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第5話:効率的なお出掛けと夜の経済
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領地の食糧事情が改善し始めたある晴れた休日。
私はグレン様に連れられ、領都のメインストリートを歩いていた。
「……グレン様。念のために確認しますが、これは普通のお出掛けという認識でよろしいのでしょうか?」
「ああ、そうだ。たまには息抜きも必要だろう」
隣を歩くグレン様は、堅苦しい格好ではないが、それでも隠しきれない筋肉の厚みと鋭い眼光のせいで、道行く人々が道を空けていく。
私は手元のメモ帳に視線を落としながら答えた。
「分かりました。では、市場の食料庫の在庫チェックを行うついでに、あなたが兵士たちの巡回ルートと栄養指導を確認する。これぞ完璧なタイムパフォーマンスですね」
「……たまには無駄を楽しめないのか、お前は」
グレン様が深い溜息をついた。
「まあ、働くお前の横顔も悪くないがな。だが今日は、俺の横を歩くことだけに集中しろ」
「善処します。ですが、職業病なもので」
そんな会話をしながら市場の裏通りへ差し掛かった時、鼻を突く異臭が漂ってきた。
生臭く、鉄錆のような匂い。
見れば、精肉店の裏手で、職人たちが大量の何かを木桶に捨てているところだった。
「……あれは、モツですね」
「ああ。この辺りじゃ不浄肉って呼んでる。臭みが強すぎて食えたもんじゃないからな。野良犬も食わない」
グレン様が顔をしかめる。
確かに、適切な処理をしなければ内臓はただの悪臭の発生源だ。
しかし、私にはそれが宝の山に見えた。
「ストップです。あの廃棄肉、全て買い取ります」
「はあ? 正気か?」
「内臓はビタミンとミネラルの塊です。これを捨てるのは大きな損失です。それに……」
私はニヤリと笑った。
「夜の酒場の売上を、劇的に向上させる起爆剤になりますよ」
一時間後。
広場の一角を借りた私たちは、即席の屋台を開いていた。
「まずは徹底的な洗浄です! 塩と小麦粉で揉み洗いし、ヌメリと臭みを完全に除去します!」
私が指示を出し、下処理を終えたモツを茹でこぼす。
そしてここからが共同作業だ。
「グレン様、臭み消しのスパイス調合をお願いします。あなたの嗅覚とセンスは信頼していますから」
「……ここに来てまで料理させられるとはな。まあいい」
グレン様は文句を言いながらも、手際よく数種類のハーブとクミン、ガーリック、ブラックペッパーなどを調合していく。
その手つきは職人そのものだ。
スパイスを揉み込んだモツを、桜のチップで強めに燻製する。
最後に鉄板で焼き上げれば――
「はい、特製モツの燻製焼きの完成です」
強烈なスパイスの香りと、燻製のスモーキーな香りが混ざり合い、暴力的なまでの食欲を刺激する匂いが市場に爆発した。
通りがかりの男たちが、ふらふらと吸い寄せられてくる。
「な、なんだこの匂いは……!?」
「こいつは、捨ててたモツか? 嘘だろ?」
試食が出されると、男たちは目を剥いた。
「うまい!!」
「噛めば噛むほど旨味が溢れてきやがる!」
「おい、酒だ! こいつは最高のアテだぞ!」
あっという間に行列ができ、近隣の酒場から樽ごとエールが運び込まれてくる。
捨てられていたゴミが、安くて美味い最高のおツマミに変わった瞬間だ。
労働者たちは安価で栄養満点の肉を楽しみ、酒場は酒が飛ぶように売れて笑いが止まらない。
「……すごいな。お前の手にかかれば、どんな廃材も金貨に変わる」
「ふふ、原価がタダ同然ですからね」
私が満足げに頷いていると、屋台の隅で子供たちが騒いでいるのが見えた。
母親たちが困った顔をしている。
「やだー! 野菜きらーい!」
「お肉がいいー!」
栄養不足解消のために配給された生野菜スティックを、子供たちが拒否しているのだ。
その気持ちは痛いほど分かる。
