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第4話 「でも、今の俺には関係ない話ですけどね」
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矢崎千歳の朝は早い。アスリートなのだから当然だ。5時半には家を出発し、6時には大学でスイムトレーニングを始める。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
更衣室に着くと既に来ている人もいる。千歳は軽く挨拶しながら、自分に割り当てられたロッカーの前に移動する。
「(今日は3枚ですか……いつもよりは少ないですね)」
千歳は溜息を吐きながら、ロッカーに貼り付けられていたメモを剥してゴミ箱に放り込んだ。最早、これもルーティンと化した。この紙がなんなのかと言えば、”アルファからのお誘い”と言う奴である。個人ロッカーは暗証番号式の鍵で施錠されているが、部室自体は大学関係者のID(学生証や教員証、警備員証、来客証等)を持っていれば、ほぼフリーで入れてしまうため、こうして水泳部の部外者が千歳のロッカーを郵便受け代わりに使うことが多々あるのだ。
推薦で入学が決まって以来、高校在学中から鷹見大学の練習に参加させて貰っていた千歳は、入学1ヶ月も経たないにも関わらず、既に大学の有名人だ。元々メダリストであり、過去にはメディアで散々取り上げられて顔を広く知られているのだから、当然と言えよう。基本的にアスリートと言うとアルファとされることが多い中、”オメガのアスリート”と言う物は前例がなかったため、大分過熱報道になっていた記憶がある。テレビ的に”ヒーロー”に仕立て上げるのに都合がよかったと言う”大人の事情”があったとか、なかったとか……千歳の知ったことではないが。
加えて、ネックガードを隠しもせずに身に着けて堂々としているオメガが珍しいと言うこともあるだろう。アルファなら兎も角、オメガならその性を隠していることも珍しくない。法律が変わろうとも、根強い偏見や差別は簡単には消えないため、オメガ性を公表することはかなりの勇気がいる行動だった(それでも最近は、千歳の影響でネックガードをファッションの一部の様に楽しむオメガも出て来ているらしいが)。
まあ、理由はさておき、そんな有名人でありながら番がいないことでも知られている千歳は、しょっちゅうアルファから声を掛けられているのだ。それも1日に数人は来る勢いで。
「(告白するにしても、もう少し気の利いたこと言えないんですかね?)」
所謂、”モテ期”と言う奴なのだろうが全然嬉しくない。何せ、アルファ達の告白は……文脈に多少の違いはあれど、結局皆言うことは同じ。要約すると”千歳は自分の『運命』だから、『番』になりたい”としか言って来ないわけだ。
余りに同じことしか言われないから、アルファの口説き文句にはテンプレートでも存在するのかと、スマホで検索までかけてしまった程だ(ちなみにそんなものはなかった)。
大体、アルファ達は何を考えているのか?千歳は理解に苦しむ。何が悲しくて、良く知りもしない相手と契りを交わさなければならないのだろうか?
そもそも『番契約』自体、オメガだけがリスクを負う行為なのだ。オメガは生涯一度しか『番』を作れない癖に、解除はアルファ側の一存で簡単に出来てしまう。そして、『番』を解除したり、死別したりしてもアルファは普通に次の『番』が作れてしまう一方で、解除を喰らったり、『番』と死別したりしたオメガはフェロモンや発情期の周期が狂う上に、精神にも多大なダメージを受ける。自殺や早逝のリスクが付き纏う様になり、最悪まともな生活が出来なくなる可能性すらある。医学の進歩により多少の緩和は出来るとしても、十全ではない。実際、『番』に先立たれた千歳の母は薬が手放せない体になってしまっている。自分や兄妹達の前ではいつも笑顔で気丈な母が、夜中にトイレで泣きながら吐いていたのは、千歳の子供心にトラウマとして刻まれている。
オメガにとっては文字通り、命を懸けた『番契約』。だからこそ、オメガは相手を慎重に選ぶ。もっと言ってしまえば、オメガ視点の『運命の番』には、恋愛感情も遺伝子の相性も関係ない。”このアルファのために死ぬなら本望”。そう思える、思わせるアルファこそがオメガにとっての『運命』になるのだ。
「(でも、今の俺には関係ない話ですけどね)」
今、千歳が欲しい物は『運命の番』より”金メダル”だ。あの夢の舞台で表彰台の一番上に立ち、金色のメダルを首に下げる。それこそが千歳の夢であり、人生の目標なのだ。
