後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

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第一章 

(おまけ)試合の後

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 さて、試合後、春明先生の庵では――。

 御前試合では華々しい活躍を見せ、樊将軍から勝利をもぎ取った蒼龍だったが、今は診療台の上で身悶えしていた。

「痛って! ちょ、春明チュンミン。そこ、もうちょっと優しく」
 春明の指先が患部を押さえるたび、蒼龍の顔が苦痛に歪む。
 春明の深いため息が治療室にこだました。
蒼太子ツァンタイツ。痛むのは当たり前でしょう。全く、どれだけ無茶をしたと思ってるんですか」
「だからそれは、小蘭のために……、あ痛っつ、……!」
 
「そうだそうだー、情けないぞー」
 高椅子に逆向きに跨り、背もたれに顔を乗せた小蘭が、にまにま笑いながら茶化す。
 足をぶらぶらさせながら、のんびりと笑う彼女を、蒼龍はじろりと睨んだ。

「おい、誰のための怪我だと思ってる。あ! 春明、そこはもうちょっと優しく……」
「無茶の代償です。ちょっと黙っていなさい。……ここなんて折れる寸前ですよ。えいっ!」

バチン。
 盛大な破裂音がして、診療台から蒼龍が飛び上がる。
 
「ぐ、あぁっ!」

 蒼龍の悲鳴に、小蘭は思わず肩を震わせて目をつむった。

 
「大袈裟な。ちょっと元の位置に戻しただけですよ」
「……うう、俺、死んだ」 

 げんなりした様子の蒼龍に冷たく言った春明は、ふと話を切り替えた。

「でもまあ、結果的には良かったですよね。蒼龍も、それに小蘭も」
「そうだよ! 樊のヤツ、俺を本気で殺す気だったからな」

「うんホントに。蒼龍、よく勝てたよね。おかげで私は処刑を免れ、晴れて自由の身。完全に元どおり、ってわけよね」
 
 ん? 春明と蒼龍が、同時に小蘭を見る。
「え、私、なんか変な事言った?」
 
 春明がすっと言った。

「ええ。だって小蘭、蒼太子の妃になるんでしょう? 元どおり、ではないですよ」

 春明が目を向けると、蒼龍は一瞬目をそらし、妙にぎこちなく言った。

「……あーっと、そう言えば、そんな話もあったかな? 成り行きではあるけど、そういうコトだから……よろしく」
 その声には、いつもの軽口に紛れ、どこか照れが混じっている。
 小蘭の鼓動が、一気に跳ね上がった。
 
「そ、それって、まさか娶るとかなんとかの……あれ、まさか本気?!」
「……」

 蒼龍は、少しの間天井を見つめ、大げさに咳払いをした。

「ま、まあ、あれだけ大々的に公表したんだし? 今更、なしにはできない……よな」
 
「え、で、でも……」
 小蘭は、たちまちそわそわと膝を揺らしはじめた。

「ふふ、よくお似合いですよ、あなた達は」
 ふたりの動揺を見透かすように、春明が煽る。

 小蘭はすっかり慌てていた。
 
 勝ったら——そう、蒼龍は私を「きさきにする」って。
 
(じゃあ、私は今日から蒼龍の……ってこと?)

 百面相のように表情を変える小蘭に、すねたように視線を逸らし、顔を赤くする蒼龍。
 ふたりを交互に見、春明はふっと微笑んだ。

「さてと、大きな怪我の治療は終わり。あとは小さな傷だけです。小蘭、残りの手当ての続きを」
「え、ちょっと待っ……」

「午後の回診に出かけてきます、頼みましたよ」
 春明は、小蘭の返事を待たずにさっさと御簾を上げ、へやから出ていってしまった。

 取り残された二人の間に、ぎこちない沈黙が流れる。

「そうだ! 手当て。手当てをしなくっちゃ」
 気まずい雰囲気から逃れるように、小蘭はあたふたと動き出した。
 春明のいおりに隠れている間、助手をやっていたから、多少の心得はある。
 慣れた様子で消毒布を手に、診療台に半身を肌けた姿で腰掛ける彼の手前に回る。

「じゃ、じゃあ、やるね。ちょっと染みるけど」
「お、おう。頼むわ」
 手を震わせながら消毒布を肩に当てようとした時、蒼龍の指が、ふと、その手首を握った。
 強くはない、けれど逃げられない程度の、温かい力。
 
「小蘭」
「な、なに……?」
 視線を上げると、蒼龍が思いのほか真剣な顔をしていた。
 小蘭の心臓が一気に跳ねる。
 だが次の瞬間、彼は急にへらっと笑い、いつもの調子に戻っている。

「まあ、色々あったけど。とりあえず俺たち、"夫婦"ってことで。……接吻ちゅーでもしとく?」
 
「な、何よそれ! あんま調子に乗ってると」

 顔を赤くして拳を振り上げかけた小蘭は、ふとその手を止めた。見ると、蒼龍は腰をほんの少し浮かせて「逃げる姿勢」になっている。

 つまり、いつものパターン。
 蒼龍はきっと、自分をわざと怒らせようとしているのだ。
(よーし、ならこっちだって!)

「まあ、いいけど?」
 小蘭はわざと、上目遣いに囁いてみせた。
 蒼龍の喉が、ごくりと鳴った。
 
「え、マ、まじで……?」
「もちろんいいわ、命を助けてもらったんだもの。キ、接吻キスくらいは……。何せ私、勝利の女神様だもの」

 引くに引けなくなった二人は、正面を向いて睨み合う。
 
「よ、よし。いいんだな。もう冗談抜きでやるぞ、やるからな」
「う、うん」
 
 小蘭がほんの少し身を屈めただけで、寝台に腰掛けた蒼龍とは目線があう。

 顎に、彼の指がそっとかかると、小蘭は力の限りに瞳を閉じた。

 小蘭の、案外長い睫毛が細かく震えている。
 自分の鼓動が、彼女にまで伝わってしまいそうで、蒼龍は思わず息を潜めた。

 吐息が、互いに重なりあう距離までゆっくりと近づいてゆく。

 そして――。
 
「蒼龍、小蘭。そういえば……。あ」
 
 絶妙な瞬間で、春明がぱらりと御簾を上げた。
 
 3人の間に、妙な空気が流れ出す。
 その緊張を、淡々とした春明の声が破った。
 
「あ、すみません、私としたことが忘れ物を……しかし、そういうのはここではなく、別の場所でやってもらってもいいですか」

「は、……はい」

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