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第9話:枯渇する王都、潤う辺境
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「――なぜだ! なぜまた食費の追加予算申請が来ている!」
王太子ジェラールは、積み上がった請求書の山を前に絶叫した。
豪奢な執務室は、今や書類と焦燥感で埋め尽くされている。
「で、殿下……、それが、市場の肉や野菜の価格が高騰しておりまして……」
「高騰? 先月まではこんなことはなかったぞ!」
「それは……、ルシア様が、旬の安い時期に大量に買い付け、乾燥や塩蔵、燻製にして在庫を持っていたからです。現在はそのストックが尽き、毎日その日の分を時価で買わねばなりませんので……」
文官が青ざめた顔で報告する。
ルシアがいた頃は、年間を通して食費は一定に平準化されていた。
だが今は違う。
とれたての生鮮食品を、足元を見られた高値で買い、保存技術がないため余ればその日のうちに腐って捨てる。
そんなことをしていれば当然、王家の金庫は底が抜け、国庫は破綻寸前だった。
「ええい、知らん! なんとかしろ! それより、隣国への贈答品はどうなった? グルメで知られるガルド国王への鮭だ!」
「そ、それが……」
文官が震え上がるのと同時に、執務室の扉が乱暴に開かれた。
「ジェラール様! 大変です! 隣国から宣戦布告に近い抗議文が届きました!」
飛び込んできたのは、涙目のミリムだった。
「『我が国を侮辱しているのか』と……!」
*
一方、私のいる辺境伯領は、かつてない活気に包まれていた。
体調も完全に回復した私は、グレン様と共に倉庫の視察を行っていた。
「素晴らしいですね。猪肉のソーセージ、川魚のハム、燻製チーズ……、全ての棚が満杯です。昨対比で生産量は300%増。輸出も好調で、領の財政は過去最高益を記録しました」
私は帳簿を見ながら、思わず口元を緩めた。
職人たちが移住してきたことで、品質も安定している。
ここは今や、大陸有数の保存食の聖地となりつつあった。
「お前が倒れるほど頑張った甲斐があったな。……いや、もう倒れるなよ」
「善処します。ですが、これだけ物資が潤沢なら、当面は安泰です」
グレン様とそんな軽口を叩き合っていた時だった。
屋敷の外がにわかに騒がしくなった。
「閣下! 王都からの使者が到着しました! それが……、王太子殿下ご本人です!」
「なに?」
グレン様が眉をひそめる。
王太子が直々に辺境まで?
よほどの非常事態だ。
応接間に通されたジェラール殿下とミリム様を見て、私は目を疑った。
かつての煌びやかなオーラは消え失せ、二人の頬はこけ、目の下には濃い隈ができている。
着ている服も、よく見れば洗濯が間に合っていないのか薄汚れていた。
対照的に、肌艶が良く、上質な革(例の脳漿なめし製だ)のジャケットを羽織った私たちを見て、殿下はギリと歯噛みをした。
「……随分と、いい身分だな、ルシア」
「お久しぶりです、殿下。ご用件は?」
「単刀直入に言う! 食料をよこせ! それと、今すぐ王都へ戻ってこい!」
開口一番、挨拶もなく命令形だった。
グレン様が殺気立ち、腰の剣に手をかけるのを、私は手で制する。
「食料の売買なら商会を通してください。それと、戻れとはどういう意味でしょう?」
「ごちゃごちゃ言うな! 国家の危機なのだ! ……隣国との同盟が切れかけている!」
殿下は血走った目で叫んだ。
「隣国のガルド王に送った鮭料理だ! 貴様、あれにどんな呪いをかけた!?」
「呪い?」
「お前が作っていた時は『口の中でとろける宝石』と絶賛されていたのに、ミリムが同じように煙で燻して送ったら、『パサパサの焼き鮭を送りつけてくるとは、喧嘩を売っているのか』と激怒されたのだ!」
私は呆れてため息をついた。
隣にいるミリム様に視線を向ける。
「ミリム様。その鮭、何度くらいの温度で燻しましたか?」
「え? 温度? 早く作りたかったから、薪をたくさん燃やして、ガンガン煙を出しましたけど……、火が通った方が安全でしょう?」
「……それが原因です」
私は冷淡に告げた。
