後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第一章 

28 終幕

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 砂煙が晴れる、その中央には――。

 さっきまで立っていたはずの将軍に、馬乗りになった蒼龍の姿があった。
 その剣先は、将軍の喉元にしっかり当てられ、もうその勝敗を疑う者は誰もいない。
 
 将軍の二太刀目。
 倒された――そう見えた瞬間、蒼龍は将軍の想定より半歩多く、敢えて左へ動いて倒れ込んだ。
 次の刹那、蒼龍の剣は、わずかに浮いた将軍の左足を狙って突いたのだ。

「ま……、参りました」
 がっくりとうなだれた将軍から、蒼龍の身体がゆっくり離れると――。

「勝ったぞーーッ!」
 剣を天に突き上げて、高らかに勝ち鬨を上げた。
 
 それに呼応して、歓声が一気に爆ぜた。

 ボロボロの姿のまま、声援に手を振り応じる蒼龍。それに数分遅れ、将軍が痛めた膝を庇いながら立ち上がろうと剣を突いていた。
「さあ、樊将軍」

 蒼龍がその手を取って助けると、声援は一段と大きくなった。
 師弟の二人は握手を交わし、抱き合った。
 その姿に、客席からはため息が漏れる――。その陰で、蒼龍は樊将軍にそっと囁いた。

「樊、父帝あいつなどのために、早まった真似をするな。お前の娘と孫は奴から絶対に解放させる。だから……次こそは俺を助けてくれるな」
「皇子よ」
 肩を落とし俯いていた樊将軍は、蒼龍と目を合わせると、熱く瞳を潤ませた。
「ええ、必ずや……!」
 将軍の胸の奥で何かが解けた瞬間だった。
 それから、蒼龍は将軍からゆっくりと身体を離すと、玉座に向かって大声で叫んだ。

「親父ー、約束だぞー! 小蘭を寄こせ。彼女を早くそこから下ろせ」
 
 わずかに間をおいて、太く低い皇帝の声が返ってきた。
 わなわなと怒りに震えた声が、会場にこだまする。

「分かっておる、朕は約束を違えぬ。……勝者、蒼龍!」
 
 言いながら、右手を上げて振り下ろすと、宙吊りの檻がそろりそろりと下ろされてゆく。いつの間にか蟲の穴は布で覆われ、最初からなかったもののように隠されている。

(小蘭、よかった)
 それを見て、ようやく蒼龍はふうっと安堵の息を吐いた。そして再び観客に向き直ると、顔を上げて再び高らかな声援に応えた。
 その背中に、覇皇帝の凍るような視線が突き刺さる。皇帝は、密かに顔を歪ませると、小さく舌打ちをした。

 さて、全ての試合が終わり、精一杯戦ってきた戦士たちには、褒章が授与される。
 凱旋の壇上に名が順に呼ばれ、戦士たちが一列に並んでいく。

 不戦勝に終わった孫岳が呼ばれると、観客席が大いに湧いたが――

 決勝を戦えなかった彼の口元は硬く引き結ばれ、賞金を受け取る段にはわずかに首筋がこわばっていた。
 
 そして、今大会最大の主役は、何といっても樊将軍と死闘を繰り広げた皇子、蒼龍。
 最後に彼が、樊将軍とふたり並んで登場すると、会場には割れんばかりの拍手が起こった。
 
 満を持して、玉座から皇帝と皇后が降り立った。
 一列に並んだ入賞者は一斉に膝を折り臣下の礼をとる。褒章とともに、覇皇帝の御言葉を賜るのだ。

「さて、今年も各国の戦士達が一堂に会し、この儀を催すことができたわけだが」
 
 覇皇帝は、会場全体を見上げた。
「皆が、素晴らしい戦いを繰り広げてくれたことに礼をいう。ご苦労であった。こと、優勝した孫岳良の戦いぶりは見事なものであった」

 決勝を戦えなかった孫岳良は仏頂面のまま、一礼をした。
 
「また、健闘を重ねた戦士たちには今後、夏国兵としてその力、余の国のために発揮することを願う。これからも成果に慢心することなく、努力を継続してもらいたい。それから……」

