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第3話:泥臭い魚と青臭い野菜の真価
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バルディア辺境伯領は、想像以上に過酷な土地だった。
北からの寒風が吹き荒れ、土地は痩せている。
王都のような華やかさは微塵もなく、そこにあるのは生きるための戦いだけだ。
「……酷い有様ですね」
領都に到着した翌日、私はグレン様と共に川沿いの漁村を視察していた。
そこで目にしたのは、網にかかった大量の魚を、漁師たちが次々と川へ捨てている光景だった。
「ちょっと、待ってください! なぜ魚を捨てるのですか? 食料不足のこの領地で、そのようなタンパク質の廃棄は損失が大きすぎます!」
私が思わず声を張り上げると、漁師の一人が疲れた顔で振り返った。
「ああ? なんだ嬢ちゃん。こいつは泥食いって呼ばれる雑魚だ。身は水っぽいし、何より泥臭くて食えたもんじゃねえ。猫も跨いで通る代物さ」
見れば、それは体長30センチほどの川魚だった。
確かに川底の苔や泥を食べる種類は、独特の臭みを持つことが多い。
「煮ても焼いても泥の味しかしねえんだ。肥料にするにも手間がかかるし、捨てるしかねえんだよ」
「……いいえ、それは処理と加工が間違っているだけです」
私は落ちていた魚を一匹拾い上げた。
丸々と太っており、脂の乗りは悪くない。
これを無価値と断じるのは、知識の欠如による機会損失だ。
「グレン様、調理場と、ありったけのハーブ、それからサクラの木屑を用意させてください。あと、使い古した木箱も」
「……ほう? この臭い魚を食えるようにする気か?」
「ええ、その通りです」
私の指示で、村の広場に即席の加工場が作られた。
集まった村人たちが半信半疑で見守る中、私は袖をまくり上げる。
「まず、最も重要なのは血抜きです。魚が暴れて乳酸が溜まる前に即死させ、血を完全に抜く。これで臭みの半分は消えます」
手際よく魚を締め、エラと内臓を取り除き、冷たい井戸水で腹の中を徹底的に洗浄する。
次に、塩と数種類のハーブを擦り込み、脱水シートで包んで一晩置く。
そして、翌日。
「さて、仕上げです。20度以下の低温で、じっくりと煙を当てる冷燻を行います」
木箱の中でチップを燻らせる。
熱で火を通すのではなく、煙の成分だけを纏わせる高度な技術だ。
温度が上がれば身が煮えてパサパサになるため、外気温の低いこの辺境の気候は、皮肉にも冷燻に最適だった。
数時間後、飴色に輝く魚の切り身が完成した。
ナイフで薄くスライスすると、透き通るようなピンク色の断面が現れる。
「さあ、召し上がってみてください」
恐る恐る手を伸ばした漁師の親方が、一切れを口に放り込む。
瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
「――っ!? なんだこれ、うめえ!?」
「泥臭さが全くない……! むしろ、高級な生ハムみたいだぞ!?」
「ハーブと煙の香りが、脂の甘みを引き立ててやがる!」
村人たちが次々と手を伸ばし、歓声が上がる。
泥臭いと捨てられていた魚が、ねっとりと濃厚な旨味を持つ、極上の酒の肴に変わった瞬間だった。
「食えるだけじゃない……。これなら売れる! 王都の貴族だって欲しがるぞ!」
「貴重な収入源になるぞ。嬢ちゃん、あんた何者だ!? 女神様か!?」
涙を流して感謝する漁師たちを見て、私は小さく息を吐いた。
「女神ではありません。ただの、効率を愛する現実主義者です」
無価値だと思われていたものが、適切な技術によって輝き出す。
その光景は、王宮で切り捨てられた私自身が、ここで息を吹き返したことと重なり、少しだけ胸が熱くなった。
その日の夜。辺境伯邸にて。
私は食堂のテーブルで、目の前の皿と睨めっこをしていた。
「……グレン様。これは何でしょう?」
「野菜のポタージュだ。食え」
エプロン姿のグレン様が、無骨な手でスープ皿を押しやってくる。
実は、私は偏食家だ。
特に人参とピーマンなどの青臭い野菜が大の苦手である。
目の前のスープは鮮やかなオレンジ色をしている。
嫌な予感しかしない。
「私、満腹なので……」
「嘘をつくな。さっき腹が鳴っていただろう。今日の視察で疲弊しているはずだ。栄養を補給しろ」
「しかし……」
「安心しろ。お前の嫌いな青臭さは消してある」
逃げ場を塞がれ、私は観念してスプーンを口に運んだ。
……ん?
