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25話~古代遺跡~
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~古代遺跡~
「うちの生徒になにをしてくれたんですか、ルクレール・シャルル・ヴァロア騎士。あとで話を聞かせていただきます」
カナードの声はいつも通り穏やかだが、瞳だけは笑っていない。
ルクレールは「了解」と軽く答え、肘を折るようにして両手を小さく上げた。
しかし、その口角は、明らかに上がっていた。
全く悪いことをしたとは思っていないな、こいつ。
腹が立つけれど、どうにも憎めない……。いや、むしろ彼に対して、俺が無防備すぎる。たぶん、どこかにルークの面影を見てしまうせいだ。
あのけなげで可愛らしい少年が、大きくなったらこんな危険物件になってしまうのか……。
原作のルークはセレスタンに初恋をして、ひたむきに追いかけていたのだから、さすがに節操なしのヤリチンにはならないだろうが……、あんな凶器みたいなイチモツを見て、その上、触れてしまったあとでは――ただただ、セレスタンの無事を祈るしかない。
そのとき、地下遺跡のさらに奥からかすかに風が吹き込んできた。ザイロンに跨ったままのカナードが周囲を鋭く見回し、声を低める。
「……グリフォン隊も下に降りてあなたたちを捜索しながら探索を始めています。かなり広いようですね」
見下ろせば、まだ塩水は残っているものの、すでに大半は流れ出して水位は下がりつつある。地下深くに、どこかに通じる道でもあるのか、それとも水脈に繋がっているのか――。
「外はそろそろ夕刻です。日が暮れる前に、魔力防壁で守られた巨石遺跡『ファリア・レマルドの環』へ向かいましょう。コルベール君の急性魔力虚脱については、そこでボンシャン先生に診てもらう必要がありますし」
淡々とした口調だったが、その声音にはいつもの柔らかさよりも、明確な指揮の響きがあった。
「全員そろって地上へ戻ります。――ぐずぐずしていないで、早く乗ってください」
カナードの静かな一声に応じて、デュランが真っ先にザイロンの背へと飛び乗り、俺を抱えようと手を伸ばすと、ルクレールがその腕をさっと制した。
「俺がやります」
低く静かな声。
デュランは一瞬だけ睨んだあと、深いため息を吐いて腕を引いた。
「……好きにしろ」
イオンデーラをブレスレットに戻したあと、ルクレールは眼帯を付けてから俺の腰を支え、ためらいのない所作でザイロンの背へと導く。
全員が座ったのを確認すると、カナードは胸元から奇石を取り出し、低く呪文を唱えた。
「フェルマ・ヴォカ――こちらカナード。カリュスト、聞こえるか?」
淡い光が石の内に灯り、すぐに相手の気配が返る。
《こちら、カリュスト》
「ヴァロア騎士と生徒コルベールを発見、保護。これより地上へ戻る。ゾンブル閣下へ伝達を。地下に展開中のグリフォン隊にも、帰還の指示を頼む」
《了解》
短い応答ののち、通信を終える。
「フィネ」
それからカナードが手綱を引くと、ザイロンが大きく身をしならせ、宙を駆け上がった。
冷気と共に岩棚が遠ざかり、デュランの装備が淡く周囲を照らす。闇の中に輪郭が浮かび上がり、やがて光の差す地上が近づいてくる。
ルクレールの胸に抱かれたまま、俺はただ息を詰めて身を預けていた。
風の音、そして遠くで聞こえる騎士たちの声。
やがて、視界が一気に開ける。
地上に出ると、砦のグリフォン隊が集結しており、指揮を執っているのはボンシャンだった。
地下遺跡の露頭部を仮固定する作業が進み、穴のまわりに崩落防止の結界が展開されていた。隊士たちの掛け声と魔力の光が、沈みゆく陽を受けて残照の中でゆらめいている。
ザイロンが地面へ降り立つと、そこにはアルチュールとリシャール殿下、ナタンの姿があった。
殿下の側には、闇の騎士の一人、ロジェ・ラクロワが控え、その横にはアルチュールとナタンの担当騎士も並んでいる。
「セレス!」
アルチュールが真っ先に駆け寄る。
ザイロンの背から降りても俺を抱き上げたままのルクレールを睨みつけ、そのまま俺の名をもう一度呼んだ。
