断罪されていたはずなのですが、成り行きで辺境伯様に連れ去られた結果……。

水上

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第12話:教室の透明人間

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「先生、言葉を慎んでいただけますか?」

 教室の沈黙を破ったのは、やはりマリアンヌだった。
 彼女は不快感を隠そうともせず、扇子をパチリと閉じてアルヴィスを睨みつけた。

「私たちはただ、彼女と気が合わないから話さないだけです。誰と話すかを選ぶのは個人の自由でしょう? それを愚か者呼ばわりされる筋合いはありませんわ」

 周囲の生徒たちが「そうだ」「自由の侵害だ」と頷く。

 彼らの理屈はこうだ。

 いじめているわけではない。
 ただ関わらないだけだ。

 消極的な拒絶こそが、最も安全で陰湿な攻撃であることを、彼らは無意識に知っている。

 リリアは身を縮めた。

 (そう……、彼らは何もしていない。だから責められない。私が勝手に傷ついているだけ……)

 しかし、アルヴィスは教壇の上で、楽しそうに笑みを浮かべた。

「自由? 気が合わない? ……ふん、笑わせる」

 彼は黒板にチョークを走らせ、一羽の鳥の絵を描いた。
 下手くそだが、かろうじて小鳥に見える。

「君たちの行動は、動物行動学におけるモビング(擬攻撃)そのものだ」

「も、もびんぐ?」

 聞き慣れない単語に、生徒たちが顔を見合わせる。

「弱い小鳥や草食動物が、捕食者(タカやヘビ)を見つけた時に何をするか知っているか? 一斉に群がって騒ぎ立て、執拗につきまとい、追い出そうとする。これをモビングという」

 アルヴィスはチョークを折り、マリアンヌを指差した。

「つまり、君たちが集団でリリアを無視し、排除しようとしているのは、君たちが高貴で選ぶ権利のある人間だからではない。リリアという異物が怖くてたまらないだからだ。群れて騒がないと安心できない、矮小な生存本能の発露に過ぎない」

「なっ……! わたくしたちが、怯えているですって!?」

 マリアンヌが顔を真っ赤にして立ち上がった。
 プライドの高い彼女にとって、弱者扱いは最大の侮辱だ。

「訂正してください! 私たちは怯えてなどいません! それに、モビングだか何だか知りませんが、私たちは彼女に指一本触れていませんわ。暴力も暴言も吐いていない。ただ無視しているだけ。これのどこが攻撃なのですか?」

「そうだ! 物理的な害はないはずだ!」
 
 男子生徒の一人が加勢する。
 彼らにとって、手を出していないことが、自分たちは悪くないという免罪符だった。

 アルヴィスは静かに教壇を降り、その男子生徒の目の前に立った。

「物理的な害がない、か。……君は脳科学の初歩も知らないようだな」

「の、脳科学……?」

「いいか、よく聞け。人間の脳には前帯状皮質という部位がある」

 アルヴィスは自分の額の奥を指差した。

「ここは、物理的な痛み――例えばナイフで切られたり、殴られたりした時の不快感を処理する領域だ。だが、最新の研究で興味深い事実が判明した」

 彼は教室全体を見渡すように、声を張り上げた。

「人間が、仲間外れにされる、無視されるといった社会的苦痛(ソーシャル・ペイン)を感じた時、脳のどの部位が反応するか。……驚くべきことに、物理的な痛みと同じ前帯状皮質が活性化するのだ」

 シン、と教室が静まり返る。
 リリアは驚いて顔を上げた。

 (胸が痛い、心が痛いというのは……、比喩じゃなかったの?)

「つまりだ」

 アルヴィスはリリアの席に歩み寄り、彼女の肩に手を置いた。

「君たちが無視というナイフを突き立てるたびに、リリアの脳内では実際に殴られたのと同じ警報が鳴り響いている。脳にとっては、社会的排除も身体的暴力も、生存を脅かす痛みとして等しく処理されるのだ」

 彼は冷徹な裁判官のように、生徒たちを見下ろした。

「君たちは『手は出していない』と言うが、脳科学的な見地からすれば、君たちは集団でリリアをタコ殴りにし続けているのと何ら変わりない。これは立派な傷害罪だ」

「そ、そんな……屁理屈だわ!」

 マリアンヌが震える声で反論するが、その表情には明らかな動揺が見えた。

「屁理屈ではない。医学的事実だ」

 アルヴィスは畳み掛ける。

「君たちがやっていることは、貴族の嗜みでも自由な選択でもない。ただの脳に対する集団リンチだ。……どうだ? 自分たちが血も涙もない拷問官であるという自覚は芽生えたか?」

 生徒たちは押し黙った。

 無視という行為が、そこまで残酷なものだとは想像もしていなかったのだろう。
 彼らの、悪気はなかった、みんなやってるし、という薄っぺらい正当化が、アルヴィスの論理によって剥ぎ取られていく。

 リリアの目から、一筋の涙がこぼれた。

「……あ」

 悲しいからではない。
 救われたからだ。

 痛いと感じていいのだと。
 辛いと思っていいのだと、証明してくれた。
 それが何よりの慰めだった。

「リリア」

 アルヴィスが腰をかがめ、ハンカチで彼女の涙を拭った。

「痛かっただろう。だが安心していい。これからは私が、その痛みの発生源をすべて断絶する」

 そして彼は、凍りつく教室に向かって宣告した。

「次、リリアを無視する者がいれば、私がその生徒を実験対象として認識し、徹底的に論理的なを行う。……覚悟のある者だけ、沈黙を続けろ」

 その言葉の圧力は、教室の空気を完全に支配していた。

 マリアンヌは唇を噛み締め、扇子を握りしめたまま、何も言い返すことができなかった。
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