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26話~古代遺跡~
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~古代遺跡~
༺ ༒ ༻
地下遺跡から目的地までは、思っていたよりもずっと近かった。
丘を越えると、さっき森の向こうに霞んで見えていた石の環が、陽光を浴びて輪郭を際立たせ、眼前にその全貌を現す。
「――先に到着した騎士たちが、既に野営地の支度を整え終えているはずだ。着いたら先ずは救護テントでボンシャン寮監が治療してくれるだろうけど、そのあとは、飯食ってゆっくり休めよ。多分、明日の午前中、生徒全員で行く遺跡見学は、俺とそこで待機になるだろう。そのあいだ、テント周辺だけ少し案内してやる」
背後からロジェの低い声が聞こえた。
「ありがとうございます」
「そんな丁寧にしゃべるな。俺は、平民の出だ」
「え……、でも、あなたは騎士だし、敬うのは当然でしょう? ルクレールは、これっぽっちも敬いたくないけど」
振り返ると、ロジェは一瞬きょとんとしたのち、大きな口を開けて豪快に笑った。
「お前、ほんとにいい子だな」そう言いながら手を伸ばし、フード越しに俺の頭をくしゃりと撫でる。「あと、あいつがこんな邪険にされてるの、初めて見たかもしれない」
「……そうなんですか?」
「あのガタイにあのルックス、しかもヴァロア家だ。男はビビって委縮、女は熱狂する」
言われてみれば、そうかもしれない。
「それで……二人は友人……、なんですよね?」
「だから、敬語はやめろ」
「……わかった」
小さく首肯してそう答えると、彼は満足げに口の端を上げた。
「学院時代からの友人だ。というか、俺が一つ上で、グラン・フレールだった」
「えっ!?」
懐かしそうに、目を細めロジェは続けた。
「凄かったぞ、あいつ。そりゃあ、色々あった」
「聞いてます。オベール管理官やデュラン副長、モロー隊長からも……」
「多分、セレス、君は今夜は俺と一緒に居ることになると思う。彼らが知らないことも色々聞かせてやるよ。面白い話が山ほどあるから」
「いやもう、充分。逸話はお腹いっぱいです……」
そう言った瞬間、ロジェが楽しそうに笑い、空気がまた少し柔らかくなった。
ちょうどそのとき、視界の先に目的地の全貌が見えてきた。
巨石遺跡、『ファリア・レマルドの環』。
円環を成す石柱はどれも人の背丈の数倍はあり、古代文字が深く刻まれた表面は、沈みかけた陽の光を淡く反射している。
崩れかけた神殿のような遺構が中央に佇み、その周囲をぐるりと囲む石壁は、遺跡保護のため、後世に築かれたものだ。
いくつかの門が設けられた外壁の内側では、焚き火の煙が風に乗って漂っていた。
門の警備に当たっていた二人の騎士が、俺たちの姿を見つけるやいなや駆け寄って来る。
「ご無事で!」
安堵と敬意の入り混じった声だった。
ヴァルカリオンから降ろされると、ロジェはそのまま俺を抱え救護用のテントへと運んでくれた。
途中、リシャール、アルチュール、ナタンが俺について来ようとしたが、デュボアに「自分の班に戻って夕食の手伝いをしなさい」と制され、渋々ながら三人は頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。
その間にも、騎士と砦の隊員たちが、ヴァルカリオンとグリフォンを野営地の一角に設けられたドーム型厩舎へと誘導していく。翼をたたんだグリフォンたちが喉を鳴らし、蹄の響きが交錯する中、ルクレールは、乗っていた馬とパイパーの二頭を連れて騎獣たちの待機所の方へ向かっていった。
テントの内部には魔力灯の淡い光が漂っている。白布の幕が風に揺れ、簡易寝台や医療用具はきちんと整頓され、薬草や包帯も清潔に並べられていた。野営の場でありながら、不思議なほど静かで落ち着いた空間が広がっている。
寝台に降ろされると同時に、ルシアン・ボンシャン寮監がすぐにやって来て中央の仕切り幕が静かに引かれ外から中の様子が見えないようにされた。ロジェは彼と入れ替わるように入り口の横へ下がり、控える。
ボンシャンは短く息を整えると、俺を一瞥して静かな声で言った。
「……脱いでもらえますか? 下着はつけていて構いません」
