殿下から「華のない女」と婚約破棄されましたが、王国の食糧庫を支えていたのは、実は私です

水上

文字の大きさ
5 / 11

第5話:効率的なお出掛けと夜の経済

しおりを挟む
 領地の食糧事情が改善し始めたある晴れた休日。
 私はグレン様に連れられ、領都のメインストリートを歩いていた。

「……グレン様。念のために確認しますが、これは普通のお出掛けという認識でよろしいのでしょうか?」

「ああ、そうだ。たまには息抜きも必要だろう」

 隣を歩くグレン様は、堅苦しい格好ではないが、それでも隠しきれない筋肉の厚みと鋭い眼光のせいで、道行く人々が道を空けていく。

 私は手元のメモ帳に視線を落としながら答えた。

「分かりました。では、市場の食料庫の在庫チェックを行うついでに、あなたが兵士たちの巡回ルートと栄養指導を確認する。これぞ完璧なタイムパフォーマンスですね」

「……たまには無駄を楽しめないのか、お前は」

 グレン様が深い溜息をついた。

「まあ、働くお前の横顔も悪くないがな。だが今日は、俺の横を歩くことだけに集中しろ」

「善処します。ですが、職業病なもので」

 そんな会話をしながら市場の裏通りへ差し掛かった時、鼻を突く異臭が漂ってきた。

 生臭く、鉄錆のような匂い。
 見れば、精肉店の裏手で、職人たちが大量の何かを木桶に捨てているところだった。

「……あれは、モツですね」
「ああ。この辺りじゃ不浄肉って呼んでる。臭みが強すぎて食えたもんじゃないからな。野良犬も食わない」

 グレン様が顔をしかめる。

 確かに、適切な処理をしなければ内臓はただの悪臭の発生源だ。
 しかし、私にはそれが宝の山に見えた。

「ストップです。あの廃棄肉、全て買い取ります」

「はあ? 正気か?」

「内臓はビタミンとミネラルの塊です。これを捨てるのは大きな損失です。それに……」

 私はニヤリと笑った。

「夜の酒場の売上を、劇的に向上させる起爆剤になりますよ」

 一時間後。
 広場の一角を借りた私たちは、即席の屋台を開いていた。

「まずは徹底的な洗浄です! 塩と小麦粉で揉み洗いし、ヌメリと臭みを完全に除去します!」

 私が指示を出し、下処理を終えたモツを茹でこぼす。

 そしてここからが共同作業だ。

「グレン様、臭み消しのスパイス調合をお願いします。あなたの嗅覚とセンスは信頼していますから」

「……ここに来てまで料理させられるとはな。まあいい」

 グレン様は文句を言いながらも、手際よく数種類のハーブとクミン、ガーリック、ブラックペッパーなどを調合していく。

 その手つきは職人そのものだ。
 スパイスを揉み込んだモツを、桜のチップで強めに燻製する。

 最後に鉄板で焼き上げれば――

「はい、特製モツの燻製焼きの完成です」

 強烈なスパイスの香りと、燻製のスモーキーな香りが混ざり合い、暴力的なまでの食欲を刺激する匂いが市場に爆発した。

 通りがかりの男たちが、ふらふらと吸い寄せられてくる。

「な、なんだこの匂いは……!?」

「こいつは、捨ててたモツか? 嘘だろ?」

 試食が出されると、男たちは目を剥いた。

「うまい!!」

「噛めば噛むほど旨味が溢れてきやがる!」

「おい、酒だ! こいつは最高のアテだぞ!」

 あっという間に行列ができ、近隣の酒場から樽ごとエールが運び込まれてくる。

 捨てられていたゴミが、安くて美味い最高のおツマミに変わった瞬間だ。

 労働者たちは安価で栄養満点の肉を楽しみ、酒場は酒が飛ぶように売れて笑いが止まらない。

「……すごいな。お前の手にかかれば、どんな廃材も金貨に変わる」

「ふふ、原価がタダ同然ですからね」

 私が満足げに頷いていると、屋台の隅で子供たちが騒いでいるのが見えた。
 母親たちが困った顔をしている。

「やだー! 野菜きらーい!」

「お肉がいいー!」

 栄養不足解消のために配給された生野菜スティックを、子供たちが拒否しているのだ。

 その気持ちは痛いほど分かる。

「……仕方ありませんね。子供たちの舌を騙すための最終兵器を出しましょう」

 私は懐から小瓶を取り出した。
 中に入っているのは、燻製した植物油と、新鮮な卵黄、酢を乳化させて作った特製調味料。

「これを野菜につけてみなさい」

 子供たちに小皿を差し出す。
 黄金色のクリームをつけた人参を、男の子が恐る恐る齧った。

「……!」

 次の瞬間、男の子の目が輝いた。

「おいしい! ベーコンの味がする!」

「えー、ほんと? ……あ、ほんとだ! 煙のいい匂いがする!」

 それは燻製マヨネーズだ。

 油自体を燻製にすることで、強烈なスモーキーフレーバーを付加したマヨネーズだ。
 これをつければ、どんな青臭い野菜も燻製風味のこってりしたスナックのような味に変わる。