「ガルド王が好むのは冷燻で作られたスモークサーモンです。外気温以下の20度前後を保ち、熱を加えずに煙の成分だけを浸透させる、非常に難易度の高い技術です。だからこそ、生のようなねっとりとした食感と、芳醇な香りが両立するのです」
私の説明に、ミリム様がポカンとする。
「あなたがやったのは熱燻。しかも、質が低いものでしょうね。高温で短時間燻せば、それはただの煙臭い焼き魚になります。水分が抜けてパサパサになるのは当然です。美食家の王にそんなものを出せば、外交問題になるのは自明の理ですね」
「そ、そんな……、煙なんて、ただの煙じゃない……」
「料理は化学です。適当な思い込みで作れるほど甘くありません」
私の言葉に、殿下がテーブルを叩いた。
「なら、貴様が責任を取れ! 今すぐ戻って作り直せ!」
「お断りします」
「なんだと!?」
「私はすでに辺境伯領の専属契約を結んでいます。それに、聞けば王都は食料庫が空だとか。兵站が破綻した組織に戻るメリットが、私には一つもありません」
殿下の顔が怒りで赤黒く染まる。
「貴様……、王命に逆らう気か! 大体、たかが保存食係がいなくなった程度で、なぜ国が傾くんだ! 貴様が何か細工をしたんだろう!」
「細工などしていません」
私は静かに、しかし冷徹に事実を突きつけた。
「旬の食材を安く買い、保存して通年で使う。それがコスト管理の基本です。あなたは私の作った貯蓄を食いつぶし、今は高利貸しに手を出しているようなもの。破綻するのは必然です」
論理の刃で切り刻まれ、殿下が言葉を詰まらせる。
しかし、彼は引かなかった。
いや、引けなかったのだろう。
「……ならば、力ずくでも連れ戻す! 衛兵! この女を捕らえろ!」
殿下の合図で、控えていた王宮騎士たちが雪崩れ込んできた。
――その瞬間。
私の前に、巨大な影が立ちはだかった。
「……俺の領地で、彼女に手を出そうとは。いい度胸だ」
グレン様が、氷点下の声音と共に、王太子たちを見下ろした。
その全身からは、物理的な圧力すら感じるほどの凄まじい殺気が放たれていた。
王太子ジェラールは、積み上がった請求書の山を前に絶叫した。
豪奢な執務室は、今や書類と焦燥感で埋め尽くされている。
「で、殿下……、それが、市場の肉や野菜の価格が高騰しておりまして……」
「高騰? 先月まではこんなことはなかったぞ!」
「それは……、ルシア様が、旬の安い時期に大量に買い付け、乾燥や塩蔵、燻製にして在庫を持っていたからです。現在はそのストックが尽き、毎日その日の分を時価で買わねばなりませんので……」
文官が青ざめた顔で報告する。
ルシアがいた頃は、年間を通して食費は一定に平準化されていた。
だが今は違う。
とれたての生鮮食品を、足元を見られた高値で買い、保存技術がないため余ればその日のうちに腐って捨てる。
そんなことをしていれば当然、王家の金庫は底が抜け、国庫は破綻寸前だった。
「ええい、知らん! なんとかしろ! それより、隣国への贈答品はどうなった? グルメで知られるガルド国王への鮭だ!」
「そ、それが……」
文官が震え上がるのと同時に、執務室の扉が乱暴に開かれた。
「ジェラール様! 大変です! 隣国から宣戦布告に近い抗議文が届きました!」
飛び込んできたのは、涙目のミリムだった。
「『我が国を侮辱しているのか』と……!」
*
一方、私のいる辺境伯領は、かつてない活気に包まれていた。
体調も完全に回復した私は、グレン様と共に倉庫の視察を行っていた。
「素晴らしいですね。猪肉のソーセージ、川魚のハム、燻製チーズ……、全ての棚が満杯です。昨対比で生産量は300%増。輸出も好調で、領の財政は過去最高益を記録しました」
私は帳簿を見ながら、思わず口元を緩めた。
職人たちが移住してきたことで、品質も安定している。
ここは今や、大陸有数の保存食の聖地となりつつあった。
「お前が倒れるほど頑張った甲斐があったな。……いや、もう倒れるなよ」
「善処します。ですが、これだけ物資が潤沢なら、当面は安泰です」
グレン様とそんな軽口を叩き合っていた時だった。
屋敷の外がにわかに騒がしくなった。
「閣下! 王都からの使者が到着しました! それが……、王太子殿下ご本人です!」
「なに?」
グレン様が眉をひそめる。
王太子が直々に辺境まで?
