捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第40話:幸せな食卓

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 結婚式から数ヶ月が経ったある晴れた昼下がり。
 辺境伯邸のアトリエは、今日も静かな熱気に満ちていた。

「……ここは、もう少し明度を上げて。ワニスの層を薄く……」

 リディアは作業台に向かい、いつものように時間を忘れて修復作業に没頭していた。

 今手掛けているのは、領内の農家から持ち込まれた古い家族の肖像画だ。
 名画ではないが、依頼主にとってはかけがえのない宝物。
 リディアの姿勢は、国宝を扱う時と何ら変わらない。

 窓から差し込む光が、彼女の薬指で輝く金の指輪を照らしている。
 かつては荒れていた指先も、毎日のケアですっかり滑らかになっていた。

 静寂を破ったのは、相変わらず正直なリディアの腹の虫だった。

 時計を見ると、正午を少し回っている。

「あっ、いけない。また怒られてしまう」

 リディアが慌てて筆を置こうとした、その時。
 ノックもなしに扉が開かれた。

「……一二時一五分。血糖値が低下し、集中力が散漫になる時間帯だぞ、リディア」

 エプロン姿のジェラルドが、湯気の立つワゴンを押して入ってきた。
 その顔は相変わらず、子供が見たら泣き出すレベルの強面だが、手には愛妻のためのランチが載せられている。

「ごめんなさい、つい夢中になってしまって」

「謝罪は不要だ。その代わり、完食という行動で示せ」

 ジェラルドは手際よくテーブルをセッティングした。
 今日のメニューは、彩り豊かな野菜のテリーヌと、柔らかく煮込んだラム肉の煮込み。
 そして、黄金色に輝くスープだ。

「座れ。まずはスープからだ」

 促されて席に着くリディア。
 この光景は、彼女がこの屋敷に来た最初の日から、何も変わっていない。

 けれど、二人の間にある空気は、劇的に変わっていた。
 そこにあるのは、緊張や遠慮ではなく、絶対的な安心感だ。

「いただきます」

 リディアはスプーンを口に運んだ。

 温かい液体が喉を通る。
 野菜の甘みと、鶏の旨味が凝縮された、優しくも力強い味。
 初めて出会った時、ボロボロだった彼女を救ってくれたあの味だ。

「……美味しい。やっぱり、ジェラルド様のスープは世界一です」

「当然だ。今日のスープには、疲労回復効果のあるアスパラギン酸と、君の肌を守るリコピンを最適比率で配合した」

 ジェラルドは向かいの席に座り、満足げに頷いた。

「それに、最近は少し働きすぎだ。アカデミーの講義に、新作顔料の開発、さらに領民からの依頼まで……。君のキャパシティを超えていないか?」

「大丈夫ですよ。だって、私には頼れる管理栄養士様がついていますから」

 リディアが悪戯っぽく微笑むと、ジェラルドはフンと鼻を鳴らし、耳を赤くした。

「……口が減らないな。まあいい、君が楽しそうに作品に向き合う姿を見るのは、私の楽しみでもあるからな」

 二人は食事を進めながら、これからの予定を話し合った。
 来週は青の渓谷の視察。
 再来月は王都で開催される国際美術展への招待。 

 もちろん断らず、堂々と乗り込んで辺境の技術を見せつける予定だ。
 そして、いつかは二人で世界中の美術館を巡る旅に出ようという夢。

 話題は尽きない。
 二人は色鮮やかな未来を描き続けている。

「そういえば、ジェラルド様」

 ハーブティーを飲みながら、リディアが尋ねた。

「今日のこのスープ……、隠し味は何ですか? いつものコンソメとは、少しだけ風味が違う気がするのですが」

 修復師としての鋭敏な感覚が、微かな味の変化を捉えたのだ。
 ジェラルドは一瞬きょとんとし、それからニヤリと――これ以上ないほど深い愛情を込めた笑みを浮かべた。

「……気づいたか」

 彼は席を立ち、リディアの隣に膝をついた。
 そして、彼女の手を取り、その指先に口づけを落とした。

「今日のスープの隠し味は……、極上の愛だ」

 真顔で。
 大真面目に。
 医学用語でも化学式でもなく、そんなキザな言葉を吐いた。

「えっ……!?」

 リディアはボッと音が出るほど顔を赤くした。

「も、もう! 真面目に聞いてるのに!」

「大真面目だ。……君を愛する気持ちがスパイスとなって、料理の分子構造に影響を与えたのかもしれん」

「……そんな非科学的なこと、ジェラルド様らしくありません」

「愛とは本来、非論理的なバグのようなものだ。……だが、たまにはこういうのも悪くない」

 ジェラルドはリディアの頬に手を添え、優しくキスをした。
 甘く、温かい、スープの余韻が残るキス。

 ここには幸せな食卓があり、窓の外には、美しい領地の風景が広がっている。

 亜麻の花が風に揺れ、アトリエ街からは槌音が響き、子供たちの笑い声が聞こえる。
 ここはリディアとジェラルドが作り上げた、二人にとっての、かけがえのない居場所。

 明日もまた、リディアは筆を取り、ジェラルドは包丁を握る。
 互いの才能を愛し、互いの心身を慈しみながら……。

 それは、これからもずっと続いていくことだろう。
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