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第39話:二人の傑作
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数年の月日が流れた。
かつて死の谷と呼ばれ、カビと埃に覆われていた辺境伯領は、今や大陸中から人々が集まる美の聖地へと変貌を遂げていた。
街路樹には季節の花々が咲き乱れ、レンガ造りのアトリエ街からは画家の卵たちの活気ある声が響く。
市場には青の渓谷から産出されたウルトラマリンや、特産ワインスノー・ルージュ、そして透明度の高いガラス製品が並び、商人たちが熱心に商談を行っている。
そんな賑やかな街の丘の上に建つ教会。
今日は、そこがかつてないほどの祝福の鐘の音に包まれていた。
「……心拍数が正常値を超えている。交感神経が暴走気味だ」
教会の控室。
漆黒の礼服に身を包んだジェラルドは、珍しく落ち着きなくネクタイを直していた。
あの強面辺境伯が、緊張でガチガチになっているのだ。
「閣下、深呼吸を。……花嫁がお待ちです」
執事が微笑ましそうに扉を開けた。
そこへ、純白の光が差し込んできた。
「……ジェラルド様」
リディアが立っていた。
彼女が纏っているのは、かつてジェラルドが言った通り、領内の職人たちに作らせたウェディングドレスだ。
百年前の優雅なシルエットを忠実に再現しつつ、現代的な着心地の良さを追求したデザイン。
そして何より目を引くのは、ふんだんにあしらわれたレースだ。
機械編みの六角形ではない。
領地の女性たちが手編みで紡いだ、複雑で温かみのあるボビンレース。
それは本物だけが持つ、圧倒的な気品を放っていた。
「……どう、でしょうか?」
リディアが恥ずかしそうに頬を染める。
ジェラルドは息を呑み、しばらく言葉を失っていたが、やがてゆっくりと彼女の手を取った。
「……言葉にならん。私の語彙力の欠如が悔やまれる」
彼はリディアの指先に口づけた。
「美しい。……この世のあらゆる名画も、今の君の前では色褪せて見える」
「ふふ。……ジェラルド様も、とても素敵です」
二人は腕を組み、パイプオルガンの音が響く聖堂へと歩み出した。
教会の扉が開く。
溢れんばかりの拍手と歓声が二人を迎えた。
参列しているのは、領地の貴族たちだけではない。
アカデミーの生徒たち、アトリエの画家たち、ガラス職人、農夫たちが祝福している。
リディアは祭壇を見上げた。
そこには、かつて血の涙を流すと恐れられ、カビだらけだった聖女の絵画がある。
今はリディアの手によって完全に修復され、本来の鮮やかな色彩と、慈愛に満ちた表情を取り戻していた。
ステンドグラスからは七色の光が降り注ぎ、新郎新婦を虹色に染め上げる。
祭壇の前で、司祭――かつての横領司祭ではなく、新しく赴任した誠実な老司祭――が二人に問いかけた。
「新郎ジェラルド、新婦リディア。神の前で、永遠の愛を誓いますか?」
ジェラルドは、リディアに向き直った。
彼は定型文の誓いの言葉を口にする代わりに、片手で教会全体、そしてその窓の外に広がる領地を指し示した。
「リディア。……私は言葉で愛を語るのは苦手だ。だから、行動で示す」
彼の低い声が、静まり返った聖堂に響く。
「この豊かな領地、活気ある街、そして人々の笑顔。……これら全てが、私が君と共に歩み、君のために作り上げた作品だ。私の生涯をかけて、この場所と君を守り抜くことを誓おう」
それは、領主としての誇りと、夫としての責任が一体となった、彼らしい誓いだった。
リディアは胸がいっぱいになりながら、深く頷いた。
そして彼女もまた、ジェラルドを見つめ返した。
「ジェラルド様……」
リディアは、輝く祭壇画や、天井のフレスコ画を見渡した。
「傷つき、忘れ去られ、カビに覆われていたこの場所を、私は修復しました。……それは、私自身の心の再生でもありました」
彼女はジェラルドの手を両手で包み込んだ。
かつては震えていたその手も、今はもう震えていない。
「貴方が私を見つけ、磨いてくださったから、私は輝くことができました。……私の持つすべての色と光を使って、貴方の人生を彩り続けることを誓います」
二人の誓いは、指輪の交換よりも重く、どんな契約書よりも確かな絆で結ばれていた。
「……誓いのキスを」
司祭の言葉と共に、ジェラルドがリディアのベールを上げた。
至近距離で見つめ合う二人。
ジェラルドの顔には、いつもの強面ではなく、見ているだけで幸せになれるような、穏やかで深い愛情が浮かんでいた。
「……覚悟しろ、リディア。これからは健康管理がもっと厳しくなるぞ。妻の健康を守るのは、夫の最重要任務だからな」
「ふふ、望むところです。幸せな管理になりそうですね」
リディアが背伸びをし、ジェラルドが身を屈める。
重なる唇。
万雷の拍手と、舞い散る花びらの中で、二人は永遠の愛を誓った。
それは、贋作だらけの世界で二人が見つけ出した、唯一無二の真実の愛だった。
