泡にはならない/泡にはさせない

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第5話 「だから、まずはオレと”友達”になってください!」

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「おーい、矢崎」
 放課後のプール……部活の合間に千歳がベンチで息を整えていると、先輩が声を掛けて来た。
「昨日の奴、来てるぞ。お前に用があるんだってさ」
 先輩の指差す方を見ると、そこには昨日、千歳に言い寄って来た赤茶髪の男子学生――夏樹がこちらに歩いて来るところだった。夏樹の強張った面持ちに、千歳も自然と身構える。

「昨日はゴメン!」
 だが、千歳の警戒は杞憂に終わった。夏樹は千歳の前まで来ると、濡れたタイルの上に正座し、額を押し付けた。恥も外聞もない土下座姿。夏樹はその姿勢のまま、大きな声で謝罪を口にした。
「え?」
「いきなり、『運命』とか『番』とか言ってゴメン!」
 動揺する千歳に構わず、夏樹は話しを続ける。
「初対面の奴にそんなこと言われたってわけわかんないし、迷惑だったよな?ってか、怖いよな?知らない奴の『番』になんて、普通に考えてなりたくないし、選ぶ権利はお前にだってあるのに……だから、ゴメン!」
 夏樹の誠心誠意の謝罪だった。千歳が受け入れてくれる保証はどこにもない。正直、拒否されたら立ち直れないかもしれない……でも、ここで謝らなければ、間違いなく終わりなのも事実。夏樹は処刑方法を告げられる死刑囚の心境で頭を下げ続けた。

「……頭、上げてください」
 数秒後、夏樹にかけられたのは、千歳の溜息と呆れた様な声だった。
「もういいですよ。俺もキツい言い方してしまいましたし、そこはお互い様です。それに昨日も言いましたが、運命論者には慣れていますので……もう気にしていません」
「ホントか!?」
 夏樹は勢いよく顔を上げた。その顔には安堵が浮かんでいる。
「ありがとう!オレ、加原夏樹って言うんだ!お前の名前は?」
 夏樹は、昼間友人達に見せられた記事で目の前の青年が”矢崎千歳”と言う競泳選手であることは知っている。それで尚聞いたのは、彼本人の口から聞きたかったからだ。最初の自己紹介は、お互いの口でしたかった。
「……矢崎、千歳です」
 千歳は少し戸惑いながら答えた。

「謝罪は受け取りました。これから練習なので、席を外して貰えますか?」
 千歳はさり気なく、夏樹を帰そうとしたが、ここで引き下がる夏樹ではない。
「なぁ、練習見てってもいいか?」
 夏樹はそう言って食い下がった。何せ、千歳は”人魚”と呼ばれる程の競泳選手らしいのだ。千歳のことを知って行くと決めた手前、折角ならその泳ぎも見て行きたかった。
「どうぞ……見学は自由ですから」
 千歳は、溜め息を吐きながら、長い指で観覧席を指差した。確かに、結構な数の人がプールを覗き込んでいる。水泳部の関係者ではなさそうな人も交ざっている様だ。
「わかった!上で見てるよ!」
 夏樹はプールサイドを出て、観覧席へと移動した。

「ガチで人魚だ……」
 プールの上から練習を見守る夏樹の心は高鳴っていた。千歳の泳ぎはとにかく美しく、優雅であるにも関わらず、誰よりも速かった。綺麗に揃った指先が水を切り裂き、その狭間に滑り込む様に進む。正しく”人魚”。夏樹はその一挙手一投足に魅了され、もう目が離せなかった。
「綺麗だなー……」
 千歳の進んだ軌跡が、光の様に尾を引いているかのようだ。しかし、夏樹が感動している間に、千歳の手がゴールパネルに叩き付けられ、光の軌跡はそこで終わってしまった。
「(100mって、あっと言う間なんだな……)」
 夏樹が学校の授業で泳いだ時はひたすら長くて、きつかった記憶しかないが、千歳の泳ぎを見ている分には100mぽっちでは足りない。1,000mでも、10,000mでも見ていたい気分だった。
「早く泳ぎ出さねぇかな?」
「矢崎選手ー」
 奇しくもそう思ったのは、夏樹だけではなかったらしい。周囲からもそんな声が聞こえる。
 夏樹はそんな周囲の声に苛立ちを感じながらも、プールから上がり、コーチと思しき人物と話し込んでいる千歳を眺めた。
「(人魚様。泡になって消えないでくれよ?)」
 夏樹はそんな場違いな心配をしながら、千歳が再び泳ぎ出すのを心待ちにしていた。