3歳の時、初めてのプールで水の中の世界の美しさに心を奪われて……。
6歳の時、”競泳選手になりたい”なんて、オメガが抱くには大き過ぎる馬鹿げた夢を掲げて……。
10歳の時、バース性の齎す不平等に屈しそうになって……。
12歳の時、アルファひしめく世界に飛び込む権利を得て……。
13歳の時、遂に訪れたヒートに悶え、性の恐ろしさとアルファの獣欲を思い知らされて……。
そして、17歳の時……夢の舞台で”銀色のメダル”を掴んだ。
ここまで来たなら、ひたすら進むだけ。だから……今はアルファとロマンスなんかしている場合じゃない。
「さあ、今日も頑張りましょうか」
軽くストレッチと準備体操を終えた千歳は、スターティングブロックに立った。
「……」
千歳がそこに立った瞬間、プール内の空気が変わった。練習していた選手も、打ち合わせをしていたコーチも、プールの外にいた清掃員も……全員の意識が千歳へと集中する。
そして、千歳はそんな空気を気にするでもなく、プールへと飛び込んだ。
千歳の飛び込みは、ほとんど水しぶきが上がらない。水の中に溶け込む様に水中へと入り込んだ千歳は、数秒のバサロの後、水面へと浮かび上がり、得意のクロールを始めた。力は込めない。周囲の水に調子を合わせて、姿勢を整え、自分のフォームで掻けばいい。そうすれば、水も答えてくれる。勝手にゴールまで連れてってくれる。コツは”無理に従わせようとしないこと”……水は自由な物だから。
「別格だな、矢崎は」
プールにいたコーチの1人がそう漏らした。千歳のクロールが始まると、全てが緩やかに流れている様に感じるのだ。オメガはアルファよりも身体能力が劣るのが常だが、それを全く感じさせない。腕が水を優しく撫でる様に伸び、しなやかな体が波の中で美しく揺蕩う。美しき水の主――正しく”人魚”と呼ぶにふさわしい姿だった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
更衣室に着くと既に来ている人もいる。千歳は軽く挨拶しながら、自分に割り当てられたロッカーの前に移動する。
「(今日は3枚ですか……いつもよりは少ないですね)」
千歳は溜息を吐きながら、ロッカーに貼り付けられていたメモを剥してゴミ箱に放り込んだ。最早、これもルーティンと化した。この紙がなんなのかと言えば、”アルファからのお誘い”と言う奴である。個人ロッカーは暗証番号式の鍵で施錠されているが、部室自体は大学関係者のID(学生証や教員証、警備員証、来客証等)を持っていれば、ほぼフリーで入れてしまうため、こうして水泳部の部外者が千歳のロッカーを郵便受け代わりに使うことが多々あるのだ。
推薦で入学が決まって以来、高校在学中から鷹見大学の練習に参加させて貰っていた千歳は、入学1ヶ月も経たないにも関わらず、既に大学の有名人だ。元々メダリストであり、過去にはメディアで散々取り上げられて顔を広く知られているのだから、当然と言えよう。基本的にアスリートと言うとアルファとされることが多い中、”オメガのアスリート”と言う物は前例がなかったため、大分過熱報道になっていた記憶がある。テレビ的に”ヒーロー”に仕立て上げるのに都合がよかったと言う”大人の事情”があったとか、なかったとか……千歳の知ったことではないが。
加えて、ネックガードを隠しもせずに身に着けて堂々としているオメガが珍しいと言うこともあるだろう。アルファなら兎も角、オメガならその性を隠していることも珍しくない。法律が変わろうとも、根強い偏見や差別は簡単には消えないため、オメガ性を公表することはかなりの勇気がいる行動だった(それでも最近は、千歳の影響でネックガードをファッションの一部の様に楽しむオメガも出て来ているらしいが)。
まあ、理由はさておき、そんな有名人でありながら番がいないことでも知られている千歳は、しょっちゅうアルファから声を掛けられているのだ。それも1日に数人は来る勢いで。
「(告白するにしても、もう少し気の利いたこと言えないんですかね?)」
所謂、”モテ期”と言う奴なのだろうが全然嬉しくない。何せ、アルファ達の告白は……文脈に多少の違いはあれど、結局皆言うことは同じ。要約すると”千歳は自分の『運命』だから、『番』になりたい”としか言って来ないわけだ。
余りに同じことしか言われないから、アルファの口説き文句にはテンプレートでも存在するのかと、スマホで検索までかけてしまった程だ(ちなみにそんなものはなかった)。
大体、アルファ達は何を考えているのか?千歳は理解に苦しむ。何が悲しくて、良く知りもしない相手と契りを交わさなければならないのだろうか?
