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前編
第九話
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その日は結局、ほとんどを自室で過ごした。
昨日処理室に二人がいたことを誰かが漏らしたのだろう。朝食を取りに行っただけで周りの卑俗な視線がまとわりついてきて、それがあまりに鬱陶しかったので昼食もスキップして部屋で寝ていた。唯一の友人であるジュリアンも、今日に限って地元の彼女に会いに帰ってしまっていたのだ。
昼に起きた時に僅かにヒートの気配があったので、アーサーから貰った座薬を入れてみた。一人の部屋で力を抜いてやってみれば、それは驚くほどすんなりと入ってしまった。
だが、座薬を押し込んだ指先をそっと引き抜いた瞬間。ふと、昨日のことが頭をよぎった。
あの大きな手が、自分の腰を支えて、ためらいなく薬を押し込んだ感触。どこか優しかった指の温度まで。
あの時、あまりに強いヒートで頭は朦朧としていたはずなのに、全部不思議なほど詳細に体が覚えている。
「ん……」
喉の奥で小さな音が漏れる。
指先が空気に触れた途端、そこに残っていたぬるい感触が、急に熱を帯びた記憶に変わっていく。
嫌なはずなのに、胸の奥のどこかがじわりと疼いて、身体の内側から何かがこみ上げてくる。
「ん……はあ……」
せっかくあんな高価な薬を使ったのに、こんなの本末転倒だ。そう分かっていながらも、手が自然と前に伸びてしまう。
嫌だ思うのに、どうしたって頭の中に浮かんでくる。制服の袖口から見えた手首の筋、近くで感じた匂いーー
そしてあの、生物として興奮しきっていることが一目でわかるほどの眼光。
あんな顔、今まで他の誰かに見せたことがあるのだろうか。
ただヒートに当てられただけだと頭では分かっているはずなのに、アーサーにあの顔をさせたことにどこか優越感のようなものを感じてしまっている自分がいる。
ーーあの手が、本気でここに触れたら、一体どうなってしまうんだろう?
「……っ」
そう思った瞬間ドクンと右手の中が脈打ち、生暖かく湿った。それと同時にすうと頭から熱が引き、大きな自己嫌悪がひやりと胸に滴った。
「だめだ、なに考えてるんだ、僕……」
右手を乱暴にティッシュになすりつける。最悪だ。両手で頭を抱えてベッドに倒れ込んだ。
自分で拒否したくせに、今更こんなことを考えてどうする。
なんの意味もない行為だ。ただ寮長としての義務的な、寮の風紀を保つための行為だと、昨日も、今朝だってはっきりとそう言われたじゃないか。
ーー僕だってそのつもりだ。
そう何度も言い聞かせるのに、指先に残った記憶がじわじわと胸をくすぐって、思考を侵食していく。
「……ほんとに……失敗した……」
こんなふうに心乱されるなら、やっぱり承認なんかするんじゃなかった。
枕に顔を埋め、ひとつ深く息を吐く。
沈黙だけが部屋に満ちる。窓の外から差し込む柔らかな午後の光が、あのかすかに揺れる睫毛の影を思い出させた。
昨日処理室に二人がいたことを誰かが漏らしたのだろう。朝食を取りに行っただけで周りの卑俗な視線がまとわりついてきて、それがあまりに鬱陶しかったので昼食もスキップして部屋で寝ていた。唯一の友人であるジュリアンも、今日に限って地元の彼女に会いに帰ってしまっていたのだ。
昼に起きた時に僅かにヒートの気配があったので、アーサーから貰った座薬を入れてみた。一人の部屋で力を抜いてやってみれば、それは驚くほどすんなりと入ってしまった。
だが、座薬を押し込んだ指先をそっと引き抜いた瞬間。ふと、昨日のことが頭をよぎった。
あの大きな手が、自分の腰を支えて、ためらいなく薬を押し込んだ感触。どこか優しかった指の温度まで。
あの時、あまりに強いヒートで頭は朦朧としていたはずなのに、全部不思議なほど詳細に体が覚えている。
「ん……」
喉の奥で小さな音が漏れる。
指先が空気に触れた途端、そこに残っていたぬるい感触が、急に熱を帯びた記憶に変わっていく。
嫌なはずなのに、胸の奥のどこかがじわりと疼いて、身体の内側から何かがこみ上げてくる。
「ん……はあ……」
せっかくあんな高価な薬を使ったのに、こんなの本末転倒だ。そう分かっていながらも、手が自然と前に伸びてしまう。
嫌だ思うのに、どうしたって頭の中に浮かんでくる。制服の袖口から見えた手首の筋、近くで感じた匂いーー
そしてあの、生物として興奮しきっていることが一目でわかるほどの眼光。
あんな顔、今まで他の誰かに見せたことがあるのだろうか。
ただヒートに当てられただけだと頭では分かっているはずなのに、アーサーにあの顔をさせたことにどこか優越感のようなものを感じてしまっている自分がいる。
ーーあの手が、本気でここに触れたら、一体どうなってしまうんだろう?
「……っ」
そう思った瞬間ドクンと右手の中が脈打ち、生暖かく湿った。それと同時にすうと頭から熱が引き、大きな自己嫌悪がひやりと胸に滴った。
「だめだ、なに考えてるんだ、僕……」
右手を乱暴にティッシュになすりつける。最悪だ。両手で頭を抱えてベッドに倒れ込んだ。
自分で拒否したくせに、今更こんなことを考えてどうする。
なんの意味もない行為だ。ただ寮長としての義務的な、寮の風紀を保つための行為だと、昨日も、今朝だってはっきりとそう言われたじゃないか。
ーー僕だってそのつもりだ。
そう何度も言い聞かせるのに、指先に残った記憶がじわじわと胸をくすぐって、思考を侵食していく。
「……ほんとに……失敗した……」
こんなふうに心乱されるなら、やっぱり承認なんかするんじゃなかった。
枕に顔を埋め、ひとつ深く息を吐く。
沈黙だけが部屋に満ちる。窓の外から差し込む柔らかな午後の光が、あのかすかに揺れる睫毛の影を思い出させた。
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