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第7話:王都から消えた職人たち
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領内の食糧事情が安定し、食品加工のサイクルが回り始めた頃、私は新たな産業改革に着手していた。
目をつけたのは、革製品だ。
辺境伯領は武門の家柄ゆえ、武具の需要が高い。
しかし、ここで作られる革鎧やブーツは硬くて臭いのが欠点だった。
「なめしが甘いですね。これでは雨に濡れるとすぐに腐るか、乾燥してひび割れてしまいます」
工房を訪れた私は、カチカチに硬化した革を見て指摘した。
革職人の親方は、困り果てた顔で頭を掻く。
「へえ。ですがルシア様、うちには王都のような高いなめし剤を買う予算がねえんです。塩と油で揉むのが精一杯で……」
「予算がないなら、知恵を使いましょう。グレン様、狩りで出た動物の脳漿は残っていますか?」
「……は? 脳みそか? 捨てるか焼くかしているが」
「それを使います」
私が指示したのは、古来より伝わる脳漿なめしと、燻煙を組み合わせたハイブリッド技法だ。
動物の脳に含まれる脂質と酵素は、革の繊維を柔らかくほぐす天然の乳化剤となる。
「脳漿をペースト状にして革に擦り込み、よく揉んでください。そして仕上げに――この燻製部屋に入れます」
私は職人たちに、革を煙で燻す工程を実演させた。
ただ香りをつけるためではない。
煙に含まれる成分が、革のタンパク質と結合し、強力な防腐・防水効果を発揮するのだ。
数日後。
完成した革を手に取った職人たちは、その感触に息を呑んだ。
「な、なんだこれ……! 布みたいに柔らかいぞ!」
「それに、あの嫌な腐敗臭が消えて、上品な煙の香りがする……!」
「水を弾くぞ! これなら雨の日の行軍でも足が濡れねえ!」
武骨で使いにくかった革製品が、しなやかで丈夫な高級品へと進化した瞬間だ。
「食品加工で使うスモークハウスの空き時間を利用すれば、燃料費もかかりません。これで武具の品質向上とコストダウンを同時に達成です」
「すげえ……! ルシア様は魔法使いだ!」
改革は止まらない。
次に私が目をつけたのは、スモークハウスの煙突掃除で出る厄介者だった。
「ルシア様、煙突の煤払いが終わりました。いやあ、真っ黒でベタベタして、処理が大変です」
顔を真っ黒にした掃除係の少年が、バケツ一杯の煤を持って報告に来た。
通常なら、これはただの産業廃棄物だ。
だが、私の目には黒いダイヤモンドに見えていた。
「ご苦労さま。その煤、絶対に捨てないでくださいね」
「えっ? こんな汚れ物をですか?」
「この煤は、純度の高い微粒子炭素です。これを集めて、動物の皮や骨を煮出して作った膠と練り合わせれば……」
私は実験室で試作した小瓶を見せた。
中には漆黒の液体が入っている。
羽ペンを浸し、紙に線を引く。
滑らかな書き味、深く濃い黒色、そして滲まない定着力。
「最高級の黒インクになります」
グレン様が目を見開いて、紙を覗き込んだ。
「……おい、インクといったら輸入コストがかかる級品だぞ。それが、煙突のゴミから作れるのか?」
「はい。原料費はほぼゼロ。売値は市場価格の半額でも十分な利益が出ます。役所の事務用品費も大幅に削減できますね」
「お前……、本当に無駄というものを許さないな」
グレン様は呆れたように笑ったが、その目は称賛に輝いていた。
掃除係の少年には、インクの売上から特別ボーナスを出すことを約束した。
彼は歓喜し、煙突掃除は領内で一番人気のアルバイトになった。
革製品とインク。
食品以外にも特産品が生まれ、領地が活気づいていたある日。
領境の関所から、緊急の連絡が入った。
「閣下! 王都方面から、集団の移住希望者が来ています! その数、およそ五十名!」
「五十名だと? 難民か?」
グレン様と共に急いで関所へ向かうと、そこには荷車に家財道具を詰め込んだ、薄汚れた一団がいた。
しかし、彼らの目は死んでいなかった。
その先頭に立つ初老の男の顔を見て、私は驚きの声を上げた。
