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第37話:去りゆく者たち
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翌朝、辺境伯邸の前には、王都から到着した重厚な馬車が停まっていた。
それは王族のための豪華な馬車ではない。
鉄格子が嵌められ、窓のない黒塗りの箱――罪人を護送するための馬車だった。
「……王都より法務官が到着した。身柄を引き渡す」
ジェラルドの事務的な声と共に、地下牢からアルフレッドとミナが引き出されてきた。
一晩を冷たい石の床で過ごした二人は、見る影もなくやつれていた。
アルフレッドの金髪は脂で汚れ、ミナの派手なドレスはしわくちゃになり、自慢の香水の匂いも消え失せ、代わりにカビと絶望の臭いを纏っている。
「は、離せ! 私は王太子だぞ! こんな扱いが許されると……!」
「お黙りなさい」
王都から来た法務官――白髪の厳格な男が、冷たく告げた。
「国王陛下より勅命が下っております。……『王家の財産を私物化し、偽造品によって国の威信を傷つけた愚か者は、王族にあらず』と。……貴方様の王位継承権は、今朝ほど剥奪されました」
「な、なんだと……!? ち、父上が私を捨てたと……!?」
アルフレッドは膝から崩れ落ちた。
ミナに至っては、「嘘よ! 私は関係ないわ! 騙されたのよ!」と半狂乱で叫んでいるが、衛兵たちによって無慈悲に護送車へと押し込まれていく。
その光景を、リディアは玄関ポーチから静かに見下ろしていた。
胸にあるのは、激しい憎しみでも、晴れやかな喜びでもなかった。
ただ、枯れた花を見るような、静かな憐れみだけがあった。
「リ、リディア……!」
護送車に乗せられる直前、アルフレッドがリディアに気づき、縋るように叫んだ。
「お前なら分かるだろう!? 私は騙されていたんだ! 助けてくれ! やり直そう、私が悪かった、だから……!」
必死に手を伸ばす元婚約者。
しかし、リディアの目には、その手は何も掴めない、空っぽで弱々しいものにしか映らなかった。
「……お気をつけて」
リディアは短く、他人行儀な挨拶を口にし、深く一礼した。
それが最後だった。
重い音を立てて護送車の扉が閉ざされる。
鉄格子の向こうでアルフレッドが何かを叫んでいるが、もはやその声は風にかき消され、誰の耳にも届かない。
鞭の音が響き、黒い馬車が動き出す。
砂埃を上げて去っていくその車列を、リディアは小さくなるまで見送った。
王都へ戻れば、彼らを待っているのは厳しい尋問と、幽閉という冷たい現実だけだ。
「……終わったな」
隣に並んだジェラルドが、静かに呟いた。
「ああやって去っていく姿を見ると、贋作同様、彼らも本物ではなかったのだなと思う。……権威という立派な額縁がなければ、自分一人では立っていられない」
「そうですね。……でも、少しだけ可哀想にも思います」
リディアは遠ざかる馬車から目を離し、空を見上げた。
「彼らは知らなかったのです。……傷ついても、汚れても、自分の足で立つことの誇らしさを。誰かに磨いてもらうのを待つのではなく、自分で自分を修復できる強さを」
王宮から追放され、泥だらけになりながら辺境で生きてきたリディアだからこそ言える言葉だった。
騒がしい一行が去り、屋敷の前庭には元の静寂が戻った。
風が吹き抜け、庭に植えられたポピーの花が揺れる。
「……リディア」
ジェラルドが、不意にリディアの方を向き、その肩を引き寄せた。
抗う間もなく、リディアの身体は彼の厚い胸板の中に包み込まれた。
「えっ、ジェラルド様……?」
「……よく戦った」
耳元で囁かれた声は、震えるほど優しかった。
「辛かっただろう。怖かっただろう。……過去と向き合い、決別するのは、どんな修復作業よりも骨が折れる」
彼の大きな手が、リディアの背中をゆっくりと撫でる。
そのリズムは、強張っていたリディアの心の緊張を、一本一本丁寧にほぐしていくようだった。
「もういい。……すべて、終わったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、リディアの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
アルフレッドの前では見せなかった涙。
気丈に振る舞い、冷静に論理を組み立て、戦い抜いた反動が一気に押し寄せてきたのだ。
「うぅ……、ジェラルド様……」
「ああ。私がいる。……もう誰にも、君を傷つけさせない」
リディアは彼の服をギュッと掴み、子供のように声を上げて泣いた。
ジェラルドは何も言わず、ただ彼女が泣き止むまで、その身体を抱き締め続けた。
鋼鉄のような腕の強さと、そこから伝わる体温だけが、リディアにとっての絶対的な真実だった。
しばらくして、リディアが顔を上げた時、その瞳は雨上がりの空のように澄んでいた。
過去は去った。
ここには、彼女を心から愛し、守ってくれる人がいる。
そして、彼女を必要としてくれる領民たちがいる。
「……お腹が、空きました」
リディアが涙声で呟くと、ジェラルドは破顔した。
「いい傾向だ。副交感神経が正常に機能し始めた証拠だ。……さあ、戻ろう。今日は君の好きなものを何でも作ってやる」
「はい……! あ、でも、甘いものは控えめに……」
「何を言う。泣いた分だけカロリーと塩分を消費したんだ。フルコースで補給してもらうぞ」
ジェラルドは悪戯っぽく笑い、リディアの腰に手を回してエスコートした。
二人は寄り添いながら、温かい光の漏れる屋敷へと戻っていった。
