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前編
第七話
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重い扉を出ると、がらんとした長い廊下が広がっていた。来る時はあんなに短く感じた灰色の廊下が、今は永遠のように長く感じられる。どうしてこの人は、こんな足音まで綺麗なのだろうか。そんなことを考えながら、リースはアーサーの少し後ろを俯き気味に歩いた。
「……はあ」
しばらく歩いた時アーサーが突然、小さくため息をついて立ち止まった。リースも慌てて隣で立ち止まり、顔を上げる。すると廊下の奥に二つ、背の高い人影が見えた。
誰だろうと目を凝らしているうちに、僅かに手を引かれた。思わずその手の主を見上げると、形のいい唇が、隠れてろ、と小さく動いた。
「おー!アーサーじゃん!」
言われた通りに背後に回り込むと、しばらくして明るく大きな声が聞こえた。大きな背丈の後ろからそっと覗き見ると、やけに顔の整った背の高い男が能天気な笑みを浮かべていた。その隣には、眼鏡をかけた鋭い目の男。こっちの男には見覚えがあった。同じ寮の四年生だ。よく談話室でアーサーと話しているのを見たことがある。
「カイル、お前は相変わらず声がでかいな。うちの寮で騒ぐなよ」
アーサーがため息混じりに答える。その背中越しに、カイルと呼ばれた背の高い方と目が合った。
「ふーん、君が噂の……」
ニヤニヤしながらそう言われて、慌ててアーサーの隣に立つ。アーサーの指示とはいえ、上級生の前で挨拶もなしに隠れているのは気が引けた。自己紹介をしようと口を開いたが、アーサーの方がほんの少しだけ早かった。
「リース・ハースト候補生だ。後輩を困らせるな」
「へえ、噂通り可愛いんだね」
その言葉にはムッとしたが、上級生相手にそんな顔をする訳にもいかない。敬礼をすると、カイルは「そんなのいいって」と、ヘラヘラ笑った。どうすればいいのか分からず思わずアーサーを見上げると、僅かに腰を引き寄せられた。その仕草に、心臓がまた少し、脈打ったのが悔しい。
カイルはニヤリと笑って、再び口を開いた。
「さっすがアーサー。処理帰り?」
「お前にはデリカシーってものがないのか」
眼鏡の方が、ため息混じりにそう言った。ふと視線を向けられて、思わず背筋が伸びる。
「すまないな。ハースト候補生」
理知的な眼鏡の奥に潜む、見下ろすような鋭い視線。それに少したじろいでいる隙に、彼はそのままカイルを引きずるようにして、奥の処理室へと消えていった。
あの人が、あんな明るいオメガとパートナーだなんて。
意外にも思えたが、それ以上に、どこかに妙な違和感の残る二人だった。
静まり返った長い廊下を、再びひたすら無言で歩く。そしてついに端まで来た時、アーサーが少しもったいぶるように口を開いた。
「訓練着はしばらく使わないから、持っていて構わない。……あと、これ」
そう言ってアーサーがポケットから取り出したのは、十粒ほど連なった座薬のカプセルだった。 戸惑いながら、思わずアーサーを見上げる。
「こんなに沢山、受け取れないです。……どうやって手に入れたんですか?」
「俺は使わないから、受け取れ」
恐る恐る、気になっていたことを聞いてみる。だが、アーサーはそれには応えることなく、問答無用といった様子で腕を突き出してきた。
「……あ、ありがとうございます」
リースはそれ以上拒むこともできず、目を逸らして小さくそれだけ返した。
アーサーはまだ何か言いたげにリースを見下ろしていた。その視線に、不覚にも手に汗が滲む。
「……絶対に、更新しろ。いいか、絶対だ」
ようやく口を開いたと思うと、アーサーはいやに鋭い目つきになって、低くはっきりとそう言った。そして言い終わったと思うと、そそくさと背を向けて歩き出した。
「は……」
脈打つ鼓動の音が、静まり返った廊下に漏れていそうなほどに響く。
最後に何を言うのかと思えば、更新しろだなんて。
――処理なんて懲り懲りだってば。
俯いて、床を一つ蹴った。
アーサーだって、きっと社交辞令に違いない。彼がこんな不完全で面倒なオメガの相手をもう一度したがるわけがないじゃないか。
