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第二章 華燭
38 蒼龍の危機
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(ならきっと、あのことだわ)
蒼龍のことだと言われれば、おおよそ見当がつく。
彼が夜な夜な小蘭の自室を訪ねているのは、思い切り慣例に反した行いだ。
ただ、三年間も放置されていたのだから、てっきり見逃してくれているのだとばかり思っていたのに……。
とはいえ、蒼龍だって立場があるから、
「いや違います、私、誘ったりなんてしてません! 全部蒼龍の勝手です」などと言えるはずもない。
喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで、小蘭は再び平伏した。
「す、すみません」
と、皇后は椅子から立ち上がり、ゆったりと小蘭に近づいてきた。ふと、手にした尺が持ち上がったように見え、小蘭は反射的に体をすくめた。
打たれる!
(……あれ?)
おかしい。いつまでも下りてこない痛みに、不思議に思って見上げると、なんと目の前で皇后が膝を折っている。
そのうえ、ふっと口角だけを上げ、笑いを堪えているようだ。
「なんとまあ、早とちりじゃの。そうではない。今日はお前に頼み事があって呼んだのだ。さあ、顔をお上げ」
「は、はい」
決して笑わないという皇后様が、笑った。しかも〝頼み事〟だなんて。
恐る恐る顔を上げた小欄だが、内心驚きを隠せない。皇后は、小欄の頬をそっと撫でた。
「何と、桃のような頬をした可愛らしい妃だこと。蒼龍がおまえのような娘を……、そうかそうか。時に小蘭。お前は蒼龍に許婚の娘がおるのを知っているか」
凜麗のことだ。頷く小蘭を見、皇后は続けた。
「そう、曹丞相の娘、凜麗。もう年頃じゃ、曹からは再三婚姻の申し入れが来ておるのだが、蒼龍はもうずっと袖にしておる」
黙っている小蘭を見、皇后は続けた。
「小蘭。おまえは、少々活発が過ぎるようだが、賢く強い、面白い娘だそうだね。英春明が言っていた。よいか、これは本当にここだけの話、一切他言はせぬように」
小蘭は生唾を呑んだ。皇后様の言葉こそ穏やかだが、さっきから目は笑っていない。人払いを要するほどの、重たい話が始まるに違いない。
それこそ、他言すれば口を封じられるほどの――。
皇后が、重々しく口を開いた。
「皇帝は日に日に老い、分別も付きにくくなっておる」
皇后は、ふっと目を伏せた。
「代わって力を増しておるのが、丞相(皇帝の補佐)の曹じゃ。曹の力は、あまりに大きくなり、皇室を呑み込みつつある……これが今の朝廷の現状じゃ」
小蘭は目を見開いた。
「婚姻を受け入れれば曹の力は益々強大となり、我が王権の存続は危うい。それで妾は、申し入れを再三はねつけ、先延ばしにしてきた。だが……それもそろそろ限界。あやつの圧が強まっておるのじゃ」
もしや、凛麗が父親に何か言ったのだろうか。
あの、ぞっとするような目つきを思い出し、小蘭は思わず身を震わせた。
皇后の話がさらに続く。
「……さりとて、正当な理由なき拒否は、逆に凶事を呼びかねまい」
「凶事?」
「そう。すなわち曹丞相が、力ずくで皇帝に取って代わろうとしかねないということ」
「まさか、政変が起こると?」
「し!」
思わず声を上げた小蘭に、皇后は人差し指を立てて口を閉じさせた。
「ここは皇后の玉座。しかし、このような厳重な場所でさえ誰が聞き耳を立てているやも知れぬ。後宮は、そういうところじゃと心得よ」
「は、はい」
しゅんとしている小蘭を、慈しむように皇后は微笑んだ。
「よい、そなたのような素直な態度、妾は好ましいと思うておる」
ホッと息を吐いた小蘭だが、すぐに皇后様の言葉が気になった。
「でも、それで私に頼み事とは? 私は一体、何をすれば」
話が大きすぎて、とても自分の手に負えるとは思えないが。
ほほ……と笑った後、皇后様は、ふとお顔を曇らせた。目元に刻まれた皺が濃くなり、急に老いを感じさせる。
「……。のう小蘭や、頼み事を語る前に、ひとつ、昔話を聞いてくれるか。妾と蒼龍の関係についてじゃ」
「は、……い」
一体、皇后様は何を仰るのだろうか。分からないまま頷く小蘭に、皇后は再び厳しい顔をした。
「妾と蒼龍は、実の母子ではない」
「え――!」
驚く小蘭に、皇后様はそっと首を振った。
「知っての通り、公式には妾は蒼龍の生母。だが本当は――。蒼龍の生みの母はね、妾と同郷の妃。夏国との戦で負けた時、東の辺境から『戦利品』として一緒くたにして連れてこられたの」
「皇后様が!?」
彼女はそっと、己の唇に人差し指を当てた。
「もう、今では誰も知らぬこと。笑いはこの国の高貴な家の出身となっているが、それは後で作った戸籍上のこと。本当はおまえと同じ、辺境の姫だったのだよ。驚いたか?」
「い、いいえその……、でも少し嬉しい……かも」
「正直だこと。目をまん丸にして。蒼龍の生みの母親は……妾にとって妹みたいな存在じゃった」
皇后は、遥か遠くを臨むように、天井を見上げた。
「妾よりは2つ歳下、面白い娘でな、女だてらに勇ましい戦士。戦三昧で殆どここへは帰らなかった覇帝様に従って、大勢いた妃のうち唯一、戦に随行していた」
「戦に?」
蒼龍のことだと言われれば、おおよそ見当がつく。
彼が夜な夜な小蘭の自室を訪ねているのは、思い切り慣例に反した行いだ。
ただ、三年間も放置されていたのだから、てっきり見逃してくれているのだとばかり思っていたのに……。
とはいえ、蒼龍だって立場があるから、
「いや違います、私、誘ったりなんてしてません! 全部蒼龍の勝手です」などと言えるはずもない。
喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで、小蘭は再び平伏した。
「す、すみません」
と、皇后は椅子から立ち上がり、ゆったりと小蘭に近づいてきた。ふと、手にした尺が持ち上がったように見え、小蘭は反射的に体をすくめた。
打たれる!