「……美味しい」
口に入れた瞬間、広がったのは濃厚なクリームのコクと、香ばしい燻製ベーコンの香りだった。
野菜特有のエグみや青臭さは微塵もなく、むしろ野菜の甘みがベーコンの塩気と絶妙にマッチしている。
「これ、本当に野菜ですか? まるで肉料理を食べているような満足感ですが」
「野菜を原型がなくなるまで煮込み、あめ色玉ねぎと、お前が作った燻製ベーコンの脂で香りをつけた」
グレン様は「食ったな」と満足げに笑い、自分も食べ始めた。
「お前の技術は素晴らしいが、自分の身体の管理は杜撰だからな。俺が管理してやる」
「……子供扱いしないでください」
文句を言いながらも、スプーンが止まらない。
悔しいけれど、完敗だ。
この強面の辺境伯様は、栄養の知識と料理の腕に関しては、私以上らしい。
「悪くない取引だろう? お前は領地の食材を救う。俺はお前の健康を救う」
「……そうですね。ウィンウィンの関係として、認めざるを得ません」
温かいスープが、冷え切った身体に染み渡っていく。
捨てられていた魚と、嫌いだった野菜。
ここでは全てが、手間と愛情によって価値あるものに変わっていくようだ。
私は空になったお皿を見て、明日もこの地で頑張ろうと、自然と思えるようになっていた。
北からの寒風が吹き荒れ、土地は痩せている。
王都のような華やかさは微塵もなく、そこにあるのは生きるための戦いだけだ。
「……酷い有様ですね」
領都に到着した翌日、私はグレン様と共に川沿いの漁村を視察していた。
そこで目にしたのは、網にかかった大量の魚を、漁師たちが次々と川へ捨てている光景だった。
「ちょっと、待ってください! なぜ魚を捨てるのですか? 食料不足のこの領地で、そのようなタンパク質の廃棄は損失が大きすぎます!」
私が思わず声を張り上げると、漁師の一人が疲れた顔で振り返った。
「ああ? なんだ嬢ちゃん。こいつは泥食いって呼ばれる雑魚だ。身は水っぽいし、何より泥臭くて食えたもんじゃねえ。猫も跨いで通る代物さ」
見れば、それは体長30センチほどの川魚だった。
確かに川底の苔や泥を食べる種類は、独特の臭みを持つことが多い。
「煮ても焼いても泥の味しかしねえんだ。肥料にするにも手間がかかるし、捨てるしかねえんだよ」
「……いいえ、それは処理と加工が間違っているだけです」
私は落ちていた魚を一匹拾い上げた。
丸々と太っており、脂の乗りは悪くない。
これを無価値と断じるのは、知識の欠如による機会損失だ。
「グレン様、調理場と、ありったけのハーブ、それからサクラの木屑を用意させてください。あと、使い古した木箱も」
「……ほう? この臭い魚を食えるようにする気か?」
「ええ、その通りです」
私の指示で、村の広場に即席の加工場が作られた。
集まった村人たちが半信半疑で見守る中、私は袖をまくり上げる。
「まず、最も重要なのは血抜きです。魚が暴れて乳酸が溜まる前に即死させ、血を完全に抜く。これで臭みの半分は消えます」
手際よく魚を締め、エラと内臓を取り除き、冷たい井戸水で腹の中を徹底的に洗浄する。
次に、塩と数種類のハーブを擦り込み、脱水シートで包んで一晩置く。
そして、翌日。
「さて、仕上げです。20度以下の低温で、じっくりと煙を当てる冷燻を行います」
木箱の中でチップを燻らせる。
熱で火を通すのではなく、煙の成分だけを纏わせる高度な技術だ。
