後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

文字の大きさ
38 / 67
第二章 華燭

37 皇后様の憂い

しおりを挟む
 とある日の午後。
 小蘭は、皇后様に呼び出された。
 覇帝の正妃である皇后様は、後宮最大の権力者で、慣習戒律にとても厳しいと評判の方。
 規律を犯した者を、氷のように無表情で厳しく断罪するという。
 竹簡を持った宦官から、その勅を受け取った時点で、小蘭はぶるっと身震いした。

「よいですか、決して粗相をなさいますな」
 婆やなどは、しつこく何度も言い聞かせた末、今生の別れのように、涙ながらに故郷の歌を歌い出す始末。

(いったい私が、何をしたっていうの?)

 確かに、素行がよいとは決して言えない。
 思い返せば、授業で寝たり脱走したりと、身に覚えは山ほどあった。

 ただし、皇后様はとても厳しい方だが、皇帝のように残虐ではなく、公平で筋を通す方だと聞く。

 だからきっと、きちんと話せば分かってくれるとは思う。
 ただ、そうは言っても怖いものは怖い。それをもって、後宮の戒律を犯した、と言われればそれで終わりなんだから。
 
 吐きそうな気分のまま、小蘭は、たった一人で皇后様の間に通された。

「小蘭です、ただいま参りました」

 小蘭は、皇后様の玉座の下に平伏した。
 公式な場で上位の方のお顔を直接見るのは礼法違反だ。宮廷の決まりでは、皇后様が「良し」というまで、決して頭を上げてはならない。
 
 血が上るほど長い間頭を下げながら、一体どれほどのお叱りを受けるのだろうかと、小蘭は怯えていた。胃のあたりがキリキリと痛む。

 皇后は、たっぷりと間を持たせた後、じりじりと待つ小蘭の頭上に冷たい声を落とした。
「お前たち、席をはずして。二人だけで話がしたい」

(そ、そんな……!)

 皇后と二人きり——。
 その言葉に、小蘭の体温がすっと下がった。
 皇后の間に控えていた宦官や宮女たちも、驚きの声をあげる。

「し、しかしそのような」
「何をしておる、早うせよ」
「は、はいっ」

 躊躇いつつも、皇后様に物申すことは出来ない。ぞろぞろと列を成し、彼らは部屋を去っていった。
 
 彼らの気配が完全に消えたのを見計らい、皇后はようやく小蘭に声をかけた。

「さあ、もういいわ。おもてをお上げ」
「は、はい」

 存外優しい声色に、小蘭の緊張がわずかに緩んだ。とは言え、まさかの皇后様と二人っきり。
 蒼龍の夜這いに、皇帝の蠆盆……皇家の一族には散々振り回されてきたのだ。次は何が来るのだろうと、小蘭は戦々恐々として、背筋を伸ばした。

「小蘭、何故ここへ呼ばれたか分かっているかえ」

 初めて真正面に見る皇后は、噂にたがわぬ厳しい顔をしていた。キリリとした眉を眉間に寄せた、静かな威厳。
 黒髪に白いものが混じり、金の髪飾りが厳かな光を放つ。
 澄んだ黒曜石のような瞳が、どこか蒼龍に似ている。その目が、まっすぐに小蘭を射抜いていた。
 
「は、はい。えっと……いいえ、すみません、分かりません」
 少し悩み、小蘭は率直に答えた。
 
「そうかえ」
 
 皇后は、深いため息をつくと、目元に影を落とした。
 暫くの沈黙の後――。
 やがて、ゆっくりと視線を戻し、小蘭を直視した。
 
「おまえを呼んだのは、他でもない、蒼龍のことじゃ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...