その声には、怒りと安堵と焦燥が混ざっていた。
「ルクレール、降ろしてくれ」
俺がそう言うと、ルクレールはわずかに眉を上げてから、そっと腕の力を緩めた。
慎重に俺の身体を地面へと降ろし、足がしっかりと地を踏むのを確かめるようにしてから、ようやく支えを解く。それでも、腰に添えられた手はまだ離れない。
「歩けるから」
少し強めの口調で言うと、ルクレールは短く息を吐き、ようやくその腕を解いた。
代わりに、アルチュールが手を差し出す。
その掌を取ると、力強く引き寄せられた。
「セレス……無事で良かった」
その声音に、胸が詰まる。
「……うん、心配かけた。でも、……なんで、ここに?」
「一旦、ファリア遺跡に着いたんだが、そのあと、リシャールが担当のラクロワ騎士にセレスのところへ行きたいと頼んでくれた」
少し遅れて、リシャールが歩み寄る。
「先ほど、穴を覗かせてもらった。聞いたぞ、セレス。あの水を一人で貯めたんだな」
「セレスさま、ご無事で……!」
ナタンが泣きながら腰の革袋を探り、タオルを取り出して目を押さえる。
その仕草に、思わず微笑みが漏れた。
周囲では、ボンシャンが的確に指示を飛ばしている。
「地下遺跡の臨時封鎖手順に移行する。生徒と騎士、隊士は順に点呼――」
その声には緊張と同時に、任務を終えた安堵が滲んでいた。
全員が地上へ揃ったのを確認すると、ボンシャンはようやくこちらへ向かって歩いてくる。
その顔には、珍しく険しさと、そして心底からの安堵が入り混じっていた。
「コルベール!」俺が言葉を発するより早く、彼は俺の肩をがっしりと掴んで言った。「無茶をするなと、あれほど……」
「……すみません」
「まったく。二度とこんな真似は許しません!」
そう言いながらも、ボンシャンの手がかすかに震えていた。
その手を包み込むように握り返すと、彼は目を伏せ、短く息を吐いた。
「あとで治療を。魔力の回復には時間がかかります。――ルクレール騎士、あなたも」
「承知しています」
デュボアが、ひとしきり周囲の状況を見回したあと、短く指示を飛ばした。
「――当初のファリア・レマルドの遺跡に向かう。グリフォン隊は周囲の警戒を続けてくれ」
「はっ、了解!」
隊士たちが一斉に動き出す。
ボンシャンたち寮監と騎士たちが少し離れた丘の上に待機させていたヴァルカリオンを口笛で呼ぶと、ほどなくして地を震わせるような蹄の音が響いた。
パイパーが、まっすぐこちらへ駆け寄ってくる。たてがみを翻し、俺の目の前でぴたりと足を止めた。
名前を呼ぶと、彼は鼻を鳴らして首を垂れる。
俺はそっと顔を撫でながら、小さな声でつぶやいた。
「心配かけて、ごめんな……」
その瞬間、ルクレールが当然のように俺の傍らに歩み寄り、ためらいもなく腕を伸ばした。
「自分で乗れるから」
俺は咄嗟にその手を押し返す。
けれど彼は、まるで聞こえなかったかのように、軽く眉を寄せたまま再び腰へ手を添えようとした。
「やめろ」
その間に、アルチュールがすっと入る。
いつもの穏やかな顔ではない。
「セレスは自分でできると言っている」
低い声だったが、そこに含まれた凄まじい怒気は、さすがのルクレールも無視できなかったようだ。
一瞬、空気が張り詰める。
頼む。やめて。グリフォン隊のみんなも見てる……。
「そこ、ちょっと」
その緊張を断ち切るように、カナードの柔らかな声が響いた。
誰もが自然に彼へと視線を向ける。
「ルクレール・シャルル・ヴァロア騎士――あなたの担当はここまでです。以後、コルベール君の担当はロジェ・ラクロワ騎士に引き継いでください。交代です」
「……カナード寮監!」
ルクレールが、思わずその名を呼んだ。
抗議の色が滲む声。
だがカナードは淡々とした調子を崩さず、静かに告げた。
「指示です。異論は、後ほど」
その背後で、デュランがゆっくりと歩み寄る。
無言のままルクレールの肩を叩いた。
軽い仕草だったが、その一拍に、何か含まれていた。
それを受けて、ルクレールはわずかに表情を引き締める。
そのとき、リシャール殿下が俺の名を鋭く呼んだ。
「セレス! 目を見せろ!」
思わず身をのけぞらせるほどの迫力だった。
彼は一歩、二歩と詰め寄り、真剣な眼差しで俺の顔をのぞき込む。