 皇帝は、列の真ん中に居る蒼龍のほうへ顔を向けた。
 
「蒼龍よ、よくやった。朕も父親として鼻が高い」
「ありがたき幸せ」
 深々と臣下の礼を取る蒼龍から、皇帝は樊将軍に目を移した。

「そして、樊将軍。朕の息子をよくぞここまで一人前にしてくれたな、父親として礼をいうぞ」
「はっ」
 一瞬、将軍は何か言いたげにためらったが、すぐにやめた。その様子を見て皇帝が唇を歪める。

「そうそう、城内でそなたの娘と孫が帰りを待っておるぞ。お前の怪我を心配しておるようだから、早く顔を見せてやるがよい」
「は……あ、ありがたき……」
 樊将軍の厳しい表情が、その一瞬だけ崩れた。武人としてでなく、泣いているかのような、笑っているかのような好々爺の顔が垣間見えた。

(樊将軍のほうも、ひとまず安心だ)
 蒼龍は、フウッと大きく息を吐いた。

「さて、これにて……」
「待てよ親父、約束だぞ」

「はて、何だったかな」
「親父!」

 わざとらしく終わろうとする皇帝を蒼龍が一睨みすると、皇帝は髭を扱きつつ嗤った。

「おうおう、そうだった、忘れておったわ。衛兵!」

 皇帝が声を上げると、2人の衛兵に両肩を担がれて、よろめきながら小蘭シャオランが現れた。

「蒼龍……」
「小蘭!」

 ふらつく足で、少しでも速く歩こうと前のめりに蒼龍のもとへ駆け寄ってくる小蘭。

「あっ、はは」

 蒼龍の顔を見るなり、小蘭の顔は花のように綻んだ。

なあにその姿。蒼龍、ボロボロじゃない」
「なんだ、小蘭こそ、フラフラじゃないか」
 
 その憎まれ口に反して、ふたりの顔は喜びに満ちている。
 蒼龍は、観客に振っていた手をゆっくり下ろすと、それをそのまま、彼女のほうへ差し伸べた。

「おいで、小蘭」
「うん……!」

 小蘭が、元気よく手を差し出すと、
「きゃっ……!」
 蒼龍はぐいとその手を引き寄せ、ひょいと横抱きに抱いてしまった。
 
「お帰り、小蘭」
「ち、ちょっとやめてよ、皆見てる――!」
「ふふっ、そう照れるなよ、皆に見せたいんだ、未来の我が妻を」

「つ……、照れてない! 歩けるから離してっ」
「まあまあ、今日くらいは。な?」

 羞恥のあまり、蒼龍の腕からもがき出ようと小蘭が苦心している、その横では。
 
「……もどるぞ」
「しかし我が君。まだ、終幕の宣言が」
「朕は疲れた。――ふん、下らぬ茶番よ」

 覇皇帝が、くるりと皆に背を向けた。両隣の皇妃達がその後に静かに従って――皇帝は会場を去った。

 それを尻目に蒼龍は、もう一度、その勝利を誇るがごとく彼女を高く掲げると、

 わああああああっ、おめでと~!
 嫌ぁ、やめて皇子様ぁぁっ。

 観客席からは、ほんの少しだけ悲鳴の混じった歓声が起こった。

「……まあ、そ、それもそうね。でも、今日だけだからね」
「はいはい、やっと素直になったな。さあ、お姫様。皆に笑顔を――!」

 割れんばかりの歓声に、小蘭の頬にもぱっと紅が差して。

 小蘭もまた、はち切れそうな笑顔を向け、いつまでも手を振るのだった。

 非の打ち所ない勝利と祝福――そのなかで、背後の玉座だけが、ぽつりと空いた空白のように浮いていた。


 
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