こうして、追放された修復師と強面辺境伯の物語は、最高のハッピーエンドという額縁に収められたのである。
かつて死の谷と呼ばれ、カビと埃に覆われていた辺境伯領は、今や大陸中から人々が集まる美の聖地へと変貌を遂げていた。
街路樹には季節の花々が咲き乱れ、レンガ造りのアトリエ街からは画家の卵たちの活気ある声が響く。
市場には青の渓谷から産出されたウルトラマリンや、特産ワインスノー・ルージュ、そして透明度の高いガラス製品が並び、商人たちが熱心に商談を行っている。
そんな賑やかな街の丘の上に建つ教会。
今日は、そこがかつてないほどの祝福の鐘の音に包まれていた。
「……心拍数が正常値を超えている。交感神経が暴走気味だ」
教会の控室。
漆黒の礼服に身を包んだジェラルドは、珍しく落ち着きなくネクタイを直していた。
あの強面辺境伯が、緊張でガチガチになっているのだ。
「閣下、深呼吸を。……花嫁がお待ちです」
執事が微笑ましそうに扉を開けた。
そこへ、純白の光が差し込んできた。
「……ジェラルド様」
リディアが立っていた。
彼女が纏っているのは、かつてジェラルドが言った通り、領内の職人たちに作らせたウェディングドレスだ。
百年前の優雅なシルエットを忠実に再現しつつ、現代的な着心地の良さを追求したデザイン。
そして何より目を引くのは、ふんだんにあしらわれたレースだ。
機械編みの六角形ではない。
領地の女性たちが手編みで紡いだ、複雑で温かみのあるボビンレース。
それは本物だけが持つ、圧倒的な気品を放っていた。
「……どう、でしょうか?」
リディアが恥ずかしそうに頬を染める。
ジェラルドは息を呑み、しばらく言葉を失っていたが、やがてゆっくりと彼女の手を取った。
「……言葉にならん。私の語彙力の欠如が悔やまれる」
彼はリディアの指先に口づけた。
「美しい。……この世のあらゆる名画も、今の君の前では色褪せて見える」
「ふふ。……ジェラルド様も、とても素敵です」
二人は腕を組み、パイプオルガンの音が響く聖堂へと歩み出した。
教会の扉が開く。
溢れんばかりの拍手と歓声が二人を迎えた。
参列しているのは、領地の貴族たちだけではない。
アカデミーの生徒たち、アトリエの画家たち、ガラス職人、農夫たちが祝福している。
リディアは祭壇を見上げた。
そこには、かつて血の涙を流すと恐れられ、カビだらけだった聖女の絵画がある。
今はリディアの手によって完全に修復され、本来の鮮やかな色彩と、慈愛に満ちた表情を取り戻していた。
ステンドグラスからは七色の光が降り注ぎ、新郎新婦を虹色に染め上げる。
祭壇の前で、司祭――かつての横領司祭ではなく、新しく赴任した誠実な老司祭――が二人に問いかけた。
「新郎ジェラルド、新婦リディア。神の前で、永遠の愛を誓いますか?」
ジェラルドは、リディアに向き直った。
彼は定型文の誓いの言葉を口にする代わりに、片手で教会全体、そしてその窓の外に広がる領地を指し示した。
「リディア。……私は言葉で愛を語るのは苦手だ。だから、行動で示す」
彼の低い声が、静まり返った聖堂に響く。
「この豊かな領地、活気ある街、そして人々の笑顔。……これら全てが、私が君と共に歩み、君のために作り上げた作品だ。私の生涯をかけて、この場所と君を守り抜くことを誓おう」
それは、領主としての誇りと、夫としての責任が一体となった、彼らしい誓いだった。
リディアは胸がいっぱいになりながら、深く頷いた。
そして彼女もまた、ジェラルドを見つめ返した。
「ジェラルド様……」
リディアは、輝く祭壇画や、天井のフレスコ画を見渡した。
「傷つき、忘れ去られ、カビに覆われていたこの場所を、私は修復しました。……それは、私自身の心の再生でもありました」
彼女はジェラルドの手を両手で包み込んだ。
かつては震えていたその手も、今はもう震えていない。
「貴方が私を見つけ、磨いてくださったから、私は輝くことができました。……私の持つすべての色と光を使って、貴方の人生を彩り続けることを誓います」
二人の誓いは、指輪の交換よりも重く、どんな契約書よりも確かな絆で結ばれていた。
「……誓いのキスを」
司祭の言葉と共に、ジェラルドがリディアのベールを上げた。
至近距離で見つめ合う二人。
ジェラルドの顔には、いつもの強面ではなく、見ているだけで幸せになれるような、穏やかで深い愛情が浮かんでいた。
「……覚悟しろ、リディア。これからは健康管理がもっと厳しくなるぞ。妻の健康を守るのは、夫の最重要任務だからな」
「ふふ、望むところです。幸せな管理になりそうですね」
リディアが背伸びをし、ジェラルドが身を屈める。
重なる唇。
万雷の拍手と、舞い散る花びらの中で、二人は永遠の愛を誓った。
それは、贋作だらけの世界で二人が見つけ出した、唯一無二の真実の愛だった。
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