言われるままに、上着とシャツをズボンを脱ぐ。肌に触れる空気がひんやりとして、少し火照っていた体温を冷ました。
元々、彼は原作小説の中では最強の魔導士であり、医師の資格も持っていた上、学院内でも屈指のヒーラーとして知られていた。その設定は、この世界でも受け継がれているのだろう。
ボンシャンは手をかざすようにして、肩から胸、腹部、脚へと順に視線を滑らせる。触れるか触れないかの距離で掌が動き、魔力の流れと外傷の有無を確かめているのがわかった。
その動きには無駄がなく、淡々としているのに不思議な安心感があった。
一通り確認を終えると、彼は俺にそっと毛布を掛け、落ち着いた声で告げた。
「外傷はありません。魔力の消耗が激しいだけです」言いながら、自分のブレスレットを外し、俺の手首にそっとはめる。「魔力の残量を確認します。普段は、これを使いながら義手や義足を人体と融合させる作業をします。大量の魔力が必要ですから」
オベール警備官のことか……、と一瞬、頭に浮かんだが、口に出すのはやめておいた。
触らぬ拗らせカップルに祟りなしだ。
ブレスレットの光が徐々に弱まり、やがてほとんど消えかけるのを見て、ボンシャンは小さく息を吐いた。
「……やはり、急性魔力虚脱……予想よりも消耗が激しい。まあ、地下遺跡にあれだけの水を呼び出して貯めたのですから、当然と言えば当然。寧ろ、正直言って、動いていられるのが不思議なぐらいです。しばらくは安静にしてください。明日、午前中の遺跡見学も、ここで待機するように。今夜もこのテントで休みなさい」そう言いながら、俺の額に手をかざして淡い治癒の光を流し込む。「トゥレイト……」
目を閉じて治療を受けながら耳を澄ませると、外からは食事の準備に忙しい騎士たちの声が聞こえてきた。
鍋を運ぶ音、木箱を置く音、誰かの笑い声。外の喧騒と、テント内の静けさの対比が不思議と心地いい。
そのとき、テントの外から声がした。
「失礼します」
ルクレールだ。
「来ましたか。ヴァロア騎士、ちょっとそこで待っていてください。こちらが終わるまで」
ボンシャンは軽く眉を上げ、仕切り越しに俺の治療を続けながら声をかけた。
「セレスが居るんでしょ……そっちに行ってもいいですか?」
「駄目です」
静かな断言に、ルクレールは小さくため息をついた。
しばらくして、ボンシャンが手を下ろし、俺の毛布を整えながら口を開く。
「応急処置的なものですが、これで一段落です。あと、こちらのポーションを」
差し出された小瓶を受け取り、指示通りに口に含む。
魔力が体内にゆっくりと巡るのを感じ、重かった身体がかなり楽になった。
ボンシャンは小さく頷くと、寝台の脇に置かれていた俺の革袋へ視線を移した。
「中身は濡れていませんか?」
指先で袋を軽く示しながら問うその声音は、診療を続けるときと同じ穏やかさだった。
「いえ、口を開けていなかったので、無事です」
「それは良かった。では、部屋着を出して、それを着て横になっていて下さい。今飲んだポーションは、少し眠気を誘います。……それと、さっきまでコルベール君が着ていた服なんですが、乾いていますけど、あの水は塩を含んでいました。少しべたつくでしょう?」
「あ、はい」
「ラクロワ騎士」ボンシャンは立ち上がり、仕切り幕を開けると、落ち着いた声で、「コルベール君の服をのちほどちゃんと整えておいてください。洗浄でも浄化でも何でも構いません」と続けた。
少し間を置いて、ロジェの低い声が返って来る。
「了解です」
俺が部屋着に袖を通して振り返ると、ちょうど用意された椅子に腰を下ろしたルクレールと目が合った。
何を思っているのか、言葉にはならない表情。
けれど、その眼差しは――どうしてか、熱を帯びていて……、
「……元気になったみたいだな」
そう言って、彼はようやく微かに笑った。
「うん……、でも、なんか凄い眠い」
「ポーションのせいだ。横になってゆっくり寝ろ」
促されるまま、俺は寝台に身体を横たえた。
毛布の柔らかい重みと、遠くの焚き火から漂う煙の匂いが、静かに意識を曇らせていく。
その間にも、ボンシャンは淡々と簡易机の上を整理しながらルクレールに声をかける。
「あなたも、念のため診せてください。地下で落下したのは同じですからね」
「俺は――」
「“大丈夫”は禁止です」