しばしの沈黙――。
そして、息を吐いた。
「……刻印、は、ないな」
魔眼の開放による『刻印』――彼がなにを心配していたのかが分かり、俺は顔を赤くした。
リシャールは一瞬、安堵の表情を浮かべたが、次の瞬間、オレンジ色の瞳が、ルクレールへと鋭く向けられた。
言葉はなかったが、その視線には明確な警告がこもっていた。
ルクレールは黙ってそれを受け止め、ただ視線を逸らした。
間に割って入るように、ロジェ・ラクロワ騎士が一歩前に出る。
兜の隙間から覗くのは、淡い茶に近い金髪と、冷たい光を宿した青の瞳。
精悍な造作に、右目の下の小さなほくろが印象的だった。
騎士の鎧に包まれた長身の男。
声は低く落ち着いていた。
「ということらしいので、ロジェ・ラクロワと申します。今からよろしく、『銀の君』」
「……はい。セレスでいいです。よろしくお願いします」
「じゃあ、俺もロジェで」
その笑顔は驚くほど穏やかで、闇の騎士、テネブリス・ノクターンの一員だというのが、むしろ信じられないほどだった。
「各自、馬へ! 移動します!」
ボンシャンの声が響く。
「了解!」
それに呼応するように、隊士たちの声が重なった。
その号令の直後、ロジェ・ラクロワが躊躇なく俺の身体を抱き上げた。
「ちょ、ちょっと!」
抗議の声を上げる間もなく、彼の腕に固定される。
「友人がようやく本気になった相手だ。ことさら丁寧に扱わないとな。ほら、俺の首に手をまわして」
「え……?」
「早く」
「あ、はい……」
そのまま、軽やかな足取りでヴァルカリオンの背に跨り、俺を安定させるように背後から抱き直す。
前方では、リシャールと共にヴァルカリオンに乗ったルクレールが一瞬だけこちらを振り返った。
けれど、その表情はもう読めない。
馬の蹄が大地を蹴る。
沈む陽光の中、俺たちは再び最初の目的地へと向かって走り出した――。
༺ ༒ ༻
地下遺跡から目的地までは、思っていたよりもずっと近かった。
丘を越えると、さっき森の向こうに霞んで見えていた石の環が、陽光を浴びて輪郭を際立たせ、眼前にその全貌を現す。
「――先に到着した騎士たちが、既に野営地の支度を整え終えているはずだ。着いたら先ずは救護テントでボンシャン寮監が治療してくれるだろうけど、そのあとは、飯食ってゆっくり休めよ。多分、明日の午前中、生徒全員で行く遺跡見学は、俺とそこで待機になるだろう。そのあいだ、テント周辺だけ少し案内してやる」
背後からロジェの低い声が聞こえた。
「ありがとうございます」
「そんな丁寧にしゃべるな。俺は、平民の出だ」
「え……、でも、あなたは騎士だし、敬うのは当然でしょう? ルクレールは、これっぽっちも敬いたくないけど」
振り返ると、ロジェは一瞬きょとんとしたのち、大きな口を開けて豪快に笑った。
「お前、ほんとにいい子だな」そう言いながら手を伸ばし、フード越しに俺の頭をくしゃりと撫でる。「あと、あいつがこんな邪険にされてるの、初めて見たかもしれない」
「……そうなんですか?」
「あのガタイにあのルックス、しかもヴァロア家だ。男はビビって委縮、女は熱狂する」
言われてみれば、そうかもしれない。
「それで……二人は友人……、なんですよね?」
「だから、敬語はやめろ」
「……わかった」
小さく首肯してそう答えると、彼は満足げに口の端を上げた。
「学院時代からの友人だ。というか、俺が一つ上で、グラン・フレールだった」
「えっ!?」
懐かしそうに、目を細めロジェは続けた。
「凄かったぞ、あいつ。そりゃあ、色々あった」
「聞いてます。オベール管理官やデュラン副長、モロー隊長からも……」
「多分、セレス、君は今夜は俺と一緒に居ることになると思う。彼らが知らないことも色々聞かせてやるよ。面白い話が山ほどあるから」
「いやもう、充分。逸話はお腹いっぱいです……」
そう言った瞬間、ロジェが楽しそうに笑い、空気がまた少し柔らかくなった。
ちょうどそのとき、視界の先に目的地の全貌が見えてきた。
巨石遺跡、『ファリア・レマルドの環』。
円環を成す石柱はどれも人の背丈の数倍はあり、古代文字が深く刻まれた表面は、沈みかけた陽の光を淡く反射している。