「……仕方ありませんね。子供たちの舌を騙すための最終兵器を出しましょう」
私は懐から小瓶を取り出した。
中に入っているのは、燻製した植物油と、新鮮な卵黄、酢を乳化させて作った特製調味料。
「これを野菜につけてみなさい」
子供たちに小皿を差し出す。
黄金色のクリームをつけた人参を、男の子が恐る恐る齧った。
「……!」
次の瞬間、男の子の目が輝いた。
「おいしい! ベーコンの味がする!」
「えー、ほんと? ……あ、ほんとだ! 煙のいい匂いがする!」
それは燻製マヨネーズだ。
油自体を燻製にすることで、強烈なスモーキーフレーバーを付加したマヨネーズだ。
これをつければ、どんな青臭い野菜も燻製風味のこってりしたスナックのような味に変わる。
「野菜、もっとちょうだい!」
「僕も僕も!」
あれほど嫌がっていた子供たちが、我先にと野菜スティックを奪い合い始めた。
その光景を見て、母親たちが「信じられない……」と私に感謝の眼差しを向けてくる。
「ルシア様、ありがとうございます! あの子たちが野菜を食べるなんて……」
「魔法使い様みたいだわ!」
あちこちから聞こえる「ありがとう」の声。
酒場の親父も、肉屋の主人も、母親たちも、みんなが笑顔で私を見ている。
王宮では蔑まれていた私の技術が、ここではこんなにも多くの人を笑顔にしている。
その事実が、胸の奥をじんわりと温かくした。
「……悪くないだろう?」
隣でグレン様が、優しい声で囁いた。
「お前が作ったのは、ただの料理じゃない。この街の活気そのものだ。みんな、お前に感謝してる」
「……当然の結果を出したまでです」
私は照れ隠しにそっぽを向いたが、口元の緩みまでは隠せなかったようだ。
「ふっ、素直じゃないな。まあいい、今日はここまでにしよう。帰って、俺たちも一杯やるとするか」
「ええ。最高のモツ焼きと、ヴィンテージのワインで乾杯しましょう」
夕暮れの市場。
活気に満ちた人々の笑い声を背に、私たちは屋敷への帰路についた。
効率ばかり気にしていた私の心に、無駄という名の幸福が少しずつ積もっていくのを、確かに感じていた。
私はグレン様に連れられ、領都のメインストリートを歩いていた。
「……グレン様。念のために確認しますが、これは普通のお出掛けという認識でよろしいのでしょうか?」
「ああ、そうだ。たまには息抜きも必要だろう」
隣を歩くグレン様は、堅苦しい格好ではないが、それでも隠しきれない筋肉の厚みと鋭い眼光のせいで、道行く人々が道を空けていく。
私は手元のメモ帳に視線を落としながら答えた。
「分かりました。では、市場の食料庫の在庫チェックを行うついでに、あなたが兵士たちの巡回ルートと栄養指導を確認する。これぞ完璧なタイムパフォーマンスですね」
「……たまには無駄を楽しめないのか、お前は」
グレン様が深い溜息をついた。
「まあ、働くお前の横顔も悪くないがな。だが今日は、俺の横を歩くことだけに集中しろ」
「善処します。ですが、職業病なもので」
そんな会話をしながら市場の裏通りへ差し掛かった時、鼻を突く異臭が漂ってきた。
生臭く、鉄錆のような匂い。
見れば、精肉店の裏手で、職人たちが大量の何かを木桶に捨てているところだった。
「……あれは、モツですね」
「ああ。この辺りじゃ不浄肉って呼んでる。臭みが強すぎて食えたもんじゃないからな。野良犬も食わない」
グレン様が顔をしかめる。
確かに、適切な処理をしなければ内臓はただの悪臭の発生源だ。
しかし、私にはそれが宝の山に見えた。
「ストップです。あの廃棄肉、全て買い取ります」
「はあ? 正気か?」
「内臓はビタミンとミネラルの塊です。これを捨てるのは大きな損失です。それに……」
私はニヤリと笑った。
「夜の酒場の売上を、劇的に向上させる起爆剤になりますよ」
一時間後。
広場の一角を借りた私たちは、即席の屋台を開いていた。
「まずは徹底的な洗浄です! 塩と小麦粉で揉み洗いし、ヌメリと臭みを完全に除去します!」