ルクレールは小さく息を吐き、机の前の椅子に座って背にもたれた。
ボンシャンが掌をかざすと、淡い光がルクレールの身体を包むように走り、すぐに消えた。
「異常なし。魔力の流れも正常です。少し疲労が溜まっているくらいですね」
「問題ないです」
「ええ。では――」ボンシャンはうしろで控えるロジェへと目をやった。「コルベール君のことは、しばらくラクロワ騎士に任せます。私は担当の土属性班の方を確認してきますので」
「了解しました」
ロジェが静かに応じる。
ボンシャンは軽く頷き、整然とした動きで入り口の幕を押し分けて外へ出ていった。
途端に、テント内に静寂が落ちる。
ポーションが血に溶けるみたいに巡り、まぶたがゆっくり重くなり始めた。魔力灯の淡い光。遠くで響く馬の嘶きが、だんだん向こう側へ沈んでいく。
もう、二人は俺が眠ったと思っている――そんな空気の中で、隣の寝台に誰かが腰を掛ける気配。
続いて、低い声が落ちた。
「……お前のあんな顔、初めて見た。鳥肌立ったわ。天変地異でも起きるんじゃないか?」
ロジェの声だ。
「悪かったな」
ルクレールが短く返し、椅子の軋む音。次の瞬間、足音がこちらへ移ってくる。
指先が俺の髪にそっと触れた。毛先を撫で、こめかみをなぞり、頬に温度が落ちる。
「ロジェ。お前、どっか行け。気を利かせろよ」
「おい」すぐそばでロジェが低く制す。「今は俺が彼を預かってる。任されてるんだ。触るな」
「触りたくもなるだろう。可愛いだろ、こいつ」
「……ああ。美人だな」
ロジェの息が、少しだけ和らぐ。
「見た目だけじゃない」ルクレールが、囁くみたいに笑った。「俺のために、あの穴に飛び込みやがった。こんなにフラフラになるまで魔力使って、穴の底に水を貯めて……、俺を助けるために」
「――惚れたのか?」
「そりゃ、惚れるだろう」短い間。「まあ、振られたけどな」
ふっと、頬に触れていた手が離れる気配。代わりに毛布の端が整えられ、鎖骨のあたりに優しく掛け直される。
「おいおいおい、百戦錬磨のお前が振られた? 何やらかしたんだ?」
「全裸でイチモツを超絶元気にして告白したら振られた……」
次の瞬間、鈍い音を立ててロジェが背中から倒れ込んだ。
「っは、はははっ――お前、馬鹿か!」
腹を抱えて笑いながら、寝台の縁を叩く。
ルクレールが面倒くさそうに眉をしかめるのを俺は薄目を開けて見ていた。
「笑うな。こっちは必死だったんだ」
「いや、無理だ……そんな状況で告白すんなよ……! この子、どん引いてただろう!?」
「いや、握って来た」
「握った!?」
「最後のほう……、あれは……もごうとしていたな」
「もぐ?」
ロジェはそのまま言葉をのんだあと。涙が滲むほど笑い続け、肩で息をした。
「この坊ちゃん、見かけによらないんだな。しかし、ほんっとお前、戦場より厄介な恋してるじゃないか。ていうか、これ、初恋だろ?」
ルクレールはため息をつき、立ち上がって軽く彼の額を指で弾く。
「うるさい。目が覚めるだろう、セレスが」
「悪い悪い」
ロジェは笑いを引っ込め、ようやく体を起こした。
それでも口角が自然と持ち上がり、わずかに笑みが残っている。
「いままで勝手に相手が寄って来て、誰彼構わずやって、まともな段階を踏む恋愛をしていないから、一世一代のときにイチモツを出して大失敗することになるんだ」
「まあ、イチモツ以前の問題だったがな」
「どういう意味だ?」
「好きなやつがいるんだと」
一瞬、ロジェの笑みが止まった。
次の瞬間、ぽつりと呟く。
「……ああ、なんか、誰のことか分かった気がする――あの黒髪の子か?」
ルクレールは目を細めて、ふっと口の端を上げた。
「"殿下"と言わないところが、流石、ノクターンの騎士だな。よく見てる」
「まあな。しかし、あんな凄まじい色男に独占欲丸出しにされたら……」ロジェは苦笑して首を振る。「お前、勝算はあるのか? 強敵だぞ」
「俺のほうがいい男だと思わないか?」
「思わないな」
即答。
ルクレールは、ふんっと短く鼻を鳴らし、寝台の端に片手をついて俯いた。
やがて、その口元がゆるりと歪む。
「……ああ、今ここからこいつを掻っ攫って逃げようかな」
淡々と、けれど冗談とは思えない声音だった。
「やめてくれ」ロジェがすぐさま遮る。「だから今、彼を預かってるのは俺だ。そんなことになったら、俺がボンシャン寮監に殺される」