閉ざされた扉の向こうには、誰にも邪魔されない、穏やかで幸福な食卓が待っている。
それは王族のための豪華な馬車ではない。
鉄格子が嵌められ、窓のない黒塗りの箱――罪人を護送するための馬車だった。
「……王都より法務官が到着した。身柄を引き渡す」
ジェラルドの事務的な声と共に、地下牢からアルフレッドとミナが引き出されてきた。
一晩を冷たい石の床で過ごした二人は、見る影もなくやつれていた。
アルフレッドの金髪は脂で汚れ、ミナの派手なドレスはしわくちゃになり、自慢の香水の匂いも消え失せ、代わりにカビと絶望の臭いを纏っている。
「は、離せ! 私は王太子だぞ! こんな扱いが許されると……!」
「お黙りなさい」
王都から来た法務官――白髪の厳格な男が、冷たく告げた。
「国王陛下より勅命が下っております。……『王家の財産を私物化し、偽造品によって国の威信を傷つけた愚か者は、王族にあらず』と。……貴方様の王位継承権は、今朝ほど剥奪されました」
「な、なんだと……!? ち、父上が私を捨てたと……!?」
アルフレッドは膝から崩れ落ちた。
ミナに至っては、「嘘よ! 私は関係ないわ! 騙されたのよ!」と半狂乱で叫んでいるが、衛兵たちによって無慈悲に護送車へと押し込まれていく。
その光景を、リディアは玄関ポーチから静かに見下ろしていた。
胸にあるのは、激しい憎しみでも、晴れやかな喜びでもなかった。
ただ、枯れた花を見るような、静かな憐れみだけがあった。
「リ、リディア……!」
護送車に乗せられる直前、アルフレッドがリディアに気づき、縋るように叫んだ。
「お前なら分かるだろう!? 私は騙されていたんだ! 助けてくれ! やり直そう、私が悪かった、だから……!」
必死に手を伸ばす元婚約者。
しかし、リディアの目には、その手は何も掴めない、空っぽで弱々しいものにしか映らなかった。
「……お気をつけて」
リディアは短く、他人行儀な挨拶を口にし、深く一礼した。
それが最後だった。
重い音を立てて護送車の扉が閉ざされる。
鉄格子の向こうでアルフレッドが何かを叫んでいるが、もはやその声は風にかき消され、誰の耳にも届かない。
鞭の音が響き、黒い馬車が動き出す。
砂埃を上げて去っていくその車列を、リディアは小さくなるまで見送った。
王都へ戻れば、彼らを待っているのは厳しい尋問と、幽閉という冷たい現実だけだ。
「……終わったな」
隣に並んだジェラルドが、静かに呟いた。
「ああやって去っていく姿を見ると、贋作同様、彼らも本物ではなかったのだなと思う。……権威という立派な額縁がなければ、自分一人では立っていられない」
「そうですね。……でも、少しだけ可哀想にも思います」
リディアは遠ざかる馬車から目を離し、空を見上げた。
「彼らは知らなかったのです。……傷ついても、汚れても、自分の足で立つことの誇らしさを。誰かに磨いてもらうのを待つのではなく、自分で自分を修復できる強さを」
王宮から追放され、泥だらけになりながら辺境で生きてきたリディアだからこそ言える言葉だった。
騒がしい一行が去り、屋敷の前庭には元の静寂が戻った。
風が吹き抜け、庭に植えられたポピーの花が揺れる。
「……リディア」
ジェラルドが、不意にリディアの方を向き、その肩を引き寄せた。
抗う間もなく、リディアの身体は彼の厚い胸板の中に包み込まれた。
「えっ、ジェラルド様……?」
「……よく戦った」
耳元で囁かれた声は、震えるほど優しかった。
「辛かっただろう。怖かっただろう。……過去と向き合い、決別するのは、どんな修復作業よりも骨が折れる」
彼の大きな手が、リディアの背中をゆっくりと撫でる。
そのリズムは、強張っていたリディアの心の緊張を、一本一本丁寧にほぐしていくようだった。
「もういい。……すべて、終わったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、リディアの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
アルフレッドの前では見せなかった涙。
気丈に振る舞い、冷静に論理を組み立て、戦い抜いた反動が一気に押し寄せてきたのだ。
「うぅ……、ジェラルド様……」
「ああ。私がいる。……もう誰にも、君を傷つけさせない」
リディアは彼の服をギュッと掴み、子供のように声を上げて泣いた。
ジェラルドは何も言わず、ただ彼女が泣き止むまで、その身体を抱き締め続けた。
鋼鉄のような腕の強さと、そこから伝わる体温だけが、リディアにとっての絶対的な真実だった。
しばらくして、リディアが顔を上げた時、その瞳は雨上がりの空のように澄んでいた。
過去は去った。
ここには、彼女を心から愛し、守ってくれる人がいる。
そして、彼女を必要としてくれる領民たちがいる。
「……お腹が、空きました」
リディアが涙声で呟くと、ジェラルドは破顔した。
「いい傾向だ。副交感神経が正常に機能し始めた証拠だ。……さあ、戻ろう。今日は君の好きなものを何でも作ってやる」
「はい……! あ、でも、甘いものは控えめに……」
「何を言う。泣いた分だけカロリーと塩分を消費したんだ。フルコースで補給してもらうぞ」
ジェラルドは悪戯っぽく笑い、リディアの腰に手を回してエスコートした。
二人は寄り添いながら、温かい光の漏れる屋敷へと戻っていった。
閉ざされた扉の向こうには、誰にも邪魔されない、穏やかで幸福な食卓が待っている。
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