「……親方? 王宮燻製工房の、ベルナルド親方ではありませんか?」
それは、私が王宮にいた頃、共に保存食作りを支えてくれた熟練の職人長だった。
ベルナルド親方は私を見つけるなり、駆け寄ってその場に膝をついた。
「ルシア様! ああ、やはりここにおられましたか……!」
「どうしたのですか、その恰好は。王宮の仕事はどうしたのです?」
「辞めてきました。……というより、逃げてきました」
親方は悔しげに拳を握りしめた。
「ルシア様がいなくなってから、あの厨房は地獄です。新しい責任者のミリム様は、温度管理もチップの選定も適当で、『煙なんてどれも一緒でしょ』と松の木を燃やす始末」
「……松を? そんなもので燻されたら台無しになりますね」
「ええ。我々が止めても聞く耳を持ちません。『平民の分際で口答えするな』と。……誇りを持って守ってきた技術を、あのような素人に踏みにじられるのには耐えられませんでした」
後ろに控える職人たちも、口々に訴えた。
「俺たちは、ルシア様の理論と、技術への敬意に惹かれて働いていたんです!」
「給金なんて安くて構いません。どうか、ここで働かせてください! 本物の仕事がしたいんです!」
彼らは王家というブランドや安定を捨て、私という技術者を選んで来てくれたのだ。
これ以上の社会的証明があるだろうか。
私は胸が熱くなるのを抑え、グレン様を見た。
「閣下。彼らは国内最高の燻製職人たちです。彼らを雇い入れることは、当領にとって計り知れない利益をもたらします」
「言うまでもない。……よく来たな、職人たちよ」
グレン様は力強く頷き、職人たちに向かって宣言した。
「俺の領地では、家柄も身分も関係ない。あるのは実力への評価だけだ。お前たちの腕を、俺は歓迎する!」
「ありがとうございます!!」
職人たちの歓声が関所に響き渡る。
これで、王宮に残されたのは素人の指揮官と、技術を持たない下働きだけとなった。
人材こそが最大の資源。
それを軽視した組織がどうなるか――王都の崩壊は、もはや時間の問題だった。
私はかつての部下たちとの再会を喜びながら、確信していた。
ここが、新しい時代の中心になるのだと……。
目をつけたのは、革製品だ。
辺境伯領は武門の家柄ゆえ、武具の需要が高い。
しかし、ここで作られる革鎧やブーツは硬くて臭いのが欠点だった。
「なめしが甘いですね。これでは雨に濡れるとすぐに腐るか、乾燥してひび割れてしまいます」
工房を訪れた私は、カチカチに硬化した革を見て指摘した。
革職人の親方は、困り果てた顔で頭を掻く。
「へえ。ですがルシア様、うちには王都のような高いなめし剤を買う予算がねえんです。塩と油で揉むのが精一杯で……」
「予算がないなら、知恵を使いましょう。グレン様、狩りで出た動物の脳漿は残っていますか?」
「……は? 脳みそか? 捨てるか焼くかしているが」
「それを使います」
私が指示したのは、古来より伝わる脳漿なめしと、燻煙を組み合わせたハイブリッド技法だ。
動物の脳に含まれる脂質と酵素は、革の繊維を柔らかくほぐす天然の乳化剤となる。
「脳漿をペースト状にして革に擦り込み、よく揉んでください。そして仕上げに――この燻製部屋に入れます」
私は職人たちに、革を煙で燻す工程を実演させた。
ただ香りをつけるためではない。
煙に含まれる成分が、革のタンパク質と結合し、強力な防腐・防水効果を発揮するのだ。
数日後。
完成した革を手に取った職人たちは、その感触に息を呑んだ。
「な、なんだこれ……! 布みたいに柔らかいぞ!」
「それに、あの嫌な腐敗臭が消えて、上品な煙の香りがする……!」
「水を弾くぞ! これなら雨の日の行軍でも足が濡れねえ!」
武骨で使いにくかった革製品が、しなやかで丈夫な高級品へと進化した瞬間だ。
「食品加工で使うスモークハウスの空き時間を利用すれば、燃料費もかかりません。これで武具の品質向上とコストダウンを同時に達成です」
「すげえ……! ルシア様は魔法使いだ!」
改革は止まらない。
次に私が目をつけたのは、スモークハウスの煙突掃除で出る厄介者だった。