リースはそう言い聞かせるようにひとつ息をついて、静かに歩き出した。そうでもしないと、あの社交辞令にしては嫌に強く聞こえた最後のセリフに、また何か意味を感じてしまいそうで怖かった。
「……はあ」
しばらく歩いた時アーサーが突然、小さくため息をついて立ち止まった。リースも慌てて隣で立ち止まり、顔を上げる。すると廊下の奥に二つ、背の高い人影が見えた。
誰だろうと目を凝らしているうちに、僅かに手を引かれた。思わずその手の主を見上げると、形のいい唇が、隠れてろ、と小さく動いた。
「おー!アーサーじゃん!」
言われた通りに背後に回り込むと、しばらくして明るく大きな声が聞こえた。大きな背丈の後ろからそっと覗き見ると、やけに顔の整った背の高い男が能天気な笑みを浮かべていた。その隣には、眼鏡をかけた鋭い目の男。こっちの男には見覚えがあった。同じ寮の四年生だ。よく談話室でアーサーと話しているのを見たことがある。
「カイル、お前は相変わらず声がでかいな。うちの寮で騒ぐなよ」
アーサーがため息混じりに答える。その背中越しに、カイルと呼ばれた背の高い方と目が合った。
「ふーん、君が噂の……」
ニヤニヤしながらそう言われて、慌ててアーサーの隣に立つ。アーサーの指示とはいえ、上級生の前で挨拶もなしに隠れているのは気が引けた。自己紹介をしようと口を開いたが、アーサーの方がほんの少しだけ早かった。
「リース・ハースト候補生だ。後輩を困らせるな」
「へえ、噂通り可愛いんだね」
その言葉にはムッとしたが、上級生相手にそんな顔をする訳にもいかない。敬礼をすると、カイルは「そんなのいいって」と、ヘラヘラ笑った。どうすればいいのか分からず思わずアーサーを見上げると、僅かに腰を引き寄せられた。その仕草に、心臓がまた少し、脈打ったのが悔しい。
カイルはニヤリと笑って、再び口を開いた。
「さっすがアーサー。処理帰り?」
「お前にはデリカシーってものがないのか」
眼鏡の方が、ため息混じりにそう言った。ふと視線を向けられて、思わず背筋が伸びる。
「すまないな。ハースト候補生」
理知的な眼鏡の奥に潜む、見下ろすような鋭い視線。それに少したじろいでいる隙に、彼はそのままカイルを引きずるようにして、奥の処理室へと消えていった。
あの人が、あんな明るいオメガとパートナーだなんて。
意外にも思えたが、それ以上に、どこかに妙な違和感の残る二人だった。
静まり返った長い廊下を、再びひたすら無言で歩く。そしてついに端まで来た時、アーサーが少しもったいぶるように口を開いた。
「訓練着はしばらく使わないから、持っていて構わない。……あと、これ」
そう言ってアーサーがポケットから取り出したのは、十粒ほど連なった座薬のカプセルだった。 戸惑いながら、思わずアーサーを見上げる。
「こんなに沢山、受け取れないです。……どうやって手に入れたんですか?」
「俺は使わないから、受け取れ」
恐る恐る、気になっていたことを聞いてみる。だが、アーサーはそれには応えることなく、問答無用といった様子で腕を突き出してきた。
「……あ、ありがとうございます」
リースはそれ以上拒むこともできず、目を逸らして小さくそれだけ返した。
アーサーはまだ何か言いたげにリースを見下ろしていた。その視線に、不覚にも手に汗が滲む。
「……絶対に、更新しろ。いいか、絶対だ」
ようやく口を開いたと思うと、アーサーはいやに鋭い目つきになって、低くはっきりとそう言った。そして言い終わったと思うと、そそくさと背を向けて歩き出した。
「は……」
脈打つ鼓動の音が、静まり返った廊下に漏れていそうなほどに響く。
最後に何を言うのかと思えば、更新しろだなんて。
――処理なんて懲り懲りだってば。
俯いて、床を一つ蹴った。
アーサーだって、きっと社交辞令に違いない。彼がこんな不完全で面倒なオメガの相手をもう一度したがるわけがないじゃないか。
リースはそう言い聞かせるようにひとつ息をついて、静かに歩き出した。そうでもしないと、あの社交辞令にしては嫌に強く聞こえた最後のセリフに、また何か意味を感じてしまいそうで怖かった。
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