崩れかけた神殿のような遺構が中央に佇み、その周囲をぐるりと囲む石壁は、遺跡保護のため、後世に築かれたものだ。
いくつかの門が設けられた外壁の内側では、焚き火の煙が風に乗って漂っていた。
門の警備に当たっていた二人の騎士が、俺たちの姿を見つけるやいなや駆け寄って来る。
「ご無事で!」
安堵と敬意の入り混じった声だった。
ヴァルカリオンから降ろされると、ロジェはそのまま俺を抱え救護用のテントへと運んでくれた。
途中、リシャール、アルチュール、ナタンが俺について来ようとしたが、デュボアに「自分の班に戻って夕食の手伝いをしなさい」と制され、渋々ながら三人は頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。
その間にも、騎士と砦の隊員たちが、ヴァルカリオンとグリフォンを野営地の一角に設けられたドーム型厩舎へと誘導していく。翼をたたんだグリフォンたちが喉を鳴らし、蹄の響きが交錯する中、ルクレールは、乗っていた馬とパイパーの二頭を連れて騎獣たちの待機所の方へ向かっていった。
テントの内部には魔力灯の淡い光が漂っている。白布の幕が風に揺れ、簡易寝台や医療用具はきちんと整頓され、薬草や包帯も清潔に並べられていた。野営の場でありながら、不思議なほど静かで落ち着いた空間が広がっている。
寝台に降ろされると同時に、ルシアン・ボンシャン寮監がすぐにやって来て中央の仕切り幕が静かに引かれ外から中の様子が見えないようにされた。ロジェは彼と入れ替わるように入り口の横へ下がり、控える。
ボンシャンは短く息を整えると、俺を一瞥して静かな声で言った。
「……脱いでもらえますか? 下着はつけていて構いません」
言われるままに、上着とシャツをズボンを脱ぐ。肌に触れる空気がひんやりとして、少し火照っていた体温を冷ました。
元々、彼は原作小説の中では最強の魔導士であり、医師の資格も持っていた上、学院内でも屈指のヒーラーとして知られていた。その設定は、この世界でも受け継がれているのだろう。
ボンシャンは手をかざすようにして、肩から胸、腹部、脚へと順に視線を滑らせる。触れるか触れないかの距離で掌が動き、魔力の流れと外傷の有無を確かめているのがわかった。
その動きには無駄がなく、淡々としているのに不思議な安心感があった。
一通り確認を終えると、彼は俺にそっと毛布を掛け、落ち着いた声で告げた。
「外傷はありません。魔力の消耗が激しいだけです」言いながら、自分のブレスレットを外し、俺の手首にそっとはめる。「魔力の残量を確認します。普段は、これを使いながら義手や義足を人体と融合させる作業をします。大量の魔力が必要ですから」
オベール警備官のことか……、と一瞬、頭に浮かんだが、口に出すのはやめておいた。
触らぬ拗らせカップルに祟りなしだ。
ブレスレットの光が徐々に弱まり、やがてほとんど消えかけるのを見て、ボンシャンは小さく息を吐いた。
「……やはり、急性魔力虚脱……予想よりも消耗が激しい。まあ、地下遺跡にあれだけの水を呼び出して貯めたのですから、当然と言えば当然。寧ろ、正直言って、動いていられるのが不思議なぐらいです。しばらくは安静にしてください。明日、午前中の遺跡見学も、ここで待機するように。今夜もこのテントで休みなさい」そう言いながら、俺の額に手をかざして淡い治癒の光を流し込む。「トゥレイト……」
目を閉じて治療を受けながら耳を澄ませると、外からは食事の準備に忙しい騎士たちの声が聞こえてきた。
鍋を運ぶ音、木箱を置く音、誰かの笑い声。外の喧騒と、テント内の静けさの対比が不思議と心地いい。
そのとき、テントの外から声がした。
「失礼します」
ルクレールだ。
「来ましたか。ヴァロア騎士、ちょっとそこで待っていてください。こちらが終わるまで」
ボンシャンは軽く眉を上げ、仕切り越しに俺の治療を続けながら声をかけた。
「セレスが居るんでしょ……そっちに行ってもいいですか?」
「駄目です」
静かな断言に、ルクレールは小さくため息をついた。
しばらくして、ボンシャンが手を下ろし、俺の毛布を整えながら口を開く。
「応急処置的なものですが、これで一段落です。あと、こちらのポーションを」
差し出された小瓶を受け取り、指示通りに口に含む。
