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第17話 「よかった……」
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「お疲れ」
「お疲れ様です」
練習が終わり、夏樹と千歳はいつものように駅に向かって歩いていた。先日の激しい口論が嘘のように、千歳は穏やかだった。あの時の激情は影もなく、ただいつもの日常がそこにあった。
「それでさ、あの講義の後に、また教授が……」
夏樹が笑いながら話し、千歳がいつも通り聞き役に徹している。話題は他愛のない物で、特に深い意味もない。それでもこの様に話していると、自然と気持ちが軽くなる。
しかし、夏樹は、この場で奏との話の後に考えた思い付きを実行するつもりでいた。
「千歳」
そして、橋に差し掛かった時、夏樹は唐突に口を開いた。
「何か?」
急に立ち止まり、真剣な表情で口を開いた夏樹に、千歳も足を止めた。
「これ持っててくれ」
夏樹が渡したのは、夏樹がいつも背負っているリュックだった。千歳はわけもわからないまま、押し付けられる様にリュックを受け取った。
「これは……?」
「橋を渡って、先に向こう岸で待ってて欲しいんだ」
疑問を口にする千歳に、夏樹は続けて言った。
「はあ?どうして、そんなこと……」
「お願い。どうしても、必要なことなんだ…!」
千歳が戸惑う中、夏樹は真剣な眼差しで見つめ続ける。
「……わかりました」
夏樹の必死な様子に、千歳は諦めたように溜め息を吐いた。この分だと、夏樹は言っても聞かないだろうと判断したのだ。
「何かあったらすぐに知らせてください」
そう言い残し、千歳はリュックを抱えながら、橋の方へ向かった。
「よしっ」
千歳が橋を渡り始めたのを確認した夏樹は、気合を入れると、川岸に向かって歩き始めた。コンクリートで固められた坂を下りると、暗い夜空の下に黒く光る水面が広がっている。等間隔に立つ街灯が、水面にぼんやりとした光を落としていた。冷たい風が肌を刺し、夏樹は一瞬、恐怖に駆られた。
「命を……懸ける……!」
そう呟きながら、夏樹は服を脱ぎ始めた。服の下には大学の売店で買った水着がきっちりと着用されている。大学に関連した物は何でも取り揃えられているから、本当に便利な売店だと思う。
「やっ!」
夏樹は深呼吸の後、勢いよく川に飛び込んだ。
「なっ!?」
橋の上で様子を見ていた千歳は、夏樹の行動に思わず身を乗り出す。さっき言っていたことと合わせて考えるに、向こう岸まで泳ごうと言うのだろうか?そんなの無茶だ。
「あの馬鹿!」
千歳はすぐさま引き返しながら、スマホで消防に連絡をいれる。幸い、消防のオペレーターはすぐに応答した。
「火事ですか?救助ですか?」
「救助です!橋の下で友人が溺れかけています!鷹見大学付近の大きな橋の川下側です!」
パニック状態の言葉が、どの程度伝わったがどうかはわからないが、これで遠からず救助は来るだろう。問題は、それまで夏樹が持つかだが……。
「……ううっ」
川に飛び込んだ瞬間、冷たい水が夏樹を包み込んだ。その冷たさに夏樹は息を呑む。初夏とはいえ、夜の川は冷たく、全身を刺すような痛みが走る。進もうとするたびに、痛みが体を鈍らせる。夏樹の水泳経験は学校の授業程度しかなく、しかも生粋の都会育ちで、川で泳いだ経験は全くない。
「やべ……」
全身の感覚が薄れていく。目の前がぼやけ、視界が暗くなっていくのを感じた。
「夏樹!」
夏樹の頭は、川の半分も行かない地点で止まり、浮き沈みし始めた。もう一刻の猶予もない。
「……っ、待ってろ!」
夏樹の姿に千歳は素早くジャージを脱ぎ捨てると、自分も川へと飛び込んだ。溺れている人を助けるために自分が飛び込む等、愚の骨頂だが、今の千歳には関係なかった。ただ救わねばならない『友達』がいる。それだけだった。
高校時代の合宿で、自然遊泳の経験がある千歳は、あっさり夏樹のところまで辿り着いた。そして、夏樹の頭が完全に水に沈んだところを見計らって後ろから近づき、背後から羽交い絞めする様に水面へと引き上げた。
「夏樹……!しっかり、してくださいよ……!」
夏樹を確保した千歳は、そのまま川の流れを利用し、岸まで辿り着いた。
「はぁ……はぁ……」
如何に競泳選手でも、流れのある冷たい川で、人1人を引っ張って泳ぐことは容易ではない。正直、自分でも上手く行き過ぎな救出劇だと思った。しかし、そんなことを喜んでいる暇はない。
「夏樹は……」
千歳は、傍らに横たわった夏樹を見遣った。意識はないが、胸は動いている。呼吸音も聞こえてくることからして、一先ずは大丈夫な様だ。
「よかった……」
