大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる

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第1章

宿禰様とのいちにち②

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 一刻ほどで水浴びを終えると、昼食までは自由な時間となる。
 
 宿禰様は、今日も文机に向かい、事業ビジネスや政治の書物を広げていらっしゃる。
 
「退屈でしょうから。地上うえに戻られても構いませんよ」
 
 そう言われて、私は少し迷ってから口を開いた。
 
「あの……ここに居てはいけませんか? 戻っても、皆が働いているところでくつろいでいるのが、どうにも気づまりで……その、お邪魔でなければですが」
 
 遠慮がちに告げると、彼は驚いたように立ち上がった。
 
「いいえ、とんでもない! 貴女が居て下さるなら、こんなに嬉しいことはありません。……いや、何だか緊張してしまうなあ」
 
 照れたように頭を掻き、再び文机へと向かう。
 
 日の差さない地下の部屋に、書物を広げる宿禰様と、その傍らで刺繍を続けている私。
 言葉少なに、穏やかな時間が流れてゆく。
 
 しばらくすると、彼はどこか居心地悪そうに身体をゆすり始めた。そして――。
 
「あの、僕はいま、幾千年も昔の清国――昔は唐や隋と呼ばれていた時代の政治について書かれた本を読んでいるのですけれど」
 
「え?」
 
「あ、ああ、ごめんなさい。急に小難しい話をしてしまって。……こういう話、あまり女性の興味を引くものではなかったですね」
 
 すぐに書物に戻ろうとする彼を、私は慌てて引き留めた。
 
「ち、違うんです。お話をして下さるとは思ってなかったので、驚いてしまって……それは、どんなお話なのですか?」
 
 探るように相槌を打つと、彼の声がぱっと弾んだ。
「はい! この本には、彼の国で三千年もの間続いてきた、何百もの国の治世の仕組みが記されていて――」
 
「あら、それなら確か、女学校で少しだけ習いましたわ。昔、からの国はたくさんの国の集まりだったって。ただ……」
 そこまで言い、つい口が軽くなった。
 
「そうそう、あの時。私ったら、お爺ちゃん先生のお話が聞き取れなくって。半分くらいは夢の中でしたの」

 ――しまった、話の腰を折ってしまった。
 
 思わず口元を抑えると、宿禰様は穏やかに笑っている。
 
「あはは、実は僕も同じです。学生の頃は退屈で、居眠りばかりして叱られていましたよ」
「まあ、宿禰様も? 私はその時、運悪く担任の先生に見つかってしまって。右手の甲に10回もの鞭を打たれましたのよ」
 話のついでに、何気なく言ったつもりだった。
 
 けれど、彼は顎に手をあて、考え込むような仕草をする。

 「……そんな」

 低く、怒りを含んだ声。

「何という教師だ。鞭を使った体罰など、時代錯誤も甚だしい。ましてや――陽毬さんの、その手を傷つけるなど」

 表情の乏しい瞳が、爛々と光る。
 怒っているのだと、はっきり分かる。

 こんな時の宿禰様は、少しばかり……恐い。
 私は慌てて笑ってみせた。
 
「あはは、いやだ。そんなに本気で怒らないで。 随分と前のお話ですし、居眠りをした私もいけなかったんです。それより……美しいなんて言われたら、少し照れてしまいます」
 
「……っ。いえ、そういうつもりでは」
 
 彼ははっとして、視線を逸らした。

「すみません。少し、熱くなりすぎました。……気をつけねば」
 
 そう言って彼は、努めて声を平静に戻す。
 
「ともかく。僕が本を面白いと感じるようになったのも、やむなく勉強を始めてからでした。書物はいい……何も硬い話ばかりじゃなく、情熱的な男女の物語だってあるんですよ」
「まあ、そんなお話なら、私も少し見てみたい気がしますね」
 
「ああ、でしたらぜひ。地下にある蔵書は自由に手に取ってみてください。分からないところがあれば、たいていは教えて差し上げられますから」
 
「そんな……いいのですか?」
 
「もちろんです」
 
 彼の黒目が、嬉しそうにキラキラと輝いた。
 
 正直なところ、たしなみとしてやっている刺繍や繕いのお針仕事が、私はあまり好きではない。
 それよりも、このお部屋いっぱいに並んでいる書物を自由に読めるという提案は、胸が高鳴るほど魅力的だった。
 宿禰様もまた、ご自分の世界に私が興味を示したことが嬉しくてたまらない様子で、その後の時間は、愛読書やお薦めの本についての会話が続いた。
 
 ――こうして、宿禰様と私との時間に、「読書」という新しい楽しみが加わった。

 *
 
 カン、カン、カン。
 
 お庭にある鐘楼の鐘の音が3つ鳴ると、昼食ひるげの時間だ。権藤屋敷では、地下にいる宿禰様のために、一時間おきに知らせの鐘を鳴らしている。
 
 昼食は、宿禰様とご一緒にいただく。
 
 二人分のお膳を、地下階段の入り口で受け取り、お部屋へと運ぶ。
 私が来る前は、この役目を誰が担うかで、よく揉めていたらしい。
 
 ある時、料理人さんのひとりが、小声で私に耳打ちした。
 
「何せだろ。押し付け合いで、ほとほと困ってたんだ。奥様が来てくれて助かったよ」
 
 すぐ近くに、宿禰様もいらっしゃるというのに。
 
 あまりに無礼な言い様に腹を立て、その場で思い切り彼の耳を引っ張ってやった。
 
「あ、いたあぁっ!」
 
 二人きりでいただく昼食の割に、内容はいつも豪華だ。
 一汁三菜に小鉢が並び、季節の果物までが添えられている。
 
 宿禰様は元々会話が上手なうえ、私が本を読むようになってからは、共通の話題も増え、食卓は一層賑やかになった。
 
 美味しい食事と楽しい会話。
 昼食は、いつしか私にとって、一番楽しみな時間になっていた。
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