【本編完結】完璧アルファの寮長が、僕に本気でパートナー申請なんてするわけない

中村梅雨(ナカムラツユ)

文字の大きさ
9 / 42
前編

第八話

しおりを挟む
その日はベッドに入っても中々寝付けなかった上、翌朝も随分と早く目が覚めてしまった。きっと朝の点呼で部屋に回ってくるアーサーと会うのが、あまりにも億劫だったからだ。
今日は土曜日だから、朝礼も授業もない。それなのに、どうして点呼だけはしっかりあるのだろうか。いつもはなんとも思わないこの慣習に、意味もなく腹を立ててしまう。
洋服に着替えて洗面所に向かい、鏡を見つめる。
昨日処理室で泣いてしまったせいで、目元が少し腫れ上がってしまっている。

ーーでも、大丈夫。それ以外は、いつも通りだ。

そう自分に言い聞かせて、何度も冷水で顔を洗った。

自室に戻った時、ちょうど起床のベルが鳴った。
点呼は一年の部屋から回って、リースのところに来るのはいつも大抵、6時3分20秒。これが5秒以上前後したことは、これまでに一度もない。長針が3分を差した頃から、ひときわ緊張しながら秒針を追う。

20秒。こない。
30秒……まだ、こない。

ーーなんだ。

拍子抜けして少し肩の力を抜いた、その瞬間。 長針がピクリともう一つ動いた時に、ようやく扉がノックされた。リースは慌てて背筋を正し、なんともない風にドアを開けた。

「……おはようございます」

だが、声がわずかに上ずってしまった。それに内心少し焦りながら、早く行けよ、と悪態をつく。
それなのに今日に限って、中々去ってくれなかった。
本来なら点呼など、起きていることを確認したらそれで終わりのはずだ。ドアの前に立ったまま、まるでこちらを値踏みするかのように視線を止めている気配がする。
やがて顔を覗き込むように一歩踏み出たアーサーの腕が、扉をギイ、と押す。
その音が部屋に響いた瞬間、リースの背筋がびくりと震え、思わず一歩後ずさった。

「……なんですか」
「……目が腫れてる」
「は……」

あまりに予想外の言葉に、今度は明らかに調子の外れた声が出てしまう。アーサーは真剣な表情でこちらを見つめている。

「そんなこと……どうでもいいじゃないですか……」
「良くない。昨日あのあと、また泣いたのか?」

泣いてなんてない。あのあとはなかなか寝付けはしなかったけれど、それはなんとなく胸がいっぱいだったからで、悲しい、悔しいという気持ちはベッドに入ってからは不思議なことにほとんど浮かんでこなった。

「なんで……」
「パートナーだからだ」

その言葉に鼓動がひとつ強く打ち、息が詰まった。喉の奥がひりつき、頭の中で昨日の場面が一気にフラッシュバックして、昨日別れ際に言われたことを思い出す。

ーー更新しろ、絶対だ。

リースは視線を逸らし、思わずもう一歩、後ずさった。
昨日アーサーに触れた時の感覚がまだ残っている指先が、ぎゅっと拳を作る。

「違うか?」

淡々とした物言いの奥には、どうにも逃げられないほどの引力が潜んでいる。その視線に捕らえられた瞬間、空気の密度が変わる。
ずるい、と思った。喉がきゅっと狭まり、心臓の音だけがやけに大きく響く。
思わず呑まれそうになるその圧を全身で感じながら、リースは両の足を踏ん張った。

──負けてたまるか!