私が指示を出し、下処理を終えたモツを茹でこぼす。
そしてここからが共同作業だ。
「グレン様、臭み消しのスパイス調合をお願いします。あなたの嗅覚とセンスは信頼していますから」
「……ここに来てまで料理させられるとはな。まあいい」
グレン様は文句を言いながらも、手際よく数種類のハーブとクミン、ガーリック、ブラックペッパーなどを調合していく。
その手つきは職人そのものだ。
スパイスを揉み込んだモツを、桜のチップで強めに燻製する。
最後に鉄板で焼き上げれば――
「はい、特製モツの燻製焼きの完成です」
強烈なスパイスの香りと、燻製のスモーキーな香りが混ざり合い、暴力的なまでの食欲を刺激する匂いが市場に爆発した。
通りがかりの男たちが、ふらふらと吸い寄せられてくる。
「な、なんだこの匂いは……!?」
「こいつは、捨ててたモツか? 嘘だろ?」
試食が出されると、男たちは目を剥いた。
「うまい!!」
「噛めば噛むほど旨味が溢れてきやがる!」
「おい、酒だ! こいつは最高のアテだぞ!」
あっという間に行列ができ、近隣の酒場から樽ごとエールが運び込まれてくる。
捨てられていたゴミが、安くて美味い最高のおツマミに変わった瞬間だ。
労働者たちは安価で栄養満点の肉を楽しみ、酒場は酒が飛ぶように売れて笑いが止まらない。
「……すごいな。お前の手にかかれば、どんな廃材も金貨に変わる」
「ふふ、原価がタダ同然ですからね」
私が満足げに頷いていると、屋台の隅で子供たちが騒いでいるのが見えた。
母親たちが困った顔をしている。
「やだー! 野菜きらーい!」
「お肉がいいー!」
栄養不足解消のために配給された生野菜スティックを、子供たちが拒否しているのだ。
その気持ちは痛いほど分かる。
「……仕方ありませんね。子供たちの舌を騙すための最終兵器を出しましょう」
私は懐から小瓶を取り出した。
中に入っているのは、燻製した植物油と、新鮮な卵黄、酢を乳化させて作った特製調味料。
「これを野菜につけてみなさい」
子供たちに小皿を差し出す。
黄金色のクリームをつけた人参を、男の子が恐る恐る齧った。
「……!」
次の瞬間、男の子の目が輝いた。
「おいしい! ベーコンの味がする!」
「えー、ほんと? ……あ、ほんとだ! 煙のいい匂いがする!」
それは燻製マヨネーズだ。
油自体を燻製にすることで、強烈なスモーキーフレーバーを付加したマヨネーズだ。
これをつければ、どんな青臭い野菜も燻製風味のこってりしたスナックのような味に変わる。
「野菜、もっとちょうだい!」
「僕も僕も!」
あれほど嫌がっていた子供たちが、我先にと野菜スティックを奪い合い始めた。
その光景を見て、母親たちが「信じられない……」と私に感謝の眼差しを向けてくる。
「ルシア様、ありがとうございます! あの子たちが野菜を食べるなんて……」
「魔法使い様みたいだわ!」
あちこちから聞こえる「ありがとう」の声。
酒場の親父も、肉屋の主人も、母親たちも、みんなが笑顔で私を見ている。
王宮では蔑まれていた私の技術が、ここではこんなにも多くの人を笑顔にしている。
その事実が、胸の奥をじんわりと温かくした。
「……悪くないだろう?」
隣でグレン様が、優しい声で囁いた。
「お前が作ったのは、ただの料理じゃない。この街の活気そのものだ。みんな、お前に感謝してる」
「……当然の結果を出したまでです」
私は照れ隠しにそっぽを向いたが、口元の緩みまでは隠せなかったようだ。
「ふっ、素直じゃないな。まあいい、今日はここまでにしよう。帰って、俺たちも一杯やるとするか」
「ええ。最高のモツ焼きと、ヴィンテージのワインで乾杯しましょう」
夕暮れの市場。
活気に満ちた人々の笑い声を背に、私たちは屋敷への帰路についた。
効率ばかり気にしていた私の心に、無駄という名の幸福が少しずつ積もっていくのを、確かに感じていた。
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