(……あれ?)
おかしい。いつまでも下りてこない痛みに、不思議に思って見上げると、なんと目の前で皇后が膝を折っている。
そのうえ、ふっと口角だけを上げ、笑いを堪えているようだ。
「なんとまあ、早とちりじゃの。そうではない。今日はお前に頼み事があって呼んだのだ。さあ、顔をお上げ」
「は、はい」
決して笑わないという皇后様が、笑った。しかも〝頼み事〟だなんて。
恐る恐る顔を上げた小欄だが、内心驚きを隠せない。皇后は、小欄の頬をそっと撫でた。
「何と、桃のような頬をした可愛らしい妃だこと。蒼龍がおまえのような娘を……、そうかそうか。時に小蘭。お前は蒼龍に許婚の娘がおるのを知っているか」
凜麗のことだ。頷く小蘭を見、皇后は続けた。
「そう、曹丞相の娘、凜麗。もう年頃じゃ、曹からは再三婚姻の申し入れが来ておるのだが、蒼龍はもうずっと袖にしておる」
黙っている小蘭を見、皇后は続けた。
「小蘭。おまえは、少々活発が過ぎるようだが、賢く強い、面白い娘だそうだね。英春明が言っていた。よいか、これは本当にここだけの話、一切他言はせぬように」
小蘭は生唾を呑んだ。皇后様の言葉こそ穏やかだが、さっきから目は笑っていない。人払いを要するほどの、重たい話が始まるに違いない。
それこそ、他言すれば口を封じられるほどの――。
皇后が、重々しく口を開いた。
「皇帝は日に日に老い、分別も付きにくくなっておる」
皇后は、ふっと目を伏せた。
「代わって力を増しておるのが、丞相(皇帝の補佐)の曹じゃ。曹の力は、あまりに大きくなり、皇室を呑み込みつつある……これが今の朝廷の現状じゃ」
小蘭は目を見開いた。
「婚姻を受け入れれば曹の力は益々強大となり、我が王権の存続は危うい。それで妾は、申し入れを再三はねつけ、先延ばしにしてきた。だが……それもそろそろ限界。あやつの圧が強まっておるのじゃ」
もしや、凛麗が父親に何か言ったのだろうか。
あの、ぞっとするような目つきを思い出し、小蘭は思わず身を震わせた。
皇后の話がさらに続く。
「……さりとて、正当な理由なき拒否は、逆に凶事を呼びかねまい」
「凶事?」
「そう。すなわち曹丞相が、力ずくで皇帝に取って代わろうとしかねないということ」
「まさか、政変が起こると?」
「し!」
思わず声を上げた小蘭に、皇后は人差し指を立てて口を閉じさせた。
「ここは皇后の玉座。しかし、このような厳重な場所でさえ誰が聞き耳を立てているやも知れぬ。後宮は、そういうところじゃと心得よ」
「は、はい」
しゅんとしている小蘭を、慈しむように皇后は微笑んだ。
「よい、そなたのような素直な態度、妾は好ましいと思うておる」
ホッと息を吐いた小蘭だが、すぐに皇后様の言葉が気になった。
「でも、それで私に頼み事とは? 私は一体、何をすれば」
話が大きすぎて、とても自分の手に負えるとは思えないが。
ほほ……と笑った後、皇后様は、ふとお顔を曇らせた。目元に刻まれた皺が濃くなり、急に老いを感じさせる。
「……。のう小蘭や、頼み事を語る前に、ひとつ、昔話を聞いてくれるか。妾と蒼龍の関係についてじゃ」
「は、……い」
一体、皇后様は何を仰るのだろうか。分からないまま頷く小蘭に、皇后は再び厳しい顔をした。
「妾と蒼龍は、実の母子ではない」
「え――!」
驚く小蘭に、皇后様はそっと首を振った。
「知っての通り、公式には妾は蒼龍の生母。だが本当は――。蒼龍の生みの母はね、妾と同郷の妃。夏国との戦で負けた時、東の辺境から『戦利品』として一緒くたにして連れてこられたの」
「皇后様が!?」
彼女はそっと、己の唇に人差し指を当てた。
「もう、今では誰も知らぬこと。笑いはこの国の高貴な家の出身となっているが、それは後で作った戸籍上のこと。本当はおまえと同じ、辺境の姫だったのだよ。驚いたか?」
「い、いいえその……、でも少し嬉しい……かも」
「正直だこと。目をまん丸にして。蒼龍の生みの母親は……妾にとって妹みたいな存在じゃった」
皇后は、遥か遠くを臨むように、天井を見上げた。
「妾よりは2つ歳下、面白い娘でな、女だてらに勇ましい戦士。戦三昧で殆どここへは帰らなかった覇帝様に従って、大勢いた妃のうち唯一、戦に随行していた」
「戦に?」
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