肩にまで伝わってくる熱と匂いが、まるで体内に染み込んでくるみたいだ。
この強烈なアルファの気迫に流されてたまるか。
歯の奥がぎり、と軋んだ。

「僕は……更新するなんて一言も……。
簡単にすると思わないでください。強制するなんて、軍規違反では?」

声が震えた。それでも拳を握りしめ、負けじと見つめ返しながら、必死に息を整える。
アーサーはほんの一瞬動きを止め、目を細めた。長い睫毛の影が頬に落ち、窓からの光でその横顔が淡く縁取られる。
そしてそのままゆっくりと息を吐き、低く言い放った。

「……なら、強制はしない」

次の瞬間、距離を詰めて顎の下に指先をかけられたと思うと、視線を絡め取られた。息をする暇を探している間に、鋭い声が落ちてきた。

「だが、あくまでも……寮の風紀と君自身のためだということを忘れるなよ」

その言葉に、リースの胸の奥で何かがカチリと音を立てた。
まるで、冷えた金属に火花が散ったように、怒りとも羞恥ともつかない熱が一気にせり上がる。
拳を握りしめた指先が白くなるのが分かる。頭では冷静に返そうとするのに、鼓動だけが早鐘を打つ。

「……分かってますよ」

手を振り払い、精一杯の声でそれだけ返すと、アーサーはしばらく黙ってリースを見つめ、ゆっくり頷いた。
そしてようやくいつものように記録簿を開き、ペンを走らせる。
ペン先の音だけが部屋に響くその静けさの中で、リースは怒りを抑えきれずにいた。

アーサーは署名を終えると、そっと顔を上げた。リースが思わず目を合わせた、その瞬間──アーサーの手が、再びゆっくり持ち上がった。
その動きを目で追う間もなく、あ、と思った頃には、温かな親指がリースの目尻をやさしく拭っていた。
驚きに息を呑んだリースを見て、アーサーはほんのわずかに目元を緩め、静かに言った。

「よい休日を」

その背中を見送りながら、リースは自分の唇が小さく震えていることに気づいた。

──なんだよ、それ。

胸の奥がどんどん熱くなっていく。
悔しさと一緒に、怒りとも羞恥ともつかない熱が、鼓動と一緒にせり上がってくる。頬の奥がじりじりと火照っていくのも、心臓の鼓動が速いのも、あまりにも腹が立ったからだ。そうに違いないーー。

何度も深呼吸を繰り返した。それでも、胸の奥のざわめきはなかなか収まらなかった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

転化オメガの優等生はアルファの頂点に組み敷かれる

さち喜
BL
優等生・聖利(ひじり)と校則破りの常習犯・來(らい)は、ともに優秀なアルファ。 ライバルとして競い合ってきたふたりは、高等部寮でルームメイトに。 來を意識してしまう聖利は、あるとき自分の身体に妙な変化を感じる。 すると、來が獣のように押し倒してきて……。 「その顔、煽ってんだろ? 俺を」 アルファからオメガに転化してしまった聖利と、過保護に執着する來の焦れ恋物語。 ※性描写がありますので、苦手な方はご注意ください。 ※2021年に他サイトで連載した作品です。ラストに番外編を加筆予定です。 ☆登場人物☆ 楠見野聖利(くすみのひじり) 高校一年、175センチ、黒髪の美少年アルファ。 中等部から学年トップの秀才。 來に好意があるが、叶わぬ気持ちだと諦めている。 ある日、バース性が転化しアルファからオメガになってしまう。 海瀬來(かいせらい) 高校一年、185センチ、端正な顔立ちのアルファ。 聖利のライバルで、身体能力は聖利より上。 海瀬グループの御曹司。さらに成績優秀なため、多少素行が悪くても教師も生徒も手出しできない。 聖利のオメガ転化を前にして自身を抑えきれず……。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

