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第8話:暖かい一皿
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ヴォルガード辺境伯邸は、屋敷というより要塞だった。
無骨な石積み、装飾を排した実用的な構造。
だが、その堅牢さは外敵から中身を確実に守るという明確な設計思想を感じさせ、エレノアには好ましく映った。
「到着だ」
馬車が止まると、アレクセイが扉を開ける。
エレノアはステップを降りるなり、周囲を見渡して眼鏡の位置を直した。
「素晴らしい。余計な装飾がなく、動線が確保しやすい構造です。……ところで閣下、私の実験室はどこでしょう? 移動中の揺れで思考が整理されたので、すぐに石鹸の試作に取り掛かりたいのですが」
長旅の疲れも見せず、エレノアは即座に業務開始を宣言した。
ワーカホリックな彼女にとって、新しい環境は新しい実験場に過ぎない。
だが、アレクセイは彼女の首根っこ――正確には襟元――をひょいと掴み、進路を阻んだ。
「実験室へのアクセス権限はまだ与えん」
「なっ……! 契約違反です。研究環境の提供は合意事項に含まれていたはずですが」
「その前に、補給だ」
アレクセイは有無を言わせぬ迫力で、エレノアをダイニングルームへと連行した。
「顔色が悪い。血糖値が低下している証拠だ。そんな状態で薬品を扱わせるわけにはいかん」
反論しようとした瞬間、エレノアの腹の虫が可愛らしく、明確に空腹を主張した。
生理現象という不可抗力な事実に、エレノアは口をつぐむしかなかった。
通された食堂でしばらく待っていると、湯気を立てる大きな鍋が運ばれていた。
蓋が開けられると、濃厚な香りが部屋中に広がる。
クリーム色のスープの中に、ごろごろとした野菜と肉がたっぷり沈んでいるのが見えた。
「これは……」
「俺が作った」
「はい?」
エレノアは思わずアレクセイの顔と鍋を交互に見た。
この巨漢が?
エプロンをつけて?
キッチンで?
「……意外か。辺境では補給こそが生命線だ。兵士の体調管理のために栄養学を学んでいたら、いつの間にか料理長より詳しくなっていただけだ」
アレクセイは平然と言いながら、自らの手でスープを皿によそい、エレノアの前に置いた。
「北の根菜と牛の脛肉を使った特製ポタージュだ。ビタミン群とタンパク質を効率よく摂取できる。特に脛肉のコラーゲンは、旅で荒れた皮膚組織の修復に役立つはずだ」
「……成分分析まで完璧ですね」
出されたスープを一口啜る。
――衝撃が走った。
濃厚なミルクのコクと、野菜の甘み。
ほろほろに煮込まれた肉は、舌の上で解けるように消える。
王宮の晩餐会で出される飾り立てられた料理よりも、遥かに身体が求めている味がした。
「美味しい……。味覚中枢が歓喜しています」
「そうか。なら全部食え」
アレクセイは満足げに頷き、自身も対面の席でスープを啜り始めた。
食事中、ふと視線を感じて顔を上げると、アレクセイがじっとこちらを見つめていた。
そして、彼は意外な言葉を口にするのだった。
無骨な石積み、装飾を排した実用的な構造。
だが、その堅牢さは外敵から中身を確実に守るという明確な設計思想を感じさせ、エレノアには好ましく映った。
「到着だ」
馬車が止まると、アレクセイが扉を開ける。
エレノアはステップを降りるなり、周囲を見渡して眼鏡の位置を直した。
「素晴らしい。余計な装飾がなく、動線が確保しやすい構造です。……ところで閣下、私の実験室はどこでしょう? 移動中の揺れで思考が整理されたので、すぐに石鹸の試作に取り掛かりたいのですが」
長旅の疲れも見せず、エレノアは即座に業務開始を宣言した。
ワーカホリックな彼女にとって、新しい環境は新しい実験場に過ぎない。
だが、アレクセイは彼女の首根っこ――正確には襟元――をひょいと掴み、進路を阻んだ。
「実験室へのアクセス権限はまだ与えん」
「なっ……! 契約違反です。研究環境の提供は合意事項に含まれていたはずですが」
「その前に、補給だ」
アレクセイは有無を言わせぬ迫力で、エレノアをダイニングルームへと連行した。
「顔色が悪い。血糖値が低下している証拠だ。そんな状態で薬品を扱わせるわけにはいかん」
反論しようとした瞬間、エレノアの腹の虫が可愛らしく、明確に空腹を主張した。
生理現象という不可抗力な事実に、エレノアは口をつぐむしかなかった。
通された食堂でしばらく待っていると、湯気を立てる大きな鍋が運ばれていた。
蓋が開けられると、濃厚な香りが部屋中に広がる。
クリーム色のスープの中に、ごろごろとした野菜と肉がたっぷり沈んでいるのが見えた。
「これは……」
「俺が作った」
「はい?」
エレノアは思わずアレクセイの顔と鍋を交互に見た。
この巨漢が?
エプロンをつけて?
キッチンで?
「……意外か。辺境では補給こそが生命線だ。兵士の体調管理のために栄養学を学んでいたら、いつの間にか料理長より詳しくなっていただけだ」
アレクセイは平然と言いながら、自らの手でスープを皿によそい、エレノアの前に置いた。
「北の根菜と牛の脛肉を使った特製ポタージュだ。ビタミン群とタンパク質を効率よく摂取できる。特に脛肉のコラーゲンは、旅で荒れた皮膚組織の修復に役立つはずだ」
「……成分分析まで完璧ですね」
出されたスープを一口啜る。
――衝撃が走った。
濃厚なミルクのコクと、野菜の甘み。
ほろほろに煮込まれた肉は、舌の上で解けるように消える。
王宮の晩餐会で出される飾り立てられた料理よりも、遥かに身体が求めている味がした。
「美味しい……。味覚中枢が歓喜しています」
「そうか。なら全部食え」
アレクセイは満足げに頷き、自身も対面の席でスープを啜り始めた。
食事中、ふと視線を感じて顔を上げると、アレクセイがじっとこちらを見つめていた。
そして、彼は意外な言葉を口にするのだった。
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