後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

文字の大きさ
31 / 66
第二章 華燭

30 日常

しおりを挟む
 さて、退屈な授業はそれからも続いている……。
 
「陽気は極力皇帝の御体に溜め、循環させ極限まで練り上げて放つのがよい。その為に妃は、日々その技を研鑽し……」  

(陰だの陽だの、わけわかんない)
 小蘭は、滔々と流れるお経のような声を早々に頭から追いやると、昨夜のあの、どうにも胸に引っかかる出来事に思いを巡らせていた。

 実は、さっき尚真シャンヂェンが言ったことは、紛れもない事実。
 確かに小蘭は、昨夜、一晩を蒼龍と過ごしていた。
 あろうことか、彼女のへやで。

 それなのに、心は暖かくも冷たくもなく、名前の分からない不安だけが行き場なくさまよっている。
 
 蒼龍は、伝統と慣習でガチガチに固められた夏国後宮において、かなり型破りな行動をとっていた。
 
 蒼龍の予告どおり、小蘭は彼の第一側妃になった。
 正妃であれ側妃であれ、後宮に妃を持った皇太子は、通常、夜を妃と過ごすための『閨房』を持つ。だが彼はそれをせず、ただ小蘭の房室へやにやってきた。

『高貴な御方のすることではありません。どうかお止めください』
 宦官たちに散々泣きつかれても、皇后様に諫められても彼はそれを止めない。

(どうしてそこまでして、私の部屋に来たいかなあ)
 それほどまでにかたくなな蒼龍を、小蘭は不思議に感じたものだ。

 太子の妃となった小蘭は、その際に今のへや──『北の離宮』と呼ばれている館の一室に引っ越した。
 周りには、故郷の北国のような一面の花畑が広がり、夜になると虫の声が美しく響く、がらんとした広い部屋。

 ここには将来、蒼龍太子の複数の妃を置くことが想定されている。

 蒼龍はそろそろ二十五歳──皇族の男ならば、とっくに正妃を娶っている年齢。
 これもまた、彼が周りから口を酸っぱくして言われていることだが、当然のように耳を貸さない。

 彼のこうした行いを、世間では『寵愛』と呼んでいて、小蘭をさらに困惑させる。

 そんな訳で小蘭と婆やは、誰もいないだだっ広い屋敷の一室に、もう三年も二人きりで住んでいるのだが……そこに夜になると、ひょっこり蒼龍が現れる。

 初めて彼が来たときも、何の先触れもなく現れて、最初にそれを見つけたのは、婆やだった。
 

 *
 
 三年前──
 その夜の事を思い出すたび、小蘭の胸のざわめきは、いつも少しだけ強くなる。

 お月様の姿を見ようと、婆やが西の窓をがらりと開けた。
 次の瞬間、窓枠の向こうに蒼龍の顔があった。

「お、おお、皇太子おうじ……様?」

 あんぐり口を開けた婆やの横をすり抜け、彼は軽やかに中に入ってきた。

「やあ、久しぶり。新しい住まいの心地はどうだ。ああ、かなり部屋らしくなったな。金子は足りているか?」
「も、もも勿論でございます」

 蒼龍がいきなり窓から現れるのは、小蘭にとって二度目のことだが、初めての婆やはすっかり腰を抜かしてしまった。
 蒼龍はにっこり微笑むと、腰を抜かした婆やに手を差し出した。
 その指先には、武闘会で剣を奮った時とはまるで別人のような優雅さがある。

「驚かせて済まないな、大事は無いか」
「ははは、はい、あの……皇子様は何故、かような場所に?」
 年甲斐もなく真っ赤になっている婆やに、彼は悠然と微笑んだ。

袁婆爺イェン・ナァナ。すまないが政務が長引いて、空腹なんだ。簡単なものでいいから、何か食わせてもらえまいか」 
「は、はい! 直ちに」

 婆やは、転がるようにして厨房へ走っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、小蘭は、期待なのか不安なのか、説明のつかない胸のざわめきを感じるのだった。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

冷たい王妃の生活

柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。 三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。 王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。 孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。 「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。 自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。 やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。 嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。

処理中です...