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第6話:救う煙と嫌われる煙
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領地の改革が進む中、新たな問題が私の元へ持ち込まれた。
それは、領地の三分の一を占める雑木林の扱いについてだった。
「……ルシア様。この森の木は、建築材には向かない曲がった雑木ばかりです。薪にするくらいしか用途がなく、二束三文にしかなりません」
案内してくれた木こりの親方は、ささくれ立った手を眺めながら自嘲気味に笑った。
彼らは代々この森で生きてきたが、「お前たちの森は無価値だ」と言われ続け、仕事への誇りを失いかけているようだった。
私は森の中を歩き、一本の木の皮を剥いで香りを確かめた。
……間違いない。
「親方。この木は山桜ですね? そちらにあるのはヒッコリー、あちらはナラ」
「はあ、まあそうですが……、どれも硬くて加工しにくい厄介者でして」
「とんでもない! これらは全て、燻製材のスモークチップとして最高級の素材です!」
私は興奮気味に声を上げた。
「サクラは香りが強く、肉の臭み消しに最適。ヒッコリーは万能で欠かせませんし、ナラは色付きが良です。ここは無価値どころか、宝の山ですよ!」
「た、宝……、ですか?」
「ええ。建築材として売るのではなく、細かく砕いて燻製用チップとして加工し、ブランド化して売り出しましょう。私が全量買い取りますし、他領への輸出も狙えます」
私の言葉に、木こりたちは顔を見合わせた。
彼らの瞳に、少しずつ光が戻っていく。
自分たちが守ってきた森が、実はとんでもない価値を秘めていたと知ったのだ。
「俺たちの森が……、宝……」
「へへっ、そうか。俺たちはゴミを守ってたんじゃなかったんだな!」
彼らの自己肯定感が回復していくのを確認し、私は次の指示を出した。
「それと、剪定した枝や落ち葉も捨てないでください。果樹園の方で使います」
「果樹園で? 何に使うんですか?」
「害虫駆除です」
その日の午後、私は領内の果樹園にいた。
ここでは害虫の発生に悩まされていたが、高い割には健康に害が出る農薬は敬遠され、農民が手作業で虫を捕るしかなく、疲弊しきっていた。
「風向きよし。……着火してください!」
私の号令と共に、果樹園の風上に設置された窯から、大量の煙が吐き出された。
ただし、これは食材用の煙ではない。防虫効果のあるハーブ(除虫菊など)や、刺激臭のある特定の木の葉を混ぜて燻した、農業用の燻煙だ。
白く重たい煙が、風に乗って果樹園全体を低く這うように覆っていく。
「うわっ、すげえ煙だ!」
「見てくれ! 虫たちが逃げていくぞ!」
煙に含まれる成分を嫌がり、葉についていた害虫たちが一斉に飛び去っていく。
殺虫剤ではないため環境負荷も低く、何よりコストは森の掃除で出た廃材だけだ。
「煙で虫を追い払うなんて……こんな発想、今までありませんでした!」
「これで今年の収穫は安泰だ! ルシア様、ありがとうございます!」
農民たちが歓喜の声を上げる。
それを見て私は満足げに頷いた。
「廃材利用でコストゼロ。収穫量は見込みで20%増。完璧な収支改善ですね」
隣で見ていたグレン様が、呆れたように、しかし誇らしげに笑った。
「お前は、本当にすごいな。嫌われ者の煙で、こうも人を救うとは」
「煙は扱い方次第で、毒にも薬にも、最高の調味料にもなりますから」
そう、扱い方を知っていれば、だ。
知識のない者が上辺だけ真似をすれば――どうなるか。
私はふと、遠い王都の空を見上げた。
*
同時刻、王都の王宮パーティー会場。
「さあ皆様! 本日のメインディッシュは、わたくしミリムが精魂込めて作らせた特製ロイヤルハムですわ!」
ピンク色のドレスを着たミリムが、誇らしげに巨大な肉塊を披露していた。
ルシアの追放後、王家の名物だったハムの在庫が尽き、各国の賓客をもてなす料理がなくなったため、ミリムが「私が代わりに作る!」と立候補したのだ。
