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第11話:学園への復学
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王立学園の正門前で、リリアは足を止めた。
威圧的なレンガ造りの校舎。
行き交う生徒たちの華やかな制服。
かつて毎日通っていた場所なのに、今は巨大な猛獣の巣穴の前に立っているような気分だった。
「……足が止まっているぞ。運動エネルギーがゼロだ」
隣に立つアルヴィスが、不思議そうに顔を覗き込んでくる。
今日の彼は、いつもの白衣ではなく、学園指定の教官用コートを身に纏っていた。
王命により特別招聘講師として赴任したからだ。
リリアはその助手兼生徒として復学することになった。
「すみません。少し、胃が痛くて……」
「ふむ。ストレス性胃炎の初期症状か。……手を貸せ」
アルヴィスは躊躇なくリリアの手を握った。
周囲の生徒たちが「あれは誰だ?」「辺境伯様じゃないか?」「隣にいるのは……、あのリリア?」とざわめくが、彼は全く意に介さない。
「私の計算では、君がこの学園で物理的危害を加えられる確率は0.01%以下だ。私が半径2メートル以内に常駐しているからな」
「……はい。頼もしいです」
彼の手の温かさに、リリアは少しだけ勇気を取り戻した。
深呼吸をして、門をくぐる。
リリアが通うのは、高位貴族の令息令嬢が集まる特進クラスだ。
かつてはイザベラが支配し、リリアが孤立していた教室。
(大丈夫。あの夜会の事件で、私の無実は証明されたはず)
リリアは自分に言い聞かせ、教室の扉を開けた。
「おはようございます……」
勇気を出して声をかける。
しかし、返ってきたのは無音だった。
ざわついていた教室が、リリアが入った瞬間にシンと静まり返る。
数秒の沈黙の後、生徒たちは何事もなかったかのように談笑を再開した。
ただし、リリアの存在だけを綺麗に切り取ったように、誰も彼女を見ようとしない。
(……無視、ですか)
予想はしていたが、胸が痛む。
リリアは自分の席へと歩いた。
教室の隅にある席。
しかし、そこには椅子がなかった。
机の上には、枯れた花が一輪、花瓶に挿して置かれている。
死者への手向け。
陰湿な悪意の象徴。
クラスの空気が、じっとりとリリアの反応を伺っているのがわかる。
泣くか?
怒るか?
逃げ出すか?
「あら、ごめんなさいリリアさん」
甲高い声が響いた。
教室の中央で、扇子を揺らしているのはイザベラの側近だった令嬢、マリアンヌだ。
イザベラ本人は療養中(という名の逃亡)で不在だが、彼女の残した親衛隊は健在だった。
「あなたの席、用務員さんが間違えて片付けてしまったみたい。だってほら、もういない人だと思っていたから」
マリアンヌがクスクスと笑うと、周囲の生徒たちも同調して笑った。
その笑いは乾いていて、どこか怯えているようにも見えた。
笑わなければ次は自分が標的になるという恐怖が透けて見える。
「……わかりました。立っています」
リリアが唇を噛んでそう答えた、その時だ。
教室の扉が勢いよく開いた。
「――酸素濃度は正常、室温も適正。だが、湿度が異常に高いな」
アルヴィスが入ってきた。
教壇に立つと、彼は教鞭で黒板を叩き、教室中の視線を集めた。
「着席しろ。……と言いたいところだが、リリアの椅子がないようだな」
アルヴィスは枯れた花が置かれた机を一瞥し、そしてマリアンヌを見た。
「君か? この非合理なオブジェを設置したのは」
「は、はい? 何のことでしょう。わたくし、何も知りませんわ」
マリアンヌは白々しく目を逸らした。
誰も見ていない、証拠はないとタカをくくっているのだ。
「ふん……、なるほど」
アルヴィスは教壇を降り、リリアの机の前まで歩いてきた。
そして、枯れた花を手に取ると、しげしげと観察した。
「植物学的に見て、これは供花に使われる白菊ではない。道端の雑草だ。君たちの知識レベルの低さが露呈している」