魔力が体内にゆっくりと巡るのを感じ、重かった身体がかなり楽になった。
「うちの生徒になにをしてくれたんですか、ルクレール・シャルル・ヴァロア騎士。あとで話を聞かせていただきます」
カナードの声はいつも通り穏やかだが、瞳だけは笑っていない。
ルクレールは「了解」と軽く答え、肘を折るようにして両手を小さく上げた。
しかし、その口角は、明らかに上がっていた。
全く悪いことをしたとは思っていないな、こいつ。
腹が立つけれど、どうにも憎めない……。いや、むしろ彼に対して、俺が無防備すぎる。たぶん、どこかにルークの面影を見てしまうせいだ。
あのけなげで可愛らしい少年が、大きくなったらこんな危険物件になってしまうのか……。
原作のルークはセレスタンに初恋をして、ひたむきに追いかけていたのだから、さすがに節操なしのヤリチンにはならないだろうが……、あんな凶器みたいなイチモツを見て、その上、触れてしまったあとでは――ただただ、セレスタンの無事を祈るしかない。
そのとき、地下遺跡のさらに奥からかすかに風が吹き込んできた。ザイロンに跨ったままのカナードが周囲を鋭く見回し、声を低める。
「……グリフォン隊も下に降りてあなたたちを捜索しながら探索を始めています。かなり広いようですね」
見下ろせば、まだ塩水は残っているものの、すでに大半は流れ出して水位は下がりつつある。地下深くに、どこかに通じる道でもあるのか、それとも水脈に繋がっているのか――。
「外はそろそろ夕刻です。日が暮れる前に、魔力防壁で守られた巨石遺跡『ファリア・レマルドの環』へ向かいましょう。コルベール君の急性魔力虚脱については、そこでボンシャン先生に診てもらう必要がありますし」
淡々とした口調だったが、その声音にはいつもの柔らかさよりも、明確な指揮の響きがあった。
「全員そろって地上へ戻ります。――ぐずぐずしていないで、早く乗ってください」
カナードの静かな一声に応じて、デュランが真っ先にザイロンの背へと飛び乗り、俺を抱えようと手を伸ばすと、ルクレールがその腕をさっと制した。
「俺がやります」
低く静かな声。
デュランは一瞬だけ睨んだあと、深いため息を吐いて腕を引いた。
「……好きにしろ」
イオンデーラをブレスレットに戻したあと、ルクレールは眼帯を付けてから俺の腰を支え、ためらいのない所作でザイロンの背へと導く。
全員が座ったのを確認すると、カナードは胸元から奇石を取り出し、低く呪文を唱えた。
「フェルマ・ヴォカ――こちらカナード。カリュスト、聞こえるか?」
淡い光が石の内に灯り、すぐに相手の気配が返る。
《こちら、カリュスト》
「ヴァロア騎士と生徒コルベールを発見、保護。これより地上へ戻る。ゾンブル閣下へ伝達を。地下に展開中のグリフォン隊にも、帰還の指示を頼む」
《了解》
短い応答ののち、通信を終える。
「フィネ」
それからカナードが手綱を引くと、ザイロンが大きく身をしならせ、宙を駆け上がった。
冷気と共に岩棚が遠ざかり、デュランの装備が淡く周囲を照らす。闇の中に輪郭が浮かび上がり、やがて光の差す地上が近づいてくる。
ルクレールの胸に抱かれたまま、俺はただ息を詰めて身を預けていた。
風の音、そして遠くで聞こえる騎士たちの声。
やがて、視界が一気に開ける。
地上に出ると、砦のグリフォン隊が集結しており、指揮を執っているのはボンシャンだった。
地下遺跡の露頭部を仮固定する作業が進み、穴のまわりに崩落防止の結界が展開されていた。隊士たちの掛け声と魔力の光が、沈みゆく陽を受けて残照の中でゆらめいている。
ザイロンが地面へ降り立つと、そこにはアルチュールとリシャール殿下、ナタンの姿があった。
殿下の側には、闇の騎士の一人、ロジェ・ラクロワが控え、その横にはアルチュールとナタンの担当騎士も並んでいる。
「セレス!」
アルチュールが真っ先に駆け寄る。
ザイロンの背から降りても俺を抱き上げたままのルクレールを睨みつけ、そのまま俺の名をもう一度呼んだ。
その声には、怒りと安堵と焦燥が混ざっていた。
「ルクレール、降ろしてくれ」
俺がそう言うと、ルクレールはわずかに眉を上げてから、そっと腕の力を緩めた。