「ルシア様がやっていたのを、見ていましたもの。ただ煙で燻すだけでしょう? 簡単ですわ!」
ミリムはそう豪語し、庭師に適当な木材を集めさせて燻製を行った。
しかし、彼女は知らなかった。
燻製には絶対に使ってはいけない木材があることを。
切り分けられたハムが、賓客たちの皿に配られる。
隣国の外交官が、期待に胸を膨らませて肉を口に運んだ。
「……むっ?」
咀嚼した瞬間、外交官の顔色が青ざめた。
次いで、苦悶の表情でナプキンに吐き出した。
「な、なんだこれは!? 酸っぱいぞ!?」
「舌が痺れる! まるで薬品か、タールを食べているようだ!」
「不味い! こんな料理を出すとは、我が国を侮辱しているのか!?」
会場は阿鼻叫喚の嵐となった。
それもそのはず。
ミリムが使ったのは、庭にあった松の木だった。
松のように樹脂(ヤニ)を多く含む針葉樹を燻製に使うと、大量のススとタールが発生し、肉が黒ずんで酸っぱくなり、食べられたものではなくなる。
これは燻製の基礎中の基礎だ。
「え、えっ? どうして? 煙で燻したのに……」
ミリムが青ざめて後ずさる。
王太子ジェラールが慌てて叫ぶ。
「ま、待ってくれ! これは何かの手違いで……!」
「ええい、黙れ! 王家御用達のハムと聞いて楽しみにしていたのに、泥を食べさせられるとは! 今日の交渉は中止だ!」
賓客たちは怒り狂って退席し、パーティーは崩壊した。
残されたのは、真っ黒に煤けた酸っぱい肉塊と、立ち尽くすミリム、そして頭を抱えるジェラールだけ。
「どうして……、ルシアはあんなに簡単に作っていたのに……」
ミリムの呟きは、誰にも届かなかった。
技術への敬意を欠き、表面だけを模倣した者の末路は、あまりにも酷いものとなった。
*
そんな王都の惨状など知る由もなく、私は辺境の夜空の下、グレン様と共に最高級のサクラチップで燻したチーズを味わっていた。
「……ん、良い香りです。やはり燻すための素材選びが命ですね」
「ああ。この深い味わいは、一朝一夕では出せまい」
本物の価値は、見えない基礎の積み重ねにあるのだ。
それは、領地の三分の一を占める雑木林の扱いについてだった。
「……ルシア様。この森の木は、建築材には向かない曲がった雑木ばかりです。薪にするくらいしか用途がなく、二束三文にしかなりません」
案内してくれた木こりの親方は、ささくれ立った手を眺めながら自嘲気味に笑った。
彼らは代々この森で生きてきたが、「お前たちの森は無価値だ」と言われ続け、仕事への誇りを失いかけているようだった。
私は森の中を歩き、一本の木の皮を剥いで香りを確かめた。
……間違いない。
「親方。この木は山桜ですね? そちらにあるのはヒッコリー、あちらはナラ」
「はあ、まあそうですが……、どれも硬くて加工しにくい厄介者でして」
「とんでもない! これらは全て、燻製材のスモークチップとして最高級の素材です!」
私は興奮気味に声を上げた。
「サクラは香りが強く、肉の臭み消しに最適。ヒッコリーは万能で欠かせませんし、ナラは色付きが良です。ここは無価値どころか、宝の山ですよ!」
「た、宝……、ですか?」
「ええ。建築材として売るのではなく、細かく砕いて燻製用チップとして加工し、ブランド化して売り出しましょう。私が全量買い取りますし、他領への輸出も狙えます」
私の言葉に、木こりたちは顔を見合わせた。
彼らの瞳に、少しずつ光が戻っていく。
自分たちが守ってきた森が、実はとんでもない価値を秘めていたと知ったのだ。
「俺たちの森が……、宝……」
「へへっ、そうか。俺たちはゴミを守ってたんじゃなかったんだな!」
彼らの自己肯定感が回復していくのを確認し、私は次の指示を出した。
「それと、剪定した枝や落ち葉も捨てないでください。果樹園の方で使います」
「果樹園で? 何に使うんですか?」
「害虫駆除です」
その日の午後、私は領内の果樹園にいた。
ここでは害虫の発生に悩まされていたが、高い割には健康に害が出る農薬は敬遠され、農民が手作業で虫を捕るしかなく、疲弊しきっていた。