彼は花をゴミ箱へ放り投げると、自分の着ていた教官用コートを脱ぎ、丸めて机の上に置いた。
「リリア、これに座れ」
「えっ!? アルヴィス様のコートを座布団にするなんて、できません!」
「構わん。冷たい木の椅子より、私の体温が残っている方が君の精神安定上好ましいはずだ。それに、このクラスの冷気から君を守る断熱材が必要だ」
アルヴィスはリリアを座らせると、教室全体を見渡した。
その瞳は、生徒一人一人ではなく、何か得体の知れない集合体を見ているようだった。
「自己紹介が遅れた。私はアルヴィス・グレンデル。今日からこのクラスの論理的思考(ロジカル・シンキング)の講義を担当する」
彼は黒板にチョークで大きく文字を書いた。
『集団心理と排除のメカニズム』。
「君たちが今、リリアに対して行っている無視という行動。実に興味深い。霊長類が群れを維持するために行う、原始的で、そして極めて愚かな防衛本能だ」
教室の空気が変わる。
マリアンヌが不快そうに眉を寄せた。
「先生? 何を仰っているんですか? 私たちはただ、仲良くおしゃべりをしているだけですわ。特定の誰かを無視なんてしていません」
「そうか? ならばなぜ、リリアが入室してから現在に至るまで、彼女と視線を合わせた生徒が一人もいない? 統計的にあり得ない確率だ」
アルヴィスは冷徹に告げた。
「君たちは個人の意思ではなく、空気という名の見えない怪物に操られているだけの操り人形だ。……この授業で、その糸を断ち切ってやる」
宣戦布告だった。
学園という閉鎖空間にはびこる、いじめという病理に、論理の怪物がメスを入れる。
「リリア、ノートを取れ。今日のテーマは『透明人間を作ろうとする愚か者たちの脳科学』だ」
リリアは背筋を伸ばした。
アルヴィスのコートの上は、確かに温かかった。
孤独な戦いではない。
ここから、反撃の授業が始まるのだ。
威圧的なレンガ造りの校舎。
行き交う生徒たちの華やかな制服。
かつて毎日通っていた場所なのに、今は巨大な猛獣の巣穴の前に立っているような気分だった。
「……足が止まっているぞ。運動エネルギーがゼロだ」
隣に立つアルヴィスが、不思議そうに顔を覗き込んでくる。
今日の彼は、いつもの白衣ではなく、学園指定の教官用コートを身に纏っていた。
王命により特別招聘講師として赴任したからだ。
リリアはその助手兼生徒として復学することになった。
「すみません。少し、胃が痛くて……」
「ふむ。ストレス性胃炎の初期症状か。……手を貸せ」
アルヴィスは躊躇なくリリアの手を握った。
周囲の生徒たちが「あれは誰だ?」「辺境伯様じゃないか?」「隣にいるのは……、あのリリア?」とざわめくが、彼は全く意に介さない。
「私の計算では、君がこの学園で物理的危害を加えられる確率は0.01%以下だ。私が半径2メートル以内に常駐しているからな」
「……はい。頼もしいです」
彼の手の温かさに、リリアは少しだけ勇気を取り戻した。
深呼吸をして、門をくぐる。
リリアが通うのは、高位貴族の令息令嬢が集まる特進クラスだ。
かつてはイザベラが支配し、リリアが孤立していた教室。
(大丈夫。あの夜会の事件で、私の無実は証明されたはず)
リリアは自分に言い聞かせ、教室の扉を開けた。
「おはようございます……」
勇気を出して声をかける。
しかし、返ってきたのは無音だった。
ざわついていた教室が、リリアが入った瞬間にシンと静まり返る。
数秒の沈黙の後、生徒たちは何事もなかったかのように談笑を再開した。
ただし、リリアの存在だけを綺麗に切り取ったように、誰も彼女を見ようとしない。
(……無視、ですか)
予想はしていたが、胸が痛む。
リリアは自分の席へと歩いた。
教室の隅にある席。
しかし、そこには椅子がなかった。
机の上には、枯れた花が一輪、花瓶に挿して置かれている。
死者への手向け。
陰湿な悪意の象徴。
クラスの空気が、じっとりとリリアの反応を伺っているのがわかる。
泣くか?