「ルシア様、煙突の煤払いが終わりました。いやあ、真っ黒でベタベタして、処理が大変です」
顔を真っ黒にした掃除係の少年が、バケツ一杯の煤を持って報告に来た。
通常なら、これはただの産業廃棄物だ。
だが、私の目には黒いダイヤモンドに見えていた。
「ご苦労さま。その煤、絶対に捨てないでくださいね」
「えっ? こんな汚れ物をですか?」
「この煤は、純度の高い微粒子炭素です。これを集めて、動物の皮や骨を煮出して作った膠と練り合わせれば……」
私は実験室で試作した小瓶を見せた。
中には漆黒の液体が入っている。
羽ペンを浸し、紙に線を引く。
滑らかな書き味、深く濃い黒色、そして滲まない定着力。
「最高級の黒インクになります」
グレン様が目を見開いて、紙を覗き込んだ。
「……おい、インクといったら輸入コストがかかる級品だぞ。それが、煙突のゴミから作れるのか?」
「はい。原料費はほぼゼロ。売値は市場価格の半額でも十分な利益が出ます。役所の事務用品費も大幅に削減できますね」
「お前……、本当に無駄というものを許さないな」
グレン様は呆れたように笑ったが、その目は称賛に輝いていた。
掃除係の少年には、インクの売上から特別ボーナスを出すことを約束した。
彼は歓喜し、煙突掃除は領内で一番人気のアルバイトになった。
革製品とインク。
食品以外にも特産品が生まれ、領地が活気づいていたある日。
領境の関所から、緊急の連絡が入った。
「閣下! 王都方面から、集団の移住希望者が来ています! その数、およそ五十名!」
「五十名だと? 難民か?」
グレン様と共に急いで関所へ向かうと、そこには荷車に家財道具を詰め込んだ、薄汚れた一団がいた。
しかし、彼らの目は死んでいなかった。
その先頭に立つ初老の男の顔を見て、私は驚きの声を上げた。
「……親方? 王宮燻製工房の、ベルナルド親方ではありませんか?」
それは、私が王宮にいた頃、共に保存食作りを支えてくれた熟練の職人長だった。
ベルナルド親方は私を見つけるなり、駆け寄ってその場に膝をついた。
「ルシア様! ああ、やはりここにおられましたか……!」
「どうしたのですか、その恰好は。王宮の仕事はどうしたのです?」
「辞めてきました。……というより、逃げてきました」
親方は悔しげに拳を握りしめた。
「ルシア様がいなくなってから、あの厨房は地獄です。新しい責任者のミリム様は、温度管理もチップの選定も適当で、『煙なんてどれも一緒でしょ』と松の木を燃やす始末」
「……松を? そんなもので燻されたら台無しになりますね」
「ええ。我々が止めても聞く耳を持ちません。『平民の分際で口答えするな』と。……誇りを持って守ってきた技術を、あのような素人に踏みにじられるのには耐えられませんでした」
後ろに控える職人たちも、口々に訴えた。
「俺たちは、ルシア様の理論と、技術への敬意に惹かれて働いていたんです!」
「給金なんて安くて構いません。どうか、ここで働かせてください! 本物の仕事がしたいんです!」
彼らは王家というブランドや安定を捨て、私という技術者を選んで来てくれたのだ。
これ以上の社会的証明があるだろうか。
私は胸が熱くなるのを抑え、グレン様を見た。
「閣下。彼らは国内最高の燻製職人たちです。彼らを雇い入れることは、当領にとって計り知れない利益をもたらします」
「言うまでもない。……よく来たな、職人たちよ」
グレン様は力強く頷き、職人たちに向かって宣言した。
「俺の領地では、家柄も身分も関係ない。あるのは実力への評価だけだ。お前たちの腕を、俺は歓迎する!」
「ありがとうございます!!」
職人たちの歓声が関所に響き渡る。
これで、王宮に残されたのは素人の指揮官と、技術を持たない下働きだけとなった。
人材こそが最大の資源。
それを軽視した組織がどうなるか――王都の崩壊は、もはや時間の問題だった。
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ここが、新しい時代の中心になるのだと……。
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