魔力灯の光が、ルクレールの横顔を淡く照らす。
「……そんなに、かよ」ロジェは小さく息を吐き、少しだけ声を落とした。「でも、相手の気持ちがお前にないのなら、どうにもできないだろう。……諦めろ」
「嫌だね」
毛布の上に落ちた影がゆらぎ、誰かの手が俺の髪を、もう一度だけそっと撫でた気がした。
心の奥で、言葉にもならない声が波のように広がる。
その波に呑まれるように俺の意識は静かに闇へ沈んでいった。
༺ ༒ ༻
地下遺跡から目的地までは、思っていたよりもずっと近かった。
丘を越えると、さっき森の向こうに霞んで見えていた石の環が、陽光を浴びて輪郭を際立たせ、眼前にその全貌を現す。
「――先に到着した騎士たちが、既に野営地の支度を整え終えているはずだ。着いたら先ずは救護テントでボンシャン寮監が治療してくれるだろうけど、そのあとは、飯食ってゆっくり休めよ。多分、明日の午前中、生徒全員で行く遺跡見学は、俺とそこで待機になるだろう。そのあいだ、テント周辺だけ少し案内してやる」
背後からロジェの低い声が聞こえた。
「ありがとうございます」
「そんな丁寧にしゃべるな。俺は、平民の出だ」
「え……、でも、あなたは騎士だし、敬うのは当然でしょう? ルクレールは、これっぽっちも敬いたくないけど」
振り返ると、ロジェは一瞬きょとんとしたのち、大きな口を開けて豪快に笑った。
「お前、ほんとにいい子だな」そう言いながら手を伸ばし、フード越しに俺の頭をくしゃりと撫でる。「あと、あいつがこんな邪険にされてるの、初めて見たかもしれない」
「……そうなんですか?」
「あのガタイにあのルックス、しかもヴァロア家だ。男はビビって委縮、女は熱狂する」
言われてみれば、そうかもしれない。
「それで……二人は友人……、なんですよね?」
「だから、敬語はやめろ」
「……わかった」
小さく首肯してそう答えると、彼は満足げに口の端を上げた。
「学院時代からの友人だ。というか、俺が一つ上で、グラン・フレールだった」
「えっ!?」
懐かしそうに、目を細めロジェは続けた。
「凄かったぞ、あいつ。そりゃあ、色々あった」
「聞いてます。オベール管理官やデュラン副長、モロー隊長からも……」
「多分、セレス、君は今夜は俺と一緒に居ることになると思う。彼らが知らないことも色々聞かせてやるよ。面白い話が山ほどあるから」
「いやもう、充分。逸話はお腹いっぱいです……」
そう言った瞬間、ロジェが楽しそうに笑い、空気がまた少し柔らかくなった。
ちょうどそのとき、視界の先に目的地の全貌が見えてきた。
巨石遺跡、『ファリア・レマルドの環』。
円環を成す石柱はどれも人の背丈の数倍はあり、古代文字が深く刻まれた表面は、沈みかけた陽の光を淡く反射している。
崩れかけた神殿のような遺構が中央に佇み、その周囲をぐるりと囲む石壁は、遺跡保護のため、後世に築かれたものだ。
いくつかの門が設けられた外壁の内側では、焚き火の煙が風に乗って漂っていた。
門の警備に当たっていた二人の騎士が、俺たちの姿を見つけるやいなや駆け寄って来る。
「ご無事で!」
安堵と敬意の入り混じった声だった。
ヴァルカリオンから降ろされると、ロジェはそのまま俺を抱え救護用のテントへと運んでくれた。
途中、リシャール、アルチュール、ナタンが俺について来ようとしたが、デュボアに「自分の班に戻って夕食の手伝いをしなさい」と制され、渋々ながら三人は頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。
その間にも、騎士と砦の隊員たちが、ヴァルカリオンとグリフォンを野営地の一角に設けられたドーム型厩舎へと誘導していく。翼をたたんだグリフォンたちが喉を鳴らし、蹄の響きが交錯する中、ルクレールは、乗っていた馬とパイパーの二頭を連れて騎獣たちの待機所の方へ向かっていった。
テントの内部には魔力灯の淡い光が漂っている。白布の幕が風に揺れ、簡易寝台や医療用具はきちんと整頓され、薬草や包帯も清潔に並べられていた。野営の場でありながら、不思議なほど静かで落ち着いた空間が広がっている。
寝台に降ろされると同時に、ルシアン・ボンシャン寮監がすぐにやって来て中央の仕切り幕が静かに引かれ外から中の様子が見えないようにされた。ロジェは彼と入れ替わるように入り口の横へ下がり、控える。