そもそも『番契約』自体、オメガだけがリスクを負う行為なのだ。オメガは生涯一度しか『番』を作れない癖に、解除はアルファ側の一存で簡単に出来てしまう。そして、『番』を解除したり、死別したりしてもアルファは普通に次の『番』が作れてしまう一方で、解除を喰らったり、『番』と死別したりしたオメガはフェロモンや発情期の周期が狂う上に、精神にも多大なダメージを受ける。自殺や早逝のリスクが付き纏う様になり、最悪まともな生活が出来なくなる可能性すらある。医学の進歩により多少の緩和は出来るとしても、十全ではない。実際、『番』に先立たれた千歳の母は薬が手放せない体になってしまっている。自分や兄妹達の前ではいつも笑顔で気丈な母が、夜中にトイレで泣きながら吐いていたのは、千歳の子供心にトラウマとして刻まれている。
オメガにとっては文字通り、命を懸けた『番契約』。だからこそ、オメガは相手を慎重に選ぶ。もっと言ってしまえば、オメガ視点の『運命の番』には、恋愛感情も遺伝子の相性も関係ない。”このアルファのために死ぬなら本望”。そう思える、思わせるアルファこそがオメガにとっての『運命』になるのだ。
「(でも、今の俺には関係ない話ですけどね)」
今、千歳が欲しい物は『運命の番』より”金メダル”だ。あの夢の舞台で表彰台の一番上に立ち、金色のメダルを首に下げる。それこそが千歳の夢であり、人生の目標なのだ。
3歳の時、初めてのプールで水の中の世界の美しさに心を奪われて……。
6歳の時、”競泳選手になりたい”なんて、オメガが抱くには大き過ぎる馬鹿げた夢を掲げて……。
10歳の時、バース性の齎す不平等に屈しそうになって……。
12歳の時、アルファひしめく世界に飛び込む権利を得て……。
13歳の時、遂に訪れたヒートに悶え、性の恐ろしさとアルファの獣欲を思い知らされて……。
そして、17歳の時……夢の舞台で”銀色のメダル”を掴んだ。
ここまで来たなら、ひたすら進むだけ。だから……今はアルファとロマンスなんかしている場合じゃない。
「さあ、今日も頑張りましょうか」
軽くストレッチと準備体操を終えた千歳は、スターティングブロックに立った。
「……」
千歳がそこに立った瞬間、プール内の空気が変わった。練習していた選手も、打ち合わせをしていたコーチも、プールの外にいた清掃員も……全員の意識が千歳へと集中する。
そして、千歳はそんな空気を気にするでもなく、プールへと飛び込んだ。
千歳の飛び込みは、ほとんど水しぶきが上がらない。水の中に溶け込む様に水中へと入り込んだ千歳は、数秒のバサロの後、水面へと浮かび上がり、得意のクロールを始めた。力は込めない。周囲の水に調子を合わせて、姿勢を整え、自分のフォームで掻けばいい。そうすれば、水も答えてくれる。勝手にゴールまで連れてってくれる。コツは”無理に従わせようとしないこと”……水は自由な物だから。
「別格だな、矢崎は」
プールにいたコーチの1人がそう漏らした。千歳のクロールが始まると、全てが緩やかに流れている様に感じるのだ。オメガはアルファよりも身体能力が劣るのが常だが、それを全く感じさせない。腕が水を優しく撫でる様に伸び、しなやかな体が波の中で美しく揺蕩う。美しき水の主――正しく”人魚”と呼ぶにふさわしい姿だった。
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