慎重に俺の身体を地面へと降ろし、足がしっかりと地を踏むのを確かめるようにしてから、ようやく支えを解く。それでも、腰に添えられた手はまだ離れない。
「歩けるから」
少し強めの口調で言うと、ルクレールは短く息を吐き、ようやくその腕を解いた。
代わりに、アルチュールが手を差し出す。
その掌を取ると、力強く引き寄せられた。
「セレス……無事で良かった」
その声音に、胸が詰まる。
「……うん、心配かけた。でも、……なんで、ここに?」
「一旦、ファリア遺跡に着いたんだが、そのあと、リシャールが担当のラクロワ騎士にセレスのところへ行きたいと頼んでくれた」
少し遅れて、リシャールが歩み寄る。
「先ほど、穴を覗かせてもらった。聞いたぞ、セレス。あの水を一人で貯めたんだな」
「セレスさま、ご無事で……!」
ナタンが泣きながら腰の革袋を探り、タオルを取り出して目を押さえる。
その仕草に、思わず微笑みが漏れた。
周囲では、ボンシャンが的確に指示を飛ばしている。
「地下遺跡の臨時封鎖手順に移行する。生徒と騎士、隊士は順に点呼――」
その声には緊張と同時に、任務を終えた安堵が滲んでいた。
全員が地上へ揃ったのを確認すると、ボンシャンはようやくこちらへ向かって歩いてくる。
その顔には、珍しく険しさと、そして心底からの安堵が入り混じっていた。
「コルベール!」俺が言葉を発するより早く、彼は俺の肩をがっしりと掴んで言った。「無茶をするなと、あれほど……」
「……すみません」
「まったく。二度とこんな真似は許しません!」
そう言いながらも、ボンシャンの手がかすかに震えていた。
その手を包み込むように握り返すと、彼は目を伏せ、短く息を吐いた。
「あとで治療を。魔力の回復には時間がかかります。――ルクレール騎士、あなたも」
「承知しています」
デュボアが、ひとしきり周囲の状況を見回したあと、短く指示を飛ばした。
「――当初のファリア・レマルドの遺跡に向かう。グリフォン隊は周囲の警戒を続けてくれ」
「はっ、了解!」
隊士たちが一斉に動き出す。
ボンシャンたち寮監と騎士たちが少し離れた丘の上に待機させていたヴァルカリオンを口笛で呼ぶと、ほどなくして地を震わせるような蹄の音が響いた。
パイパーが、まっすぐこちらへ駆け寄ってくる。たてがみを翻し、俺の目の前でぴたりと足を止めた。
名前を呼ぶと、彼は鼻を鳴らして首を垂れる。
俺はそっと顔を撫でながら、小さな声でつぶやいた。
「心配かけて、ごめんな……」
その瞬間、ルクレールが当然のように俺の傍らに歩み寄り、ためらいもなく腕を伸ばした。
「自分で乗れるから」
俺は咄嗟にその手を押し返す。
けれど彼は、まるで聞こえなかったかのように、軽く眉を寄せたまま再び腰へ手を添えようとした。
「やめろ」
その間に、アルチュールがすっと入る。
いつもの穏やかな顔ではない。
「セレスは自分でできると言っている」
低い声だったが、そこに含まれた凄まじい怒気は、さすがのルクレールも無視できなかったようだ。
一瞬、空気が張り詰める。
頼む。やめて。グリフォン隊のみんなも見てる……。
「そこ、ちょっと」
その緊張を断ち切るように、カナードの柔らかな声が響いた。
誰もが自然に彼へと視線を向ける。
「ルクレール・シャルル・ヴァロア騎士――あなたの担当はここまでです。以後、コルベール君の担当はロジェ・ラクロワ騎士に引き継いでください。交代です」
「……カナード寮監!」
ルクレールが、思わずその名を呼んだ。
抗議の色が滲む声。
だがカナードは淡々とした調子を崩さず、静かに告げた。
「指示です。異論は、後ほど」
その背後で、デュランがゆっくりと歩み寄る。
無言のままルクレールの肩を叩いた。
軽い仕草だったが、その一拍に、何か含まれていた。
それを受けて、ルクレールはわずかに表情を引き締める。
そのとき、リシャール殿下が俺の名を鋭く呼んだ。
「セレス! 目を見せろ!」
思わず身をのけぞらせるほどの迫力だった。
彼は一歩、二歩と詰め寄り、真剣な眼差しで俺の顔をのぞき込む。
しばしの沈黙――。
そして、息を吐いた。
「……刻印、は、ないな」
魔眼の開放による『刻印』――彼がなにを心配していたのかが分かり、俺は顔を赤くした。
