捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第38話:新しい地図

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 アルフレッドたちが去ってから数日後。
 辺境伯邸の執務室に、一通の親書が届いた。

 封蝋に押されているのは、王家の紋章。
 だが、以前のような王太子からの乱暴な走り書きではなく、国王陛下の名代による、極めて丁寧で公式な書状だった。

「……内容は?」

 窓辺で腕を組むジェラルドが問う。
 リディアはペーパーナイフで封を切り、中身に目を通した。

『リディア・クロワ殿。先般の王太子の不祥事および貴殿への非礼、深く詫び申し上げる。現在、王宮の美術品管理は崩壊の危機に瀕している。貴殿の無実と卓越した能力は、今や誰もが認めるところである。どうか王宮へ帰還し、筆頭修復官として、再び国の宝を守ってはくれまいか。待遇は大臣クラスを約束する――』

 あまりにも虫のいい話だった。
 追い出す時は「無能」「掃除係」と罵り、自分たちが困った途端に大臣クラスで呼び戻そうとする。
 かつてのリディアなら、王家の役に立てることに喜びを感じ、二つ返事で頷いていたかもしれない。

「……破格の条件だな」

 ジェラルドが淡々と言った。

「王宮に戻れば、名誉も地位も手に入る。……君にとっては、悪い話ではない」

 彼はリディアを見ず、窓の外の雪景色を凝視している。
 その背中は、いつになく拒絶的で、そして少しだけ寂しげに見えた。

「ジェラルド様は……、私が戻った方が良いとお考えですか?」

「……私がどう思うかは関係ない。これは君の人生だ」

 ジェラルドは拳を握りしめた。

「君の才能は、もしかすると、辺境の領主が独占していい規模のものではないのかもしれない。国の中枢で発揮されるべきだというのが、論理的な帰結だ。……君のキャリアを考えれば、止める権利は私にはない」

 あくまで論理で感情を押し殺そうとするジェラルド。
 リディアは、そんな不器用な彼が愛おしくてたまらなかった。
 彼女は静かに立ち上がり、机の上の世界地図を広げた。

「ジェラルド様。……地図をご覧ください」

 リディアはペンを取り、地図上の王都の位置に×印をつけた。
 そして、北の辺境――この領地の位置に、大きく花丸を描いた。

「王都には、すでに完成された権威があります。ですが、そこには新しい色を塗る余白がありません。……カビの生えた過去を守るだけの仕事です」

 彼女はジェラルドの隣に立ち、窓の外を指差した。

「でも、ここには未来があります」

 窓の下に広がるのは、かつては寒々しいだけだった荒野ではない。

 青の渓谷から運ばれるラピスラズリの馬車列。
 ガラス工房の煙突から昇る白い煙。
 アカデミーに通う子供たちの賑やかな声。
 そして、亜麻とポピーの畑。

「私の知識で、石ころが宝石に変わり、荒野が花畑になり、職人たちが誇りを取り戻しました。……私が描きたい絵は、王宮の天井画ではなく、この領地というキャンバスに描く未来図です」

 リディアはジェラルドを見上げ、はっきりと告げた。

「私は戻りません。……私の居場所は、ここです」

 ジェラルドの瞳が揺れた。
 彼はしばらくリディアを見つめていたが、やがて深く息を吐き、肩の力を抜いた。

「……非論理的な選択だ。大臣の椅子を蹴って、こんな田舎の修復師を選ぶとは」

「ふふ。でも、こちらの領主様の方が、美味しいご飯を作ってくれますから」

 リディアが悪戯っぽく笑うと、ジェラルドはようやく、いつもの不敵な笑みを浮かべた。

「……違いない。王宮のシェフごとき、私の足元にも及ばん」

 彼はリディアの腰を引き寄せ、その額に自分の額を合わせた。

「後悔はさせない。……君が選んだこの場所を、世界で一番美しい都にしてみせる」

「はい。一緒に作りましょう、ジェラルド様」

 リディアは机に戻り、王都への返信をしたためた。
 丁寧な言葉遣いだが、その内容は明確な拒絶だった。
 『私の技術は、私を信じ、守ってくれたこの地のために使います』と最後に締めた。

 ペンを置いた瞬間、リディアの中で何かが完全に吹っ切れた音がした。
 古い地図は捨てられた。

 今、彼女の手の中には、愛する人と共に歩むための、新しい真っ白な地図が広げられていた。
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