殿下から「華のない女」と婚約破棄されましたが、王国の食糧庫を支えていたのは、実は私です

水上

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第10話:カロリーの無駄遣い

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 応接間に張り詰めた殺気は、物理的な温度低下を伴っているかのようだった。

 王宮騎士たちは、剣に手をかけたまま石像のように硬直している。
 彼らの視線の先にいるのは、抜剣すらせず、ただ腕を組んで立っているだけのグレン様だ。

「……私の領地で、彼女に手を出すという意味が分かっているのか?」

 低く唸るような声。

 それだけで、精鋭であるはずの騎士たちが、ジリジリと後ずさりをする。

 北の氷壁の異名は伊達ではない。
 実戦で磨かれた本物の武人の威圧感に、温室育ちの王宮騎士が敵うはずもなかった。

「ひ、怯むな! 相手はたった一人だぞ!」

 王太子ジェラール殿下が金切り声を上げるが、騎士隊長が震える声で諌める。

「で、殿下……、無理です。バルディア辺境伯と事構えれば、我々は全滅します」

「なんだと!? 役立たずどもめ!」

 殿下は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
 武力行使が不可能だと悟ると、彼は矛先を物資の方へと向けた。

「ええい、もういい! ルシアが戻らないなら、せめて食料をよこせ! 国への納税義務として、貴様らが貯め込んでいる備蓄を献上しろ!」

「……やれやれ。どこまでも他力本願ですね」

 私はため息をつき、控えていた執事に目配せをした。
 すぐに数人の使用人が、木箱や麻袋を運び込んでくる。

「どうぞ。これが当領から提供できる、最大限の支援物資です」

 殿下とミリム様が、期待に目を輝かせて箱を覗き込む。
 しかし、中身を見た瞬間、二人の表情は絶望へと変わった。

「……な、なんだこれは?」

「干し肉に、堅パン……。それに、燻製肉? 茶色いものばかりじゃない!」

 ミリム様が悲鳴のような声を上げる。

 殿下は箱を蹴り飛ばさんばかりの勢いで私に掴みかかろうとした――が、グレン様に睨まれて止まった。

「ふざけるなルシア! 私は食料をよこせと言ったんだ! こんな貧民の餌のようなゴミではなく、新鮮な生肉や、彩り豊かな野菜、甘い果物を用意しろと言っているんだ!」

「……ゴミ、とおっしゃいましたか?」

 私のこめかみに、ピクリと青筋が浮かんだ。
 職人たちが丹精込めて作った保存食を、ゴミ呼ばわりするとは。

「殿下。あなたはカロリー密度と兵站コストという概念をご存じないようですね」

 私は懐から計算書を取り出し、殿下の目の前に突きつけた。

「いいですか。生肉や生野菜の重量の約70~90%は水分です。あなたが生鮮食品を望むなら、馬車で大量の『水』を運ぶことになります」

「だからどうした!」

「辺境から王都までは馬車で二週間。生鮮食品を腐らせずに運ぶには、大量の氷が必要です。その輸送コストは、食材価格の十倍以上に跳ね上がります」

 私は淡々と数字を並べ立てる。

「対して、この干し肉や燻製は、水分を極限まで抜いています。つまり、栄養とエネルギーの塊です。同じ重量を運ぶなら、保存食の方がカロリー密度は5倍以上。腐敗のリスクもなく、輸送コストあたりのエネルギー効率は雲泥の差です」

 これが兵站の基本だ。

 長距離移動の支援物資に、腐りやすくて重い生鮮食品を求めるなど、正気の沙汰ではない。

「今の王都に、輸送費に使う余計な予算があるのですか? 到着する頃には腐っている生ゴミに、金貨を払うおつもりで?」

「ぐ……、うう……!」

 殿下は言葉に詰まり、わなわなと震え出した。

 論理で殴られ、数字という現実を突きつけられ、反論の余地がない。
 それでも、彼のプライドと幼児のような我儘が、現実を受け入れることを拒絶した。

「うるさい、うるさい、うるさぁぁぁい!!」

 突如、殿下は大広間に響き渡る大声で絶叫した。
 髪を振り乱し、涙目で私を睨みつける。

「なぜだ! なぜお前はそうなんだ! 黙って私の言うことを聞いていればいいんだ!」

 もはや議論ではない。
 ただの感情の爆発だ。

「私は……、私は、君を愛していたんだぞぉぉぉーー!!」

 悲痛な叫びが、天井の高い広間に木霊する。
 ミリム様が「ひっ」と引くほどの、なりふり構わぬ絶叫だった。

 シーン……、と静まり返る室内。
 私は無表情のまま、懐中時計を取り出して時間を確認した。

 そして、冷ややかに呟いた。

「……そんな叫び声を上げるカロリーがあれば、冬越しの薪が一本割れるのにな、と考えていました」

 私の言葉に、グレン様が鼻を鳴らした。

「同感だ。エネルギーの変換効率が悪すぎる男だな」

 その一言は、決定的なトドメだった。

 愛の告白すらカロリーの無駄と切り捨てられた殿下は、口をパクパクと開閉させ、やがて糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちた。

「……連れて行け」

 グレン様の指示で、騎士たちが慌てて殿下を引きずっていく。

 支援物資の木箱も、結局は彼らが持ち帰ることになった。
 ゴミだと言いつつも、背に腹は代えられないのだろう。

「お、覚えてなさいよー! たまたま事がうまく運んでいるからって、調子に乗らないでよ」

 捨て台詞を吐いて去っていくミリム様の声が遠ざかる。

 嵐が去った後、静寂を取り戻した応接間で、私は大きく息を吐いた。

「……疲れました。感情労働は、肉体労働よりもカロリーを消費しますね」

「違いない。だが、お前の論理は見事だったぞ」

 グレン様が、労うように私の肩に手を置いた。

「愛していた、か……。今さら何を言っているんだ、あの男は」

「聞き流してください。今の私には、彼の言葉よりも、この燻製肉の仕上がり具合の方が重要ですから」

 私はテーブルに残された干し肉を手に取り、その乾燥具合を確認する。

 過去の腐った縁よりも、未来の食料。
 それが私の選んだ道であり、この選択が間違っていないことは、私の満たされた心が証明していた。

「さて、グレン様。お口直しに夕食にしましょうか。今日はカロリーを気にせず、とびきり濃厚なカルボナーラにしませんか?」

「……フッ、いいな。こんなときは旨いものを食うのが一番だ」

 私たちは顔を見合わせ、笑い合った。
 無駄な叫びよりも、静かな食卓の方が、私たちにはよほど価値のある時間だった。
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