「お疲れ様!」
「貴方は……」
 午後7時過ぎ。練習を終えて帰ろうとする千歳を、体育館の出口で待っていた夏樹が呼び止めた。
「一緒に帰ろうぜ?」
「まさか、そのために待ってたんですか?」
 既に日は落ち、他の見物人も帰って久しい。こんな時間まで待っていた夏樹に、千歳はただ呆れるばかりだ。
「うん!やっぱ、1人で帰るのって寂しいし、危ないじゃん?もしかして、車だったとか?」
 夏樹は無邪気にそう言った。”気になる人と一緒に帰りたい”。夏樹の頭の中にあったのはそれだけだ。”まずは友達になる”と決めた手前、長期戦すら辞さない覚悟であった。
「いえ、電車です。駅までは歩きです」
「ってことは、橋渡った先ってこと?じゃあ、そこまで一緒に行こうぜ!」
 夏樹はニコニコと笑いながら、再度誘いを掛けた。
 余談だが、夏樹はアルファとして珍しく、威圧感よりも愛嬌が先行する雰囲気と顔立ちをしている。愛されて育った1人っ子の夏樹は、当然ながらマスコットキャラだった。アルファでありながら、バンドの内部の立ち位置は”リーダー”ではなく、”いじられキャラ”と言う始末。
「……わかりました。そこまでなら」
 結局、そんな夏樹に毒気を抜かれた千歳は、一度は拒否したはずの夏樹の同行を許してしまうのであった。ベルトに引っ掛けた”防犯ブザー”をこっそり確認した上でだが。

 大学と千歳が目指す駅の間には大きな川が流れており、そこには大きな橋が架かっている。川の流れが静かに光を反射し、夜景と相まって美しい景色を作り出していた。夏樹は橋の向こうに見える夜景を見た後、横目で千歳をそっと見る。
 街灯に照らされた千歳の横顔は美しかった。上品な顔立ちで、瞳は自信に満ちた強い光を宿している。陶磁の様な白い肌は瑞々しく、思わず触れたくなるほどだ。
「(綺麗な人だよなー……それにすっげーいい匂い)」
 爽やかでストイックな匂いなのに、どこかホカホカしていて、胸が高鳴る。歩いているだけで全身から漂うオーラは些かアルファ染みていたが、僅かに漂って来るフェロモンが、彼のオメガ性を示していた。
 夏樹の知るステレオタイプのオメガと言えば、”可愛らしい”、”庇護欲をそそる”、”柔らかい”と言う感じだが、こう言うのもいるのか。”美しい”、”強い”、”カッコいい”オメガか……。
「うん、ありだな!」
「何が”あり”なんですか?」
 どうやら、声に出てしまったらしい。千歳が怪訝そうに夏樹の方を見た。
「さっきから、やたらと俺の顔見てますよね?何かついてますか?」
「あっ、いや……別に」
 流石の夏樹も”貴方の顔に見とれていました”とは言えず、言葉を濁した。
「そうですか?ならいいんですが……」
 幸か不幸か、千歳が深く追及して来ることはなかった。すぐに前を向いてしまった千歳に、夏樹はホッとしつつも、内心残念な気持ちになった。
「(どうせならもっとこっち向いてくんないかな?……笑ったらどんな風になんのかな?)」
 流石は”戦うオメガ”。トップアスリートの千歳は、表情もクールだ。事実、夏樹が今日、ネットで見て来た過去の写真は大体凛々しくて、カッコいい写りの物ばかりだった。もちろん、それも”千歳らしくて”よかったのだが、夏樹としてはもっと色んな表情を見てみたかったのだ。そして、それを引き出せたのが自分だったら、もっと嬉しい。