リシャールは一瞬、安堵の表情を浮かべたが、次の瞬間、オレンジ色の瞳が、ルクレールへと鋭く向けられた。
言葉はなかったが、その視線には明確な警告がこもっていた。
ルクレールは黙ってそれを受け止め、ただ視線を逸らした。
間に割って入るように、ロジェ・ラクロワ騎士が一歩前に出る。
兜の隙間から覗くのは、淡い茶に近い金髪と、冷たい光を宿した青の瞳。
精悍な造作に、右目の下の小さなほくろが印象的だった。
騎士の鎧に包まれた長身の男。
声は低く落ち着いていた。
「ということらしいので、ロジェ・ラクロワと申します。今からよろしく、『銀の君』」
「……はい。セレスでいいです。よろしくお願いします」
「じゃあ、俺もロジェで」
その笑顔は驚くほど穏やかで、闇の騎士、テネブリス・ノクターンの一員だというのが、むしろ信じられないほどだった。
「各自、馬へ! 移動します!」
ボンシャンの声が響く。
「了解!」
それに呼応するように、隊士たちの声が重なった。
その号令の直後、ロジェ・ラクロワが躊躇なく俺の身体を抱き上げた。
「ちょ、ちょっと!」
抗議の声を上げる間もなく、彼の腕に固定される。
「友人がようやく本気になった相手だ。ことさら丁寧に扱わないとな。ほら、俺の首に手をまわして」
「え……?」
「早く」
「あ、はい……」
そのまま、軽やかな足取りでヴァルカリオンの背に跨り、俺を安定させるように背後から抱き直す。
前方では、リシャールと共にヴァルカリオンに乗ったルクレールが一瞬だけこちらを振り返った。
けれど、その表情はもう読めない。
馬の蹄が大地を蹴る。
沈む陽光の中、俺たちは再び最初の目的地へと向かって走り出した――。
༺ ༒ ༻
地下遺跡から目的地までは、思っていたよりもずっと近かった。
丘を越えると、さっき森の向こうに霞んで見えていた石の環が、陽光を浴びて輪郭を際立たせ、眼前にその全貌を現す。
「――先に到着した騎士たちが、既に野営地の支度を整え終えているはずだ。着いたら先ずは救護テントでボンシャン寮監が治療してくれるだろうけど、そのあとは、飯食ってゆっくり休めよ。多分、明日の午前中、生徒全員で行く遺跡見学は、俺とそこで待機になるだろう。そのあいだ、テント周辺だけ少し案内してやる」
背後からロジェの低い声が聞こえた。
「ありがとうございます」
「そんな丁寧にしゃべるな。俺は、平民の出だ」
「え……、でも、あなたは騎士だし、敬うのは当然でしょう? ルクレールは、これっぽっちも敬いたくないけど」
振り返ると、ロジェは一瞬きょとんとしたのち、大きな口を開けて豪快に笑った。
「お前、ほんとにいい子だな」そう言いながら手を伸ばし、フード越しに俺の頭をくしゃりと撫でる。「あと、あいつがこんな邪険にされてるの、初めて見たかもしれない」
「……そうなんですか?」
「あのガタイにあのルックス、しかもヴァロア家だ。男はビビって委縮、女は熱狂する」
言われてみれば、そうかもしれない。
「それで……二人は友人……、なんですよね?」
「だから、敬語はやめろ」
「……わかった」
小さく首肯してそう答えると、彼は満足げに口の端を上げた。
「学院時代からの友人だ。というか、俺が一つ上で、グラン・フレールだった」
「えっ!?」
懐かしそうに、目を細めロジェは続けた。
「凄かったぞ、あいつ。そりゃあ、色々あった」
「聞いてます。オベール管理官やデュラン副長、モロー隊長からも……」
「多分、セレス、君は今夜は俺と一緒に居ることになると思う。彼らが知らないことも色々聞かせてやるよ。面白い話が山ほどあるから」
「いやもう、充分。逸話はお腹いっぱいです……」
そう言った瞬間、ロジェが楽しそうに笑い、空気がまた少し柔らかくなった。
ちょうどそのとき、視界の先に目的地の全貌が見えてきた。
巨石遺跡、『ファリア・レマルドの環』。
円環を成す石柱はどれも人の背丈の数倍はあり、古代文字が深く刻まれた表面は、沈みかけた陽の光を淡く反射している。
崩れかけた神殿のような遺構が中央に佇み、その周囲をぐるりと囲む石壁は、遺跡保護のため、後世に築かれたものだ。
いくつかの門が設けられた外壁の内側では、焚き火の煙が風に乗って漂っていた。
門の警備に当たっていた二人の騎士が、俺たちの姿を見つけるやいなや駆け寄って来る。