ボンシャンは短く息を整えると、俺を一瞥して静かな声で言った。
「……脱いでもらえますか? 下着はつけていて構いません」
言われるままに、上着とシャツをズボンを脱ぐ。肌に触れる空気がひんやりとして、少し火照っていた体温を冷ました。
元々、彼は原作小説の中では最強の魔導士であり、医師の資格も持っていた上、学院内でも屈指のヒーラーとして知られていた。その設定は、この世界でも受け継がれているのだろう。
ボンシャンは手をかざすようにして、肩から胸、腹部、脚へと順に視線を滑らせる。触れるか触れないかの距離で掌が動き、魔力の流れと外傷の有無を確かめているのがわかった。
その動きには無駄がなく、淡々としているのに不思議な安心感があった。
一通り確認を終えると、彼は俺にそっと毛布を掛け、落ち着いた声で告げた。
「外傷はありません。魔力の消耗が激しいだけです」言いながら、自分のブレスレットを外し、俺の手首にそっとはめる。「魔力の残量を確認します。普段は、これを使いながら義手や義足を人体と融合させる作業をします。大量の魔力が必要ですから」
オベール警備官のことか……、と一瞬、頭に浮かんだが、口に出すのはやめておいた。
触らぬ拗らせカップルに祟りなしだ。
ブレスレットの光が徐々に弱まり、やがてほとんど消えかけるのを見て、ボンシャンは小さく息を吐いた。
「……やはり、急性魔力虚脱……予想よりも消耗が激しい。まあ、地下遺跡にあれだけの水を呼び出して貯めたのですから、当然と言えば当然。寧ろ、正直言って、動いていられるのが不思議なぐらいです。しばらくは安静にしてください。明日、午前中の遺跡見学も、ここで待機するように。今夜もこのテントで休みなさい」そう言いながら、俺の額に手をかざして淡い治癒の光を流し込む。「トゥレイト……」
目を閉じて治療を受けながら耳を澄ませると、外からは食事の準備に忙しい騎士たちの声が聞こえてきた。
鍋を運ぶ音、木箱を置く音、誰かの笑い声。外の喧騒と、テント内の静けさの対比が不思議と心地いい。
そのとき、テントの外から声がした。
「失礼します」
ルクレールだ。
「来ましたか。ヴァロア騎士、ちょっとそこで待っていてください。こちらが終わるまで」
ボンシャンは軽く眉を上げ、仕切り越しに俺の治療を続けながら声をかけた。
「セレスが居るんでしょ……そっちに行ってもいいですか?」
「駄目です」
静かな断言に、ルクレールは小さくため息をついた。
しばらくして、ボンシャンが手を下ろし、俺の毛布を整えながら口を開く。
「応急処置的なものですが、これで一段落です。あと、こちらのポーションを」
差し出された小瓶を受け取り、指示通りに口に含む。
魔力が体内にゆっくりと巡るのを感じ、重かった身体がかなり楽になった。
ボンシャンは小さく頷くと、寝台の脇に置かれていた俺の革袋へ視線を移した。
「中身は濡れていませんか?」
指先で袋を軽く示しながら問うその声音は、診療を続けるときと同じ穏やかさだった。
「いえ、口を開けていなかったので、無事です」
「それは良かった。では、部屋着を出して、それを着て横になっていて下さい。今飲んだポーションは、少し眠気を誘います。……それと、さっきまでコルベール君が着ていた服なんですが、乾いていますけど、あの水は塩を含んでいました。少しべたつくでしょう?」
「あ、はい」
「ラクロワ騎士」ボンシャンは立ち上がり、仕切り幕を開けると、落ち着いた声で、「コルベール君の服をのちほどちゃんと整えておいてください。洗浄でも浄化でも何でも構いません」と続けた。
少し間を置いて、ロジェの低い声が返って来る。
「了解です」
俺が部屋着に袖を通して振り返ると、ちょうど用意された椅子に腰を下ろしたルクレールと目が合った。
何を思っているのか、言葉にはならない表情。
けれど、その眼差しは――どうしてか、熱を帯びていて……、
「……元気になったみたいだな」
そう言って、彼はようやく微かに笑った。
「うん……、でも、なんか凄い眠い」
「ポーションのせいだ。横になってゆっくり寝ろ」
促されるまま、俺は寝台に身体を横たえた。
毛布の柔らかい重みと、遠くの焚き火から漂う煙の匂いが、静かに意識を曇らせていく。
その間にも、ボンシャンは淡々と簡易机の上を整理しながらルクレールに声をかける。