「(……って、ほっこりしてる場合じゃない!)」
 本来の目的を思い出した夏樹は、唐突に我に返った。浮かれ過ぎて忘れていたが、折角一対一で話せる状態になっているのだ。”友達”を申し込むなら、今しかないではないか。
「あの、矢崎さん!」
 夏樹は意を決して、千歳に話しかけた。
「はい、何か?」
 千歳は、返事と共に夏樹に視線を向けた。
「オレ、諦めるつもりないから」
 夏樹は、短い言葉で”番になることを諦めていないこと”と、”これからアタックして行くこと”を伝えた。
「はあ……そうですか」
 千歳から帰ってきた言葉は、夏樹の熱とはそぐわない、気のない物だった。でも、夏樹はこれしきで引くつもりはない。
「(”アルファとオメガは、最初は温度差がある”……母さんだって言ってただろ?)」
 千歳の返答は、夏樹にとって、ある意味予定調和だった。だから、この場でいい返事は貰えなくてもいい。ただ、”知って貰う”だけでいい。”加原夏樹”と言うアルファを認識して貰えれば、今はそれでいい。
「矢崎さんにとってのオレは”数いるアルファ”の内の1人だもんな」
「そうですね。俺に会ったアルファの人は、皆、『運命』もしくは『番』と言う言葉を出します」
「そ、そうなんだ……」
 夏樹は、何とか言葉を絞り出した。
 しかし、千歳の言うことは真理である。千歳の戦って来た世界は、文字通り『アルファの巣窟』。
 千歳を単純にライバルや戦友として扱う者もいたが、やはり”そう言う目”で見る相手もそれなりに……いや、寧ろ”そっち”の方が多かったのが現状だ。早い話が、夏樹の様な輩は珍しくない。正直、今日、夏樹が謝りに訪れるまで、彼のことを忘れていた程だった。
「ゴホンッ。でも、その上で聞いて欲しいんだ!」
 夏樹は咳払いした後、気を取り直して話を進めた。
「矢崎さんがオレのことに興味がなくても、オレは矢崎さんのこと『運命』だと思ってるんだ。例え、それが”アルファ脳のバグ”って言われてても、矢崎さんのこと諦めたくないんだ」
「アルファは、粘着質で強引な人が多いですからね……」
 千歳の言葉にうんざりした空気が漂い始めるが、夏樹は構わず話しを続ける。
「オレが”粘着質で強引”だって言うなら、それでもいいよ。オレが本当に嫌いになったら、その時はまたフってくれていい。でも、その前に”オレのこと”を知って欲しいんだ!オレも”矢崎さんのこと”を知りたい!”アルファ脳のバグ”なんかじゃなくて、”オレ”が”矢崎さん”を好きになりたいんだ!」
 情緒もへったくれもあったものではない。でも、夏樹の偽らざる本心だった。昨日、母に聞いた『運命』の話を夏樹なりに読み込んだ上での答えだ。両親の様に、”アルファとオメガ”の繋がりではなく、”加原夏樹と矢崎千歳”で惹かれ合いたかった。そんな関係になりたかったのだ。

「だから、まずはオレと”友達”になってください!」
 そう言って、腰を90°に折って手を差し出す夏樹を、千歳は静かに眺めた。
「(珍しいアルファもいたもんですね……)」
 過去、千歳に告白して来たアルファ達は皆、千歳の『オメガ性』しか見ていなかった。彼らからは、『アルファ』と『オメガ』は惹かれ合って当然。”オメガの千歳”は”アルファの自分”に従って当然……そんな本音が滲み出ていた記憶がある。だから、皆同じことしか言わなかったのだろうと言うのが、千歳の見解だ。
 そして、目の前の夏樹の様に、”1人の人間”として向き合ってくれる――所謂、”会話”をしようと試みるアルファは初めてだった。
「わかりました。友達くらいなら」
 千歳はしばらく考えた後、夏樹の申し出を受け入れることにした。
「ホント!?ありがとう!これからよろしく!」
 千歳の言葉と手を握る感覚に、夏樹は嬉しそうに頭を上げた。まずは、第一関門突破だ。”アルファA”から、”友達”への昇格。小さな一歩と言えばそれまでだが、夏樹にとってはそれだけでも嬉しかったのだ。

 しかし、幸せな時間にも終わりは訪れる。話している内に2人は、目的地である駅に到着したのだ。
「(もう着いちゃった……)」
「ここまででいいです。では、また」
 名残惜しさで一杯の夏樹に、軽く会釈した千歳は改札へ向かおうとする。
「あっ、待って!」
「はい?」
 慌てて夏樹が呼び止めると、千歳は足を止めて振り返った。
「その……友達になったし、名前呼び……してもいいか?あっ、矢崎もよかったらオレのこと、名前で呼んでくんね?」
 夏樹は照れくさく思いながらも、もう一歩踏み込んだ。
「構いませんよ、そのくらい……では、次からは”夏樹”と」
 千歳は、すんなりOKしてくれた。
「(やった!)」
 ただ名前で呼ばれただけなのに、こんなに嬉しいとは!夏樹はそれだけで胸の高鳴りが止められなかった。
「じゃあ、そろそろ電車が来るので」
 そんな夏樹の内心を知りもしない千歳は、今度こそ改札口に消えて行こうとする。
「うん!またな、千歳!また明日!」
 夏樹は手を振り、千歳の背中を見送った。千歳が背中越しに手を振ってくれたこともまた嬉しかった。
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