「ご無事で!」
安堵と敬意の入り混じった声だった。
ヴァルカリオンから降ろされると、ロジェはそのまま俺を抱え救護用のテントへと運んでくれた。
途中、リシャール、アルチュール、ナタンが俺について来ようとしたが、デュボアに「自分の班に戻って夕食の手伝いをしなさい」と制され、渋々ながら三人は頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。
その間にも、騎士と砦の隊員たちが、ヴァルカリオンとグリフォンを野営地の一角に設けられたドーム型厩舎へと誘導していく。翼をたたんだグリフォンたちが喉を鳴らし、蹄の響きが交錯する中、ルクレールは、乗っていた馬とパイパーの二頭を連れて騎獣たちの待機所の方へ向かっていった。
テントの内部には魔力灯の淡い光が漂っている。白布の幕が風に揺れ、簡易寝台や医療用具はきちんと整頓され、薬草や包帯も清潔に並べられていた。野営の場でありながら、不思議なほど静かで落ち着いた空間が広がっている。
寝台に降ろされると同時に、ルシアン・ボンシャン寮監がすぐにやって来て中央の仕切り幕が静かに引かれ外から中の様子が見えないようにされた。ロジェは彼と入れ替わるように入り口の横へ下がり、控える。
ボンシャンは短く息を整えると、俺を一瞥して静かな声で言った。
「……脱いでもらえますか? 下着はつけていて構いません」
言われるままに、上着とシャツをズボンを脱ぐ。肌に触れる空気がひんやりとして、少し火照っていた体温を冷ました。
元々、彼は原作小説の中では最強の魔導士であり、医師の資格も持っていた上、学院内でも屈指のヒーラーとして知られていた。その設定は、この世界でも受け継がれているのだろう。
ボンシャンは手をかざすようにして、肩から胸、腹部、脚へと順に視線を滑らせる。触れるか触れないかの距離で掌が動き、魔力の流れと外傷の有無を確かめているのがわかった。
その動きには無駄がなく、淡々としているのに不思議な安心感があった。
一通り確認を終えると、彼は俺にそっと毛布を掛け、落ち着いた声で告げた。
「外傷はありません。魔力の消耗が激しいだけです」言いながら、自分のブレスレットを外し、俺の手首にそっとはめる。「魔力の残量を確認します。普段は、これを使いながら義手や義足を人体と融合させる作業をします。大量の魔力が必要ですから」
オベール警備官のことか……、と一瞬、頭に浮かんだが、口に出すのはやめておいた。
触らぬ拗らせカップルに祟りなしだ。
ブレスレットの光が徐々に弱まり、やがてほとんど消えかけるのを見て、ボンシャンは小さく息を吐いた。
「……やはり、急性魔力虚脱……予想よりも消耗が激しい。まあ、地下遺跡にあれだけの水を呼び出して貯めたのですから、当然と言えば当然。寧ろ、正直言って、動いていられるのが不思議なぐらいです。しばらくは安静にしてください。明日、午前中の遺跡見学も、ここで待機するように。今夜もこのテントで休みなさい」そう言いながら、俺の額に手をかざして淡い治癒の光を流し込む。「トゥレイト……」
目を閉じて治療を受けながら耳を澄ませると、外からは食事の準備に忙しい騎士たちの声が聞こえてきた。
鍋を運ぶ音、木箱を置く音、誰かの笑い声。外の喧騒と、テント内の静けさの対比が不思議と心地いい。
そのとき、テントの外から声がした。
「失礼します」
ルクレールだ。
「来ましたか。ヴァロア騎士、ちょっとそこで待っていてください。こちらが終わるまで」
ボンシャンは軽く眉を上げ、仕切り越しに俺の治療を続けながら声をかけた。
「セレスが居るんでしょ……そっちに行ってもいいですか?」
「駄目です」
静かな断言に、ルクレールは小さくため息をついた。
しばらくして、ボンシャンが手を下ろし、俺の毛布を整えながら口を開く。
「応急処置的なものですが、これで一段落です。あと、こちらのポーションを」
差し出された小瓶を受け取り、指示通りに口に含む。
魔力が体内にゆっくりと巡るのを感じ、重かった身体がかなり楽になった。
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