「野菜、もっとちょうだい!」

「僕も僕も!」

 あれほど嫌がっていた子供たちが、我先にと野菜スティックを奪い合い始めた。
 その光景を見て、母親たちが「信じられない……」と私に感謝の眼差しを向けてくる。

「ルシア様、ありがとうございます! あの子たちが野菜を食べるなんて……」

「魔法使い様みたいだわ!」

 あちこちから聞こえる「ありがとう」の声。
 酒場の親父も、肉屋の主人も、母親たちも、みんなが笑顔で私を見ている。

 王宮では蔑まれていた私の技術が、ここではこんなにも多くの人を笑顔にしている。
 その事実が、胸の奥をじんわりと温かくした。

「……悪くないだろう?」

 隣でグレン様が、優しい声で囁いた。

「お前が作ったのは、ただの料理じゃない。この街の活気そのものだ。みんな、お前に感謝してる」

「……当然の結果を出したまでです」

 私は照れ隠しにそっぽを向いたが、口元の緩みまでは隠せなかったようだ。

「ふっ、素直じゃないな。まあいい、今日はここまでにしよう。帰って、俺たちも一杯やるとするか」

「ええ。最高のモツ焼きと、ヴィンテージのワインで乾杯しましょう」

 夕暮れの市場。
 活気に満ちた人々の笑い声を背に、私たちは屋敷への帰路についた。

 効率ばかり気にしていた私の心に、無駄という名の幸福が少しずつ積もっていくのを、確かに感じていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様

恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。 不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、 伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。 感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、 ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。 「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」 足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。 「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」 一度凍りついた心は、二度と溶けない。 後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、 終わりのない贖罪の記録。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

婚約破棄されたけど、どうして王子が泣きながら戻ってくるんですか?

ほーみ
恋愛
「――よって、リリアーヌ・アルフェン嬢との婚約は、ここに破棄とする!」  華やかな夜会の真っ最中。  王子の口から堂々と告げられたその言葉に、場は静まり返った。 「……あ、そうなんですね」  私はにこやかにワイングラスを口元に運ぶ。周囲の貴族たちがどよめく中、口をぽかんと開けたままの王子に、私は笑顔でさらに一言添えた。 「で? 次のご予定は?」 「……は?」

婚約破棄された傷心令嬢です。

あんど もあ
ファンタジー
王立学園に在学するコレットは、友人のマデリーヌが退学になった事を知る。マデリーヌは、コレットと親しくしつつコレットの婚約者のフランツを狙っていたのだが……。そして今、フランツの横にはカタリナが。 したたかでたくましいコレットの話。

婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 完璧であることを求められ続けてきた令嬢エリシア。 だがある日、彼女は一方的に婚約を破棄される。 理由は簡単だった。 「君は役に立ちすぎた」から。 すべてを失ったはずの彼女が身を寄せたのは、 “静かな公爵”と呼ばれるアルトゥール・クロイツの屋敷。 そこで待っていたのは―― 期待も、役割も、努力の強要もない日々だった。 前に出なくていい。 誰かのために壊れなくていい。 何もしなくても、ここにいていい。 「第二の人生……いえ、これからが本当の人生です」 婚約破棄ざまぁのその先で描かれる、 何者にもならなくていいヒロインの再生と、 放っておく優しさに満ちた静かな溺愛。 これは、 “役に立たなくなった”令嬢が、 ようやく自分として生き始める物語。

お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!

にのまえ
恋愛
 すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。  公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。  家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。  だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、  舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。

母を亡くした公爵令嬢は、虐げられないが、今日も願いが叶わない

春風由実
恋愛
「何故お前が生きた?」 それは怪我をして長く眠っていたエルリカが、目覚めた直後に父親である公爵から掛けられた言葉だった。 「お前こそが、女神の元に行くべきだった!」 父親から強い口調で詰られたエルリカ。 普通の令嬢は、ここで泣くか、その後立ち直れなくなるという。 けれどエルリカは違った。 「あなたこそ、何をのうのうと元気にしているのですか?」 そうしてこの日父娘は、それぞれに絶縁を宣言した。 以来、母方の祖父母に引き取られ、侯爵領で過ごしてきたエルリカ。 ところが公爵は、いつまでもエルリカを除籍する手続きを実行しなかった。 おかげで名ばかりの公爵令嬢のまま、エルリカが王都へと戻る日がやって来てしまう──。

愚かな王太子に味方はいない

遥彼方
恋愛
「オレリア・ヴァスール・ド・ユベール。君との婚約を破棄する」  20歳の誕生日パーティーの場で、俺は腕に別の令嬢をぶら下げて、婚約者であるオレリアに婚約破棄を言い渡した。  容姿も剣も頭も凡庸で、愚直で陰気な王太子の俺。  全てにおいて秀才で、華麗な傑物の第二王子の弟。  ある日王太子は、楽しそうに笑い合う婚約者と弟を見てしまう。 二話目から視点を変えて、断罪劇の裏側と、真実が明らかになっていきます。 3万文字強。全8話。「悪女の真実と覚悟」までで本編完結。 その後は番外編です。 この作品は「小説になろう」にも掲載しております。

死んで初めて分かったこと

ルーシャオ
恋愛
ヴィリジアの王女ロザリアは、大国アルデラ王国のエアル王子の婚約者として王城で暮らしていたが、エアル王子には罵倒され遠ざけられ続け、次第に周辺の人々も近づかなくなっていた。 しかし、エアル王子が故郷ヴィリジアを滅ぼしたことをきっかけに、ロザリアは何もかもを諦める。「殿下。あなた様との婚約は、破棄いたします」、そう宣言して、ロザリアは——。

処理中です...