温度が上がれば身が煮えてパサパサになるため、外気温の低いこの辺境の気候は、皮肉にも冷燻に最適だった。
数時間後、飴色に輝く魚の切り身が完成した。
ナイフで薄くスライスすると、透き通るようなピンク色の断面が現れる。
「さあ、召し上がってみてください」
恐る恐る手を伸ばした漁師の親方が、一切れを口に放り込む。
瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
「――っ!? なんだこれ、うめえ!?」
「泥臭さが全くない……! むしろ、高級な生ハムみたいだぞ!?」
「ハーブと煙の香りが、脂の甘みを引き立ててやがる!」
村人たちが次々と手を伸ばし、歓声が上がる。
泥臭いと捨てられていた魚が、ねっとりと濃厚な旨味を持つ、極上の酒の肴に変わった瞬間だった。
「食えるだけじゃない……。これなら売れる! 王都の貴族だって欲しがるぞ!」
「貴重な収入源になるぞ。嬢ちゃん、あんた何者だ!? 女神様か!?」
涙を流して感謝する漁師たちを見て、私は小さく息を吐いた。
「女神ではありません。ただの、効率を愛する現実主義者です」
無価値だと思われていたものが、適切な技術によって輝き出す。
その光景は、王宮で切り捨てられた私自身が、ここで息を吹き返したことと重なり、少しだけ胸が熱くなった。
その日の夜。辺境伯邸にて。
私は食堂のテーブルで、目の前の皿と睨めっこをしていた。
「……グレン様。これは何でしょう?」
「野菜のポタージュだ。食え」
エプロン姿のグレン様が、無骨な手でスープ皿を押しやってくる。
実は、私は偏食家だ。
特に人参とピーマンなどの青臭い野菜が大の苦手である。
目の前のスープは鮮やかなオレンジ色をしている。
嫌な予感しかしない。
「私、満腹なので……」
「嘘をつくな。さっき腹が鳴っていただろう。今日の視察で疲弊しているはずだ。栄養を補給しろ」
「しかし……」
「安心しろ。お前の嫌いな青臭さは消してある」
逃げ場を塞がれ、私は観念してスプーンを口に運んだ。
……ん?
「……美味しい」
口に入れた瞬間、広がったのは濃厚なクリームのコクと、香ばしい燻製ベーコンの香りだった。
野菜特有のエグみや青臭さは微塵もなく、むしろ野菜の甘みがベーコンの塩気と絶妙にマッチしている。
「これ、本当に野菜ですか? まるで肉料理を食べているような満足感ですが」
「野菜を原型がなくなるまで煮込み、あめ色玉ねぎと、お前が作った燻製ベーコンの脂で香りをつけた」
グレン様は「食ったな」と満足げに笑い、自分も食べ始めた。
「お前の技術は素晴らしいが、自分の身体の管理は杜撰だからな。俺が管理してやる」
「……子供扱いしないでください」
文句を言いながらも、スプーンが止まらない。
悔しいけれど、完敗だ。
この強面の辺境伯様は、栄養の知識と料理の腕に関しては、私以上らしい。
「悪くない取引だろう? お前は領地の食材を救う。俺はお前の健康を救う」
「……そうですね。ウィンウィンの関係として、認めざるを得ません」
温かいスープが、冷え切った身体に染み渡っていく。
捨てられていた魚と、嫌いだった野菜。
ここでは全てが、手間と愛情によって価値あるものに変わっていくようだ。
私は空になったお皿を見て、明日もこの地で頑張ろうと、自然と思えるようになっていた。
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