よほどの非常事態だ。
応接間に通されたジェラール殿下とミリム様を見て、私は目を疑った。
かつての煌びやかなオーラは消え失せ、二人の頬はこけ、目の下には濃い隈ができている。
着ている服も、よく見れば洗濯が間に合っていないのか薄汚れていた。
対照的に、肌艶が良く、上質な革(例の脳漿なめし製だ)のジャケットを羽織った私たちを見て、殿下はギリと歯噛みをした。
「……随分と、いい身分だな、ルシア」
「お久しぶりです、殿下。ご用件は?」
「単刀直入に言う! 食料をよこせ! それと、今すぐ王都へ戻ってこい!」
開口一番、挨拶もなく命令形だった。
グレン様が殺気立ち、腰の剣に手をかけるのを、私は手で制する。
「食料の売買なら商会を通してください。それと、戻れとはどういう意味でしょう?」
「ごちゃごちゃ言うな! 国家の危機なのだ! ……隣国との同盟が切れかけている!」
殿下は血走った目で叫んだ。
「隣国のガルド王に送った鮭料理だ! 貴様、あれにどんな呪いをかけた!?」
「呪い?」
「お前が作っていた時は『口の中でとろける宝石』と絶賛されていたのに、ミリムが同じように煙で燻して送ったら、『パサパサの焼き鮭を送りつけてくるとは、喧嘩を売っているのか』と激怒されたのだ!」
私は呆れてため息をついた。
隣にいるミリム様に視線を向ける。
「ミリム様。その鮭、何度くらいの温度で燻しましたか?」
「え? 温度? 早く作りたかったから、薪をたくさん燃やして、ガンガン煙を出しましたけど……、火が通った方が安全でしょう?」
「……それが原因です」
私は冷淡に告げた。
「ガルド王が好むのは冷燻で作られたスモークサーモンです。外気温以下の20度前後を保ち、熱を加えずに煙の成分だけを浸透させる、非常に難易度の高い技術です。だからこそ、生のようなねっとりとした食感と、芳醇な香りが両立するのです」
私の説明に、ミリム様がポカンとする。
「あなたがやったのは熱燻。しかも、質が低いものでしょうね。高温で短時間燻せば、それはただの煙臭い焼き魚になります。水分が抜けてパサパサになるのは当然です。美食家の王にそんなものを出せば、外交問題になるのは自明の理ですね」
「そ、そんな……、煙なんて、ただの煙じゃない……」
「料理は化学です。適当な思い込みで作れるほど甘くありません」
私の言葉に、殿下がテーブルを叩いた。
「なら、貴様が責任を取れ! 今すぐ戻って作り直せ!」
「お断りします」
「なんだと!?」
「私はすでに辺境伯領の専属契約を結んでいます。それに、聞けば王都は食料庫が空だとか。兵站が破綻した組織に戻るメリットが、私には一つもありません」
殿下の顔が怒りで赤黒く染まる。
「貴様……、王命に逆らう気か! 大体、たかが保存食係がいなくなった程度で、なぜ国が傾くんだ! 貴様が何か細工をしたんだろう!」
「細工などしていません」
私は静かに、しかし冷徹に事実を突きつけた。
「旬の食材を安く買い、保存して通年で使う。それがコスト管理の基本です。あなたは私の作った貯蓄を食いつぶし、今は高利貸しに手を出しているようなもの。破綻するのは必然です」
論理の刃で切り刻まれ、殿下が言葉を詰まらせる。
しかし、彼は引かなかった。
いや、引けなかったのだろう。
「……ならば、力ずくでも連れ戻す! 衛兵! この女を捕らえろ!」
殿下の合図で、控えていた王宮騎士たちが雪崩れ込んできた。
――その瞬間。
私の前に、巨大な影が立ちはだかった。
「……俺の領地で、彼女に手を出そうとは。いい度胸だ」
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