怒るか?
逃げ出すか?
「あら、ごめんなさいリリアさん」
甲高い声が響いた。
教室の中央で、扇子を揺らしているのはイザベラの側近だった令嬢、マリアンヌだ。
イザベラ本人は療養中(という名の逃亡)で不在だが、彼女の残した親衛隊は健在だった。
「あなたの席、用務員さんが間違えて片付けてしまったみたい。だってほら、もういない人だと思っていたから」
マリアンヌがクスクスと笑うと、周囲の生徒たちも同調して笑った。
その笑いは乾いていて、どこか怯えているようにも見えた。
笑わなければ次は自分が標的になるという恐怖が透けて見える。
「……わかりました。立っています」
リリアが唇を噛んでそう答えた、その時だ。
教室の扉が勢いよく開いた。
「――酸素濃度は正常、室温も適正。だが、湿度が異常に高いな」
アルヴィスが入ってきた。
教壇に立つと、彼は教鞭で黒板を叩き、教室中の視線を集めた。
「着席しろ。……と言いたいところだが、リリアの椅子がないようだな」
アルヴィスは枯れた花が置かれた机を一瞥し、そしてマリアンヌを見た。
「君か? この非合理なオブジェを設置したのは」
「は、はい? 何のことでしょう。わたくし、何も知りませんわ」
マリアンヌは白々しく目を逸らした。
誰も見ていない、証拠はないとタカをくくっているのだ。
「ふん……、なるほど」
アルヴィスは教壇を降り、リリアの机の前まで歩いてきた。
そして、枯れた花を手に取ると、しげしげと観察した。
「植物学的に見て、これは供花に使われる白菊ではない。道端の雑草だ。君たちの知識レベルの低さが露呈している」
彼は花をゴミ箱へ放り投げると、自分の着ていた教官用コートを脱ぎ、丸めて机の上に置いた。
「リリア、これに座れ」
「えっ!? アルヴィス様のコートを座布団にするなんて、できません!」
「構わん。冷たい木の椅子より、私の体温が残っている方が君の精神安定上好ましいはずだ。それに、このクラスの冷気から君を守る断熱材が必要だ」
アルヴィスはリリアを座らせると、教室全体を見渡した。
その瞳は、生徒一人一人ではなく、何か得体の知れない集合体を見ているようだった。
「自己紹介が遅れた。私はアルヴィス・グレンデル。今日からこのクラスの論理的思考(ロジカル・シンキング)の講義を担当する」
彼は黒板にチョークで大きく文字を書いた。
『集団心理と排除のメカニズム』。
「君たちが今、リリアに対して行っている無視という行動。実に興味深い。霊長類が群れを維持するために行う、原始的で、そして極めて愚かな防衛本能だ」
教室の空気が変わる。
マリアンヌが不快そうに眉を寄せた。
「先生? 何を仰っているんですか? 私たちはただ、仲良くおしゃべりをしているだけですわ。特定の誰かを無視なんてしていません」
「そうか? ならばなぜ、リリアが入室してから現在に至るまで、彼女と視線を合わせた生徒が一人もいない? 統計的にあり得ない確率だ」
アルヴィスは冷徹に告げた。
「君たちは個人の意思ではなく、空気という名の見えない怪物に操られているだけの操り人形だ。……この授業で、その糸を断ち切ってやる」
宣戦布告だった。
学園という閉鎖空間にはびこる、いじめという病理に、論理の怪物がメスを入れる。
「リリア、ノートを取れ。今日のテーマは『透明人間を作ろうとする愚か者たちの脳科学』だ」
リリアは背筋を伸ばした。
アルヴィスのコートの上は、確かに温かかった。
孤独な戦いではない。
ここから、反撃の授業が始まるのだ。
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