人。
 そこへ、コツコツと足音が響いた。
 ジェラルドとリディアが姿を現すと、アルフレッドは鉄格子に掴みかかり、血走った目で叫んだ。

「お、おい! ジェラルド! これは何かの冗談だろう? 私をこんな所に閉じ込めて、ただで済むと思っているのか!」

「冗談ではない。重要参考人の確保だ」

 ジェラルドは冷ややかに見下ろした。

「王都からの迎えが来るまで、そこで頭を冷やしていろ。……もっとも、迎えに来るのが近衛兵か捜査官かは知らんがな」

「ぐぬぬ……!」

 アルフレッドは歯噛みし、それからふと何かを思いついたように表情を変えた。
 急に尊大な態度を取り戻し、ニヤリと笑う。

「……ふん。まあいい。貴様らが無礼を働いたことは水に流してやろう。その代わり、喉が渇いた。私が持参した荷物の中に、桐の箱に入ったワインがあるはずだ。それを持ってこい」

 彼は勝ち誇ったように言った。

「それは王家の地下貯蔵庫で百年間眠っていた、伝説のヴィンテージワインだ。……特別に貴様らにも振る舞ってやろう。その味を知れば、辺境の安酒など泥水に思えるはずだ。和解の印として乾杯しようではないか」

 まだ自分の立場が分かっていないらしい。
 あるいは、この期に及んで、見逃してもらえるとでも思っているのか。
 ジェラルドは呆れたように肩を竦め、執事に目配せをした。

「……いいだろう。最後の慈悲だ。持ってこい」

 やがて、執事が恭しく桐の箱を運んできた。
 中から取り出されたボトルは、確かに埃を被り、歴史を感じさせる重厚な佇まいをしていた。

「見ろ、この風格を! 王都が誇る最高級品だ!」

 アルフレッドが胸を張る。
 鉄格子越しに、ジェラルドがソムリエナイフを取り出した。

 コルクが抜かれた瞬間――。

 強烈な刺激臭が、地下の狭い空間に充満した。
 それは芳醇なブドウの香りなどではない。
 鼻の粘膜を刺すような、酸っぱい酢の臭いだった。

「……くさっ!」

 ミナが思わず鼻をつまむ。
 アルフレッドは目を丸くし、ジェラルドがグラスに注いだ液体を凝視した。
 本来なら深いルビー色であるはずの液体は、茶色く濁り、澱が舞っている。

「な、なんだこれは……? 腐っているのか?」

「……殿下。以前の失敗から、何も学ばれていないのですね」

 リディアが静かに口を開いた。
 彼女は憐れむような目で、その死んだワインを見つめていた。

「そのワイン、最後にリコルクをしたのはいつですか?」

「は? リコルクだと? そんなもの、知らん!」

「……やはり」

 リディアは淡々と解説した。

「ワインは生き物です。コルクは二十年もすれば乾燥して縮み、弾力を失います。定期的に打ち直し、液面の低下を補酒しなければ、隙間から空気が入り込んで酸化が進んでしまいます」

 彼女はアルフレッドを直視した。

「私が王宮にいた頃は、数年に一度、地下貯蔵庫の全てのボトルの状態を確認し、職人を呼んでメンテナンスをしていました。……ですが、私がいなくなってからは、誰もそれをしなかったようですね」

「そ、そんな……、まさか……」

「管理する者がいなければ、どんな宝もただのゴミになります。……このワインは、もう飲めません。完全に酢になっています」

 アルフレッドは崩れ落ちた。
 自慢の切り札が、ただの酸っぱい液体に変わっていた。

 それは、彼がリディアを追放したことで失ったものの大きさを、あまりにも残酷な形で象徴していた。
 彼女の地味な仕事が、王家の財産を守っていたのだ。

「……口直しだ」

 ジェラルドが、別のボトルを取り出した。
 美しいカッティングが施されたガラス瓶に、雪の結晶とポピーの花のレリーフが輝いている。
 辺境特産ワインスノー・ルージュだ。

 コルクを抜くと、地下牢の空気が一変した。
 華やかなベリーの香りと、熟成された樽の香ばしさ。
 そして微かに香るスパイスのニュアンス。
 芳醇なアロマが、先ほどの酢の臭いを鮮やかに塗り替えていく。

「い、いい香り……」

 ミナがうっとりと呟き、ハッとして口を押さえた。
 ジェラルドは新しいグラスにそれを注ぎ、リディアに手渡した。

「これは……?」

「我々が作ったワインだ。リディアがボトルをデザインし、私が酵母と発酵温度を完璧に管理した」

 ジェラルドは自らのグラスも満たし、リディアと軽く合わせる。

 澄んだ音が響く。
 二人はアルフレッドたちの目の前で、そのワインを優雅に口にした。

「……美味しい」

 リディアが微笑む。
 完璧な味わいだった。
 辺境の厳しい自然と、二人の知恵と技術が結晶化した味だ。

「貴様らが百年かけて腐らせたゴミと、我々が一年で作り上げた宝石。……勝負にならんな」

 ジェラルドはグラスを揺らしながら、鉄格子の向こうの二人を見据えた。

「逃した魚は大きいと言うが……、貴殿もようやく、そのことに気づいたのではないか?」

 アルフレッドは震える手で鉄格子を握りしめ、リディアを見つめた。
 地味だと思っていた元婚約者。
 今、檻の向こう側にいる彼女は、知的で、美しく、そして何より遠い存在に見えた。

「リディア……、私は……」

「さようなら、殿下」

 リディアはもう、彼を見なかった。
 彼女はジェラルドに寄り添い、グラスを掲げた。

「この美味しいワインが、お二人の門出への手向けとなりますように。……もっとも、差し上げるわけにはいきませんが」

 ジェラルドとリディアは、呆然とする二人を残し、踵を返した。
 地下牢に残されたのは、決して取り戻せない後悔の味だけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。 だからこそ転生後に誓った―― 「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。 気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。 「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」 ――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。 なぜか気づけば、 ・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変 ・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功 ・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす ・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末 「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」 自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、 “やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。 一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、 実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。 「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」 働かないつもりだった貴族夫人が、 自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。 これは、 何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん
恋愛
 ――仕事で疲れて会えない。  十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。  記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。  そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

厄介払いされてしまいました

たくわん
恋愛
侯爵家の次女エリアーナは、美人の姉ロザリンドと比べられ続け、十八年間冷遇されてきた。 十八歳の誕生日、父から告げられたのは「辺境の老伯爵に嫁げ」という厄介払いの命令。 しかし、絶望しながらも辺境へ向かったエリアーナを待っていたのは――。

処理中です...