【BL】『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとでした

圭琴子
BL
 この世界は、αとβとΩで出来てる。  生まれながらにエリートのαや、人口の大多数を占める『普通』のβにはさして意識するほどの事でもないだろうけど、俺たちΩにとっては、この世界はけして優しくはなかった。  今日も寝坊した。二学期の初め、転校初日だったけど、ワクワクもドキドキも、期待に胸を膨らませる事もない。何故なら、高校三年生にして、もう七度目の転校だったから。    βの両親から生まれてしまったΩの一人息子の行く末を心配して、若かった父さんと母さんは、一つの罪を犯した。  小学校に入る時に義務付けられている血液検査日に、俺の血液と父さんの血液をすり替えるという罪を。  従って俺は戸籍上、β籍になっている。  あとは、一度吐(つ)いてしまった嘘がバレないよう、嘘を上塗りするばかりだった。  俺がΩとバレそうになる度に転校を繰り返し、流れ流れていつの間にか、東京の一大エスカレーター式私立校、小鳥遊(たかなし)学園に通う事になっていた。  今まで、俺に『好き』と言った連中は、みんなΩの発情期に当てられた奴らばかりだった。  だから『好き』と言われて、ピンときたことはない。  だけど。優しいキスに、心が動いて、いつの間にかそのひとを『好き』になっていた。  学園の事実上のトップで、生まれた時から許嫁が居て、俺のことを遊びだと言い切るあいつを。  どんなに酷いことをされても、一度愛したあのひとを、忘れることは出来なかった。  『Ωである俺』に居場所をくれたのは、貴男が初めてのひとだったから。

セカンドライフ!

みなみ ゆうき
BL
主人公 光希《みつき》(高1)は恵まれた容姿で常に女の子に囲まれる生活を送っていた。 来るもの拒まず去るもの追わずというスタンスでリア充を満喫しているつもりだったのだが、 ある日、それまで自分で認識していた自分というものが全て崩れ去る出来事が。 全てに嫌気がさし、引きこもりになろうと考えた光希だったが、あえなく断念。 従兄弟が理事長を務める山奥の全寮制男子校で今までの自分を全て捨て、修行僧のような生活を送ることを決意する。 下半身ゆるめ、気紛れ、自己中、ちょっとナルシストな主人公が今までと全く違う自分になって地味で真面目なセカンドライフを送ろうと奮闘するが、色んな意味で目を付けられトラブルになっていく話。 2019/7/26 本編完結。 番外編も投入予定。 ムーンライトノベルズ様にも同時投稿。

起きたらオメガバースの世界になっていました

さくら優
BL
眞野新はテレビのニュースを見て驚愕する。当たり前のように報道される同性同士の芸能人の結婚。飛び交うα、Ωといった言葉。どうして、なんで急にオメガバースの世界になってしまったのか。 しかもその夜、誘われていた合コンに行くと、そこにいたのは女の子ではなくイケメンαのグループで――。

のろまの矜持 恋人に蔑ろにされすぎて逃げた男の子のお話

月夜の晩に
BL
イケメンエリートの恋人からは、雑な扱いばかり。良い加減嫌気がさして逃げた受けくん。ようやくやばいと青ざめた攻めくん。間に立ち塞がる恋のライバルたち。そんな男の子たちの嫉妬にまみれた4角関係物語です。

Ωの花嫁に指名されたけど、αのアイツは俺にだけ発情するらしい

春夜夢
BL
この世界では、生まれつき【α】【β】【Ω】という性の区分が存在する。 俺――緋月 透真(ひづき とうま)は、どれにも属さない“未分化体(ノンラベル)”。存在すら認められていないイレギュラーだった。 ひっそりと生きていたはずのある日、学園一のαで次期統領候補・天瀬 陽翔(あませ はると)に突然「俺の番になれ」と迫られ、なぜか正式なΩ候補に指名されてしまう。 「俺にだけ、お前の匂いがする」──それは、αにとって最大の禁忌だった。

最愛の番になる話

屑籠
BL
 坂牧というアルファの名家に生まれたベータの咲也。  色々あって、坂牧の家から逃げ出そうとしたら、運命の番に捕まった話。 誤字脱字とうとう、あるとは思いますが脳内補完でお願いします。 久しぶりに書いてます。長い。 完結させるぞって意気込んで、書いた所まで。

処理中です...