後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第一章 

26 死闘

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 再び、試合場の蒼龍。
 試合場にいる蒼龍も、目の端で小蘭が起き上がる姿を、遠目ながらに捉えていた。

(良かった……! どうやら無事なようだ)
 宮廷の秘薬は信用ならない。調合を誤れば、命をも奪う。
 だが、小蘭は目覚めてくれた。
 ほんの一瞬、胸の奥に温かい灯がともった。しかし、その安堵はすぐに消えた。

 そうだ、安心している暇などない。
 今だって、巨岩の如くそびえている将軍の気迫に、押し負けないよう立っているのが精一杯だというのに。

 試合の合図はとっくに鳴っている。
 と、間合いをとっていた樊将軍から、まずは試しの打ち込みがかかった。

「くっ!」
「おや皇子、随分と余裕ではないか。よそ見していて、このわしに勝てますかな」
「……黙れよ、じじい

 剣戟けんげきを受け止めたまでは良かったが、骨ごと押し潰されそうな一撃が、大地を掴んでいた足を滑らせて、身体ごと後ろへ持っていこうとする。

 これは、試合前の手合わせとはくらべものにならない重さ。
 
「く、あああっ!」
 力任せに押し返すも、樊将軍はさっと身体をよけて蒼龍に肩透かしをくらわせた。

 タァンッ。

 続いて肩に軽やかな打ち込みが命中する。

「おや、また左に流れましたなあ」
「クソッ、うるせえっ」

 蒼龍は反撃を試みた。が、将軍はまるで遊んでいるかのように、蒼龍の剣を軽くいなす。
 かと言って、真正面から攻撃すればたちまちやり込められるから、蒼龍の動作はますます小さくなり、手の内も限定されてゆく。

 それを見越して樊将軍は己の意のままに蒼龍を操り、扇動と挑発を繰り返す。

 蒼龍の視界が赤く染まった気がした。呼吸が乱れ、切っ先がぶれる。
 これは挑発――だが、ふつふつと胸の奥が煮え立つ。

(くそっ! 落ち着け)

 
 分かっているのに、頭に血がのぼってしまう。
 将軍は、そこを正確に突いてきた。

「皇子よ、さっさと諦めてはいかがか。膂力りょりょくに劣り技で劣る、貴方はまだまだ私の敵ではない。フッ。何より、貴方の剣技は教えた私が熟知しているのですから」

「……フン、調子に乗るなよじじい、まだまだ余裕だっつーの。この一戦には、大事な人の命がかかっている。老師ラオシーにどういわれようが諦めるつもりはない」

「やれやれ、貴方は全く変わっておりませぬなあ。すぐに熱を上げ、情に流される」

「なんだと?」

「ただ……それが貴方の長所であり、短所でもある。冷静でないものは、必ず戦場で命を落とすと教えたはずですがな。……そら!」

「ぐ、あああっ!」

 ひときわ重たい一撃が、蒼龍の右腿を打った。その激痛に、とうとう彼は背中から叩き付けられた。

 キャアッ。
 観客から悲鳴が上がる。

「さて、そろそろ終いにしますか」
 将軍は倒れた蒼龍のもとに素早く近づき、さらに上から一撃入れた。

 ガキンッ。

「クソが。終いになんかならねーよ!」

 かろうじて束で受けた蒼龍と、将軍の顔が接近する。
(完全に樊のペースに乗せられている……!)

 ――このままでは負けてしまう。

 蒼龍は彼を睨みつけ、食い縛った歯の間から絞るように声を出した。

「樊よ、古くから父に仕える貴方が、この所業を何とも思わないのか」
「……」


「あの少女は、父に突然捕らえられ、俺が負ければ残酷な方法で処刑される。貴方はそんなものが見たいか」
「……」

「……俺は必ず父を超える。だから樊よ、俺につけ」

 樊将軍は、それをさらなる力で押し返しながら、蒼龍に顔を近づけた。そうして、他には聞こえないくらいの声で返した。

「蒼龍皇子、すっかりご立派になられて。爺は、とても嬉しゅうございます。しかし……」
 ふと、将軍の顔に影が差した。

「どうした、何がある」
「娘と孫を、質にとられておりまする」
「ばかなっ」

 ぐぐっ。
 将軍はさらに力を入れ、蒼龍に近づいた。聞こえるか聞こえないかの声で告げる。

「皇子よ、皇帝は、私めが情に流されることを見抜いておられる」
 
 ギリッ。樊将軍の歯を噛みしめる音が、蒼龍の耳元に届いた。
「……だからこそ、かけがえのないものを、逃げ場のないところに置かれたのだ。ですから我々は――本気で戦うしかないのですっ」

 ガキンッ!

 刹那、激しく剣が反発しあった。その勢いで、蒼龍は後ろに飛び退いた。

 はあっ、はあっ。
 肩で息をしながらも、さっきやられた右足を庇い、よろけながら立ち上がる。

 衝撃で舌を噛んだようだ。鉄臭い味が喉を刺激する。血を吐き捨てると、荒い吐息に胸を上下させたまま、蒼龍は再び剣を構え直した。
 相対する樊将軍が、それに合わせて剣を握る。
 
 張り詰めた空気の中で、二つの影が揺らぎ、固まった。
 いずれかが動けば、試合は決する。

 会場から、音が消えた。
 息をすることさえ、誰もが忘れていた。
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