「風向きよし。……着火してください!」
私の号令と共に、果樹園の風上に設置された窯から、大量の煙が吐き出された。
ただし、これは食材用の煙ではない。防虫効果のあるハーブ(除虫菊など)や、刺激臭のある特定の木の葉を混ぜて燻した、農業用の燻煙だ。
白く重たい煙が、風に乗って果樹園全体を低く這うように覆っていく。
「うわっ、すげえ煙だ!」
「見てくれ! 虫たちが逃げていくぞ!」
煙に含まれる成分を嫌がり、葉についていた害虫たちが一斉に飛び去っていく。
殺虫剤ではないため環境負荷も低く、何よりコストは森の掃除で出た廃材だけだ。
「煙で虫を追い払うなんて……こんな発想、今までありませんでした!」
「これで今年の収穫は安泰だ! ルシア様、ありがとうございます!」
農民たちが歓喜の声を上げる。
それを見て私は満足げに頷いた。
「廃材利用でコストゼロ。収穫量は見込みで20%増。完璧な収支改善ですね」
隣で見ていたグレン様が、呆れたように、しかし誇らしげに笑った。
「お前は、本当にすごいな。嫌われ者の煙で、こうも人を救うとは」
「煙は扱い方次第で、毒にも薬にも、最高の調味料にもなりますから」
そう、扱い方を知っていれば、だ。
知識のない者が上辺だけ真似をすれば――どうなるか。
私はふと、遠い王都の空を見上げた。
*
同時刻、王都の王宮パーティー会場。
「さあ皆様! 本日のメインディッシュは、わたくしミリムが精魂込めて作らせた特製ロイヤルハムですわ!」
ピンク色のドレスを着たミリムが、誇らしげに巨大な肉塊を披露していた。
ルシアの追放後、王家の名物だったハムの在庫が尽き、各国の賓客をもてなす料理がなくなったため、ミリムが「私が代わりに作る!」と立候補したのだ。
「ルシア様がやっていたのを、見ていましたもの。ただ煙で燻すだけでしょう? 簡単ですわ!」
ミリムはそう豪語し、庭師に適当な木材を集めさせて燻製を行った。
しかし、彼女は知らなかった。
燻製には絶対に使ってはいけない木材があることを。
切り分けられたハムが、賓客たちの皿に配られる。
隣国の外交官が、期待に胸を膨らませて肉を口に運んだ。
「……むっ?」
咀嚼した瞬間、外交官の顔色が青ざめた。
次いで、苦悶の表情でナプキンに吐き出した。
「な、なんだこれは!? 酸っぱいぞ!?」
「舌が痺れる! まるで薬品か、タールを食べているようだ!」
「不味い! こんな料理を出すとは、我が国を侮辱しているのか!?」
会場は阿鼻叫喚の嵐となった。
それもそのはず。
ミリムが使ったのは、庭にあった松の木だった。
松のように樹脂(ヤニ)を多く含む針葉樹を燻製に使うと、大量のススとタールが発生し、肉が黒ずんで酸っぱくなり、食べられたものではなくなる。
これは燻製の基礎中の基礎だ。
「え、えっ? どうして? 煙で燻したのに……」
ミリムが青ざめて後ずさる。
王太子ジェラールが慌てて叫ぶ。
「ま、待ってくれ! これは何かの手違いで……!」
「ええい、黙れ! 王家御用達のハムと聞いて楽しみにしていたのに、泥を食べさせられるとは! 今日の交渉は中止だ!」
賓客たちは怒り狂って退席し、パーティーは崩壊した。
残されたのは、真っ黒に煤けた酸っぱい肉塊と、立ち尽くすミリム、そして頭を抱えるジェラールだけ。
「どうして……、ルシアはあんなに簡単に作っていたのに……」
ミリムの呟きは、誰にも届かなかった。
技術への敬意を欠き、表面だけを模倣した者の末路は、あまりにも酷いものとなった。
*
そんな王都の惨状など知る由もなく、私は辺境の夜空の下、グレン様と共に最高級のサクラチップで燻したチーズを味わっていた。
「……ん、良い香りです。やはり燻すための素材選びが命ですね」
「ああ。この深い味わいは、一朝一夕では出せまい」
本物の価値は、見えない基礎の積み重ねにあるのだ。
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