「あなたも、念のため診せてください。地下で落下したのは同じですからね」
「俺は――」
「“大丈夫”は禁止です」
ルクレールは小さく息を吐き、机の前の椅子に座って背にもたれた。
ボンシャンが掌をかざすと、淡い光がルクレールの身体を包むように走り、すぐに消えた。
「異常なし。魔力の流れも正常です。少し疲労が溜まっているくらいですね」
「問題ないです」
「ええ。では――」ボンシャンはうしろで控えるロジェへと目をやった。「コルベール君のことは、しばらくラクロワ騎士に任せます。私は担当の土属性班の方を確認してきますので」
「了解しました」
ロジェが静かに応じる。
ボンシャンは軽く頷き、整然とした動きで入り口の幕を押し分けて外へ出ていった。
途端に、テント内に静寂が落ちる。
ポーションが血に溶けるみたいに巡り、まぶたがゆっくり重くなり始めた。魔力灯の淡い光。遠くで響く馬の嘶きが、だんだん向こう側へ沈んでいく。
もう、二人は俺が眠ったと思っている――そんな空気の中で、隣の寝台に誰かが腰を掛ける気配。
続いて、低い声が落ちた。
「……お前のあんな顔、初めて見た。鳥肌立ったわ。天変地異でも起きるんじゃないか?」
ロジェの声だ。
「悪かったな」
ルクレールが短く返し、椅子の軋む音。次の瞬間、足音がこちらへ移ってくる。
指先が俺の髪にそっと触れた。毛先を撫で、こめかみをなぞり、頬に温度が落ちる。
「ロジェ。お前、どっか行け。気を利かせろよ」
「おい」すぐそばでロジェが低く制す。「今は俺が彼を預かってる。任されてるんだ。触るな」
「触りたくもなるだろう。可愛いだろ、こいつ」
「……ああ。美人だな」
ロジェの息が、少しだけ和らぐ。
「見た目だけじゃない」ルクレールが、囁くみたいに笑った。「俺のために、あの穴に飛び込みやがった。こんなにフラフラになるまで魔力使って、穴の底に水を貯めて……、俺を助けるために」
「――惚れたのか?」
「そりゃ、惚れるだろう」短い間。「まあ、振られたけどな」
ふっと、頬に触れていた手が離れる気配。代わりに毛布の端が整えられ、鎖骨のあたりに優しく掛け直される。
「おいおいおい、百戦錬磨のお前が振られた? 何やらかしたんだ?」
「全裸でイチモツを超絶元気にして告白したら振られた……」
次の瞬間、鈍い音を立ててロジェが背中から倒れ込んだ。
「っは、はははっ――お前、馬鹿か!」
腹を抱えて笑いながら、寝台の縁を叩く。
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「笑うな。こっちは必死だったんだ」
「いや、無理だ……そんな状況で告白すんなよ……! この子、どん引いてただろう!?」
「いや、握って来た」
「握った!?」
「最後のほう……、あれは……もごうとしていたな」
「もぐ?」
ロジェはそのまま言葉をのんだあと。涙が滲むほど笑い続け、肩で息をした。
「この坊ちゃん、見かけによらないんだな。しかし、ほんっとお前、戦場より厄介な恋してるじゃないか。ていうか、これ、初恋だろ?」
ルクレールはため息をつき、立ち上がって軽く彼の額を指で弾く。
「うるさい。目が覚めるだろう、セレスが」
「悪い悪い」
ロジェは笑いを引っ込め、ようやく体を起こした。
それでも口角が自然と持ち上がり、わずかに笑みが残っている。
「いままで勝手に相手が寄って来て、誰彼構わずやって、まともな段階を踏む恋愛をしていないから、一世一代のときにイチモツを出して大失敗することになるんだ」
「まあ、イチモツ以前の問題だったがな」
「どういう意味だ?」
「好きなやつがいるんだと」
一瞬、ロジェの笑みが止まった。
次の瞬間、ぽつりと呟く。
「……ああ、なんか、誰のことか分かった気がする――あの黒髪の子か?」
ルクレールは目を細めて、ふっと口の端を上げた。
「"殿下"と言わないところが、流石、ノクターンの騎士だな。よく見てる」
「まあな。しかし、あんな凄まじい色男に独占欲丸出しにされたら……」ロジェは苦笑して首を振る。「お前、勝算はあるのか? 強敵だぞ」
「俺のほうがいい男だと思わないか?」
「思わないな」
即答。
ルクレールは、ふんっと短く鼻を鳴らし、寝台の端に片手をついて俯いた。
やがて、その口元がゆるりと歪む。