千歳が胸を撫で下ろした時、遠くから消防車と救急車のサイレンの音が聞こえた。
「お疲れ様です」
練習が終わり、夏樹と千歳はいつものように駅に向かって歩いていた。先日の激しい口論が嘘のように、千歳は穏やかだった。あの時の激情は影もなく、ただいつもの日常がそこにあった。
「それでさ、あの講義の後に、また教授が……」
夏樹が笑いながら話し、千歳がいつも通り聞き役に徹している。話題は他愛のない物で、特に深い意味もない。それでもこの様に話していると、自然と気持ちが軽くなる。
しかし、夏樹は、この場で奏との話の後に考えた思い付きを実行するつもりでいた。
「千歳」
そして、橋に差し掛かった時、夏樹は唐突に口を開いた。
「何か?」
急に立ち止まり、真剣な表情で口を開いた夏樹に、千歳も足を止めた。
「これ持っててくれ」
夏樹が渡したのは、夏樹がいつも背負っているリュックだった。千歳はわけもわからないまま、押し付けられる様にリュックを受け取った。
「これは……?」
「橋を渡って、先に向こう岸で待ってて欲しいんだ」
疑問を口にする千歳に、夏樹は続けて言った。
「はあ?どうして、そんなこと……」
「お願い。どうしても、必要なことなんだ…!」
千歳が戸惑う中、夏樹は真剣な眼差しで見つめ続ける。
「……わかりました」
夏樹の必死な様子に、千歳は諦めたように溜め息を吐いた。この分だと、夏樹は言っても聞かないだろうと判断したのだ。
「何かあったらすぐに知らせてください」
そう言い残し、千歳はリュックを抱えながら、橋の方へ向かった。
「よしっ」
千歳が橋を渡り始めたのを確認した夏樹は、気合を入れると、川岸に向かって歩き始めた。コンクリートで固められた坂を下りると、暗い夜空の下に黒く光る水面が広がっている。等間隔に立つ街灯が、水面にぼんやりとした光を落としていた。冷たい風が肌を刺し、夏樹は一瞬、恐怖に駆られた。
「命を……懸ける……!」
そう呟きながら、夏樹は服を脱ぎ始めた。服の下には大学の売店で買った水着がきっちりと着用されている。大学に関連した物は何でも取り揃えられているから、本当に便利な売店だと思う。
「やっ!」
夏樹は深呼吸の後、勢いよく川に飛び込んだ。
「なっ!?」
橋の上で様子を見ていた千歳は、夏樹の行動に思わず身を乗り出す。さっき言っていたことと合わせて考えるに、向こう岸まで泳ごうと言うのだろうか?そんなの無茶だ。
「あの馬鹿!」
千歳はすぐさま引き返しながら、スマホで消防に連絡をいれる。幸い、消防のオペレーターはすぐに応答した。
「火事ですか?救助ですか?」
「救助です!橋の下で友人が溺れかけています!鷹見大学付近の大きな橋の川下側です!」
パニック状態の言葉が、どの程度伝わったがどうかはわからないが、これで遠からず救助は来るだろう。問題は、それまで夏樹が持つかだが……。
「……ううっ」
川に飛び込んだ瞬間、冷たい水が夏樹を包み込んだ。その冷たさに夏樹は息を呑む。初夏とはいえ、夜の川は冷たく、全身を刺すような痛みが走る。進もうとするたびに、痛みが体を鈍らせる。夏樹の水泳経験は学校の授業程度しかなく、しかも生粋の都会育ちで、川で泳いだ経験は全くない。
「やべ……」
全身の感覚が薄れていく。目の前がぼやけ、視界が暗くなっていくのを感じた。
「夏樹!」
夏樹の頭は、川の半分も行かない地点で止まり、浮き沈みし始めた。もう一刻の猶予もない。
「……っ、待ってろ!」
夏樹の姿に千歳は素早くジャージを脱ぎ捨てると、自分も川へと飛び込んだ。溺れている人を助けるために自分が飛び込む等、愚の骨頂だが、今の千歳には関係なかった。ただ救わねばならない『友達』がいる。それだけだった。
高校時代の合宿で、自然遊泳の経験がある千歳は、あっさり夏樹のところまで辿り着いた。そして、夏樹の頭が完全に水に沈んだところを見計らって後ろから近づき、背後から羽交い絞めする様に水面へと引き上げた。
「夏樹……!しっかり、してくださいよ……!」
夏樹を確保した千歳は、そのまま川の流れを利用し、岸まで辿り着いた。
「はぁ……はぁ……」
如何に競泳選手でも、流れのある冷たい川で、人1人を引っ張って泳ぐことは容易ではない。正直、自分でも上手く行き過ぎな救出劇だと思った。しかし、そんなことを喜んでいる暇はない。
「夏樹は……」
千歳は、傍らに横たわった夏樹を見遣った。意識はないが、胸は動いている。呼吸音も聞こえてくることからして、一先ずは大丈夫な様だ。
「よかった……」
千歳が胸を撫で下ろした時、遠くから消防車と救急車のサイレンの音が聞こえた。
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