「……ああ、今ここからこいつを掻っ攫って逃げようかな」
淡々と、けれど冗談とは思えない声音だった。
「やめてくれ」ロジェがすぐさま遮る。「だから今、彼を預かってるのは俺だ。そんなことになったら、俺がボンシャン寮監に殺される」
魔力灯の光が、ルクレールの横顔を淡く照らす。
「……そんなに、かよ」ロジェは小さく息を吐き、少しだけ声を落とした。「でも、相手の気持ちがお前にないのなら、どうにもできないだろう。……諦めろ」
「嫌だね」
毛布の上に落ちた影がゆらぎ、誰かの手が俺の髪を、もう一度だけそっと撫でた気がした。
心の奥で、言葉にもならない声が波のように広がる。
その波に呑まれるように俺の意識は静かに闇へ沈んでいった。
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「攻撃魔法も使えない役立たず」と罵られ、魔物すら寄り付かない死の荒野へ追放されてしまう。
だが、彼らは知らなかった。
ノアのスキルは、現代の農業知識と合わせることで、荒れ果てた土地を「Sランク食材」が溢れる楽園に変えるチート能力だったことを!
伝説の魔獣(もふもふ)をキュウリ一本で手懐け、行き倒れた天才エルフを極上スープで救い出し、気づけば荒野には巨大な「農業ギルド」が誕生していた。
これは、本人がただ美味しい野菜を作ってのんびり暮らしたいだけなのに、周囲からは「世界を救う大賢者」と崇められてしまう、無自覚・最強の農業ファンタジー!
聞いてた話と何か違う!
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春、新しい出会いに胸が高鳴る中、千紘はすべてを思い出した。俺様生徒会長、腹黒副会長、チャラ男会計にワンコな書記、庶務は双子の愉快な生徒会メンバーと送るドキドキな日常――前世で大人気だったBLゲームを。そしてそのゲームの舞台こそ、千紘が今日入学した名門鷹耀学院であった。
生徒会メンバーは変態ばかり!?ゲームには登場しない人気グループ!?
聞いてた話と何か違うんですけど!
※主人公総受けで過激な描写もありますが、固定カプで着地します。
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祖国に棄てられた少年は賢者に愛される
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祖国に棄てられた少年――ユリアン。
彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。
その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。
絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。
誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。
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悪役キャラに転生したので破滅ルートを死ぬ気で回避しようと思っていたのに、何故か勇者に攻略されそうです
菫城 珪
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そんな感じのいずれ勇者となる少年と悪役になる筈だった少年によるBLです。
のんびり連載していきますのでよろしくお願いします!
※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムエブリスタ各サイトに掲載中です。
拾った異世界の子どもがどタイプ男子に育つなんて聞いてない。
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召喚に巻き込まれ異世界から来た少年、ハルを流れで引き取ることになった男、ソラ。立派に親代わりを務めようとしていたのに、一緒に暮らしていくうちに少年がどタイプ男子になっちゃって困ってます。
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